34章:初デートに奔走

(西沢に相談したらさらにややこしくなった)

第278話:デートの定義

 八月二十五日、月曜日。

 便箋を書いたのはいいものの封筒を切らしていて、朝からコンビニで買って電車に乗った。会社の自席で<黒井>の宛名を書くわけにもいかないし、地下通路のマックでコーヒーを買い、油っこいテーブルを何度も拭いて、ゆうパックの伝票を見ながら丁寧に書いた。縦書きっていまいち斜めになってしまって、封筒を湯水のように使い、六通目でやっと合格して便箋を入れた。

 少し遅くなり、急いで店を出て地下通路を急ぐとふいに、その後ろ姿を、眼鏡の視力が完全に捉えた。

 ただ、胸を何かが通り抜けて、焦がれる。

 ああ、クロ、お前だ。

 このままうっとりと見ていたいけど、どうしよう、声をかけて、しまおうか。

 軽い緊張感とともに、でも、その顔を見たい、振り向かせたいという思いが、勝った。

 好きって言うな、だなんて、あんなことを言ってしまった僕なのに、でも、まるで磁石みたいに引き寄せられた。いろいろバックグラウンドで理屈が紡がれているようだけど、気にしていられない、早くしないと会社に着いてしまう。

 少し、走って、追いつく。

 腹が、ひゅうと、やっぱり透ける。

 肩を叩いたら、びくっと振り返って、その目が見開かれた。

 そして、一瞬の間を置いて、みるみる笑顔になって。

 こっちが、照れた。

「や・・・やまねこ」

「・・・おはよう」

「お、おはよ。え、あ・・・うわ」

 並んで歩くと黒井は「ひ、久しぶりだね」と上擦った声を出し、こちらをチラチラと見た。やっぱり慣れない・・・けど、うん、何だか理屈の解析が追いついてきて、先月あたりに地下通路でこうして恋をされようと前や後ろを歩いて奮闘したことを思い出し、それが叶っているのか?と思わず吹き出した。

「え、な、なに・・・!?」

「いや、何でもない。何でもないよ」

「ちょ、なに、俺のこと?」

「・・・別に、そうとは限らないだろ?自意識過剰だよ」

「えー、なんだよそれ!」

 会社のビルに入って、エスカレーターで一階に上がる。先に乗った黒井はわざわざ一段下りて二人の間を詰め、「ちょっとそれさあ・・・!」とテンション高めにニヤニヤしながらこちらを向いた。僕はその顔を見上げて、一秒、見つめた。黒井はそれで固まって、黙って前を向く。そして、エスカレーターが終わると黒井が少し待って並び、ふいに僕の腰に手を回してくるので、「ちょっ!」と身体が跳ねた。

 すぐに手は離れ、「じ、自意識過剰じゃない!?」と。

「お、お前・・・!」

 腰、女の子、セックス・・・!

「ちょ、ちょっと支えただけじゃん。気にしすぎだよ!」

 それでもやっぱり声は震えていて、だからこれは今までみたいなイタズラなんかじゃなく・・・もしかして、朝から僕に声をかけられて、嬉しくてはしゃいでる?

「べ、別に、気になんかしてない」

「ふうん、じゃあどこ触られても平気?」

「・・・へ、平気、だけど、触る必要はないからな。もう会社に着くんだから、そういうのはナシ」

「・・・そ、そういうのって?」

「そういうのは、そういうのだよ!何だよ、絡むなよ」

「じゃあ会社じゃなきゃいいわけ?」

「・・・ノーコメント」

「も、元はと言えば、お前が思い出し笑いとかして、えろいからじゃん」

「う、うるさい」

 あとはエレベーターに詰め込まれ、黒井は照れ隠しかわざとか、僕の方をぎゅうぎゅう押してきて、素肌の腕が触れ合って、僕たちは箱の中でじっと照れた。今までこんなことがあったって照れるのは僕だけだったのに、お前もそうなってしまって、仲間が増えたと喜べばいいのか、今まで通り照れたらいいのか、照れている黒井を想って照れたらいいのか、選択肢がいっぱいあって、結局無心でその腕だけに集中した。ほんの少し汗ばんでいて、それを舐める妄想がわいて、そういうのはナシですよと自分にたしなめられた。



・・・・・・・・・・・・・・・・



 西沢はまだ夏休みで、メールをチェックすると先日のISMSテストの結果が出ていた。といっても落ちた人などほとんどいないらしく、多忙で研修に出られなかった人のための追試のお知らせのみ。何も言われないということは合格なんだろう。ただ、テストを受け、結果が出るという感覚は懐かしく、横田の「我々受かったらしいっすね」に「まったくね」とうなずいた。


 四課の中でも一、二位を争う大手のお客さんが下期から他社へ乗換えを考えているらしき噂が飛び交って、「どーすんのよ」「ってもねえ・・・」と、課長とG長のぐだぐだ会議。それから、一課の鈴木の結婚式が、相手の身内の不幸か何かで延期されたとこちらも風の噂。少しだけ、恋されわずらい(「仮」をつけなくても思考できるようになった)が落ち着いて、会社という空間や仕事に集中できる時間も増えてきた。黒井の「行ってきます」の声に三課を振り返り、こっちを見るかなと思ったら目が合って、「行ってらっしゃい」の視線を送ったら、笑みをこぼして大股で歩いていった。うん、いったいこの僕の何がいいのやら。あはは。



・・・・・・・・・・・・・・



 八月の最終週は、夏の終わりだからか、あっという間だった。

 世間のニュースは広島の災害から、代々木公園のデング熱へ。毎年九月の終わりくらいまで暑さに喘ぐのに、今年はもう秋の気配までするけど、まだ蚊はしっかり生きているらしい。

 コーヒーに二回誘い、ノー残の水曜だけ少し電話をして、週末を迎えた。あの告白から約二週間。土曜はずっと手が付けられずにいた旅行の荷物を片付け、電話をしようか迷い、その前に圧力鍋で鶏肉ときのこの炊き込みご飯に挑戦したら存外にうまくいって、しかしじゃあお母さんに書き送ったとおりここに呼んで料理を振る舞うかと考えたが、手が止まった。

 ・・・告白の、次のステップを、考えてしまって。

 うん、自宅は早い。自宅は早い。また、軽く飲みにでも行ったらいい。

 そしてやっぱり、携帯を見つめた。

 以前のようにふいにかかってくることはもうなく、ただその回線の向こうで相手が待っている。「また電話、くれる?」なんていじましく微笑んで、きっと今だって、電話をしたら喜ぶのだろう。

 でも、だからってじゃあ僕の都合のいいときに、相手が喜ぶのはすっかり分かった上でかけてやるなんて、どうにも、偉そうで嫌だった。別に、誰も困るわけじゃないけど、まるで施しを与える大金持ちにでもなったようで、そんなのはフェアじゃないという気がしてならない。だったら突然家に押しかけて、「何で急に来るんだよ!」と追い返された方がマシだ。いや、誰が困るって、そっちの方が被害者が一人出てるんだから、電話が正解なのは分かってるんだけど。

 電話をすべきか否か問題について、しかしやはり理屈が上の空、というか、理屈が出してくるレポートをあまり見る気がなく、頭のどこかで会議が空回りしていた。そして、もうその果てに無心になってどうしようもなくなった暁には電話したらいい、と思っていたら、夜遅く、メールが来た。


<デートしたい>


 ・・・。

 ・・・え。

 ・・・い、いや、・・・したいって。

 誰と?

 ・・・僕と?

 いや、困ったな、そんなことしたいって言われても、どうしたらいいのかな。どこに発注かけたら出てくるんだろう。こんなメールが来たときはいったいどうしたらいいんだ?なんだ、ええと、どのフローだったかな、どっかにマニュアルがなかったかな。こんな時にはどうしたらいいかって、いやいや、まずはきっと<デート>の定義から確定すべきだ。具体的には何をすることをいうんだ?っていうかこのメールなんだろう。

 ・・・で、デートって何だ。

 あ、会えばいいってこと?

 会うだけなら会社でだって会ってるし、別に、何時にどこそこに来いと言われれば行くけど、<デート>にはどうにもそれだけにおさまらないピンク色の意味が含まれている気がする。

 ・・・つまり。

 い・・・、イチャイチャするってことか!?

 「はうっ」と息を飲み、携帯を持つ手が震える。い、い、いちゃいちゃだって?な、なにを言ってるんだ僕は。そ、そんなの、何だかそういう雰囲気になってそうなったことがあったら、後から思い返して今日はイチャイチャしちゃったななんて自己満足に浸るものであって、・・・わ、わざわざイチャイチャすることを目的としてその場所に出向いて会ってそして本当にイチャイチャ的行為をするなんて、そ、そんなのはいけないことじゃないか??

 携帯を取り落としそうになり、もはや<できない>と返信したいが、い、いやきっと、デートにはもっと純粋でプラトニックで清廉な意味もあって、僕が邪推してるだけなんだ。き、きっと日曜の礼拝で一緒にお祈りしようくらいの尊い行為なんだよこれは。それがデート行為に違いない、そしてそれならデートをしないと。じゃ、じゃあ教会に行けばいいのかな。えーと週末にデートが出来る教会といえばどこだっけ・・・。

 


・・・・・・・・・・・・・・・・



 ネットで教会を調べたら挙式プランとリゾートウェディングが出てきて、笑いが笑いにならず咳き込んでむせた。

 そうじゃない、そうじゃない、そんなのよりもっともっと手前の話なんだ、僕が知りたいのは初デートの話・・・と考えてさらにむせ、もうネットを閉じた。は、<初>デートだって?どうしてそんな枕詞つけたんだ、っていうか手前ってなんだ、デートの奥に何があるんだ。

 ・・・もう、何ていうか、お昼の十二時に新宿マック前で待ち合わせてセットを頼んで十三時に解散したらダメかな。もうそれをデートと呼んでしまわないか?俺とお前の間ではそういうことでよくないか・・・って、お、<おれとおまえ>って何だよ!

 ・・・。

 もはやこんなことなら、このメールより先に電話をしてしまえばよかった。

 デートなんて単語を使わず、ランチを食おうと言えばよかった。

 日付を越えても布団の上でのたうちまわり、しかし何の返信もしないのも失礼というか、リアクションがないのはガッカリするだろうし、そしてガッカリはいけないことだから何とかしなくちゃと思うけど、今のところ手持ちのカードは<できない><マック前集合><また今度>しかなかった。

 ・・・ひどいな。

 こんなことでは、失望されるだろうか。

 気が利かない、つまんないやつと思われるのは仕方がないが、不誠実なやつ、あるいは、・・・うん、何と思われるのが一番嫌なんだろう。

 ・・・と、いうより。

 あの、公園で。

 僕があの時、自分が告白されたことについて分からなくて、何だかいろいろ言ったときの、あの涙と泣き顔が浮かんだ。

 そして、それは、ただ告白が通じていないショックというだけでなく、・・・かつて失った<それ>に繋がる何かをようやく見つけたんじゃないかと、そう思った矢先、早々にその期待が折られた・・・かもしれないという、そんな混乱と絶望でもあったはずだ。

 うん、そんなことは、もうしたくない。

 ここまできて、そんな思いはさせたくない。

 よし、それなら<できない>と<また今度>はナシだ。

 ・・・<マック前集合>だな。

 ・・・。

 ・・・それはないか!!

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