38章:夢の世界へ

(キャビネ前の四人が、土曜に集まってどこかへゆく)

第313話:佐山さんが行きたいところ

 十月十七日、金曜日。

 朝、ルーチンをしつつキャビネ前で女性陣二人と話し、佐山さんが「今日が木曜かと思って、明日も来るところだった」とのこと。確かに、連休があると週末が早い。

「それじゃ少し得した気分でしょ。明日来なくて済んで、よかったじゃない?」

「うん、まあねえ・・・」

 島津さんの言葉に、しかし佐山さんは何となく首を傾げるので「どうしたの?」と訊いてみると、「うちにいても、食べちゃうんですよねえ」と。

「また増えたんです。このままじゃまた、健診でダメ出しされちゃう」

「え、だって、その・・・二人分なんだし、たくさん食べるのはふつうじゃないの?」

「違うんですよ、それが。私も、いくらでも食べていいんだと思ってたんですけど、そしたら先生が、増えすぎですって」

 島津さんが、佐山さんの制服の上から下まで見て「そんなことないけどね」と。僕もそう思う。もちろんお腹は大きくなってきたけど、顔がふっくらしたってほどでもないし・・・ああ、ブレザーで見えにくいけど、胸元は、セクシーというより少し豊満な感じ?あ、じろじろ見てはいけない。

「とにかく、なるべく歩いて運動もしなきゃなんですけど、一人であんまり・・・途中で何かあっても嫌だし」

「でも、気候もいいし、出かけた方がいいのはいいのよねきっと。どっか、行きたいとことかないの?」

 島津さんが訊くけど、佐山さんは「うーん・・・」と黙ってしまう。僕は、もうすぐいなくなってしまうんだと思ったらなるべく適当に済まさず会話しようと思い、「じゃあ、もし何でもありだとしたら?例えば外国でも、どこでも」と言ってみた。

「ええ?どこでも、ですか?」

 僕の案を島津さんが引き継いで、「そうだよ、体重も、お金とかも何にも気にしないで、一日だけ、世界中好きなところ行けるとしたら?」と言い、ふと上を向いて自分でも考え始めたらしい。手は律儀に書類を揃え、パンチで穴を開けながら。

「私、それならイタリア行きたいなあ。課長の話だと、何か、並んだとか時間がかかったとかロマンも何もなかったけど、でもやっぱりちょっと憧れる」

 ああ、三課の中山課長は、夏にイタリア旅行へ行ったんだっけ。

「うわあ、そうなの?私、外国とか怖いかも」

「いや、だから、そういうのはナシで、夢の話。・・・で、山根さんは?」

「え、俺?・・・そうだな、ピラミッドとか、見てみたいけど」

「わーお、素敵!ほら、そんな感じで」

「えー、もう、何も気にしないで?お金も、体力がないとかも?」

「そうそう」

「乗換えが大変とかも?」

「そんなの、どこでもドアがあると思って」

「・・・じゃあ、もう、本当に何でも、どこでもいいなら」

「う、うん、どこ?」

 しかし、もう少し、というところで「えー、何の話?」と黒井が現れ、急に心拍数が上がる。島津さんがかいつまんで今までの顛末を話してくれ、僕はなるべく平静を装いつつ、その顔をちらりと見て、でもそれはあの十時四十七分の黒井じゃなく、いつものクロだった。

「え?そんで、どこ行きたいの?」

「えっと、その・・・」

 黒井に訊かれ、何となく今更言い出しづらくなったのか、佐山さんは苦笑い。

 まあ、無理に訊かなくても・・・と切り上げたくなる雰囲気だったが、黒井はいつものようにキャビネに肘をつき、唇を突き出したり片目をつぶったり、「んー、そうだなあ」とリラックスした思案顔。

「んーじゃあさ、・・・明日そこ行こうよ」

「・・・え?」

「どうせ明日、会社来る気だったんでしょ?そしたらさ、明日が金曜日のつもりでこの四人、みんな出社してきちゃうわけ。んで、下でみんな会って、俺ら土曜なのに何やってんだって、そんで、このまま帰るならどっか行こうよって、そんでそこ行こうよ」

「・・・、え?」

 僕と島津さん、そして佐山さんが、目を丸くして首を傾げる。

「え、その、行きたいとこさあ、外国なの?」

「い、いえ、外国じゃ・・・」

「ここからその日中に行けないくらい遠いとこ?富士山のてっぺんとか?」

「あ、いえ・・・別に、行こうとすれば、まあ」

「俺ら四人で行っても、行ける?」

「そ、それはまあ、入れます、けど」

「あ、どこかは言っちゃダメね。それは明日まで秘密」

 黒井はすっと人差し指を口元にやり、一瞬片目をつぶって見せた。うわ、もう、そんな。

「あ、あの、・・・えっと?」

「面白くない?え、明日用事?」

「え、いえ・・・」

「島津さんは?」

「・・・わ、私ですか?ま、まあ別に、空いてますけど」

「じゃあ決まりじゃん。ほら、夏に花火行けなかったんだし、こんなんなって動けなくなる前に遊ぼうよ」

 黒井が思いきりお腹が大きいジェスチャーをして、「そういやうちの姉貴、こんなんだった」とひいひい言ってみせる。佐山さんはやはり気になるのか、お姉さんと甥っ子の話に水を向けた。僕は彼女らのことを当然思い浮かべたが、おっと、聞き知ってるだけじゃなく会ったこともあるなんて、詳細を突っ込まれたらちょっとまずいか。



・・・・・・・・・・・・・・



 それとなくキャビネを離れると島津さんがパタパタと小走りで寄ってきて、「あの、あの・・・今のってどういうことですか」と。いや、僕だって訊きたいよ。っていうか、そういえば僕の予定は訊かれてないけど、当然出席、って意味かな・・・。

「さあ、まあ何か気まぐれだと思うけど・・・もちろん、あれだったら、無理しないで。何なら後で、言っておくし」

「いえ・・・まあ、私も、何かしてあげたいっていうか、それはちょっと、思ってたんですけど」

「・・・ん、うん」

 島津さんがそれとなく別のキャビネに移動し、僕もそれに合わせた。

「実は、最近ちょっと、・・・まあそういうものなんでしょうけど、つらそう、っていうか、塞ぎ込んでるのかなって思うことがあって、そういう、気晴らしみたいな、あったらいいのかなとは思ってたんですけど」

「・・・そう、だったんだ」

 キャビネを開け、もちろん大した用事はないから何となく中を整理して扉を閉じ、ちらりと、黒井と佐山さんを見遣った。黒井はあの、家族の中での道化みたいな顔を見せ、佐山さんを笑わせている。佐山さんも、出産経験のある姉がいるということで、普段あまり二人きりでは話さない黒井に対して、ずいぶん表情を緩ませていた。

「え・・・本当に本気、ですかね」

「うん?」

「明日、集まって、みんなで行こうなんて」

「それは、本気だと思う」

「本気ですか」

「うん。あいつはそういう、決めないのとか、好きだから」

「・・・じゃあ山根さん、本当に来ますか?明日、九時に、ここへ?」

 島津さんは眉根を寄せて下を指差し、ここ、というか一階のロビーを示した。

「まあ佐山さんの体調が優先だけど、・・・今日、帰るまでにやめたコールがなければ、・・・来る、かな」

 僕はふと、突然押しかけてきたり電話で呼び出されたり、そのくせ自分の気が済むとさっさと帰ったり、<それ>を探してもがきながらも何かの導きを求め、見えないものを追いかけてきた黒井を思い出した。

 今は、どうなんだろう。

 それは、聞いてみないと分からない。

「っていうかまあ、来ても、あいつだけ来ないとかもあり得る、けど」

「え、どうしてそうなります」

「・・・うーん、気分屋、っていうか」

「じゃあどうすればいいんですか」

「・・・でもさ、何か」

 僕はもう一度佐山さんたちを振り返り、島津さんもそれにならった。黒井はどこかから持って来た椅子に反対向きに座って、佐山さんは何か、自分を茶化すような感じで手を叩いて笑っている。いつも体調を気遣うばかりで逆に気を張らせてしまったのかと、少し自己満足を反省。

「何か、満更でもないみたいじゃない?」

「・・・そう、ですね。何か、もしかしてちょっと、面白いかも」

 じゃあ普通に出社すればいいんですね、と、しかし冷静に、「あ、土曜だったら電車、早め・・・え、いや、あくまで金曜って気持ちで出れば・・・?」と、島津さんは律儀で真面目だった。



・・・・・・・・・・・・・・



 外回りに出てから、「あいつはそういうのが好きだから」とか、いかにもなせりふを吐いたことを目を閉じて恥じた。・・・いや、島津さんに対して「クロ」とも「黒井」とも何となく言いづらく、でも「あいつ」なんて呼んでしまったら、ついそんな感じになってしまったのだ。

 しかし。

 実際、明日、四人で本当にどこかへ行くのだろうか。

 まあ、佐山さんの体調がすぐれないとか、急な予定が入るとかで、中止になる確率が五割。

 それから、結局黒井は来ないか途中で帰るとかして三人だけになり、誘われるも僕は辞退して、女性二人が羽を伸ばす会になるのが四割。

 そして残りが、四人とも通常どおり出社してロビーで顔を合わせ、本当にその<どこか>へみんなで行く・・・。

 ・・・。

 まあ、<そこ>がどこかによる、か。

 たとえば、いつも行かない高層階のレストランで食べてみたいとかなら、みんなでランチして終わりなんだし。

 でももうちょっと、それ以上なら。

 どこに行くにしろ、四人ぞろぞろ連れだって電車に乗るなり何なりで、まあもちろんそれはただの移動だけど・・・。

 ・・・ダブル、デート、みたいな??

 ダブルデート・・・!

 図らずも、デートの機会が訪れてしまったのか。

 ふいに、緊張度が上がる。

 でも、僕たちが、付き合って、いる・・・ことは、もちろん秘密なわけで。

 しかし、隠すといっても、じゃあ二人の関係の何を隠すのかって、それは<同性の恋人>って枠からも、少し、ずれている気がした。

 女性経験もあり、普通を嫌う藤井などとは違って、佐山さんと島津さんは当たり前に<普通>の人たちだ。ちょっと肩を触れ合って軽口を叩きあうのを見られても「仲良しですねー」で済むだろうが、先日あんなキスをされて、腕時計を壊されながらもうすぐ殴りかかりそうなところで言葉にならない何かを交わし、それが何だったのか話すこともなく今に至る僕らは、果たしてこの関係のどの部分を隠せばいいのか。

 今、クロがどういう状態でいるのか、表向きは上機嫌みたいだけど、内側がどうなってるのかを僕が把握しないまま、具体的にならないこの関係を隠しつつ、四人でつつがなく行動できるだろうか。

 ・・・心配、しかない。

 僕とクロがトチ狂って殴り合っても問題ないけど、あの二人を巻き込むわけには絶対いかないし。

 ・・・でも、だからって、行かない、とは思わなかった。


 そして、しかしそもそも無事に行ける確率は一割だということを思い出し、いったん明日のことは忘れて、仕事に励んだ。

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