第294話:臨時休業

 九月二十四日、水曜日。

「聞きました?二ヶ月後ですって。鈴木さんの、結婚式」

「へ、へえ、そうなの?」

「十一月の連休って」

 朝から咳き込みそうな話題だが、横田の情報によれば、僕たち同期もその二次会に呼ばれるらしい。親戚の結婚式には出たことあるけど友人のなんかないし、二次会というのが何をする会なのかよく知らないんですが。そして別に、知らないままでもいいんですが・・・。

「でもさ、同期でも、女子は呼ばれないらしい」

 僕は「えっ?」と言い、左からは西沢が「女子」の言葉に反応してこちらを向いた。

「何か、奥さんがドえらいヤキモチ焼きで、新郎側は女人禁制なんだとか。だから俺ら、野郎だけ」

 いやー何なんすかねと横田が首をすくめたが、それを残念がっていると受け取ったのか、西沢が「でも、それ、チャンスやで」と割り込んできた。

「な、よう考えてみ、その奥さん、そんなやったら絶対自分の友達でも男は呼ばんで。つうことは、二次会なんか完全合コン状態、ってことや」

 横田は「ああ、なるほど・・・」などとうなずいていたが、二次会も合コンも、そして女の子にも興味がない僕は(そう言ってしまうと何だか変な響きだが、・・・でも、男の交際相手がいるわけだから、まあそうなるわけか)、ただ曖昧に「へえ」とか何とか言っておいた。


 そろそろ月末が迫っていて、上期の総括面談と下期の新人仮配属の件もあり、それなりに気が重かった。だからまた自分が宇宙から送り込まれた偵察員で、地球の経済活動の一端を体験する任務なのだと思って仕事をした。これをやらないと、銭湯に行けなくなっちゃうわけだしね。

 ・・・今日も、また、銭湯に行ける。

 黒井の裸を見て、同じシャンプーを使って同じサラサラの髪になって、そしてどこかで夕飯を食べて、帰り際にはまた・・・。

 ・・・うっ。

 最近はめまいや動悸でなく咳き込んでむせることが多いが、とにかく今日頑張ればそれが待っている。駅で別れるのがつらいけど、帰ってまた電話する、いや、電話するために急いで帰ると思えばきっと大丈夫だ。実際には電話しなかったとしても、電話があると思えば耐えられそうだ・・・。



・・・・・・・・・・・・・・



 無事に仕事を終わらせて無事に待ち合わせをし、無事に商店街を歩いて無事に銭湯にたどり着いたのに、そこには<臨時休業のお知らせ>という小さなホワイトボードがかかっていた。それは突発的なものではなく、どうやら、祝日の翌日は休みということらしかった。

「・・・」

 二人で入り口の前に突っ立って、無言で頭を掻いたり、足の重心をずらしたり、ため息をついたりした。ふむ、もしかして僕の宇宙からの任務がダメ出しを食らい、不思議な力で銭湯行きがきっちり阻止されたのか。・・・いや、そんなものは戯言だと分かっているし、元々のスケジュール的な休みだったわけだけど、こうあっさりと悲願を却下されると、妙に「ふうん」と思った。

 ・・・これまでだって、ノー残で一緒に帰ろうと約束したことは何度もあったが、どちらかが仕事でいつも帰れなかった。今回は無事にここまで来たのに、裸にまではたどり着けなかった・・・。

 い、いやいや、一緒にいるだけで十分だし、別に、銭湯はなくても夕飯は食べられるんだし。

「さて、どうしようか。休みなものは仕方がないし、まあ何か食って帰る?」

 とりあえず投げかけてみるけど、どうなのかな、黒井はどれくらい残念に思ってくれているんだろう・・・。

 ちらりと横顔を窺って、その無表情を一瞬見て、また<臨時休業の・・・>に目を戻す。

 ふいに、どうしてそんなこと気にする必要があるんだ、黒井がどう思うかなんて僕の領域外の話じゃないかという思いがわいて、僕は黒井の側に出していた足を引っ込めた。

 付き合っている、なんて、言ったって。

 こんな時のガイドラインが示されているわけでもない。

 いつも、黒井が何かを言い出して、ああしようこうしようと僕を振り回して、何かが起きても僕は「どうする?」と訊くだけ。それに何の違和感も持っていなかったけど、もしかして、付き合うっていうのはそこへもう一歩足を踏み出すという意味?もしもそうだとするなら、僕は本当に黒井と付き合いたいんだろうか?

「どう、しよっか・・・」

 沈黙に耐えかね、もう一度訊いてみる。黒井が黙ってしまうと、僕はこんなにも、心許ない。

「・・・」

 黒井は口を閉ざしたまま少し苛立ったようにきびすを返し、もしかしてもう帰ると言い出すかと思ったが、行き先は商店街が終わる方向。そっちには何もなくて、奥には大学のキャンパスらしき大きな敷地が広がっている。

「え、あの・・・どうするの?」

 追いすがると、「・・・おれ」と小さいつぶやきが聞こえた。

「え?」

「俺・・・お、思ったより、もしかして、ずっと」

「・・・うん?」

 しばらく歩いて、暗がりで、立ち止まる。

 そして、黒井は左手で顔を覆い、何度かこすりつつ、言った。

「なんか俺・・・た、楽しみだったみたい、銭湯!」

 直後に、鼻をすする音。

 え?

 ・・・まさか、銭湯がやってなくて泣いた?

「あ、えっと、うん、まさかやってないなんて、本当に、ね・・・」

「・・・っ、なんで、今日、しまってなくたって、いいじゃん・・・」

「う、うん。ごめん、俺も、ホームページとか見とけばよかった」

「やまねこ・・・」

「え、うん」

 黒井はゆっくり僕に抱きついて、「いきたかった」と子どもみたいに言った。そっと回された腕の体温が温かくて、体は遠慮がちに半歩離れているけど、顔のすぐ横にその髪があり、僕は「うん、ほんとに、俺も、残念だよ」と言った。こんな棒読みだけど、うん、俺だって本当に残念だ。でももしこれが俺の宇宙の任務のせいだったら本当に済まない。明日からもっと仕事を頑張るから許してくれ。何だか僕まで泣きそうになってきて、「クロ、何か、食べに行こう」と言ったら、「わかった」と黒犬は大人しく離れ、横の細道へ入っていった。



・・・・・・・・・・・・・



 途中に鬱蒼と木が繁る神社があり、また秋の虫がリーリーと鳴き、住宅街に入りそうになりつつも、ぽつぽつ店はあった。住宅地図で見ると、降りた駅の一つ手前の駅へ向かって歩いているらしい。

 静かな夜道を歩いて目についたのは、小さなビルの地下への階段と、何だか分からない<・・・ットリア>みたいな看板。

「イタリアンかな」

「・・・さあ」

 メニューもないし、値段も不明。チェーン店じゃなくてもそば屋ならまだ入れたが、バーかレストランかも分からない店に入れる気はしなかった。

「行ってみる?」

「えっ」

 120パーセント躊躇している僕のオーラが通じていないのか、しかし、ぼったくりだの反社会的だのの犯罪要素がなければあとはただ僕の度胸の問題で、それなら「・・・うん」と言うしかない。僕は、これは交際だ交際なんだと言い聞かせ、黒井に手を握ってほしいとまで思いつつ、その狭い階段を下りた。


 重いガラス戸を開けて中に入ると、ちょっと昔の喫茶店みたいな、でも一応一般的なレストランらしき店だった。客は二、三組で、店内は薄暗く、ジャズっぽい音楽がかかっている。

「いらっしゃいませ」

 黒井の後ろで大丈夫かなと腰が引けている僕をよそに、黒いスカートみたいな長いエプロン(?)の男性が寄ってきた。何だっけ、ソムリエじゃなくて、バーテンじゃなくて、・・・バリスタ?

「二名様。こちらへどうぞ」

 内装はちょっと古いけど、テーブルとかメニューとかはお洒落な今風で、っていうか案内のお兄さんが、えらく、細い。個性的な髪型にピアスだけど、ホストみたいじゃなく、腰が低くて恭しいほど。

「お決まりの頃お伺い致します」

「あ、どうも」

 黒井はこの雰囲気に面食らうこともないのか、テーブルの奥に座り、「何かいい感じだね」と小声で言った。いや、まあ、紫煙がくすぶるバーとか外人が集って騒いでいるバルとかでもなくて、僕でもギリギリいられそうだけど、僕はあくまでギリギリだよ。まあ、泣かれるより、楽しんでもらってる方が、僕だって嬉しいけど。

 

 日本語の下に英語ではない横文字が並ぶメニューを開き、しかし、前菜だのメインだの、そういう注文の仕方はよく分からないんだよな。カレーとかスパゲティとかじゃだめ?

「ん、これアルコールメニューだって。どうする?」

「どうするって、水曜から飲めないよ」

「うーん、・・・一杯だけ」

 いやいや、それはだめだろと顔を上げると、黒井は「いいじゃん、飲もうよ!」ではなく「・・・おねがい」の顔をしていて、僕は折れた。ちらりと、同じ水曜に西沢と飲んだことも思い出され、一瞬で消去した。

「一杯だけにしよう」

「よし。じゃ、何にしよっか」

 その顔に笑みが広がり、ああ、ああ、僕はクロに甘い。そりゃ銭湯が休みで泣かれたら甘くもなる。

 しかし、メニューを吟味してまた値段と取っ組みあおうとしていたら黒井が少し顔を上げ、くい、と首を傾げたら、すぐに後ろから「お伺いします」と例のギャルソン(あ、ああ、確かギャルソンってやつだ)の声。

 その声はとても柔らかくて、少しゆっくりめの落ち着いた話し方は、やはり丁寧を越えて恭しかった。

 テーブルの横に立つその姿を近くで見ると、片側だけ長く伸ばして半分顔を隠している髪、反対側は剃り上げていて、その耳には銀の輪っかのピアス、やはり危ない感じがするほど痩せた身体・・・。しかし姿勢は良くてポケットの銀色のペンもかっちり挿し込まれていて、決して怪しいバーテンみたいなすさんだ感じはない。そしてそのアンバランスさが逆に、よく分からない色気みたいなものを醸し出していた。

 ・・・誰かに、少し、似ている。

「これ、・・・これってどんなだっけ」

「そちらは、ジンベースのカクテルです」

「こっちは?」

「こちらは、当店のオリジナルで、マッカラン12年物を使っています」

「マッカランって、えっと、ウイスキー」

「はい」

 ギャルソンは嫌味なく微笑んでうなずき、いかが致しましょうか、と。

 ウイスキーで、思い出した。

 ・・・みつのしずくの、みーちゃんに似てたんだ。

 いや、似てるのは、痩せてて色白なところと、ピアスと、お酒を出す店で働いてるってことだけだけど。ああ、それとお店の「お兄さん」だって思いつつ、たぶん年下なんだろうなってこと。

「お前はどうする?」

「・・・えっ、ああ、どうしよう。何でもいいよ」

「そう?・・・あ、じゃあこれと、さっきのやつを」

「かしこまりました」

 去り際、黒井が僕の背後へ「お願いね」って視線を送り、僕をはさんで、ギャルソンの「お待ちください」が返される。だから、何なんだよその王子のお世話係みたいな甘い声は。

 すっかり上機嫌で食事のメニューに目を落とす黒井を見ながら、何だか、僕は、嫉妬したみたいだった。銭湯での僕の裸より、ああいうのが、いいの?僕もスカートを履いて対抗しないと、勝てないの?(いや、履いても勝てる気がしないが・・・)

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