第302話:黒犬の添い寝
「『見せてくれた』って何だよ、俺はそんなつもり・・・」
「いいよ言わなくて。何か分かるから」
「・・・は?」
「お前ああいうの<見てる>んだって、息すんのも忘れて固まってるから、分かったよ俺」
「・・・」
バレてる、と、思った。
いや、そもそもろくに隠してないし、実は、傍から見たら、僕の態度はあまりに分かりやすく出てしまっているのかもしれない。案外と、何もかもが。
「ねえ、ねこ」
「・・・なに」
「いつお前がそうなるかわかんないけど、俺、こうやって一緒に寝るから・・・ちゃんと、襲わないで添い寝するから、今日は安心して寝て」
「・・・」
「お前はたまに、『たすけて』って言うんだ。だから俺はそうしたい」
「そんなこと、言ってな・・・」
「うん。お前は言わないけど、中のお前が言う」
「・・・助ける、必要なんか」
「お前はウィルにそっくりじゃん。いつも警戒してびくびくして、俺の目を見ないし、怖いことがあっても絶対話さない。でも、・・・客観的に見てわかんない?あの人、助けてほしいんだなって、思わなかった?」
「・・・なに、言ってるんだ。放っておいてほしいだけだ。助けを求めてなんか、いなかったじゃないか」
黒井は苦笑いで「まあ、せりふではね」と言った。まるで、それ以外は全部SOSだったとでも言わんばかりに。
・・・もしかして、僕も、そう見えるってこと?
自分の力量を推し量って、きちんと自分が対処できる分しか手をつけず、他人に助けを求めなくてもいいように生きていて、ちゃんとそのように発言してるのに・・・態度では、滑稽なくらい、助けてって叫んでるってこと?
僕は、体を起こして、拳で布団を叩き「そんなんじゃない!」と言った。うん、そんなんじゃない。ちょっとカッとなってパニックになりかかってるだけで、これはSOSなんかじゃない。
「・・・ねこ」
「違うよ、助けてもらいたいだなんて、一ミリも思ってない。ウィルもそうなんだって、お前の方こそ、見て分からないのか?いろいろ期待されたって応えきれないし、<こっち>で手一杯のときは他の分もこっちに回さないと、いろいろ、電源が、まわんないんだよ。それなのに<助けてもらう>って、むしろそっちの方が大変で、そんなのまでは無理だ。俺は一人でちゃんと出来てる。だから、こういう時はただ放っといてくれればいいんだよ」
「・・・でも、俺は、放っておきたくないし、そんなに物分かりがよくない。だってお前は放っておくと離れてっちゃいそうだし・・・それに」
そう言うと黒井も体を起こし、布団の上で、二人で、少し距離を置いて座っていた。キッチンからの薄明かりで、そのシャツやズボンのシルエットが見えてくる。
「・・・それに?」と促すと、僕が体を支えて布団についていたその手の甲に、黒井の手が重ねられた。それはしっかり大きく、ぎゅっと押さえるようで、でも、ほんの少し撫でて握るその力の入り方には、禁断の何かが込められていた。ただ心の支えになりたいという励ましではなく、・・・そういう、想いが、こもっていた。
「・・・そうやって、どっかに行きそうになってるお前は」
「・・・」
「・・・急に、どこも見てなくて、おかしなこと口走って、どうかしちゃってて」
「・・・」
「そういう、お前は・・・」
黒井は僕の手を強く握り、それから、言いにくそうに躊躇しつつ、僕の耳元に、「・・・そういうお前はすごくえろくて、そそられて、おれはどうしようもできなくなる」と言った。
・・・・・・・・・・・・
それは、最初にお前が俺んちに泊まった、あの夜が最初で・・・と、黒井は言った。
ほら、忘年会の、あの日だよ、と。
そんなの、忘れるわけないだろう、と思ったが、・・・確かにあの時、僕は思いっきり緊張していたはずなのに、どうやって寝たのか、あまり覚えていなかった。
酒が入っていたから、それでさっさと眠りに落ちちゃったんだったか。
でもどうやら、それだけじゃないみたいだった。
「お前がなんか、その、触ってくるっていうか、つかんでくるから・・・」
「・・・つ、つかむって、何を」
「あ、いや、腕とかだよ。別にあれじゃないよ」
「・・・ね、寝ぼけてたってこと?俺が」
「いや、寝ぼけてっていうか、まあ、二人とも酔ってたし、・・・なんかそういう、ことなのかなって俺・・・」
「・・・そ、そういうって?」
「誘われてるのかなって」
「・・・は?」
「それもいいかって思って・・・その気になって俺、ちょっと襲いかけたんだけど・・・でもお前、そうじゃないみたいで、急に叫んで、溺れたみたいにはあはあ息してて、それで・・・そしたらお前、幻覚だから、金縛りに遭っただけだから、気にしないでくれって。声出せば治るから、それで叫んだだけだから、何でもないんだって」
「・・・」
「俺、なんかもう、そんなお前が横にいて眠れないし、そのあとも痙攣とかしてて、・・・でも朝になって、お前は全然覚えてないみたいで」
・・・覚えて、いなかった。
いや、酒が入ってたから、少し酩酊して、ぐるぐるして眠ったのは微かに覚えている。でもそれだけで、確か、翌日の黒井は二日酔いだったと記憶している。あれは、二日酔いだけじゃなく、徹夜の頭痛もあったのか。
「・・・それは、とにかく・・・迷惑かけてすまない。知らなかった」
「だって言わなかったもん。言ったらそうやって、お前、絶対謝って引っ込んで、出てこなくなるだろうし、・・・それに何か、俺、・・・これ知ってるの、自分だけの秘密みたいで、なんか」
「・・・」
「と、とにかく俺はだから、去年の十二月からお前がこんなだって知ってるし、何度も、見てきてるし、だから今更もう、いいじゃんって。あの時はもちろん、まさか、こんな風に・・・こんなに、馬鹿みたいに、お前のこと・・・普通に好きになるって思ってなかったし、でもそれって、<こういう>のも含めてなんだから、・・・こういうお前にそそられる俺だっていて・・・でもそれが、お前が、嫌なら・・・仕方、ないけどさ」
そう言って、急に黒井は、泣いた。「嫌なら」というその言葉に、自分で驚いたみたいに。
そして、「いやなら、しかた、ないけど・・・」と、何度も言って、ぼたりと、布団に零れ落ちる涙の音が聞こえた。
僕は、「嫌じゃない、ごめん。俺が悪かった。一緒に寝てくれ」と言って、その背中をさすった。
「・・・むりして、言うなよ」
「無理してない。棒読みにしかならないだけ。・・・でも俺みたいな面倒なやつ、何で好きなんだ」
「・・・言ってるじゃん。そそられるって」
「・・・お前は変態だ」
「一回だけキスして。そしたら寝る。ちゃんと」
「・・・」
「いっかいだけ」
「・・・い、っかい、だけ」
「うん」
僕は、少し顔を傾けて、その口に、キスした。
すぐ離したけど、その時なぜか「チュッ」と音がしてしまい、そんな風にしたつもりじゃなくて、すごく恥ずかしかった。
「・・・あと百回して」
「ば、馬鹿か」
「もっとしたい。最後までしたい」
「・・・しちゃだめなんだろ。それに」
「・・・それに?」
「俺の、添い寝の、約束」
「・・・あ、うん」
「べ、別にいいよ、したくなければ」
「・・・ねえ、何かさっきから、・・・お前、また中のお前なの?・・・それとも」
「・・・え?」
「照れてるってこと?照れると棒読みなの?」
「・・・ち、違う。お前が急に泣くから動揺しただけだ。・・・まったく、さっきの今でもう笑いやがって」
「俺の涙に弱いってこと?」
「い、色々言うな。いろいろ分析するな」
わざとじゃないけど、つい、さっき観たウィルみたいなせりふが出た。博士に幻覚のことを指摘されて、「僕を分析するのはやめてください」と慌てて逃げて行ったウィル。
ごっこ遊びが好きな黒犬がそれを見逃すはずもなく、「悪かった。でもまたやるから、控えめに謝っておくよ」と、さらっと博士のせりふの再現が出てくる。僕がモノの詳細をいちいち覚えてるみたいに、黒井は俳優の演技の詳細を覚えているみたいだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
そして、少し笑って、布団に入った。
僕は仰向けで、黒井は僕の肩と胸のあたりを枕に、横向きで。
・・・本当は、横を向いて寝た方が、僕の経験では30パーセントほど、金縛りの確率が減るんだけど。上を向いてると気道を塞がれる感覚が強く、身体が動かないパニックに襲われやすい。
でも、今日は、別にいいんだ。
どんなにだって、何にだって、襲われたらいい。
黒井の腕が僕の上に来て、その手が肩をつかむ。
目を閉じると、さっきの死人が見えてきて、まるで幽霊にしがみつかれてるみたいな気にもなるけど・・・いくらだって来たらいい。地獄にだって連れて行けばいい。切り刻みたいだけ、やればいい。
本物なのか、ドラマで観たそれなのか、こんな夜中にカラスの声がした。
それから僕はさっきの事件を何度も多角的に考察し、それは四角い板と釘みたいになって、僕は板を指が痛くなるまで擦り、突き立った釘の周りを一周した。そのうち別の釘が立って、それは真犯人じゃなく模倣犯の犯行で、そっちは別で考えなきゃいけないけど、でも、これは博士がウィルに<そそられて>やってるんだから仕方ない・・・。
やがて、ふいに、ナイフが見えて。
<レッド・ドラゴン>で、博士が自分を逮捕したウィルにどんな仕打ちをしたか、思い出してしまって。
でも大丈夫だ。俺はお前を逮捕したりしないし、・・・このドラマでは、そうじゃない話になるかもしれない。
・・・ん、何か、音がする。キッチンで何か、落ちたのかな。カサカサ、ごとり。床の振動まで、・・・誰かいる。
博士が、来てるんだ。何か不穏な食材を持ち込んで、ああ、水道がサーッと流れる音、トントンと何かを切る音・・・、料理をしてる、鍋の蓋を閉める音がする。耳をすませばすますほど、それはただ普通に聞こえてくる。
見に行かなきゃ、何してるんですかって言わなきゃ。
クロを、起こそうか。
クロ、あのね、お願い・・・。
いや、そんなの、やっぱり一人で行くべきか。寝てるのに起こして煩わせるわけにいかない。
怖いけど、包丁で刺されちゃうかもしれないけど、一人で行かなきゃ。
静かに立ち上がって、ふらりとドアの前に立ち、ああ、すりガラスの向こうの暗闇にやっぱり誰かいる。ごくりと唾を飲み込む。
少し冷たいドアノブを握り、これも、幻覚だっていうの?
そして、ゆっくりとそれを、開けたら、何が、見えるのか・・・。
・・・・・・・・・・・・・
包丁が顔に飛んできて、目を閉じて避け、叫んだ。
僕は体を起こして、クロにしがみついていた。
こちらの現実を認識すると、脳みそはバツが悪そうに今までの幻覚を引っ込め、僕は、さっきドアノブを握ったはずの左手を握ったり開いたりした。
「ねこ、お前、今、・・・いま、そうだったの?」
「・・・え、あ、ああ」
「何にも、わかんないよ。揺すって起こすタイミング、わかんないよ!寝てるだけにしか見えない」
「・・・そ、そうか。そうなのか。・・・なにか、苦しそうにしてたり、目が開いたりしてるのかと思ってた。外からは、本当に何も、分からないのか」
「俺、お前を助けらんないの?」
「・・・いや、お前はちゃんと、いてくれた。ここに寝てた。俺が起こさなくて、頼らなかっただけで、起こせばよかったんだ」
「俺、起きてたよ」
「ち、違う、幻覚の中のお前だよ。ちゃんと、寝る直前の情報は保存されるんだ。だから、その、ありがとう・・・」
何を見てたの、と訊かれたけど。
物音がして、見に行こうとしてた、とだけ答えた。
頭を撫でられて、僕はその肩にもたれて、そのままその腕に抱かれるようにして、寝た。今度は僕が横向きで、そのYシャツの上から胸に手を当てて、クロの心臓の音を感じながら目を閉じた。
「・・・今度は、眠れると思う」
「そっか。お前、あったかい」
「・・・役に立てたならいい」
ばかねこ、とつぶやいて、黒井は僕の頭や肩を強く撫でた。「おれはこんな幸せで、いいの?」と訊いたはずだけど、現実では言えてなかったのか、それともクロは寝てしまったのか、返事はなかった。
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