第241話:東京湾華火大会への誘い

 これ以上持てないのに無理やり弁当屋でデラックス弁当を買って帰った。

 気が大きくなっているのかもしれない。ふだんはのりタル弁で十分なのに。

 まあ、何となく暑いキッチンでちまちま料理をしたくなかったというのもある。そろそろ食材を使い切るべくメニューを考えなきゃいけないが、ついそれも億劫になっている。安かったからとじゃがいもを買いすぎ、でも煮物なんかを作って食べようという気にならないんだ。

 クーラーをガンガンかけてから揚げとハンバーグを食べ、買ってきたものを袋から半分出しておもむろに眺めた。

 まったく、センスはお金では買えないが、でも、服を買うだけなら出来るわけだ。そして、どんな高価な服を買ったって幸福までくっついてはこない。僕はあそこでアルマーニのスーツを買うことだって物理的には出来たわけだけど(もちろん、クレジットカードで)、それでも、物は物だ。服が好きな人にとっては自己実現の一端としての満足感があるだろうが、ただ衣料品を買った、という意識の僕には、あの新人歓迎会の夜と同じような怖さがあった。

 今僕が胸のうちに持っている、黒井にまつわる<これ>は、どんなに金を積んでも買えない、とんでもなく貴重なものなんだ。

 鍵をかけたりセキュリティを施すことも出来ず、ただ、無防備に浮かんでいる。

 クロと、向こう側は、手放したら最後戻ってこないだろうし、得ようとして得られるようなものではない。

 それがなくて、アルマーニが何だというのだろう。どうしてみんな、それが憧れ、なんて顔で歩いていられるんだろう。

 みんなの中には、クロや向こう側に代わる、いったいどれほどの素晴らしいものが入ってるっていうんだ?そして、僕はたぶん決して、もうこれ以下の水準で満足など出来なくて、いつかきっと、失う恐怖と戦わなくてはならない・・・。


 弁当を食べ終わり、妙に思考が饒舌なのはやはりこれのせいか、と携帯を見遣る。何かから目を逸らしたいとよく喋るんだ。

 電源を入れるか迷うが、結局、そのまま充電だけして、旅行の持ち物のリストアップを開始した。テレビでは台風情報がやっていて、まさか来週直撃して欠航とかないよなと、それだけ不安になった。まあ、万が一行けなくても、クロと一緒に過ごせればそれで、いいんだけど。



・・・・・・・・・・・・・



 夜、いい加減チリチリと気にしているのも鬱陶しくなって、携帯の電源を入れた。

 何もないか、と思ったのも束の間。

 しばらくして、留守電のお知らせを受信。

 深いため息。

 もう、説明も言い訳もしたくない。一瞬、すべてをぶちまけてしまったらどうだ、なんて考えるけど、現実味もないと却下。

 ・・・聞かなきゃ、ならないの?

 考えただけで心臓がずうーんと下に押される感じ。どんな排水口の掃除より気が重い。排水口は終わったら綺麗になるし、何となれば、最終的には放ったらかして引っ越してしまえば解決するが、これはそうはいかない。誰かに頼むことも出来ないし、逃げられない。

 もう一度ため息。

 きちんと計画を立ててシミュレーションして最善の着地点を設定すればいいと思うけど、それもしたくなかった。

 ・・・まあ、聞くだけ、聞くか。

 行動はその後でいいんだし、聞くだけ聞くという行為は単なる先延ばしではないだろう。

 今やれることがそれしかないと分かれば、まあ、そうするよりあるまい。

 僕は留守電のボタンを押して、耳から離したまま、何も見ていない目で宙を見つめ、それを待った。


<・・・つ、ここのか、ごご・・・ふん、いっ、けんめ・・・あ、もしもし、俺だけど。ねえ、知ってた?あのね、明日さ、花火大会だって、東京湾の。なんか、さ、・・・行ってみない?・・・別に、ちらっと見えるだけでもいいからさ。うん、そんじゃ。・・・このメッセージを、もう一度聞くには・・・>



・・・・・・・・・・・・・



 ・・・あっ。

 い、い、いつものクセで!

<ピー、消去しました!>

 も、もう、何でそんな仕事が早いんだ!こういう時だけは「本当によろしいですか?」とか訊いてくれよ!ああ、もう手遅れだ。記憶にしか残っていない。何てことだ。

 僕は布団にぶっ倒れた。

 く、クロに、さ、誘われた。

 ・・・花火大会に。

 死んでしまいそうだ。

 どうか明日まで生きていてくれ、この身体。

 ・・・っ。

 ひたすらに身悶え。

 拳で布団を叩き、足をバタバタさせる。も、もう、だめだ、花火とか!お前が好きだ!

 


・・・・・・・・・・・・・



 ネットで、東京湾華火大会について調べ上げる。

 開始は何時か、どこから見るか、どこの駅の何番出口か・・・。意外と広範囲から見えるようだから、特定の会場に行くというより、何線でどこへ行ってどこから見るというのは自主的に決めなきゃいけないみたいだ。

 ちらっと見えれば、とか言ってたから、ど真ん中の人混みの中見るより、遠くの高台から小さく見えたら、あるいは、レインボーブリッジなんかを走り抜けて、その一瞬で見えたらいい、とか・・・!?

「くはっ・・・ううっ」

 この地図がジオラマみたいな立体ならいいのに。箱庭みたいにして、どこから見ればどんな風に見えて、どこが穴場なのか分かればいいのに。

 お、お前と、花火を見る?

 は、花火って、何だっけ。見上げて、空に火薬が光って舞うんだっけ。確か、ドンって、爆破音が響くんだっけ・・・。

 だ、だめだ。腰が抜ける。

 雪が降ったりは自然現象だけど、こんな、自分たちでわざわざ出向いてそんなもの見ちゃうなんて、で、で、でで・・・。

 デート、じゃん・・・。

「きゅうううう!!」

 奇声も発しようというものだ。

 あっ、と、とりあえず、返事を、しないと。

 ・・・。

 ・・・だめだ。

 電話は出来ない。

 声が裏返って、まともな発音が出来そうにない。

 震える指をようやく動かし、何度も間違えながらメールを打った。


<今、調べてます。予定が決まったらまた知らせます>


 こ、これは他人行儀なのか?でも、いや、ですます調以下は無理だ。何ていうか、直接的すぎる。「リーチ」の声は万歳しながら叫ぶんじゃなく、うろたえず、静かに告げるべきだ。

 

 しばらく待ったけど返事は来なくて、まあ、こっちから知らせると言ってるんだからそれを待ってるんだろう。さて、しかし心配なのは天気だな。荒天なら中止ということだけど、予報では明日も雨、台風は上に逸れてくれるだろうか・・・。



・・・・・・・・・・・・・



 ついいつもの時間に起きて、嫌な夢を見たなとトイレに立ち、二度寝。花火が中止かどうか分かるのは午前十時だから、それを見て連絡しよう。

 ・・・。

 手が、もげたっけ。

 ずるりとケンタッキーのチキンみたいに腱が外れて、いや、外して、あれ、自分の手?でも誰かの手だったような。

 何だっけ、自分はどこかへ行かなきゃならなくて、でもどこか、嫌な人がいる嫌な場所に自分を置いてきたから、そこの用事はそいつに押しつけて、それでいいんだ・・・でも、ついてきちゃってて、それで腱が外れて、死んでるんだからあまり動き回ったらいけないのに、って・・・。

 僕と、死体の僕。

 結局、僕がやらなきゃいけない何かも今一つうまくいかなくて、嫌な気分で目覚めた。

 今度は自分が死んだのか。でもまあ、死ぬのは逆夢でいい夢だっていうし、別にいいんじゃない・・・?

 ・・・。

 あの、男の子が死ぬ夢。

 あれもじゃあ、単純にいい夢だった?

 黒井が「押し殺してる」なんて言うからそんな風に考えてたけど、逆だったのか。僕が自分の嫌な部分を殺してるんじゃなく、逆に、ちゃんと生きてるって象徴だったのか・・・?

 ・・・。

 それは、またもや逆に言えば、・・・殺せてないってこと?

 あの無言の男の子たちを殺せてはいないし、むしろ生き生きと、僕の中で「死ぬ役」として出てきて、その存在は健在だってこと?

 <大人が子どもを殺すのを止めることは出来ない>。

 僕は夢の中で確かにそう思った。<子どもが殺されるのを止めることが出来ない>ではない。主語はあくまで<大人>で、そして、暗に<子どもがいなくなるまで殺戮は続く>ことを意味している。

 子どもは、殺されることで、まだ生きていることをアピールしている。

 でも、どうだ、殺し終わったか?

 今日出てきたのは僕の死体だ。死体、といっても、あれはもうゾンビだけど、少なくとも子どもではない今の僕だった。

 うん?

 きちんと死んだ子どもは、本当は生きていて。

 きちんと死んでない大人は、じゃあ、死んでいる・・・?

 殺している方が、死んでいる方だ。

 ・・・見ている方が、視られている方だ・・・!

 ・・・この夢を見ている僕は、つまり、夢を見せられてるってことだ。あの・・・死んだ男の子たちに。

 は、はは、そんな分析、何とでも言えるよ。どうとでも書き換えられるし、真実なんかない。眠い、もう少し寝よう。クロ、そうだ、クロのこと考えて寝よう。俺にはクロがいる。一緒に花火大会に行って、二人で花火を見るんだ・・・。



・・・・・・・・・・・・・



 十時にホームページをチェックしたがまったく繋がらず、しかし、他の検索結果によると、今年の花火大会は荒天のため中止とのことだった。

 ・・・雨なんか、早朝に降っただけで、今はもう小降りじゃないか。

 町内会の盆踊りじゃないんだから、ものすごい額の準備費用がかかってるはずだ。そんな、この程度の小雨で中止になんかして大丈夫なのか?協賛金とかいうのを払うと会場の席が取れるようだが、荒天による中止だと払い戻しになるらしい。何万人という人間の移動や購買が関わっていて、それは下手したら年の何割かの利益に相当するだろうに、これを決断した人はどんな心境なのだろう。台風直撃などの、誰が見てもどうしようもない事態ならともかく、今のところ予報では、夜までずっと曇り時々雨だ。

 曇り空を見ながら、何度も更新ボタンを押すけど、いつまでも繋がらないし、そしてたぶん、決定したことは覆らないのだった。花火が見たかったというより、かかった費用や労働力や見込んだ利益や仕入れたおつまみなんかがすべてふいになると思うと、しかもこんな小雨で、と思うと、ただそのことがやりきれなくて、でも僕なんかに決定権はないわけで、だから胸のもやもやもため息とともに追い出した。

 

<残念ながら、雨で中止だそうです。それほど降ってないし、台風もそれるっていうけど、・・・まあ言っても仕方ないね>


<えっそうなの?・・・ま、でも14日にもあるからさ>


 ・・・。

 14日?

 それって、島根でってこと?

 そんなイベントが、待ってるわけ?田舎で、神社の盆踊りと出店と、金魚すくいに浴衣にうちわ、大きな銀杏だかクスノキだかに遮られつつ、見上げれば花火・・・。

 な、なんだ、俺とお前は何かの映画の主人公か?何でそんな、これでもかってシチュエーションがどんどんやってくるんだ?まあ、今日のロケは中止だけど。


 二十分ほど逡巡して、<そうなんだ、楽しみだね>と返事をした。しかし本当言えば、黒井と二人で花火だなんて米粒ほどの実感もわいてなくて、まあ、中止というのもやっぱりね、そんな夢みたいな話あるわけないんだし、くらいの気持ちだったから、まだチャンスがあるだなんて、ちょっとどう思っていいかよく分からなかった。


 昼過ぎに駅前の書店に出かけ、夏のミステリを物色したがいまいちいいものがなく、結局、法事のことを思い出してCD付きの般若心経本を買った。別に読経するつもりなんかないけど、あのドリル以外でも学んだ方が多角的になるだろうし、あの仮想少女の歌だけでなく、本物の読経も聞いてみたいし。

 歩いていると急に雨が降ってきて、みるみるうちに暴風雨みたいな激しさで雨粒に叩きつけられ、走って帰った。お、おい、やっぱり降るのかよ!せっかく買った本が濡れる・・・って、クロはあの時こんな中で電話してきたのか。ということは、あれはもうすっかり諦めたからかけてきたんだな。般若心経を胸に抱え、濡れる範囲を最小限に抑える努力をしつつ、木陰や軒下を選んで走る。こんなんでは電話なんか取り出せない。あの時電話に出れて本当によかった。こんな中で電話して相手が出なかったら腹が立って仕方がないところだ。


 帰宅してそのままシャワーを浴び、出たら晴れていた。おい、何だよ、やっぱり夕方はもう晴れるんじゃないの?花火、出来たんじゃないの?今からでも遅くない、決行したらいいのに。だって花火なんて用意するのも大変だし在庫として抱えたって困るだろう。ディズニーランドにでも売るのかな、なんて。

 透明のビニールのおかげでそれほど被害がなく済んだ本を取り出し、早速CDをコンポに入れた。こないだみたいに大音量で鳴ってもまずいし、再生される直前でイヤホンのプラグを突っ込んだ。音量を調節しておもむろにイヤホンを耳に入れ、そして・・・。

 ・・・。

 ・・・。

 ・・・こ、怖いよ。

 チーン!て、ポクポクて!思った以上にホラーだよ!!

 こんなもの暗闇で、墓地でも歩きながらイヤホンで聞いたら本当に恐怖で動けなくなりそうだ。何で有り難いお経がこんなに怖いんだ?座ってたって足がすくむだろ!

 ・・・これを聞きながら、肝試しで、お札が取ってこれるだろうか。

 僕にはそれが出来るだろうか?

 般若心経が決して恐ろしい呪文ではなく、量子力学じみた、原子の実体とはどこにあるのか、というような真理の問いを含んでおり、それは僕にとって良いもので、怖いどころか力強く信じられるようなものだが、果たしてそれは、暗闇と、お墓というシチュエーションの恐怖を打ち払ってくれるだろうか?意味合い的にはそうなるはずなんだけど、だ、だから、そのチーン!の音が薄ら寒いんだってば!!まったくの逆効果っていうか矛盾してるんですけど!怖すぎるエールを文字に起こして理性で読み取って、僕は恐怖の本能に勝てるだろうか!?

 ・・・って、いうか。

 き、肝試しが、やりたい。

 ・・・へへ、お前とだよ、クロ。

 お盆に帰るんだから、お墓参りに、きっと、行くよね・・・。

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