第242話:花火と夏のノスタルジー

 結局、しばらく止んでいたものの、夕方から断続的に土砂降りがあった。これは運営本部の英断だろう。僕は「やっぱやればいいのに」なんて無責任に思ったことを素直に謝罪し、撤回した。そして、自分が責任者じゃなくてよかったと思った。こんな中で何万人が傘を持って詰めかけたら大変なことになる。どちらかといえば雨より、この風の方が危ないだろう。


 夕飯はザ・残り物カレーにして、ねぎもオクラもえのきも全部投入した。これを明日まで食べて残りは冷凍して、あとはベーコンやら焼きそばやらこまごましたものを火曜と水曜で消化しよう。

 ・・・もしも花火に行っていたら、今頃どうしていたかな。僕はきっと、花火を見るか、それを見ているお前の横顔を見るか迷っちゃうな。でも、花火に誘われるなんてこれはもう、彼女と同列の扱いだよね。も、もう一回あの留守電が聞きたいなあ。何パーセントかは、ただの「俺行きたい」じゃなく、ちょっと、照れてたよね?「ちらっと見えればいい」のくだりなんか、特に、ねえ?

 まずいな、今頃照れてきた。どうしよう、俺、まさかお前に・・・ちょっとは、好かれてる?れ、恋愛対象として、見られてたり、す、するのかな。わ、分かってるよ、お前にはそういう、恋愛とか友情とかいうしっかりした区別があんまりなくて、その時々の感情だって、知ってるよ。でも、その、何にしたって、今お前が何かをやろうとした時、その相手として第一番に浮かぶのが、俺っていうことだよね。そうじゃなきゃ、男を花火に誘ったりしないよね・・・。



・・・・・・・・・・・・・・



 月曜日。

 全体朝礼の後は、十時から四課のミーティング。

 それまではいつもどおりのルーチンで、ジュラルミンとキャビネ前の歓談。

「ねえ知ってる?昨日東京湾の花火だったんだけど、中止で行けなかったんだよ」と黒井が言う。

「ああ、そうらしいですね。あれ、延期しないんですか?」

「え、来週とかになんの?ねえ」

 ・・・僕に振るな!このバカ犬!!

「え、えーと、確か中止って。ほら、道路通行止めにしたりとか、じゃあまた来週ってわけにいかないんじゃない?ネットで見たけど」

「そうですよね、都心じゃそういうのが大変ですもんね」

 な、何とかさらりとかわせたようだ。

「でも次は、神宮前の花火ですよね。隅田川は終わっちゃったし、横浜のも終わったし」

「ゆきちゃん行くの?」

 佐山さんが島津さんに訊く。島津さんは深雪というそうだが、佐山さんはみゆきの<ゆき>で呼んでいるようだ。こうしていつも制服だと佐山さんも三十路とは思えないし(失礼)、僕たちも半袖にズボンでまるで高校生みたいだし(僕だけか)、仕事が暇なときはまったく学生気分だ。

「ううん、友達と行こうって言ってたんだけど予定が合わなくて、ちょっと無理だねって。花火なんて久しぶりだし、行きたかったけどね」

「え、じゃあ一緒に行こうよ。四人で行ったら楽しいよきっと」と黒井。

「えっ、よ、四人で?・・・まあ、確かに楽しそうですけど」

 島津さんは佐山さんと顔を合わせ、「ええ、そういうのってアリ?」みたいな表情。僕はといえば固まったまま、素直に楽しそうだなという思いと、ああやっぱり僕と二人っきりで行きたいってわけじゃなかったんだよね、なんて遠い目の失望。いや、いいんだ。これがふつうだ。花火といえば、男女のグループでビール片手にきゃあきゃあ言うもんだよ。行ったことないけど。

「で、でも、十六日ってどう、予定?」

「私は別に大丈夫ですけど、えっと、山根さんは?」

「・・・え、十六日?」

「あ、なに、十六日なのそれ?」

「ええ、神宮前のは十六日の土曜日です」

「あ、じゃあだめだ。俺たち行けないや。なんだ、残念」

「・・・あ、あれ?内線、鳴ってるのウチかな?」

 僕は三課が鳴ってるのを知りつつ席に戻る振りをし、島津さんが「あっ、ウチじゃないですか!」と気づいて駆け戻ってくれた。花火でも帰省でも、プライベートで男二人とか、何かつっこまれたらどう答えていいかわからないだろ!



・・・・・・・・・・・・・



 ミーティングは今後の仮配属の新人の処遇と、それに伴う例のマニュアルの試行と、上半期の予算達成具合の話だった。

 マニュアルのくだりでは「作った本人がミスするくらいだし、怪しいもんだけど」などとチクリとやられたが、でもまあ既に済んだ話だし、知らん顔で通した。

 進捗具合はグラフでほぼ毎日チェックしているから、消費税祭りの余韻の四月計上分を日に日に食いつぶしているのは分かっていた。上からはセキュリティ何とかいう新商品を推せと言われているらしいが、きちんと研修を開きもせずわけのわからない商品を売れなんてよく言ったもんだ。バカっぽいポンチ絵の入った安物のチラシでどうしろっていうんだか。

「まあもうすぐ休みに入るわけで、お客さんも、今日からまるまる休みってとこもあるらしいですからね、皆さんもちょっとゆとりのあるこの機会にまた精査なり目標管理なりしてもらって。・・・ああ、上半期の管理シートの提出も迫ってるから忘れずに。またぼちぼち面談もしていきますから、そのつもりでね」

 ちなみに社内監査はB評価でした、とのこと。あっそ。



・・・・・・・・・・・・・・



 バカみたいに晴れて暑くなった外に出て、適度に力を抜いて御用聞きみたいな外回り。保守の更新と無停電電源装置、って、ほとんど粗利はないんだけどね。

 涼しい本屋に入って、仕方なくセキュリティの何たらを自主学習。何となくデジタル系の雑誌をふらふら読んで、フラッシュメモリの仕組みなんかを学んでみる。へえ、これって電子が部屋に入るか入らないか、の二進法だったのか。そんなものを制御できるのに、未だに素粒子の先が解明されてないなんて不思議だな。原理的には理解できるけど、こんな極小の物体を精密に作れる技術がすごいと思う。こんなもの、ハイゼンベルクたちに告げたら魔法だと言うだろう。

 それからi-podだのi-tuneだのの専門雑誌を見て、いや、全然ついていけないけど、要するにインストールして同期させればいいんだよね?藤井からもらったあれに、般若心経を入れて持ち歩けるんだよね?

 田舎で花火に肝試しなんて、何だかそれらしすぎない?井上陽水の<少年時代>をBGMに、イメージは麦わら帽子に虫取り網?いや、虫なんかいらないいらない。川遊びで蟹にはさまれたくもない。でも何かもう、気分はそんなノスタルジーで、・・・って、もう18時?


 帰社して、まあ忙しいわけでもないんですけど、いや、ちょっと客先で話が弾みまして・・・なんて顔でしれっと席につき、しれっと給茶機へ。いえ、さっきからいたんですけど、トイレやコーヒーで席外してて、みたいな。はは。

 もう癖で、歩くとき三課をちらっと見遣ったらまんまと黒井と目が合って、慌てて逸らした。そうしたら後ろから気配がして、「ねえ」と追ってくる。やめて、ひゅっと腹が透けるから!

「な、なに」

「コーヒー?」

「そ、そうだけど?」

 手を置かれた肩から幸せというものが伝わってくる。僕は意外ともうだめだ。

「お前んとこ、忙しいの?」

「え・・・いや、別に?」

「だって遅かったじゃん」

「いや、まあ、別に忙しいというか・・・」

「明日は?」

「え、えっと、午後から出るけど二件だけだし、早いと思うけど」

「午後から?午前中は?」

「あの、いろいろ提出するものとかやっちゃおうかなって・・・って、なに?」

 まずいアイスコーヒーにまずいコーヒーミルクを二つ用意しながら、何だかこうして話すのも久しぶりで、僕はちらりと黒井の顔を見てまた目を逸らした。あ、もしかして髪切った?

「俺も明日一日中内勤でさ、だからお昼、一緒に食おうよ」

「う、うん、いいよ」

「どこ行こっかね?」

「そうね、蕎麦とか、天丼とか・・・」

 コーヒーを味見して、でも味なんかもうどうでもいい。もう、夕飯と花火の次は昼飯に誘うなんて、っていうかまあ夕飯も花火も結局行けずじまいだけど、うん、っていうかもしかして何か相談ごとでもあるのか?電話じゃ話せないような何かを話そうとしてる?やっぱり島根には親戚と行くことになってゴメンとか?いや、十四日の花火の話をしたし、さっきだって十六日は<俺たち>だめだって言ったし、じゃあ他のこと?あ、やっぱり婚約者を連れてくって話だったから、俺に女装してくれって・・・?

「そ、それは無理だよ」

「えっ?」

「あっ、いや、何でもない。こんなポンコツで、カフェラテなんて望むべくもない、って」

「まあ、まずいよね。水道水に粉入れてるだけだし」

「え、これ水道水なの?」

「知らないの?こないだ妹尾さんがあの給湯器んとこでホース繋いでタンクにじゃんじゃん水入れて、そっからそれを台車で運んで、俺手伝わされたもん」

「そうなのか。ただの水道水に粉が混じってるだけか」

「そうなんだよね。俺たちよく飲んでるよね」

「うん・・・」

 何となく二人でしみじみと紙コップを見つめ、目利きみたいにひとくち口に含んだ。そして、「でも飲むけどね」と黒井が言うので、「そうだね、結局ね」と僕も笑った。うん、お前とこの距離を往復する間話が出来るなら、金を払ったって飲みたいよ。


 席に戻った後はもう黒井と過ごすランチや旅行に頭が飛んでいって、最初は早く帰って荷造りをしたかったけど、でもそれよりこうして同じ空間にいて、見えはしないけど同じ空気を吸ってる方がよくないか?と思ってきて、いくらでも残業しようと思った。

 もし、僕に彼女がいて、夏の旅行なんかを計画してたら、同じようになっただろうか?

 まさかうちの実家に連れていくなんて話ならもう論外だけど、相手の家に行くなら?いや、それも重いか。じゃあただの旅行だったら?

 こんなにウキウキしてるかな。

 ・・・たぶん、やることしか考えてないだろうな。

 完璧な計画を立ててつつがなく観光を済ませ、余力を残して後は夜のお楽しみ。だってそのために行くわけでしょ?花火を見て「きゃあ、綺麗ね!」って、そりゃ花火なんだから綺麗だろうよって言わないのは、その後のムードのため。・・・うん、だって、佐山さんたちと行ってきゃあきゃあ言うのは楽しそうだけど、二人っきりで行ってその子はもう彼女で、だったらもう見なくてもよくない?俺には彼女がいますってアピールのためだけに行くのも何だかなあじゃない?

 うん、たぶん、付き合うとか、彼女とかに向いてないんだ俺は。モテたら嬉しいし女の子に対する性欲だってふつうにあるけど、でも、だって、そこ止まりでしょ?

 クロとだったら、きっと、花火だって向こう側になる。

 光の立体と、遅れて聞こえる音と、火薬のにおいと、お前がそれらをどういう風に感じて、何を思ってるのか、ただ聞きたいんだ。別に高尚な物理の話じゃなくたっていい、「綺麗だ」ってそれだけなら、それでもいい。え、どうして僕は「そりゃ綺麗だろ」って思わないかって?うん、それは、・・・お前のことが知りたいからで、何で知りたいかっていえば好きだからで、何で好きかっていえば・・・。

「山根君?大丈夫?お先しますよー」

「え、あ、うん、お帰りなさいませ」

「はあ?何か、だめみたいっすね」

「はい、すいません」

 横田が帰って、気がつくとクロもいなくて、たかだか請書一枚仕上げられないまま僕も帰途についた。



・・・・・・・・・・・・・



 カレーを食べ、荷造りをし、残りの買うものをチェックした。新しい歯ブラシセットに頭痛薬、衣類の圧縮袋。

 ・・・。

 黒井のお姉さんも来ると言ってたか。

 つまり、あの甥っ子とやらも?

 子ども用のお土産も必要か?

 家族ぐるみの付き合いでもないのに突然居候して、四泊五日も居座って、向こうからすれば家族水入らずの空間に他人がいるわけで、しかも話し上手、盛り上げ上手、爽やかで気さくな楽しい人でもない僕なわけで・・・。

 まるでだめじゃないか。

 黒井が来るならどこの誰だって大歓迎だろうが(特に女性は)、僕なんかが来たって嬉しくも何ともないだろう。

 せめて、何か持って行かないと。

 でも、<不思議の国のアリス>を送ったら嫌がられたというし、長男に厳しい教育ママなら下手に<アナと雪の女王>なんて持っていけないか。何だか話題の<妖怪ウォッチ>とやらもアウトかもしれないし、無難にパズルやクレヨンとか?図書カードやおもちゃ券でもあまり直接的だし、食べ物だって今時どんなアレルギーがあるか分からないし。

 明日、デパートのおもちゃ売場か。

 ・・・っていうか、甥っ子君にとって黒井は「おじさん」で、僕なんか「おじさんのともだち」なんだな。ふう。

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