第279話:西沢先生の誤解

 こうなったら誰かにデートスポットとやらの情報でも訊こうかと思い、まず思い浮かんだのは西沢で、でも西沢は大阪から来て数ヶ月だし、他のリア充といえば菅野だけど彼女も北海道から来ていて、東京出身で東京ど真ん中育ちという人が誰かいたような・・・と思ったら黒井だった。本人に訊いてどうする。

 そして横田から前にラブホの情報を聞いたなと思い・・・と、これは考え始める前に却下。

 他に訊く宛てといえば藤井だけど、「別の人に告白されたから初デートの情報を教えて」なんてメールするのも失笑だし、・・・っていうか、別の人に告白された?いったい誰に?・・・黒井?・・・おい、どうなってるんだ。ああ、いやいや・・・。

 客観的になると身が保たないのでまともな人選を再開するけど、こんなことが訊ける相手がホイホイいるはずもない。こないだ会った、あのシンヤくんとアドレス交換していれば、親身かつライトに程よく相談に乗ってくれそうなのに。ああ、やっぱり僕には友人が必要だ。

 携帯のアドレス帳を見るけど、突然こんな相談ができるような相手はいなかった。そして、会長時代と苗字の違うあのショウゴさんも一応登録だけはされていて、たぶんもうアドレスは変わっているだろうけど、本当に実在しているんだよなと変な感じだった。

 ・・・それから、思い出したのは、「みつのしずく」のみーちゃんだ。

 僕たちがまさかこうなっているなんて思わないだろうけど、・・・いや、思っているかもしれないけど、あのみーちゃんだったらすっかり全部話して相談できるだろう。もう、今すぐあの店に飛び込みたい気にすらなったが、あいにく終電は過ぎている。


 結局、もう夜中の三時をまわっていて、それで今日の今日でこれからデートプランを立てて睡眠不足でそれを実行なんて、現実的じゃない話だった。

 ・・・そして、メールを見返して、思った。

 これ、別に、今日じゃなくてもいいよな?

 あはは、これ、うん、来週に、しよう。

 僕は<来週の、日曜日に>とひとこと、返信した。これはあくまでデートの日にちのお知らせであって、決して<また今度>じゃないよ。うん、さてこれで一週間の猶予ができた。そしてあとは寝た。



・・・・・・・・・・・・・・

 


 昼過ぎに起きて、やっぱり菅野にメールをしてみようと思い、ぼんやりしながら<来週黒井とデートに行くのですが>と打って、まだ行き先が決まっていないのだから<デートに行く>じゃなく<デートをする>だなと書き直したが、ふと何かに気づき、おいおいおいとメールを削除した。

 いろいろなところがまずいのだろうが、いや、まずすぎてどこがまずいのかの検証作業さえ省くが、一番まずいのは、たぶん菅野だって黒井が好きだったというところだろう。会社の人じゃない方がいいかという人選だったが、やはりぼんやりしていては危ないみたいだった。

 そうして仕方なくまたネットで検索しようとするも、何だかミーハーというか俗っぽいような気がしてどうしても<デート>と打ち込めず、だったら本当に日曜礼拝の方がマシだと思った。

 PCを切って眼鏡をはずし、その深緑の縁を眺める。

 ・・・うん、ちょっと嫌だけど、やっぱり西沢か。

 アドレスなんか知らないから、月曜早めに行ってそれとなく訊いてみよう。朝イチなら黒井にも見られないし、デートスポットだろうがデートの心得だろうが、眼鏡の時のように、ちょっと突っつけば何かしら勝手に喋るんじゃないか。

 ひとまず来週に向けて第一目標を決めたらそれで気が済んで、二度寝した。<デート>と一回思考するたびに、大変な体力を消耗しているみたいだった。



・・・・・・・・・・・・・・



 九月一日、月曜日。

 ほとんど一番乗りという早朝に会社に着いて、デスクで軽く朝食を食べながら西沢を待った。とにかく黒井が出社する前に話を切り上げねばならず、しかしチラチラ振り返りながらというわけにもいかないから、時間を決めてさっさと訊こう。

 果たして、後ろから「山根君、ずいぶん早いねんな」と声がかかった。よし、作戦スタートだ。

「ああ、おはようございます。ちょっと、片付けたい仕事があって」

「そうなんや。何食うとるの?ああ、おはようさん」

 少しあくび交じりに、長い脚を折ってどかっと左隣の椅子に座る。そのどでかい腕時計もオールバックに近い髪も先のとんがった靴も、まあ僕の趣味ではないけど、その趣味できちんと統一されてはいた。

「あ、あの、西沢さん」

「うん?」

「・・・えっと、その、・・・そういえば四月からだいぶ経ちますけど、東京も慣れました?」

「ええーそうやね、まあ慣れたっちゃ慣れたね・・・」

 すると、浪人時代に少し住んでいたが久しぶりに来たら変わっていたとか、ウィークリーマンションを出て部屋を決めるのが大変だったとか、僕を観客とした過去語りが始まりそうになるので、「大阪と比べて、遊ぶところとかどうですか」と軌道修正した。

「え、遊ぶとこ?そうやなー、確かにいっぱいあるね、あるけどまあ、なんちゅーか、気取ったとこが多い印象かなあ。なんや、ブックカフェだの、アートイベントだの」

「・・・へえ、なるほど」

「え、どうしたん」

「あの、新宿住んでるんですよね?いろいろ、便利ですか」

「えー、そやねえー、実はな、意外・・・っと、うん、まあ渋谷はすぐやけど六本木とか、銀座とか、思ったよりサッと行かれへんのよ。乗り換えとか微妙で」

「六本木、銀座・・・それ、何しに行くんですか」

「何しに?そら遊びによ。ご飯食べ行ったり」

「遊びに、ご飯・・・」

「ああ、こないだもヒルズでなんやイベント観よったし。銀座は、うなぎ食い行ったで」

「そう、ですか」

 ヒルズのイベントに、銀座でうなぎ・・・。別に、驚くほどの何かではないが、自分では行ってみようなどとついぞ思わない場所だった。机に置いた腕時計を見て、うん、まだもう少し大丈夫だ。

「え、何やの急に。山根君、もしかして新宿越してくるとか?あれや、うち遠いから?そら近い方がええで、そんな何時間も電車乗っててもしゃあないやん。せやろ?」

 うん、そんなことは放っといてほしいけど、まあ本当のことが言えるわけもないので適当に話を合わせた。

「うん、遊ぶには新宿が一番・・・ってわけやないけど、まあココに徒歩で通うてなったらやっぱ・・・」

「いや、別に通勤のことはいいんで」

「え、通勤はええの?あ、ただ遊ぶ場所的に?・・・え、山根君そういうキャラやった?」

「・・・万が一、今後、興味がわくかもしれないので」

「ふーん、遊ぶとこにアクセスいいっちゅうと・・・、住むなら幡ヶ谷・笹塚が安いねんけど、遊ぶなるとうーん、渋谷新宿六本木、恵比寿、青山はオシャレやけど住めるとこちゃうし・・・」

 その後も延々、自慢がてらなのか地名とその特徴の列挙が続く。これでも五年以上東京都民(23区民ではないが)をやっている僕よりも、ずっと多くのことを知っているようだ。一応、外回りでいろんな駅には行くが、遊ぶスポットなどという観点で見たことは皆無だったので、少し目の覚める思いだった。そうしてみれば確かにいろいろな駅にいろいろなスポットがあった気がするが、しかしまだ点と点が繋がらない。それらをどうセットメニューにして組み合わせれば<デートプラン>が完成するんだろう?・・・仕方ない、だってあの大学時代の僕の唯一の交際期間は、キャンパスと駅ビルとラブホを往復するばかりの日々だったのだから。

「・・・うーん、それでいうとあの辺は最新デートスポットって感じやなあ」

「え、どこです・・・」

 ・・・単語に反応して左側を見て、机の腕時計が目に入り、すっかり時間が過ぎていた。始業七分前、僕は慌てて席を立って振り向く、震える手で胸ポケットの眼鏡をかけ、あ、二課の横、もうすぐ三課、うん、声は届いてなかったはず・・・でもこっちのことは見てるはず、このまま立ってるのも変だし、僕は小声で「この話また後で」と告げ、むしろ黒井の方へ歩き出す。黒井はそれで一瞬歩を緩め、どぎまぎし、僕はそこへ正面から歩いていって、「コーヒー行こう」と言い、左手を見て「朝礼始まる前にさ」と示したかったが時計がなく、仕方がないので手をそのままその背中に添えたらシャツ越しにあたたかく湿っていて、触った瞬間下半身が疼いてもはや早足。そっと添えているのがだめで、手をずらして肩をしっかりつかんだら黒井が「やっ・・・」と身を固くして足をもつれさせるので、まずい、何かを隠す緊張とあいまって、もう、給茶機までたどりつけるか、わからない・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・



 イチャイチャ的行為をデートと呼ぶなら、今のでもう、僕のデートは完了だった。

 僕たちは受付の妹尾さんの字と思われる<準備中 ちょっと待ってね!>の張り紙の前で紙コップを握ったまま突っ立って、もう百回くらいその文字を読み返し、そしてチャイムが鳴って小走りで席に戻った。

 全体朝礼と課の朝礼が終わり、ちょっと息をついたところで西沢が「あ、そんでな、さっきの・・・」と話しかけてくるので、急いで「それまた、今度にしましょう」と遮った。もちろん怪訝な顔をされるが、しかし「二人っきりの時に」なんて言うわけにもいかず、ええと、どうしたらいいんだ。

「あー、ちょっと・・・内密にっていうか」

「え、あー、うん?」

 僕がなおも黙っていると何かを察してくれたらしく、気を遣ってか、「あ、せや、こないだの同行のお客さんやけど」と仕事の話に切り替えてくれた。


 一日中、ただその背中と肩に触れたというだけで、デートの文字がふにゃふにゃと霧になって拡散し、僕の周りにずっとまとわりついて離れない。もちろん色はピンクで、頭の中もピンク。背中や肩なんて今まで何度も触ってるのに、意識してしまうと手のひらが痺れ、黒井のにおいがよみがえった。

 おかげで、せっかくデートスポットのヒントを得たはずなのにやはりプランは形にならず、むしろどうしていいか余計混乱した。デートと称してあんなイチャイチャ的行為をするなら、もう誰もいない草むらがいいんじゃないか。っていうかお互いの家でよくないか、いやだめか・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・



 火曜日。

 何だか曖昧な気持ちで曖昧に早めに行ったら西沢はもう来ていて、辺りを見回して開口一番、「引っ越し、内緒やったん?なんや異動とか?」と。

「へっ?・・・いや全然、そういうんじゃなくて」

「え、そうなん?」

「ち、違います」

「いや、黒井君ともコソコソしとったし、ほら彼、本社から来た言うとったから、まさか山根君四ッ谷行くいう話かと・・・」

「・・・ちがいます」

「あーびっくりしたわ。え、じゃあ何で内緒なん?あれ、やっぱ、こっち越してくるとみんな泊めて言うから?山根君とこ同期多いし、そういうのバレると利用されるーゆうか?」

「えっと、まあ・・・」

「いや分かるよ、山根君そういうの、押しに弱いつうか、都合よく使われそうゆうかね。あー黒井君なんかホテル代わりに入り浸りそうやん。あ、だから?彼にバレたくなかったん?」

「・・・」

 いや、もはや、何が言えるんだ。

 押し黙っていたら、微妙に、プライドがあって認めたくはないけどその通りですと言っているかのようになって、「ああー黒井君ねえ、山根君とこなら女の子まで連れ込みそうな神経やもんね・・・って、あ、これ内緒よ。冗談、軽口よ」と。いや、もう、何だか何も言えない。いろいろ言葉が出てこない。

「そやったら、ええよ、俺相談乗るよ。まかしとき?俺部屋探しも色々まわったし・・・ってああ誰か来てまうわ。ほな明日、水曜、帰り飯でも行かん?ここじゃあれやろ」

「・・・え、っと、そう、ですね」

「じゃ決まりや。俺おいしい中華知っとんねん。山根君中華好き?」

「え、あ、はい好きです」

「あやばい、黒井君来たわ」

「へえっ!?」

「・・・ははっ、えっ、嘘やん。マジ?そんな?」

「・・・」

「や、まだこーへんよ。・・・ひぃ、おかしい、いやあ、おれ山根君の弱点握ったわ」

「・・・」

 ・・・うん、どうやら、何だか変な話になってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る