第275話:告白の次のステップ
沈黙。ビールの到着、ついでに唐揚げの注文。
そして、乾杯。
「お、おつかれ」
「・・・うん。おつかれ」
また、あのかわいい「うん」が来て、僕は目を伏せたままグラスをカチャンと合わせ、勢いで半分以上飲み干した。
グラスを置くと、黒井がぽかんとこちらを見ていた。
お、お前がかわいかったからだ!・・・なんて言えるはずもなく、メニューを見て「何食おうかな」とつぶやく。「どう、腹減ってる?」とかさらりと言いたいけど、何だか急に、会社員ごっこをしてわざとよそよそしく振る舞ってるみたいな気分になり、やっぱり言い出せない。
唐揚げが到着したが、僕はとにかくメニューを見続ける。
「・・・あ、あの、俺、先食うよ?」
「・・・へっ、・・・いいよ」
おずおずと唐揚げに箸を伸ばす黒井は、しかし今まで、どちらが頼んだ何であろうが勝手に食ってきた男だ。店員のお姉さんに笑いかけることなく、おくゆかしくなった黒井をどう思えばいいのかは、やはり分からない。
それから僕が選んだお好み焼きだの焼き鳥盛り合わせだの、チョレギサラダだのがテーブルに並び、妙に喉が渇いて二杯目に頼んだチューハイを空けた。これが美味いとか焼き鳥が串から取れないとか当たり障りのないことを話しつつ、僕に合わせているのか、黒井も二杯目のサワーを空ける。ドリンクメニューを開いて次の酒を選び、何とかシュリンプと何とかチーズ揚げも追加し、しかしこれは黒井の言う<リハビリ>になっているのか?
そして交代で一度トイレに立ち、三杯目が空く頃、はたして、黒井が含みのある声で「・・・ねえ」と切り出した。
「うん」
「あ、あのさ」
「うん」
「ちょっと、訊くけどさ」
「・・・うん」
「へへ、もう、いいよね。だって、気になるんだもん。しょうがないじゃん」
少し酔っている。酔うとヘラヘラするところは変わらない。
「え、何だよそれ、なんのはなし?」
あれ、僕も今ひとつ呂律が怪しいな。
「だってしょうがないじゃん。気になるんだもん」
「うん、だから何だよ」
「いや、だってさ・・・」
「さっさと訊けよ。話がすすまない」
「わかった。わかったから、こっち向かないで、おれのほう見ないで」
「な・・・み、見ないよ。見ないから言えよ」
はす向かいに座っている僕たちは、お互いにそっぽを向く。でも周りが騒がしくてよく聞こえないから、少し身を乗り出して、やや顔を寄せて。
「あ、あの・・・えっとだから・・・」
「おまえ、さっきから・・・!もう、ハッキリ言えって」
僕はややもどかしくなって、テーブルを軽くバンバンと叩いた。黒井は「わかった言う言う!」と降参し、「だからお前の初体験」と早口で言った。
「・・・は、はつ、初なんだって?」
「はつたいけんだよバカ!何度も言わせる?もうこっちだって聞きたくないんだから早くこたえてよ!」
「・・・き、ききたくないなら訊くなよ!」
「そうだけど!」
は、初体験?
それって、つまり・・・えっと、なんだっけ、・・・結合?
はあ?
酔った頭で状況がさっぱり分からなくて、しかし質問には正確に回答するというプログラムが自動で働くから、僕の初体験は十九歳で大学生でミス研でラブホで・・・とプロフィールが引っ張り出されるけど、いやいや、そのまんま答えていいのかこれは?
「・・・どう?お、思い出せた?最初のやつだよ?」
そんな、いろんな記憶をたどらなきゃならないほど経験ないよ!
「・・・いや、いいだろ言わなくて。何で知りたいんだよそんなこと」
「だ、だって・・・だってその、お前が・・・お前が告白されてからどんくらいでしたのかって、・・・聞いとこうと思って」
・・・。
は?
「こ、告白されてから、どんくらいで、した?」
「そ、そーいうの、あるじゃん!?」
「ああ、世間一般では、あるだろうねそういうの」
「で、どうなの」
・・・。
言うか言わないかはおいといて、とりあえず事実の把握だけをしてみる。
初体験。あのラブホより前。あれはバレンタインの後。えっと、告白されたのは・・・。
・・・ん?・・・されてないぞ。バレンタインだからチョコとともに告白されたってわけじゃ、なかったんだよあれは。
されてないよ、おかしいな。告白されてないのに行為に及んでしまったのか僕は?いくら相手が年上だからって・・・いや、同意の上だったはずだ、だってちゃんと告白してオーケーをもらったんだから・・・。
告白、したんだよ!僕が!
「そ、その、告白<されて>ってのはどっからきたんだ?」
「・・・え、だから、付き合うときの、こくはく」
「だから、<されて>って、なんでされる前提なんだよ。お、おとこなんだから、する方だろ!」
黒井はしばらく黙って、神妙な顔をしていた。
もしかして、今まで告白されたことしかなくて、付き合うイコール告白<される>、という概念なのか?
・・・いや、男だから、というのが、何かいかんかったのか?
でもお前は男なんだし、男だからする方、で、別にいいだろ。
しかし、どうして僕が告白されるっていう話が出てくるんだろう?
・・・僕が、お前に、告白されたからか。
・・・・・・・・・・・・・・・
そうして固まっていると、またよく分からない質問が来た。しかし、その是非を考えるアタマは、もうあんまり残っていない。
「・・・じゃあ、おまえ、えっと・・・告白されたけど、しなかった、っていうのは、あるわけ」
「へ?されたけど、しなかった?」
「だから・・・やらなかった、ってこと」
えーと、告白、されたけど、やらなかった・・・。
しようとしたけど、出来なかった、というなら、藤井とだけど。
「それは、えっと、あの」
「あ、あの、事務の子のことは、聞いたから、いい。それ以外」
うん、確か話しちゃったんだもんな。え、それ以外?そもそも僕が告白されたなんて、そんなことそうそうあるわけが・・・。
「・・・あ」
・・・生徒会長。
「あ、あるわけ?」
「・・・いや、べつに」
してないよ、なにもしてないよ!と思わず言い訳しそうになるけど、告白されて、やらなかったという話をしてるんだから、それで合ってるわけだ。
「それいつ?小学生とかだったら、するわけないんだからさ」
「しょ、小学生なことあるか」
「じゃあいつ?」
「・・・高校」
いや、だめだ、こんなの誘導尋問だ。引っかかるな、あんなこと言えるわけないだろ!
「高校で告白されたの?な、何だ、お前、友達はいなくても彼女はいたの?」
「い、いないよそんなの!」
「じゃあ、その子のことは、振ったっていう、こと?」
「・・・」
「ねえ」
振った、の、だろうか。
振ってすらいない気がする。
「どんな子だったの、お前に告白した、女の子」
「・・・別に」
僕は黙って下を向き、ため息をついた。お前に言いにくい話、っていうのも、あるけど。
何だか急に、罪悪感がわいてきて。
悪いこと、したのかもしれない。
「あの、その子はさ・・・」
「その子、じゃ、ない」
「・・・え?」
「・・・男」
「・・・」
「付き合えって、言われたけど・・・取り合わなかった」
「・・・」
「つい、こないだ、思い出した。高校のこと、なんか、ふいに」
・・・・・・・・・・・・・・・・
教えて、と言われて。
すっかり話してしまった。
隣のテーブルから、「付き合う」とか「二股」とか、「別れた」とかいう単語が聞こえる。別のところからも、「合コン」「お持ち帰り」「告白」。みんな、恋の中で生きてるんだな。
「お前、それで・・・『間に合ってます』のあと、どうなったの?」
「どうって・・・別に、どうも」
「そのまま、離れた?」
「・・・いや、高三でも同じクラスで、ずっと成績を競ってたと思う。大学、入っても、電話とか、した」
「同じ大学?」
「いや、別の」
「・・・その、・・・告白、は、その時の一回だけ?」
「・・・思い出したのは、それだけ。でも、何となくはきっと、言われてた気がする。ずっと、同じ、感じで」
「それで、その、・・・なにも、されて・・・ない?」
僕は、ふと顔を上げた。
目が合う。
すぐに、黒井が目を逸らした。僕の貞操を心配している・・・ということもないだろうが、かといって批難の色もない。
「されて、ない。なにもない。触れたことも、ない」
黒井のように、気安く肩に手を回したり、背中や腕を叩いたりするような人じゃなかった。思い出す限り、肘で軽くつついたりすらもない。彼の学ランもシャツの襟もズボンの裾も、いつもきっちり綺麗だった。
「何も、ないよ。そんだけ。もういい?」
「その、大学で、電話したって・・・」
「・・・電話が来て、確か、親が離婚して、苗字を変えるって話と、・・・大学で彼女ができたって話」
「・・・ふうん。それで、それっきり?」
「たぶん」
「そっか」
黒井はしばらく黙って食べ物をつつくと、頬杖をついて、顔を伏せた。オレンジの間接照明に照らされて、その髪が茶色く輝いている。真似するわけじゃないけど、僕も頬杖をつき、酒の残りを飲んだ。何なんだいったい。一体、何だっていうんだ。元々は僕の初体験がどうとかいう話で、でも告白<された>なんて言うからややこしくなったんだ。ただ単に、告白から何日でセックスしたのかと問われれば、確か、三ヶ月くらい?と答えて終わったことなのに。
・・・そんなの、どうでもいいよ。
って、いうか。
何で、そんなことを訊くんだ?
告白から、何日で、セックス?
・・・。
え?
・・・・・・・・・・・・・・・
冷たいおしぼりをおでこに当て、ふいにわいてきた熱を冷ます。
はは、お前はいったい、何を考えてるんだ?
いや、まあ、それは・・・。
告白、したら、次の、ステップが・・・。
・・・。
いやいやいや、だから、その、手も震えて、写真も見れないなんて、言ってたじゃないか。
だからあくまで、仮定というか、概念の話、だろう。そうしよう。実際何をするかは置いといて、ただ手元の地図を確認して納得したいという、状況整理だったんだろう・・・。
「あ、あの、何か食いもんとか、頼む?もう一杯、飲む?」
上擦った声でメニューを取ると、黒井は黙って、ゆっくり立ち上がった。あ、いや、何だ、やっぱり過去の男の話がまずかったのか?・・・過去の男ってなんだよその表現は!ボキャブラリーが「二股」「お持ち帰り」と同レベルになってきている!
「あの、ごめん、なんか俺・・・えっと、気分悪い?」
「・・・あの」
「うん」
「い、いったん出て、飲み直す」
「・・・そ、そっか。分かった」
僕は急いで鞄と伝票を取って、会計に走った。・・・それでも、こうしてお前に振り回されている方が、よく分かりもしない恋愛モードの会話よりはマシな気もした。
「・・・あの、お金」
「いいよ、出てて!」
追い払うように黒井を階段に押しやり、会計を済ませた。旅行用にと多めに札を入れたままだったから、足りない心配もなかった。
まだ時間は20時半過ぎで、呼び込みの数がさらに増えた通りを歩き、しかし黒井は会社方面に戻って地下通路へ。え、飲み直すって、まさか家で?
しかし向かったのは駅ではなく反対方面で、そっちは、都庁前と、お前がミネラルフェアの<おねえさん>と食事をしたホテル・・・。
・・・い、いやいや。ホテルで飲み直すっておかしいよ。どこか、他の飲み屋だろ?
少しふらつく足でとにかくついていくと、ホテル、の手前の、地下街的なところ。しかし飲食店には入らず、向かった先はコンビニだった。
「・・・あの、えっと?」
あんな話の後で、何だか肩すら叩きづらくて、わざわざ横に回って声をかける。コンビニならもっと近くにあったじゃないか。
「だから、飲み直す」
「・・・え、酒、ここで?」
「店じゃ、なんか、話しづらい」
黒井が棚からチューハイのロング缶を取り、さっさとレジに向かうので、僕もそれにならう。よく分からないけど、でも、やっぱりこうしてお前についていく方が楽だし、好きなんだ僕は。たかだか居酒屋ひとつ入るのに、あんなに苦労するんだから。
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