第306話:気になる不破くん

 ノー残の水曜は黒井が元々課長同行の遠方客のため直帰で、21時頃<つかれたー>とメールが来た。圧力鍋でサバとかアジの炊き込みご飯を作りたかったが、魚の扱いはよく分からないのでちくわで代用したら割とそれっぽい風味になった。

 ひとまず<お疲れ様>と打つが、そこから先の一言が、出てこない。

 仕事の様子を訊ねるとか、ねぎらいの言葉だとか、あるいは・・・一緒に帰れなくてさみしかった、だとか。

 でもどれも今の心情にぴったりはこなくて、しかしいつまでも無視していても悪いので、そのまま送るしかない。なんてそっけないんだろうとは思うけど、ならどれが正解なんだと考え始めたら、思考は同じところをぐるぐると回った。


 あいつの期待に応えたい。

 でも、きっとあいつは自分の期待通りに動いてほしいってわけじゃない。


 しかし、あの三月を越えて黒犬を取り戻し、僕の中身はあいつで出来ているんだから、つまり僕の意志はそのままお前ということになり、これではお前の望みは叶わない。僕には僕本来の自分の意志だとか自主性みたいなものがなくて、お前のために生きるというのをそこに据えてしまったものだから、どうにもならない。

 

 ネットを見ていたらふと、自分のしっぽを自分でくわえて歩くユキヒョウという写真があって、山猫ではないけど、何だかそのご苦労なウロボロスみたいな感じに親近感を覚えた。

 


・・・・・・・・・・・・・・・



 十月九日、木曜日。

 黒井の予定リストは朝イチから不破くんと同行。ってことは、このオフィスから一緒に出かけるんだよね。いや、別に、どこかで待ち合わせるよりいいかな・・・いや、もう、どっちの方がどのくらいどうなのかなんて、もはや分かりはしないけど。

 外回りの準備をしていると、背後から「えーーそれじゃだめだよ!・・・あ、まいっか別に」と素っ頓狂な声。大きな声だったんで、何かと思って・・・を装ってちらっと振り返ると、案の定、一緒に出かけるらしい不破くんが黒井の席に来ていて、いつもの仏頂面をしているのだった。でも別に、たぶん、何かのダメ出しをされてぶーたれてる顔じゃなく、何とも思っていない常態なんだろうなあれが。

 しかし、その後何かを話し始めたようだけど、ちょうど西沢が「山根君さあ、これ知ってる?」と社内メールの何かを見せてきて、「はい?」「あんなー、これやねんけど」と、う、うるさい、聞こえない、二人が何を言ってるのか聞こえないってば!!

「えー、後で見ときますね」

「でもだってこっちにはこう書いとるやん?したらどっちがほんまか分からんくなるで」

「ああ、まあ・・・」

「なあ?せやろ?ここんとこおかしくなるやろ。・・・なあ?」

「あ、西沢さんそれ、確かに昨日来た時俺もそう思いました。おかしいっすよね」

 横田まで会話に加わって、もう、黙れお前ら!俺が今何をしてるか見えないのか!


「・・・あ、それいいね。じゃあそうしようよ。よし、そいじゃ行ってきまーす」

 その後に続くぼそっとした「行ってきます」は僕の脳内で補完してようやく聞き取れたかあるいは空耳か、とにかく二人は出かけていくようだった。「それいいね」の「それ」とは一体何なのか、まさかお昼も一緒にって話?「いいね」ってことは、つまり不破くんから提案したってこと?そして当然黒井の奢りで?・・・と聞き取れなかった怒りに拳を握りしめるけど、会話の一部始終が聞こえていようがいまいが、何かの成り行きでお昼をともにされたら結局おしまいだ。それを防ぐ術はない。

 ・・・半ば、反射的に、「くっそー、あいつ後輩と仲良くしやがって!」と意味もなく盛り上がっている面もあるだろう、と、思っていた。・・・付き合っている、わけだから、こんな風に嫉妬をするのも僕の権利であり、それを好きな時に行使してもいいだろうと、とりあえず旗を持っているから振ってみた・・・という状況の、はずだった。

 どれくらい、本気で嫉妬しているんだろう。

 これが単なる気分の盛り上がりなのか、本物なのか自分でもよく分からない。

 ただ、あいつが不破くんとどこかの店で昼飯を食べるくらいなら、朝からその机の上にどかんと手作り弁当を置いておいてやろうと思った。



・・・・・・・・・・・・・・・



 不破くんがツイッターとかをやっていて、今何をしているのか逐一つぶやいてくれればいいのに、なんて思いながら電車に揺られる。ツイッターはぎりぎりPCで見て知ってるけど、ラインとかいうのはスマホだけだから画面すら見たことがない。どうやら新人たちはみんなそれで繋がっているみたいで、もしかしたらそっちで何かやっているかもしれないけど、ツイッターやネット上の掲示板なんかと違ってグループ登録してないと見れないんだろうから、当然知りようはない。

 まあ、彼の雰囲気からいって、そういうのに積極的に参加してるとは思えないけど。

 でもどうかな、そういうのは意外と分からないもんだし、今頃「黒井さんと同行中」「すっげー優しい」「女子、羨ましい?」とか・・・ああ、だめ、考えただけで腹が・・・何ていうの・・・煮えくり返る??はは、煮えくり返るってすごい単語だな。しかも、腹じゃなくてだいたい「はらわたが」って主語だしね。

 しかし苦笑いを貼り付けて席を立ち、電車を降りようとして、ふと、半分、いや、三割くらい、どこか満足しているような、興奮しているような、<よし!>と思っているような自分がいることに気がついた。

 たぶん、電車を降りる時、黒井と一緒に電車を降りることを無意識で想像し、あいつが先に降りて、その後ちょっと振り向くんだ、とか思って・・・、不破くんも今頃それを体験していて、何ていうか・・・。

 僕に似てる、なんて、言うから。

 僕の分身が、まるでコピーロボットのように黒井について行ってるんだ、みたいな。

 でも本当はそうじゃなくて、僕じゃない人間なわけだけど、どこかで、別の自分、たとえば前世の自分だの、異世界の自分だの、精神的な分身のマスコットキャラみたいなものとか、何だかそういう存在を想定して、そいつに「ほら、クロはかっこいいだろ?」なんて思わせたい僕がいるようだ。

 ねえ不破くん、今クロはどうしてる?

 きみのこと、ちゃんと見てる?

 何か言ってもろくに聞かず、「ねえこっちだよ」なんて、結局迷子になってない?


 ・・・ああ、だめだ、何だろう、不破くんに嫉妬を感じなくなってきた。勝手に同化して、取り込んで、現実をパラレルワールドにして、ゲームの中の世界みたいに感じている。

 新宿を舞台にしたリアルな背景で、僕は何人かの中から主人公を選ぶ。

 当然、自分に似た人物だ。僕は<不破 覚>を選んでゲームスタート。リアルな3Dのオフィスをうろうろして、<黒井先輩>を発見し、ボタンを押して話しかける。


<えーーそれじゃだめだよ!・・・あ、まいっか別に>


 ああ、黒井先輩に何か言われてしまった。何がダメだったんだ、服装か、持ち物か?僕はステータス画面を開いて状態を確認する。うーん、開始直後のこの状態で何をダメ出しされたって、用意できるものなんかないよ。


<じゃ、それで・・・>


 うおっ、しまった、ボタン押しっぱなしでスキップされたのか。全然読めなかったし、選択肢が出たのに一番上を勝手に選んでしまった。


<あ、それいいね。じゃあそうしようよ。よし、そいじゃ行ってきまーす>


 うん、しかし無事にゲームは進むようだ。さて、これからどうなるんだろう・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・



 帰社して、四課に近いドアではなく、一課の手前の、新人の島に近い方のドアから入った。不破くんがどんな様子かちらっと見えないかな、なんて。

 ・・・。

 見え、た。

 彼はデスクで背中を丸め肘をつき、左手でくるくるペンを回していた。ふうん、左利きなのか。上着は脱いでいて、薄い青のシャツの、その下の身体の細さが、何だか寒くなるほど。

 デスクの上には方眼の小さなメモパッドと、あれは、革の筆入れ?ペンケースというよりちょっと巻き物みたいなタイプのやつ。ずいぶんお洒落なものを使ってるらしい。・・・あのギャルソンにしても不破くんにしても、やたら細くて服装や小物に主張があるあたり、やはり黒井の好みなんじゃないだろうか。

 いつまでもじろじろ見ていられないのでなるべくさらっと素通りし、そして三課もちら見して自席へ。・・・偶然、だけど、黒井もほぼ似たような格好で、右手でペンを回していた。こちらは親指の上で実際に一回転させる技。不破くんのは(僕もそれだけど)、指の間を移動させているだけで本当は回転していない。

 ・・・いいよ、そんなところまでシンクロさせなくて。

 僕は心の中で「ただいまクロ」と声をかけ、その視界にノックして入った。対抗して僕もペンを回してやろうと思い(しかも、小指から人差し指への二段階回し!)、もぞもぞと、黒井からは見えないように胸の前でやって、しかも取り落として大層恥をかいた(自分に対して)。


 結局のところやはり嫉妬してるのか、それともあまり嫉妬していないことに意地で反発してるのか、だんだんよく分からなくなってきた。それでも、黒井の席に行って「お前、今日同行だったんでしょ?どうだった?」と訊くなどという選択肢は存在しない。

 ・・・嫉妬してもいい立場になっていることに満足して、その優越感ゆえ、あまり嫉妬を感じていないのだろうか。

 そうかもしれない。


 試しに僕はクロと不破くんが思いきり仲良くなったところを想像してみた。二人は一緒に歩いたりコンビニに行ったりして談笑し、その辺りまでは「別に?」だったが、その後、不破くんが帰りたくなくなってそっぽを向いたまま無言で黒井の腕を引き、黒井が正面からその肩に手を置いて、屈みこんで顔を覗き込み「・・・どしたんだよ」とまっすぐ見つめたところで、・・・カンカンと何かが鳴ってアウトだった。

 ・・・アウトだよ。

 いやいややっぱり嫉妬。そんなのあり得ない。

 そこで律儀に時を巻き戻してコンビニまで戻り、そこに僕が現れて、黒井は僕に笑いかけてちょっと待ってと目で合図し、それじゃあねと不破くんを帰した。・・・ふう、これでよし。


 この勢いで今日は何とか一緒に帰れるよう画策してみようと思ったが、こういう時に限って三課はグループ会議に入ってしまい、誰もいなかった。昨日はろくなメールの返事も打たなかったくせに、いてほしい時いないとなると歯がゆくなってしまう。仕方なく今日こそ何かメールを打ってみようとしたが・・・、あれ、やっぱり文面は思い浮かばなかった。


 帰宅してからもそれは思い浮かばず、もはや焦りながら、最終手段。

 布団の中から<おやすみ>と送る。

 しばらくして、待望の着信音。

 <うん、おやすみ>の返事を眺め、声も聞きたいなあと思いつつ、眠りについた。

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