第246話:水ぶくれに針を刺す
結局、何とかいうちょっとレトロでおしゃれな珈琲屋のモーニングにした。空調も効いているし、久しぶりのホットコーヒー。黒井はローストビーフサンドのセットで、僕はトーストとヨーグルトをつけ、しめて二千円でお釣りが来た。でもまあ、この旅でお金に糸目をつける気はない。この日のためにボーナスだって日々の生活費だって切り詰めてきたようなもんだ。お前と食べるのに何のためらうことがあろうか。
コーヒーでいったん落ち着いた気分も、またもや高揚してくる。黒井は空港のフロアガイドを熱心に読んでいて、何か見つける度に僕を呼んだ。
「ね、これ、美味しそうじゃない?」
「うん?」
僕は自分用の冊子の、言われたところに丸をつける。ひととおりピックアップが済んだら、それらを最短距離で、かつトイレやベンチやエレベーターなんかも考慮しつつ、出来る限り効率的に回るんだ。・・・ま、どうせ脱線しまくりになるだろうし、「やっぱりこっち!」となることは目に見えてるので、あくまで遊びと、確認用のメモだ。
「じゃ、行こっか!」
「うん」
これだけゆっくり食べても、まだ九時にもならない。ああ、でも、むしろ始発でよかったのか。だってこんなに楽しいし、黒井と一緒の時間が数時間だって増えた方が、うん、よかったです。
・・・途中採点と言われても、こういうことで自己肯定を積み上げないと自分が保てないんだから、しょうがないだろ!
それから、結局丸をつけたところなんかに関係なく、目に付いたところからショップをめぐった。空港で土産物を物色する、といえばそれまでだが、まあ、ウインドウショッピングだよね。つまり、まあ、デートだよね?
黒井はあれよあれよという間に、小さめのお菓子を次から次へと買っていった。何土産、というより、だいたいがチョコクランチやカスタード系、レアチーズ系のお菓子で、<旅のおやつ>をここでまかなっているみたいだった。いや、それなら甘いものばかりじゃなく、チー鱈だのするめだの、しょっぱい系も入れなくちゃ・・・。
「え、チー鱈?俺も好きだよ。そっか、忘れてた」
「うん、じゃあ、買わなきゃね」
「何だよ、買い過ぎとか言っといて、自分だってほしいんじゃん。大丈夫、ちゃんとあげるって」
「い、いいよ・・・ま、ありがと」
ふつうお土産なんて他人のために買うもので、こうして自分のためにいくつも紙袋を提げていくのは、ちょっと快感でもあった。・・・いや、僕が全部持ってるからさ。
チー鱈と大辛の柿ピーと浅草のせんべいが追加され、さすがにもう持ちきれない。いったん座って、全部の袋をきちんとまとめないと。甘いものと辛いものに分けて、先に食べたいものを上の方に配置して・・・。
「じゃ、これ俺が入れるから」
「あっ・・・」
黒井が、余裕のある自分のバッグにどさっと入るだけ入れて、あとは辛いもの三つに甘いの一つが残った。せ、せめてそれなら甘いものを全部入れてくれ!
「あとはさ、今食べるやつを買いに行こう」
「えっ、今?っていうかまだ買うの?」
「うん。・・・買っちゃだめ?」
「い、いいよ。買おう。このために給料もらってるんだ、こんな時くらい」
「はは、そうだそうだ!」
黒井によると、さっき買ったのは向こうの家でのおやつ用で、これから買うのは今と飛行機で食べる用とのこと。機内用は音とにおいが出ないのにしようと言うと、「おお、難しいな。それ探そう!」と。お前にかかれば何でも宝探しだ。
躁病みたいな黒犬に連れられて、ああ、この時のためのスクワットだったんだな。履き慣れた靴で来て本当によかった。
「・・・お前、足、痛くない?」
「うん、ちょっと擦れた」
ベンチに座って見てみると、かかとの横が水ぶくれのようになっている。完全に靴擦れだ、まったく。世間の女の子たちもこんなのを我慢しながらハイヒールを履いてるのか?
「ほら、水抜いたらバンドエイドやるから」
「え、抜くって?」
「針で刺して」
「ええっ、やだやだ、やめて!痛い!」
「やめてじゃない、自分でやるんだよ」
「え、やんないよ俺、そんなんするならこのままでいい」
「もう皮が離れてるんだし、べろっと剥けなければ痛くないって」
「・・・その喩えっていうか、効果音みたいのが痛いって、わかんない?」
「先に耳から痛くなって、そしたら実際の方が痛くないから。えっと、針は・・・ああ、お前のこの缶バッジ」
「ほ、ほんとにやるの!?」
「やるよ。っていうかこんなブランドものにこんなもの刺すなよ、なに、エッフェル塔?」
「知らないよ、親父が使ってたやつなんだから。え、フランスの何かってことは、何十年前のなんだこれ」
「・・・そ、そう。いちおう錆びてはない、みたい。ライターがあればあぶるんだけど」
「いいよ別に。分かった、それで刺して」
「え、・・・俺が?」
「自分でなんてやだ」
「・・・うん、分かった」
黒井はもうまったくそっぽを向いてしまって、何もする気はないという構え。こんなの人に任せる方が嫌だと思うけど、まあ、僕がしてもいいなら、しちゃうけど・・・。
ピンを外してティッシュでよく拭き、隣に座ったままやろうとするけど、体勢的にうまく見えなかった。仕方なく前にかがみこんで、かかとを持って足首をぐいとひねり(「いて」)、なるべく皮を突っ張らせて、ほんのひと刺し、穴を開ける・・・。
眼鏡をずり上げ、すっと、横から針を入れた。
足首をきつく持ったまま、そちらの痛みに気を取られているうちに。
すぐにティッシュでぎゅっと、採血の後みたいに押さえる。いったん離して液体が染みたことを確認し、ティッシュを折り返してもう一度あて、あとはバンドエイドと、反対の足だ。
「え、終わった?」
「うん」
「・・・あ、そう。ふうん」
バンドエイドを貼ってやると裸足の足をぶらぶらさせて、次の足も寄越した。今度は気になるのか、ちらちら見てくる。
「あっ、ああ」
「な、なに」
「・・・痛くないなら、ちょっと俺もやってみたかった」
「・・・もう遅いよ。まったく」
「お前は大丈夫なの?」
「え、足?・・・残念ながら」
「何だよ、何にもなくても刺してやる」
「いいよ。皮一枚くらいなら感じないし」
「・・・何で、お前、そ、そんな風な、あれなの?」
僕は恭しく黒井の足を持って、バンドエイドを貼りながら、「・・・ま、あるといろいろ、試してみるからね。針でも、カッターでも」と、何でもなさそうにさらっと言った。まあ、昔の話だし、リスカとかなんかじゃなく、せいぜい薄皮一枚の世界だ。
・・・そういえば、あのいつの間にか捨てられていたナイフも、鉛筆削りのために買って鉛筆その他の文具やガラクタを削ったけれども、確かに薄皮も切ってみたか。まあ今になって冷静に考えれば、年頃の息子が部屋でナイフを自分の身体に当てていたとして、それなら無言で処分するのも致し方ないのかもしれない。
「あ、あの・・・」
「えっ?」
「それ、そういうの・・・俺に、向けてとか、あるの?」
「・・・は?」
「その、俺でも、試したい?」
「・・・」
言ってる意味がよく分からなくて、両手で足を包んだまま黒井をしばし見つめた。ふと我に返り、えっと、公衆の面前で、シンデレラじゃあるまいし。
「な、何ていうか、そんなのないよ。自分の体で確かめてるだけだから、他人は対象外だ」
立ち上がって隣に座り、あ、何だかドン引きされたのかな?
しかし黒井は、裸足を床にペタペタさせながら「ふうん」と言っただけだった。いったいどう思ったんだろう、どう思われたんだろうと考えたが、「そういえば搭乗口だけどね」と振られ、「気持ちいいな、裸足で歩こうかな」なんて言われたら、それどころではなくなってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・
土産の物色や空港探検も大体済んで、ようやく十一時前。
結局、出雲空港ではなく萩・石見空港行きに乗るとのこと。ということは、島根の中でも西の方か。
搭乗口近くの待合ベンチに座って、結局もう一つ買ったチー鱈を食べながら、ぼうっとした。
さっき通った外人カップルが、映画にでも出てきそうなスパイ風ファッションだった、とか。
女の子がお父さんに向かってダッシュして、次の瞬間お父さんが股間を押さえてうずくまるのを目の当たりにしたりだとか。
チー鱈の鱈を先に剥がして食べるのはどうなんだ、とか。
二人とも疲れて、単調な口調で「ま、それはそうだろうね」なんて、椅子にもたれたまま。
黒井はどうか知らないが、少なくとも僕は、テンションMAXの時はともかく、少しずつ下がっていく時もこうしてごくふつうに話していられるのが、手前味噌ながらやっぱり気が合ってる証拠なんじゃないか、なんて思っていたりして・・・。
だって、こういう時って無愛想になったりぶっきらぼうだったりで、本性が見えるといえば言い過ぎだけど、何かが露呈することってあったりする。
いや、まあ、さすがにそのくらいはお前のこと知ってるつもりだけど、やっぱり大丈夫だって思うのが、嬉しくて。
交代で荷物を見ながらトイレを済ませ(黒井はその度どこかへふらふら足を伸ばしたが)、小腹が空いたとサンドイッチを食べ、いよいよ荷物検査。黒井がどこかのタッチパネルで発券した搭乗券をもらい、ああ、ようやく飛行機に乗るんだという実感。
ぞろぞろと並んで、まるでアトラクションみたいにどこでもドアのようなゲートをくぐり、ピンポン、とは鳴らない。しかし荷物がなぜか引っかかって、冷や汗をかいたら、ああ、おかきのカンカンね。
「お前、結局うちに土産買って来たの?」
「そりゃ買うよ。手土産もなしに伺えるか」
「別に、気にしなくていいのにさあ。ま、うまそうだからいいけど」
あれだけ自分で買ったのに、まだ食う気なのか。花より団子の男だなあ。
それから、飛行機に乗るにあたって、バッグは上の棚に上げてしまうから、必要なものは手元に持っておく、ということで、何が必要かを考えた。
・・・。
特別、ないのか。
口寂しくなった時のおやつくらい?
一人なら、本だの暇つぶしの雑誌だの、いろいろな可能性を考慮してどんな場面にも対応できるよう準備するところだけど、・・・黒井がいれば、別に、暇だろうが何だろうが、構わないんだし。
荷物検査も終わってアナウンスが流れ、いよいよ乗るかと思われたが、乗る乗り物は飛行機でなく、シャトルバスだった。はあ、ここから更に移動して飛行機に直接乗るわけね。
「おい、もうすぐだよ」
「うん、分かってる」
「はは、俺たち、飛行機で浮かれすぎ?」
「お前なんか外国へ行ったこともあるくせにさ」
「お前は?」
「ないよ。ノーパスポート」
「あっそう。ま、でもさ、俺だってこんな、友達と二人で乗るとかないし」
「ふ、ふうん?」
「だいたい家族旅行か、親戚とかその知り合いとかも一緒か、あとは修学旅行くらいじゃん?まあ、一人で乗ったのも、あるけど」
「うん」
「やっぱ一人でもつまんないよね。全然、ただ乗り物に乗って運ばれたって感じ」
「そっか」
「何でこんなに違うんだろう・・・」
また灰色の曇り空を見上げる黒井の横顔を見ながら、ふと、こうして見られていることに、気づいては、いるんだよな、と思い目を逸らした。僕が針一本刺されたって大丈夫なように、黒井も、横顔を見つめられるくらい大丈夫なのかもしれない。
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