第277話:レンアイの壁と、圧力鍋

 黙って歩き続けたら、後ろから手をつかまれた。

 悪かったよ、「一人にしてくれ」ってちゃんと言ってなくて、それは俺が悪かった。

「・・・なん、だよ!」

 手を振りほどこうとするけど、強く握られて、ほどけなかった。

 西口前、どこかからストリートミュージシャンの歌、女の子たちの騒ぐ声、何語か分からない外国語。

 別に、僕たちだって大声で痴話ゲンカしたっていいだろ・・・なんて、頭の中で言ってみただけ。

「ねえ、ごめん、お願い行かないで」

「うるさいな、もういいだろ?飲んで、お前の話聞いたんだから、俺、もうひとりで帰りたい」

「ごめんねこ、そんなつもりじゃなくて」

「別に、話はいいよ。お前の過去で、それは純粋な事実なんだから、俺がとやかく言うことない。でも」

「・・・でも?」

 どうでもいいと思いつつも、やはり羞恥心があって仕方なく近寄った。さすがにこんなこと叫べない。

「・・・キス、嫌なら、別にいいだろもう」

「・・・ちがっ」

「俺、無理なんだよ恋愛なんか。恋されるとか好かれるとかできないんだよ!」

「・・・お、おれ」

「・・・なに」

「でも、あきらめない」

「・・・」

「わかってるよ、おれ、全然やっぱかっこよくないし、出来てないし、酒飲んで酔ってみたって、一番出来てたときのこと話したって、やっぱだめだった。でもおれ、お前にかっこいいって思われたい。思われないなんてやだ。それは、ずっと、最初から、同じ。こうなる前も、ずっと」

「・・・」

 手首をつかまれたまま、時折、お願い、分かって、とでもいうように腕が揺らされた。確かにお前はずっと、中身がかっこいいって、言われたいんだって、言ってた。俺が、ひげが似合わないとか色気がないなんて言うと、やたら気にして不機嫌になって・・・。

「きついよ。だめなまんまなのに、絶対あきらめきれない」

「・・・何を、だよ。・・・かっこよさ?」

「・・・おまえ」

「・・・」

「生徒会長の話、もう俺、崖から、落ちたみたいになって。初体験の話、覚悟してたのに、それどころじゃなくて」

「・・・」

「俺の知らないお前、も、ショックだったけど・・・でも、そいつの気持ち、分かって、だから、怖くなった。お前って完全に、ひとりの世界で、それ、俺も、知ってる・・・」

「・・・ふん、あっそ。じゃ、ほっとけよ」

「無理。それは無理。これからはもっとムリ」

「なんで」

「好きだから」

「・・・っ、・・・もう、やめろよその、好きって言うの。言われてみてわかった、俺、それ、向いてない」

「やまねこ」

「なに」

「好きだ」

「・・・ひ、ひとのはなし、きけ」

「さっきあそこで、やってもよかった?」

「・・・え?」

「俺、最後まで・・・」

「・・・は?」

「止まれるわけないじゃん、あれ以上、一秒でも先」

「・・・」

「ねえ、一緒に帰って。送ってって言わないから。せめて電車だけ。せめてあと今日、三十分だけ」

 


・・・・・・・・・・・・・・・・



 懇願されて、同じ電車に乗った。

 これまでなら、僕はこんなことになる前に自分をちゃんと抑えていたし、あんな路上で自分からキスをするはずもなかったし・・・そしてまさか、黒井の好意を断る方向での発言をするなんて、防衛線ギリギリの本土決戦中でしかあり得ないことだった。

 今まで、本当に必死で命がけで、泥にまみれて傷だらけになって探していたダイヤモンドが、・・・今はそこら辺に転がっていて、無造作に蹴っ飛ばして歩いている気分。そんなのってあるか。そんなの、あまりに今までの僕を馬鹿にした行為だ。

 もう、嫌すぎる。おい俺、今までの俺に謝れ。

 ・・・そんなに、簡単に、好きだなんて言うなよ。

 クロ、お前も今までの俺に謝れ。

 涙が出てくる。手で拭ったら、隣からハンカチを渡された。お前、ハンカチなんか持ってたのかよ。

「ねえ、ごめん・・・」

 言われるけど、喉に何かが込み上げて、返事は出来なかった。ドアの前で並んで立って、おでこが当たるほど顔を寄せられ、「でも好きなんだよ」と小声で。・・・もう、くそっ。

 桜上水に着いて、ハンカチを返そうとして握らされ、黒井は自分も泣きそうな顔で「じゃあ、また」と僕の目を見た。何でそんなに必死なんだよ、と思って、僕は「おやすみ、クロ」と涙声で言った。



・・・・・・・・・・・・・・・・



 脱ぎっぱなしは初めてじゃないが、鍵さえかけられなかったのは初めてだ。

 土曜の夕方まで泣きながら寝ていた。

 だんだん、何が悲しいのかすら、よく分からなくなってくる。理屈機構が鈍くて、これまで抑圧していた感情がまるでセキュリティの切れた刑務所みたいにぞろぞろ出て来て、どんどん流されてしまう。今までだって、黒井と会ってからはそんなだったけど、第一命題が「自分を隠して黒井を好きでいる」だったわけで、遅延しながらも理屈は頑張ってそれに合わせて積み上げられ、そして行く道を作ってきたわけだけど、でももう、今の僕は命題が分からない。

 ・・・。

 ・・・クロ、ごめん。

 やっぱり理屈じゃなくて、ただ思った。

 それで、鞄まで這っていって携帯を取り、ためらうこともなくかけた。

 突然かけて、留守電になるかと思ったのに、「・・・やまねこ?」とすぐその声が聞けて、くそ、ハンカチはどこだ。

「もしもし、クロ」

「うん」

「あの、おれ、ごめん」

「・・・うん」

「昨日、俺、たぶんひどいこと、言った。別に、お前に怒ったんじゃなくて」

「うん、だいじょうぶ」

「お前は悪くないんだよ。俺が、この、この状態の、えっと、機構と、仕組みと」

「いいよ、分かってる」

「・・・分からないだろ、説明できてない」

「お前がさ、俺がなんも言わないのに、電話してきて、・・・ろくに考えもしないでなんか話そうとしてるんだからさ、・・・分かるよ」

「・・・分かるわけ。あっそ、じゃあもういい」

 急に恥ずかしくなって、切ってしまった。

 そうしたらすぐ着信が来て、出た。

「もしもし、おい切るなよ」

「・・・だって、伝えたいこと伝え終わったんなら通話は終わりだ」

「しょうがないやつ。はは、ほんと、お前」

「知らないよ。もう俺だって助けてほしいくらいなんだよ。お前が、告白なんか、するから。・・・俺のこと好きだなんて、言うから」

「・・・そう、だね」

「・・・ほんとに、好き、なの?」

「うん」

「・・・わか、った」

「うん」

「わかったよ。・・・それじゃ、また」

「・・・あの」

「なに」

「昨日は、俺もごめん。仲直り、してくれる?」

「・・・いいよ」

「じゃあ、なかなおり。・・・ね、また電話、くれる?」

「・・・気が向いたら」

「・・・うん。待ってる」

 僕はもう電話を耳から離して、「それじゃ!」と切った。もういい加減にしてくれ。

 

 スーパーまでゆっくり歩くと、天気は曇っていささか涼しかった。そうめんと、刺身を買った。携帯は持っていかなかったので、きっと腑抜けた顔で歩いていた。



・・・・・・・・・・・・・・・

 


 日曜日。

 ゆうパックに起こされて、やたら重たい荷物を受け取った。

 差出人は<黒井世津子>。品名は<圧力鍋>・・・?

 ・・・忘れ物を、したのか?え、鍋を?

 顔を洗って目を覚まし、あらためて荷物に向かった。ガムテープをはがし、二重になった大きな紙袋に入っていたのは、小さめの片手の圧力鍋の箱と、ポリ袋には土のにおいのするじゃがいも、お湯で溶かす乾燥スープ、そして、和紙の便箋が一通。


<東京へ戻ってもお変わりありませんか?

 短い間でしたが、遊びにいらしてくれて有難う。とても楽しかったです。腱鞘炎が治ったばかりで、沢山お手伝いをしてくれて、助かりました。咲子(姉)からも、よくお礼を言っておいてとの事。


 彰彦は料理を全くしませんので、こんな物を送ることもしなかったけれど・・・たまには食べさせてやって下さいネ。カボチャやお大根の煮付け、炊き込みご飯等も短時間で出来ますよ。あと、頂き物の春雨スープと、おジャガは庭でとれたものです。


 また、いつでも、お正月にでも、遊びに来て下さいね。ご迷惑でなければ、また頂き物等、送ります。如何せん一人では食べきれないので。


 それでは、又。夏ももう少しですね。

 母より 


 山根 弘史 様>



・・・・・・・・・・・・・・・



 直筆の、手紙だった。

 空にとんぼが二匹舞う、秋を感じさせる便箋。

 縦書きの、少し崩し字で、達筆ではないが、あのお母さんらしい現実的で力強い字だった。

 ・・・僕宛ての、手紙。

 圧力鍋を、考えたけど買ってはいないと、それを覚えていて、送ってくれたのか。

 何度か、読み返した。あの家が頭に浮かび、ガラスのテーブルや飾りのついたコップや、和服のにおいを思い出した。それから、きっと幼い頃は何にでも、母親がその持ち物に書いていたであろう<彰彦>の文字。気がつくと、指でそっとなぞっていた。

 

 再びスーパーに出向き、食材と、あとは文具売場で、小洒落たものなんかないけど、シンプルな便箋を買った。

 説明書を読みながら、圧力鍋<こなべちゃん>に、土をよく落とし、薄い皮はむかずに切ったじゃがいもを入れ、アク抜き不要の(抜いたことなんかないけど)こんにゃくに切れ目を入れて一緒にぶち込む。しょうゆとみりんをほんの少量、これで焦げ付かないのかな?

 パッキンがついた蓋をしっかり閉め、強火でしばらく待っているとシュンシュンと音がして、やがてプスっと栓が詰まった音。それから真ん中のおもりが揺れだして、この時点から分数を計り始める。たったの三分?

 おもりがゆっくり揺れるように火を調節して、三分経って火を止めた。あとはシューっと音がしてるので、ただ待つだけ。まあ、沸騰するまでと、この待つ時間を含めれば案外変わらないような気もするけど・・・ああ、火を使っている時間が違うから、ガス代の節約にはなるのか。

 説明書のレシピを読んでいたらプシュー、と汽車が止まったような音がして、ガチガチに閉まっていた蓋がゆるんだ。ゆっくり開けてみると、一気に煮物のにおい。湯気の中から、茶色く染みた芋たち。汁はほとんど残っていない。上の部分だけ白いので、おたまでひっくり返してやると、ああ、もう崩れるのか。小さく切り過ぎたか。

 こんにゃくもひっくり返したいが、おたまでかき回しているとこのままではマッシュポテトになってしまう。量に対して三分が長すぎたか?それともざく切りの大きさの問題か?


 いずれにせよ慣れの問題だろう。使いこなせそうな気はした。僕はやわやわのじゃがいもとしっかりと三角のこんにゃくをそのままご飯に乗せ、ねこまんまみたいに食べた。味はしっかりしてて、まるでお店のお総菜みたいだが、ちょっと濃かったか。もう少しいろいろ調節して、うまいこと仕上げられるように、なったら・・・。

 あいつの顔が、浮かんだ。


 窓を開けると、すうと涼しい風。あれだけ猛暑で、熱帯夜だったのが嘘のようだ。

 天気はずっとぐずついて、ニュースでは広島の土砂災害の件。お母さんは大丈夫だろうか。まあ、荷物が届いたのだし、日付的に見れば平気だったのだろう。


 ネットで失礼にならない手紙の書き方を調べながら、お礼の便箋をしたためた。

 黒井のことを何と呼ぼうかと迷い、結局<黒井君>と書いた。<もう少し慣れたら、黒井君にも、味見をしてもらおうと思います>・・・。っていうかこれ、勝手にやり取りしてるけど、こういうのって、やっぱり本人に「お前のお母さんから頂き物をしたよ」って伝えるのが礼儀かな。

 電話をするには絶好の大義名分だと思ったけど、でも何だかお母さんの優しさをダシにしているような、こんなのは卑怯な気がして、出来なかった。風呂を沸かして、早めに寝た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る