37章:まだ、恋人ではない僕たち
(仮配属の新人に嫉妬しつつ、何かが進んでいく)
第305話:新人同行、始まる
十月六日、月曜日。
新宿に着いたらメールが来ていて、<おはよう はやくあいたい>とあり、地下通路で携帯を落としそうになった。
・・・クロ、お前はちょっと、愛情表現がとてもストレートだったりするね。
俺は、ドキドキするよ。ちょっともう。
携帯を鞄には入れず手に持ったまま、早足になる。そんな、<はやくあいたい>だなんて言われた空気の中に数秒だってとどまれるか、恥ずかしい!
朝礼の間はその後ろ姿さえまともに見れず、終わったらそそくさと回れ右をしてPCに向かった。とりあえずメールをチェックし、添付されたエクセルで今週から始まる新人同行の予定を見る。
一人二、三回はまわってくるようだが、ええと、まず最初は・・・、今週の金曜に、岩城君と、ご近所さんへ。いわき君・・・確かあの親睦会のとき、やたらポジティブでハキハキしていた子だったっけ。
まあ、あそこなら近いし、下手すれば二十分か三十分で終わる。さっさと済ませてしまおう。
そして、エクセルを閉じようとして、・・・ソートして自分の名前の行だけ表示させたけど、あれ、もしかして、これって。
四課だけじゃなく、全課分入ってる?
周りをちらりと確認し、エクセルの窓を小さくし、三課のシートを開いてその名前を確認する。
黒井は、誰とどこへ行くんだ?
列を追っていくと、埋まっているのは木曜日、相手は・・・<不破 覚>。フワ、サトルと読むのだろうか。何だかお経みたいな物々しい字面だけど。
これは・・・あの、僕に似ていたとかいう不破くん、ってやつだ。僕はあんなに不愛想じゃないし、あんな小柄ないじめられっ子みたいのじゃないのに(たぶん)、なぜか黒井が気にかけていた男の子。
アイツ、三課に仮配属なのか。
同行となれば、短くて三十分、下手すれば二時間長、一緒に過ごすことになる。黒井と、あの、なつかないチビ犬みたいな礼儀知らずの少年が?
・・・黒井が、僕以外の相手と、二人きりで一緒の時間を過ごす?
あれ、おかしいな、そんなことって許されるんだっけ。いくら会社の行事とはいえ、あってはならないことじゃないか?
嫉妬や浮気を通り越して人権侵害じゃないかと憤ったが、何となく背後に人の気配がして、慌ててエクセルを閉じた。
・・・。
まさか、後ろにいる?
椅子の背に手がかかり、やんわり、ぐらぐら揺らされる。
「・・・ね、ジュラルミン来た」
「は、はい!今すぐ」
見られてないよね、今の見られてないよね?
並んで歩くのもどきどきしたが、しかし聞いてみれば<はやくあいたい>の理由は台風にあったらしく、明け方の雷がすごかったんだと黒井は喜んでいた。
・・・あ、そう。うん、お前はそういうのが好きだものね。
そしてジュラルミンの配送担当原西氏にももっぱらその話題を振って、やはり返事を聞き終わる前に「またよろしくー」。
オフィスに戻り、キャビネ前の四人でもその話。都心の二十三区内在住者はその明け方の「ドーン」という音を知ってるようだけど、そうじゃない人は知らないみたいです。
・・・・・・・・・・・・・・
仮配属の新人たちがこちらの島にもちょこちょこ現れるようになり、少し雰囲気が変わった。就活生みたいなスーツ姿で・・・って、そういえばクールビズって終わったのかな。あれ、十月いっぱいまでだったかな?
それからしばらくデスクで仕事をして、ふと、あのひょろくて知的な飯塚君が他の新人と歩いているのを見かけた。連れは他の課の配属らしく見たことはないが、もう一度見ても忘れそうな地味眼鏡くん。でも何だか、ごくふつうの友達という感じで初々しく、笑ったり冗談を言い合ったりしているのが微笑ましい。うん、ああいうのが、ふつうだよな。
そしてその視線の先に目ざとく見つけてしまったのは、黒井と例の不破くん。一瞬で身体に力が入り、臨戦態勢。今のところ不破くん側は<この先輩うっとおしい>オーラ全開で目も合わせないが、そうやって黒井を邪険にするのもそれはそれで腹が立つ。いや、これがだんだん親密になって、黒井にだけ笑顔を見せるようになるとか、そんなのもまったくダメだけど。
・・・。
・・・長くない?
同行は木曜でしょ?今そこまで何を話すことがあるの?
・・・。
何か、用事を、見つけて。
中断しに行ってあげようかな。
僕は行程表の、黒井がハンコを押すところを持って「ここにハンコください」と言いに行ってやろうと思ったが、僕が立ち上がると、二人は連れだってフロアの向こうへ歩いていった。その時黒井が軽く不破くんの肩に手を回したのを見て、思わず手に持った行程表をぐしゃりと握ってしまった。
・・・・・・・・・・・・・
キャンペーンが何だとか言われてチラシを刷って外回りに出たけど、面倒で渡さずじまい。帰社して課長にアレどうした、四倍だよ四倍、なんてどやされるが、苦笑いで逃げて知らん顔。だってどうせ、キャンペーンの最後頃に一斉DM送りつけて、三から五パー戻りがあれば万々歳で・・・ってこんな粗利なんか付け焼き刃じゃないの?だから、品数増やすのやめて基幹をしっかりやって、その分サポートに回せって・・・ま、どうでもいいか、別に僕の会社でもない(経営者ではない)。
今週頑張ったらまた連休だと思って、別に何の予定があるわけでもないけど頑張ることにした。
・・・・・・・・・・・・・
火曜日。
昼は暑く、朝晩は冷え込んだ。
クールビズ期間は暗黙でしれっと続いているらしく、長袖シャツにノーネクタイだが、帰りは寒い。
もうすぐマフラーを出すのか、と思ってカシミアを思い出し、その感触と匂いもふわっとよみがえった。クロが颯爽とした「黒井さん」だった時代から、遠くへ来たなあと思った。
残業中に頬杖をついて自分の世界に入っていたら、後ろから「山根さん」の声。
「今話しかけても大丈夫ですか?」
「え、は、はい」
「お疲れ様です、お忙しいところすみません。四課仮配属の岩城悠人です!」
「い、いわき、ゆうとくん。ど、どうも、お疲れ様」
場違いな大声でフルネームを名乗り、しかししっかり礼儀正しく、爽やかでちょっと今風な(眉毛が細い)体育会系風のフレッシュマンは今度の同行の相手だった。語尾までしっかり発音し、敬語も出来ているのになぜかやたら子どもっぽく感じる。たぶん、お姉さん方にものすごく可愛がられるタイプ。
「あの・・・ここ、座る?俺ちょっと、用事で」
あまりの背筋の伸びた感じに恐れをなして、隣の横田が目をぱちくりしながら席を立った。後でたぶん「いや、無理っす。フレッシュ光線にやられました」とか言うだろう。
「あ、いえ、大丈夫です」
「いやほんと、しばらく空けるから」
「いえ、このままで。立ちっぱなしは慣れてますから」
「・・・そうすか、まあ、疲れたら、どうぞ」
「鍛えてますから、大丈夫です」
無言で「ひえ~」と逃げ去る横田に自分も同じだと共感のエールを送りながら、後ろで手を組んでまっすぐに立つ岩城君の話を聞いた。
内容としては別に何でもなくて、ただ同行スケジュールの概要の確認だった。わざわざ席まで来たのは、こういう小さなコミュニケーションが大事だと言われたからだそうだ。
「それで、早速来てみました。すぐ実行しないと、忘れちゃうんで」
「・・・う、うん。いいことだと思うよ」
「ハイ!」
「・・・」
何のてらいもない「ハイ」に唖然とし、西沢も思わずこちらを向いて「いやー、いい性格やね。やっぱ若いなあ」と口を出した。普通なら曖昧にうなずいて「いやあ」とか「ええ・・・」とか言うところを、「ハイ、よく言われます」とすぐに返せるのは、もはや天性の何かだろう。ワンテンポゆっくりの会話ペースと、はっきり大きな声の発音のせいで、その発言を何となくさらっとスルーしようという流れにはならず、しかし、褒めようがたしなめようが同じ顔で「それもよく言われます」「女性ウケがいいのでそうしてます」とはにかんで微笑まれるから、これは西沢でも負け戦だった。
僕は説明のレベルをどの程度にするか探りながら話し(いや、本当に同行なんて言ったって大したことは何もないんだけど、何事も初めてだと不安もあると思って)、神妙な顔でうなずかれるのでついなだめるように詳しく話したが、最後に大丈夫だよ、みたいなことを言うと「ハイ、俺あんまし緊張ってしないんで」と一言。・・・あっそう、本当にいい性格してるね。悪気が全くなくて、湿度がほとんどないから何を言っても本当に爽やか。同じ爽やかでも黒井と違うところは、うん・・・大人の色気?あ、別に、年のこと言ってるんじゃないから、気を悪くしないでよ、クロ。
・・・・・・・・・・・・・・
入れ替わり立ち替わり四課の島にやってくる新人たちはやはりあの老成した山田氏でさえ新鮮さを運んできて、しばらく飽きなかった。これが、完全に同じ課になり、同じ業務をすると思うと一気に憂鬱になるのだが、こうしてお互いお客さんごっこみたいに接していれば悪い気はしない。このままずっとこんな感じならいいのに。
こないだの歓迎会でほとんど話さなかった辛島君という無口で無骨な男子も、とっつきにくかったが朴訥なだけだと分かり、好感が持てた。体が大きく少し太めだが、軽々とダンボールを持ち、その空き箱をきっちりとたたむところを見て、きみは現場の鑑識官にすごく雰囲気が向いている、と思った。無駄口を叩かない地道な仕事ぶりは讃えるに値する。
現場には出ない安楽椅子探偵の飯塚君。
岩城君は聞きこみ担当で、巧みな話術(?)でご婦人から情報を引き出したりする。
それから、博識で、意外と変な人脈を持っていそうな調査担当山田氏。
無言で現場に立つ辛島君はほんの少し暗い陰があり、あれ、まさか?と、いつも僅かな不安をこちらに抱かせる・・・。
・・・うん、なかなかいいチームだ。ふつうはここに紅一点のかわいい女の子が加わるが、残念ながら今回は該当者なし(一応四課仮配属の女子は二人いるが・・・失礼?)。いや、まあ、ドラマでも何でも、無理に美人やおっちょこちょいの女の子を配置しなくたって、男子だけで十分だ。恋愛要素なんて気が散るだけ。本題のミステリさえしっかりしてればいいのであって、チャラチャラした女なんて現場に入ってきてほしくないね。
・・・うん、うちの課はなかなか優秀な人材を穫ったんじゃないだろうかと、ドラフト会議で意見も出さなかったくせにちゃっかり満足した。
しかし問題は三課の不破くんで、見かける度に心がぞわぞわしてしまう。
どうしても雰囲気がなじまなくて、僕の妄想ミステリ・チームにも入ってくれない。現実的な生活感はないのに、非現実的なキャラクター性もあてはまらなかった。
小さくて細くて、クールビズ(延長中)なのに一人真っ黒な上着を着ていて、ものすごくつまんなそうなのに、そんなこと全然気にならないという矛盾した顔で歩いている。クロに言われた先入観のせいか、でも、何も言われてなくても、やはり見かけたら何だこいつはと思っただろう。
それでも、やはり、新しい顔ぶれは何だか楽しかった。
僕にあるまじき感情だ。いろんな人がいるのが、楽しいだなんて。
もちろん、今だけだって分かってる。もう少し深入りしたら、どれもこれも嫌になる。<お客さん>の期間だから踏み込まずに、上澄みだけでやっていけるのだ。今は向こうも僕を立ててくれてるけど、程なくして値踏みし、そのまま踏みつけだすだろう。ああ、今まで後輩というものとあまり接したことがなかったから、この感覚は初めてか。ふうん、年下から馬鹿にされるのは先輩から見放されるよりおもしろくないもんだね。
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