第233話:夏休みの工作

 僕は鉄柵と鉄球のすり抜けがどうプロットの土台になりうるのか苦戦していた。カタチより立体で動きもついていて、しかしゴールのない繰り返しの動きのようで、時間経過をどう対応させるか頭をひねってしまう。

 何となく指でその動きを作っていると黒井がそこに鉛筆を持ってきて、「これで作ろ、うまいこといっぱいあるし」と言った。

「作るって、何を?」

「だから、俺が見た柵、ってか檻ってかさ。出来そうじゃん」

「ん、まあ、出来るかも」

「楽しそうじゃん!」

「じゃあこれを、何で繋ぐか・・・とりあえずセロテープか」

 そしてなぜか子どもの工作教室みたいなものが始まり、寝かせた六本の鉛筆を等間隔に並べて繋ぎ、立てて回すという行為のための苦労と工夫が繰り返された。テーブルに綺麗に並べてテープを貼っても、テーブル自体にくっついてしまったり起こすときにズレたり、こんなどうでもいいことがうまくいかなかった。「おい、そこちゃんと押さえてろって」「あ、くっついちゃうだろ!」「貼り合わせればいいんだよ」「余計ぐちゃぐちゃじゃないか!」なんて、もう、むやみにクロの指や手にもいっぱい触れて、だんだん二人とも何のために何をしようとしてるのか分からなくなって、おかしくなって笑った。ひととおり笑い終わって何とか模型ができ、あとは球がすり抜けるだけだ。

「で、球が通るのはどこなんだよ。この、地面?」

「違う、真ん中。空中」

「・・・球が空中で止まってるとこを、柵が回ってるの?」

「うーん」

「それとも柵の端っこの一本を基点にして球が円運動してるの?」

「だから、どっちでもあるような感じで」

「まあ、どっちでも同じか。・・・うん?同じなのか?」

「太陽系モデルみたいな、の、かな。えっと、どちらが静止してようと、相対的?」

「やってみれば分かるか」

「そうしよう」

 しかし今度は空中で静止する球に苦労した。球はとりあえずノートの切れ端を丸めてセロテープでぐるぐる巻きにし、鉛筆の間を通るくらいの大きさで作った(これも何度も「でかすぎるよ!」「つっかかるよ!」と爆笑しながらやり直した)。くす玉みたいにつり下げておけばいいはずだけど、貼り合わせたテープが邪魔でそうもいかない。鉛筆の上下を留めてしまったから下からのアプローチもだめで、「磁石の磁力で浮かせれば」「物理的に無理だ」「無重力?」などと、しかし、上のセロテープを一箇所空けることでくす玉作戦を決行することにした。

 ソーイングセットの糸を使っても、糸自体に巻き癖がついている上に球が軽いからふらついて、うまくいかなかった。仕方なくつまようじに刺してギンナンみたいな不恰好なそれを操り、球が円運動をするバージョンと、柵が回転するバージョンを実行することが出来た。

「っていうか同じだ」

「柵でも球でも、回転の軸の中心点が同じなら同じことか」

「うん」

「やっぱり相対論なんだ。自分は静止していて相手が動いてるんだって前提なら、どっちの視点で見るかってだけで、<本当は>どちらが動いてるのかってものはない・・・。これ、等速運動なんでしょ?途中で止まったり、速くなったりしない?」

「・・・うん、しない、と思う」

「そういう<コペンハーゲン>なのか。量子力学の干渉縞じゃなくて、特殊相対論的な?」

「な、何か、すごくない?」

「うん、何か、すごい」

「・・・でも、何だろう、ちょっと、違う」

「え?」

「今、違うこと思った。・・・写真、かな」

 黒井が言って、少し首をかしげた。

「うん?」

「こっちから撮ったときと、この、重なる角度と、それとこっちから撮ったときで、別の画にならない?」

「・・・模型自体の視点じゃなく、それを別視点から見るってこと?」

「いや、何か、面白いかなって」

「写真・・・三次元の立体をまた二次元に戻すってこと、か」

「それって影絵みたいな?うん、何だったかな、・・・ああ、プラトンだ」

「・・・プラトン?イデア論?」

 プラトンといえばイデア論としか知らない僕だ。まあそれも、ホメロスや国家論を読んだわけでもないけど。

 黒井はスケッチブックをまためくり、紙芝居の一枚を描くかのようにさらさらと、後ろ姿で座っている人物を二人、その手前に槍や仮面を持った人物を二人、そして最奥に手前の人物の影を描いた。ざっと描いたラフスケッチだが、たとえるなら、裁判の被告人の表情を描くあのスケッチの、後ろの傍聴人くらいの精度ではあった。つまり、やはりクロは絵もうまいのだ。

「洞窟の怪物だよ」

「え?」

 クロが説明するには、まず、座っている二人の人物は囚人で、生まれてこの方この洞窟から出たことはなく、目の前の壁しか見たことがないのだという。即座に、物理的にそんなことが可能だろうか、可能だとして、どれだけの労力を払えばそのような状態を維持できるだろうか、と考えてしまう。生まれてこの方・・・といえば、この島を出たことがない、大人を、異性を見たことがない、産み落とされたこの部屋から出たことがない・・・などなど、ミステリのいわゆる<前提崩し>には枚挙の暇がない。

 ・・・しかし今はプラトンだ。

「で、後ろのこいつらがこうしてここの壁に影絵を映したらさ、この囚人たちは、目の前に黒いモンスターが現れた、と見えるわけ」

「まあ、後ろを振り返れないなら、これが角が生えてる人間なのか掲げた槍なのかってことは確かめようがない・・・っていうか、後ろの人物の影だってことも分からないのか。影って概念自体がなくて、壁を這い回るただの・・・人間以外の存在、あるいは啓示や自然現象に見えるかも」

「そう、んで、だからこの囚人たちにそれを確かめる術はなく、だから・・・えっと、結論は何だったかな。だから人間にはイデアを見ることは出来ない、ってことかな」

 僕は急いでノートに、イデア、囚人と影絵、三次元→二次元、二視点、と書き記した。六本の鉛筆と球は重なれば一本の線になるが、上から見れば常に七つの点である。上から横へ視点を動かしていけば鉛筆が徐々に伸びていくように見えるだろうし、球は円運動ではなく大きくなったり小さくなったりしながら左右に揺れるだけに見える。

 ・・・そう、三次元で見るそれと、二次元で見るそれは、まったく同じものを見ているのに、姿は違う。そして、違うけれども、では三次元の視点が正しくて二次元の視点は不足があって間違っているのかと言われれば、しかし、そう、洞窟の囚人同士の会話であればそこに不足などない。彼らにとってそれが真実であり、彼らの見たものが間違っているという話ではない・・・。

 ・・・等価。

 何だ、この、何かと何かが等価だという図式は知っている。前に調べたんじゃないか?自分で、ノートにまとめたんじゃなかったか?

 僕は黒井の話を置き去りにしたまま押入れをひったくって昔のノートを取り出し、ぱらぱらとめくってそれを見つけた。そう、バレンタイン合宿のときの、<ブラックホールとホログラム>について・・・。

「これ、これだ。<モザイクの二次元バーコードの情報とそこから浮かび上がる立体は、数学的に等価>。影の本体と影絵は等価なんだ。見ているどっちも正しい。でも見えてる事象は違う。これがお前のコペンハーゲン?」

 どん、とテーブルにノートを置き、鉛筆でその箇所をなぞってみせた。あの雪の日の合宿の成果が今こんなところで繋がってきたんだ。俺はお前に貢献できている?

「お前、これ・・・」

「うん、これは、あの雪の合宿の時のノートだ。ブラックホールとホログラムを調べてた。今お前の話を聞いてて、思い出した・・・」

「な、なんか」

「・・・うん?」

「よく、わかんないけど、何か・・・」

「・・・う、ん」

 二人が見つめるテーブルの上には、影絵の描かれたスケッチブック、セロテープで繋がれた鉛筆たちと不恰好な球、そして僕のノートが新旧二冊。

「ちょっと今、俺・・・」

 黒井はテーブルから目を離さずに、僕に手を伸ばして左手を背中に回し、軽く僕にすがりついた。

「・・・うん」

「何かさ、俺たち・・・進んでるのか、それとも同じとこぐるぐるしてんのか、わかんないけど」

「・・・うん」

「でも、なんかが、繋がってるような、かんじ・・・」

 そして、僕を横からぎゅうと抱きしめて、黒井は、「おれ、鳥肌立った」とささやいた。耳元に息がかかるから僕の右腕もそうなって、僕は「俺も、だよ」とつぶやき、その手を自分の腕に置いて触らせた。

 黒井が見たかどうか、合宿のノートの端に不自然に上から消された部分があって、その塗りつぶす線の下にはでも確かに<好き>と書いてあった。どうしてそんなこと書いたか覚えてもいないけど、ただ、その対象は変わってなくて、その気持ちも変わってない、と、僕は五ヶ月前の自分に感謝とともに伝えた。



・・・・・・・・・・・・・・・

 


 しばらく黒井は僕の首元に顔をうずめてゆっくり息をして、それから、「今日はここまでにしよう」と抑えた声で言った。僕は上ずった声で「・・・うん」とうつむき、もう、いったいどういうシチュエーションなんだろう。僕はもっと、今日、今すぐ、本当に繋がったって、よかったんだけど・・・。

 鳥肌以外も、立ってるわけだし。

「ね、俺、今日はもう帰るよ」

「え、そう?」

「うん。・・・何か、ここで、止めとく。ノート、閉じといて」

 いつの間にか部屋は薄暗くなっていて、黒井は僕にしがみついたまま動くことはなく、僕は両手を伸ばしてノートとスケッチブックを閉じた。それを見て黒井は一度深く息をして僕から離れ、胸を押さえてもう一度深呼吸をした。

 思いっきりどうにかしてしまいたい、されてしまいたいって欲求が弾けそうだけど、顔を背けて二秒目を閉じ、耐えた。

 

 「駅まで、送って」と言われ、誰が送るかと叫びそうになるのをこらえて、玄関のドアを開けた。俺なら出来るはずだと言い聞かせ、歩調を合わせて歩く。「もう夏だね」なんて、本当に、俺もお前も半袖で、ほんの少しその肌は湿っていて、あの雪の日からは想像も出来なかった<アトミク>な日々。

「俺たちもさ、これからずっと夏休みなら、いいのにね」

「・・・自由研究?」

「はは、贅沢だったよね、今思えば。一ヶ月も休めて、働かなくても小遣いもらえて、料理とか洗濯とかもしなくてよくて、そんで、自由研究してればよかったなんて」

「まあ、確かにね」

 その代わり自由はなかった、と言葉が出そうになるけど、黒井に噛みついてもしょうがないし、他人に声高に主張するほどの不自由でもなかったわけで、僕は「うん、そうだね」ともう一度うなずいた。

 今は、自由なんだ。それでいい。

 駅に着いて、外であらためて黒井の顔を見て、その頬とか、すっと通った鼻筋とか、角度や影によって印象が変わる目元とか、やっぱり、かっこよくて惚れ直した。

 紙袋に入れて持って来た、ずっと預かりっぱなしだったスーツとビーグル号の上巻を渡すと、

黒井は「じゃ、また明日」と微笑んだ。

「うん。それじゃ、おやすみなさい」

 黒井は僕の手や腕に軽く触れ、改札を抜けると、こちらにちらりと手を振ってホームへ消えた。

 

 そう、帰って、たまらなくなって、誰に遠慮するでもなくそれが出来るのは、紛れもない自由だ。僕はさっきあのままされたかったことを自分にして、クロだってもしかしたらこうしたかったかも、なんて、あり得ないけど絶対ないと証明も出来ないからそういうことで妄想を進めた。終わってから電気をつけてスケッチブックをめくり、目を逸らしながらちらちらとその僕を見て、「お前には、こう、見えてんの?」とつぶやいた。本当は僕も黒井彰彦を描きたかったけど、そういう能力がないので、諦めた。

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