第227話:第二回プロット会議

 少し早めに着いたけど、黒井はもうそこにいた。

 先週だって同じようにして会ったけど、場所のせいか、黒井の服装のせいか、今日は妙にデート臭がして、どきどきした。

 だって、何か、オシャレなんだもん。

 何て名前で呼び表す服なのかもよく知らないけど、まあとにかく、Vラインの襟から見える鎖骨のあたりについ目がいってしまうわけだ。僕なんか何一つ見所のないいつものシャツにジーパンで、本当に申し訳ない。

「あの、メモは持ってきてくれた?」

「うん、まあね」

 小さめの、斜めがけにしたバッグではなく、ズボンの尻ポケットからぐちゃぐちゃの紙片が出てくる。うん、それでいいよ、持ってきてくれれば。

「ねえ、何飲む?」

「俺は、コーヒーで」

「そう?俺はこの、ストロベリーのやつにしようかなあ・・・」

 うん、僕だって少しだけそれが美味しそうだなって思うけど、同じもの頼んだらひとくちもらえたりとか出来ないじゃん?なんて下心。

 そして、僕はレジでアイスコーヒーを受け取り、先に席へ。黒井はランプの下でストロベリーが出てくるのを待っていた。

 ・・・浮き足立ってるのは、デートっぽくてどきどきしてるから、だけじゃない。

 その、帰省のことだ。

 今までずっと、アトミクをやろうと言ってからも、会おうが電話しようが泊まろうが、先の約束など何もない、どっちに転ぶかわからない、出たとこ勝負でやってきた。結局まだ領収書の<俺たち>の名前も決まってないし、お互いにお互いをどう位置づけているのか、何の統一もない。

 でも、初めて、一ヶ月先の約束をしている。

 一ヶ月部屋を任されたときですら、鍵を返す、下手したら郵送で返す、という接点しか想定できなかった僕だ。

 今回はその、約束という安心感はあった。

 ただ会うってじゃなく、飛行機のチケットがあるのだ。気分で「やっぱしやめ」とはならないであろう、八月の予定。

 しかし。

 見分けがつきにくいけど、心臓がどきどきして呼吸が浅くなり、胸が締め付けられる感じがするのには、嫌なものも含まれていた。

 ・・・会社の、ミス。

 こんなとこまで引きずるなんて、本当に、自分の中の、気にしている部分が可視化出来るなら鉈で切り離してやりたい。

 頭では分かっている。今ここでそれを心配しても何の意味もないし、それで解決するわけでもない。ため息をつく一日を過ごそうが、まるっきり忘れてはしゃいで過ごそうが、変わらないのだ。だったら楽しいほうがいいはず。それが合理性というものだ。

「ねえ知ってた?これ、タダで増量してもらえるんだって」

 スタバのお姉さんと長々話していたことに、嫉妬する余裕さえないなんて。

「え、ああ、カスタマイズ?」

「そうそう。増やせるんならいくらでもって、こんなんなった。はは!」

 透明の上蓋のカップからはみ出さんばかりの生クリーム。細長いスプーンでソフトクリームよろしく食べ始める。その屈託のない笑顔で、またちょっと胸が締まった。あの、あの月曜、お前がちらっとダブルチェックしてくれてたりしたら、今頃こうはならなかったのに。あるいは、ミスをしたのがお前だったら、お前はそんなこと気にしないだろうし、あるいはしていても、「気にするなよ」と僕が慰めることが出来たのに。

 それなら、どんなに気が楽だったか。

「ああ、それで、これね。ちょっともう読めないけど」

「うん、読めない。でもよく書いたじゃん」

「はは、まあね」

 胸の真ん中がかゆくなるような、行き場のない不安や焦り。

 理屈を並べてみても消えないそれを抱えて、でも、アトミクに集中しなきゃならない。お前のために生きてるんだから、こんなこと・・・!

「・・・で、確か、そこにお客さんが十二人いて、何でか、俺がそいつらを連れてかなきゃなんなくて・・・」

「うんうん」

「・・・の船っていうか、戦艦みたいのが、こういう陣形で並んでてさ・・・」

「ああ、うん」

 ・・・先週、飲み会で、自分の課なのに、なじめなくて。

 少しなじんだと思ったビジネス某でも、結局こんなことになってしまって。

 お前とやってる営業事務の立場すら、あやうくしてしまって。

 ・・・どうすりゃよかったの?

 もちろんすべての仕事に細心の注意を払えばよかったんだろうけど、あの日、あの時やってなくても、いつかはどこかでミスをしたと思う。

 っていうか、たとえば、今この時だって、発覚してない重大なやつがキャビネの中で眠っているのかも。

 だから、営業しながらは無理ですよって、開き直っちゃえばいいのかもしれないけど。

 半端に、自分なら出来るって思っちゃったりしてて、出来てる、こなしてる、なんて調子に乗ってる面もあったわけで、もう本当に何もかも投げうって逃げ出したい。

「・・・でね」

「うんうん?」

 だめだ、集中しなきゃ。こんなどうでもいい悩みで上の空なんて、そんなのだめだ。

 お前のことについて、俺は強いはずなんだ。

 他の何が出来なくても、お前の話を聞くってことを、世界で誰より、出来るはずなんだ・・・!

「・・・え、なに、どしたの?」

「え、いや、何か感動して」

「は?こっち側にトランプがあるから?」

「赤か黒か、覚えてる?」

「・・・、えっと、ああ、こっちのが赤で、向こうが黒、かな。だって左手に持ってるのは赤だったと思う」

「ほら、だから」

「え、なに?」

「お前の夢は常に線対称だ。そして、正確にはたぶん、それは夢じゃない。レム睡眠じゃなくて、起き抜けの、二度寝の時とかに見る、現実が半分混ざった幻覚みたいなやつだ」

「・・・え、そう、かな」

「最初のやつはもっとストーリー性があった。でも、こないだの二分の一のやつもだけど、断片的で抽象的なやつは、起きて夢を思い出してる間にふわふわ浮かんだイメージだと思う」

「・・・それに、感動した?」

「ああ、そうだね。お前のイメージは遍く幾何学的だ。いつも対称性があるし、うん、二次元的な時と、三次元の立体性がある時とがある。なあ、今度からそれ、絵に描いたほうがいいよ」

「・・・絵、は、そんなうまくないけど」

「別にうまくなくても、っていうか、絵っていうより図かな。カタチだけでいいんだ。三次元的だと難しいだろうけど、二次元の配置なら、その船の陣形みたいなのとか」

「・・・う、うん」

 黒井は、何だかそわそわして、「感動されちゃった」と苦笑いしてフラペチーノを飲んだ。本当は断片的な単語しか聞き取れてなくて、理性がかろうじて分析を終えたところを急いで読み上げただけだから心苦しいけど、少しだけ、大きめの種とかを飲み込んじゃった時みたいに、胸のつかえがゆっくり下に降りていく感じがした。



・・・・・・・・・・・・・・・



「ねえ、でもさ、こんなカタチを描き溜めたとして、それをどうするわけ?夢のストーリーをプロットに生かすってのは分かるけど、カタチじゃどうしようもなくない?」

「それは、えっと、どうにでも出来るよ。幾何学ってのは、数学と現実を結びつけるその、何ていうか」

「うん?」

 多少口からでまかせだけど、モノもカタチも好きだから、勢いで何とかなりそうな気がした。

 こないだのノートを出して、またグラフを見せる。黒井が僕の方に椅子を寄せて、その肩が、顔が少し近くなり、僕の声は気持ち、一段高くなる・・・。

「ほら、このグラフだって、幾何学だよ。起こったことを数字に置き換えて縦軸と横軸で表してる。だから、それってつまり、逆算できるってこと。現実を描写してグラフを作れるなら、グラフがあればそこから現実を再構成できる」

「俺の・・・見た、カタチを、グラフにする?」

「うん、まあ、グラフに置き換えてもいいし、そのままキーワードとしても使える。言葉の、単語以上にもっと抽象的で、いろんな意味を内包してるよ。何だろう、タロットカードみたいな感じだ。たとえば・・・」

 僕はノートの右上を小さく破ってそこに<死神>と書き、グラフの谷になったところに置いた。

「何だか占いみたいになってきちゃうけど、こんな風に、この場面のキーワードが<死神>だとなれば、別にそのまま死ぬって意味だけじゃなくて、死と戦う、恐れていたのが死だと知る、比喩的な意味で、死んで生まれ変わる・・・とか、可能性は狭めずに、しかしポイントとして絞ることが出来る。そして、タロットカードの代わりにお前の<カタチ>を使ったって、それは出来ると思うんだ。<死神>の代わりに<透明の立方体>だったらどんな風になるか?しかもお前のそれは、時間を、変化を伴うことがある。交互に光ったり、進んで行くうちに陣形が変わったり、それはそのままストーリーに活かすことが出来るよ。これって・・・うん、すごく」

「・・・うん?」

「タロットなんかより、単語で連想していくより、よほど<アトミク>らしい。幾何学的で、物理的」

「・・・そ、っか。俺は、その、・・・これで、よかった?」

「うん」

「これが、俺たち、らしい?」

「・・・う、うん」


 黒井は「そっか、いいのか」と僅かに微笑んで、フラペチーノを飲み干し、最後の残りをスプーンですくった。イチゴで真っ赤に染まったそれを僕に差し出し、「・・・いちばん、甘いとこ、あげる」と。僕は、誰かに見られないうちにそれを口に入れ、うつむいた。

 ちょっと、甘すぎる。

 こんなの、甘すぎるよ。



・・・・・・・・・・・・・・・



 今までのメモをきちんとカタチに起こしてみようと言ったけど、黒井にとってそれはもう古くなってしまったらしく、新しくやるよ、と。まあ、正直そこからどう発展させられるかは何の見通しもないけど、別に、僕たちのゴールは演劇の上演じゃなくてお前のそれを取り戻すことなんだから、お前のことを理解していけば、その過程でそれに近づく気はした。

 その後も何度か会社のことがふいに去来して胸が重くなったけど、耐えるんだ、やり過ごせ、と念じて何とか追い払った。胸を叩くのは効果がなく、深呼吸は気休め程度。あくびが若干よくて、コーヒーをちびちびでなくごくごくと飲むのが少し紛れる気がした。黒井がトイレに立った隙に<ワンモアコーヒー>を100円(税抜き)でおかわりし、ブラックで半分ほど飲んで、げっぷをしたら更によくなった。

 ・・・やっぱり、カタチなのか?

 胸が熱いだの重いだの、でも別にそこに結石が出来てるとかでもなく、たぶん自律神経の働きで心拍数が速くなったりしてるだけだろう。だったらそこを物理的に冷やしたり空気を入れたり、そういうことで感情をコントロールできる?

 幾何学のカタチから物語を作るというのは、そういう、逆算だろうか。

 僕だって、線対称に点が二つあるというカタチなら、たとえば双子の話とか?なんて安直な当てはめしか出来ないけど、うん、そういう心理療法とかあった気がするし、二人の<コペンハーゲン>はお前のセラピーになったりしないかな。上から目線で恩着せがましいかもしれないけど、そんな風にして、僕はもっとお前のことが知りたい。もっとお前に、近づきたいよ。

「お待たせ。ねえ、ハンズ見ていかない?」

「うん、いいよ。何か買い物?」

「ううん、ぶらぶらするだけ」

「・・・あの時は、混んでたからね」

 何それ?って言われると思ったけど、黒井は「そうそう!」と笑った。


 曇り空のデッキを歩き、ドーナツ屋を通って線路を渡り、タカシマヤのハンズへ。ああ、なんて<デート>なんだろう。もう、感極まって手を繋ぎそうだけど、何とか自制した。お前が近いのがいけないんだよ。その上「そういやあの二人、まだ付き合ってんのかな」なんて顔を寄せてくるから、あの時のことを、思い出しちゃうじゃないか・・・。

 ・・・俺のこと、どう、思ってんの?

 あの時はどう思ってた?

 そして、今は?

 ほんの少しでも、好きでいてくれたら嬉しい、けど。

 いつも、どれだけ考えたって、<嫌いでは、ないはず>止まりの、答えの出ない問い。

「ね、やまねこ!」

「・・・えっ?」

「あの、さあ」

「うん?」

「お前さ、夏休みの自由研究ってあった?」

「え、・・・うん、まあ」

「どんなの作った?」

「・・・別に。何か、箱みたいなやつとか」

「ふうん」

 ハンズに入ると、すうと涼しかった。あの時は人混みで暑いくらいだったけど、ああ、もうすぐ梅雨も明けるかなあ・・・。

「ほら、子どもってもうすぐ夏休みじゃん?」

「・・・ああ、そうか」

 丸一ヶ月以上の休みか。社会人には何の関係もない。

「俺ねえ、夏休み、よく渋谷のハンズで、工作のキットとか材料とか買ったよ。懐かしいなあ」

 そうか。渋谷のハンズか。僕は近くの材木屋に木切れをもらいに行ったよ。おじさんに声をかけられず小一時間うろうろして、熱射病で倒れかかったよ。結局、裏のゴミ置き場っぽいところから薄い板を何枚か失敬して、親に「どうしてもっと分厚いのをもらわなかったの?」と訊かれ、「・・・こういうのがいいと思った」と、もちろん出来上がったのはどうしようもない代物で・・・。

「で、何の箱?何が入ってんの?」

「・・・俺のことはいいよ。お前は?」

「え、俺はねえ、そん時恐竜が好きでさあ。ブラキオサウルスを、ほら、紙で貼り合わせるフィギュアみたいの買って、それ作ったんだよね。でも学校持ってったら、誰かがいちゃもんつけんだよ。自分でイチから作ったのじゃなくて、市販のキットでいいんですかあーって」

「・・・それで、どしたの?」

「うん、帰ってお母さんに言ったら、あの人、気にすることないわよって。どうする当てもないガラクタ集めて子どもが見せ合うだけなんだから、何だって構わないのよって」

「・・・そ、そう」

「だから次の日そのまんま言ったら、先生、困ってた。はは」

「で、でも、頑張って作ったのにさ、そんな、親からガラクタなんて言われて、お前・・・」

「え、別に、何とも思わないよ。そういう人だし、俺が作ったら何でも『上手ねえ』って褒めてくれたし」

「・・・そっか。いいお母さんだ」

「でも、別に、中身までは分かってないけどね。手間とか労力がかかったとこは褒めるけど、俺がここぞって表現したいとことかはまったくスルー。労働至上主義なんだよ」

 何となく話しながら、あてもなくエスカレーターで上へ。作ったものを褒められたことなんかないし、鉛筆を削りたくて買っただけのナイフを、脅えた目で問いつめられた思い出しかない。いつの間にか部屋からなくなっていて、面倒だから買い直すこともしなかった。あの、妖艶な死体の本だって。

 お前の、お母さんに、会いたいね。

 俺のお義母さんになってほしいよ、本当に。

 頑張って模写した九相図を、「上手ねえ」って、褒めてもらいたいよ。

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