第226話:俺たちの思い出巡り
何だか肩身が狭いまま自席に戻り、横田に「やっちゃったんすか」と言われ、「まあね」と返した。PCに向かうけど、仕事はさっぱり手につかない。
・・・うっかり入れ間違えちゃいました、じゃ、済まないことなのか、本当に?
でも、具体的にどの辺が?
大橋のまずいまずいモードになって考えてみると、まあ、それはいくつか浮かんできた。
先方が今、事件のせいで過敏になってることはおいておくとして。
まあ、こちらのずさんな取り扱いが信用問題に発展するかも、ということがある。大手のお得意様だし、こっちとしては切られたらまずいわけで。
それから、大橋はちょうどマニュアル整備を進めてたわけで、ああ、僕がその急先鋒でビジネスオペ某の考える<営業職の理想の姿>をやってたんだから、大橋的には<非常にまずい>立場になるんだろう。よりにもよって、先週僕がマニュアルづくりを手伝った、というか見守ったのにも関わらず、それが華麗にスルーされたわけで。
でも、大橋の立場なんか知るもんか。ごもっともな理由で勝手に仕事を増やしてきたくせに、ミスが一度でも起きたら遠回しに責め立てて、騒ぎ立てるわけ?
あとは・・・そう。ちょうどこれから新人たちにこの営業事務を最初から教えていこうって矢先に、それを教えるのが僕だって時に、うん、先輩がこれじゃあね。課長としても面目が立たないか。いや、まあ、だから営業が兼務は無理ですよって話になればいいのに。
・・・あ、それじゃ、黒井と一緒に出来なくなっちゃうか。
それはまずい。非常にまずい。
「ねえ」
「・・・っ!」
突然肩を叩かれ、息を吸い込む変な声を出して振り向くと、黒井だった。
「ね、俺、何かしたっぽいの?」
「・・・あ、ああ、お前じゃない。違うよ。俺が間違っただけ」
「ふうん?それで、だいじょぶだったの?」
「い、いや、まだ連絡が来なくて、分からない」
「そう。それで、なんかまずいの?」
黒井まで<まずい>と言い出すので、ちょっと笑えた。
「うん、まあ、俺の立場が、非常にまずいんだ」
笑いながら言うと、黒井は冗談に取ったらしく、「それは大変だね。で、どのくらい?」と。
「はは、まあ、クビが飛ぶほどじゃないよ」
「へえ、そっか。・・・まあ、クビが飛んだらうちに来なよ。俺が養ってあげる」
「・・・は、ははは、そいつは嬉しいな、じゃあ安心だ、・・・って、だからそこまでいかないって!」
最後まで言い終わらないうちに、黒井は手をひらひらさせて席に戻っていった。当然のことながら、横田や周りの人には単なる冗談にしか聞こえなかっただろうけど、僕だけは本気にしてしまいそうだった。
・・・ああ、これでもう、クビになってもいいや。
・・・・・・・・・・・・・・・
結局夜になっても電話は来なくて、対応は週明けに回された。例の、文書で回答がどうとかというのは、大橋が、新橋のそれがあったと仮定して既に作っているとのこと。
課長は、まあどういう裏事情があるのかは分からないが、「起きたもんはしょうがない」「あっちに任せたらいい」と、大橋との対比で見れば、いくらかあっけらかんとしていた。しかしそこに甘えるわけにもいかず、僕は課長に頭を下げ、帰り際に奥の島の大橋にも謝りに行った。
「あの、すみません、ご迷惑をおかけしてしまい・・・」
すると、一人残っていた大橋はわざわざ立ち上がって、「いえいえ、誰がどうとかいうことじゃなくて、今後の対策を考えるだけですから」と。何だか殊勝な態度で、ちょっと、さっきまでぼろくそに言っていたのを反省した。
「いえ、本当に、マニュアル作りにも携わっていながら、申し訳なかったです」
「いやいや、こちらも手探りでしたからね。逆に、こういう言い方はあれですけど、この程度で済んで、と言いますか。まかり間違えばもっとひどいことになった可能性もあるわけで、いろいろ、見直すいいきっかけにもなりました」
そう言っていただけると・・・、と適当に濁し、とにかく頭を下げて島を辞した。まあ、今日僕に出来ることは他にないし、ちょっと消化不良だけど、帰るしかない。
自席で帰り支度をしていると、課長は中山と話し中。「俺、知らないからね。いないうちに解決しといてよ」「はいはい、次から次に、別の問題こさえて待っときますよ」「うわ、嫌だね、まったく」・・・。
その隙に西沢が椅子を寄せてきて、小声で、「山根君、何で課長怒らへんか分かる?」と。いや、気になるけど、何かそう言われると腹が立つな。
「・・・なんですか」
「あんね、来週か再来週、あれよ、社内の内部監査があるらしいんよ。そいやから、何でもおおごとにはしたくないわけ。分かる?支社長もほら、今日はおらんから、来週自分から話す、ゆうて道重さん、握り潰す気や」
「・・・そんな」
「いやいや、まあそこまでは言わんけど、月曜、大方の解決を見てからこそっと報告だけするつもりやろ。まあ、俺から見てもありゃ、わあわあ騒ぎすぎや。そんな、大したことあらへん」
そう言ってでかい手のひらを目の前でぶんぶん振ってみせる。・・・何だよ、頼んでもいないのに慰めてくれたってわけ?別に、あんたなんかに頼る気はないよ。そういうの、もし今度も当てにして、寄りかかった時「いや、知らん」なんて言われて馬鹿を見るのはごめんだからね。
「そうですか、どうも」
「そいじゃ、お先。よい週末を!」
「・・・お疲れさまです」
西沢が大股で歩き去ると、しかし、ちょっとだけ心が軽くなっている自分がいた。悔しいけど、クロの言葉よりそれは実際的に響いて、会社の中でちまちまと動いている僕には慰めになったのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
土曜日。
もしクロだったら、こんなの、気にもかけないんだろうな。・・・結局、いまだに気にしている僕だ。器がちっちゃいし、メンタルが弱い。まったく情けない。時折西沢の「大したことあらへん」に慰められ、何とかその都度立ち直った。
頭のおめでたい夏真っ盛りも半減してしまっていて、妄想にしても、「山根さん、会社の方は大丈夫?まあ、何となれば彰彦のとこにいらっしゃいね」なんて、お母様にも心配される始末。しかしまあ、半減したとはいえこれが未来の希望になって立っていられるわけで、っていうか逆に、これのおかげで会社のあれが半減したともいえるのか。もしクロとの関係がぎくしゃくしている時とかだったら、たぶんもっとヘコんでいただろう。
・・・少し、大丈夫になってきた。
調子に乗って、データくらいばらまいてやれ、なんて軽口を叩こうとしたら、ニュースで例の事件が取り上げられていて、あらいやだ、と引っ込めた。うん、あまりいろいろ考えるのはやめて、本来のやるべきことに集中しよう。
僕なりのコペンハーゲンを進めておくべきか、あるいはあくまで黒井と一緒にやるべきか、少し悩んだ。自分一人なら今頃ああしてこうして、なんてつい思うこともあるけど、黒井を待つのは苦痛じゃない。
実家に招待された今となれば、なおさらに。
それだけ、信頼してくれてるって、ことだよね。
胸を熱くしてうどんを茹で、卵とあぶらげを乗せて食べた。家事をひととおり済ませて、夕方、思い切って黒井に電話をした。
・・・・・・・・・・・・・
「あの、もしもし、起きてた?」
「起きてたよ。何だよ、人をいつも寝てるみたいに」
「・・・だって寝てるじゃん」
「まあね」
「それで、さ。どう?夢日記」
「うん、まあ、何となくは。でも目覚まし鳴ると忘れちゃってさ。平日は難しいなあ」
「じゃあ、今日とかは?」
「あ、今日は忘れた」
「そ、そう」
「いや、夢を忘れたんじゃなくて、日記をつけるのを忘れた」
「・・・まあ、どっちでも同じだ」
「俺やっぱ、紙に書くのが苦手でさ。頭で考えて終わっちゃうんだよね。一応起きてすぐ思い返すんだけど、その後それを忘れちゃうんだ」
「苦手っていうのは、その、言葉に変換するのが、ってこと?」
「・・・うん、言葉にするのが、・・・っていうより、何だろう、写真みたいな」
「・・・うん?」
「俺さ、旅行とか、イベントとか、何でも、楽しんでる最中に写真撮られるのって嫌いなんだよね。そんなん、残さなくてもいいじゃんって。今楽しめばいいのに、別に、終わってからの思い出のために今を生きてるわけじゃない、ってさ。まあ、写真を撮ること自体が楽しい時はそれでいいんだけど、わざわざお約束みたいに撮られるのって、なんか」
黒井はしばらく「うーん」とか言って黙り、僕もそれを反芻して考えた。
僕の、斜に構えた、はいはい写真タイムね、ってしらけた感じとは、少し違うんだろう。
流れている現実を、切り取りたくないのかな。
見えている世界を、画素に置き換えたくないのかな。
「うん、何か、固定すると、したとたん、古くなる、っていうか、色褪せる・・・」
「・・・何となく、分かる気はするよ」
「うん」
言葉に変換すること自体が嫌、苦手、というのもあるけど、その、変換したものが一つの形を持ってそこに置かれたとたん、他の、何となくまとっていた、ぼやけた意味は消えて、一つに収束する・・・。
「ああ、確率の収束」
「・・・え?」
「ぼやけていた電子の雲は、一点に収束するんだ。観測、それが位置を決めてしまうんだ。お前が見ているのは電子の雲であって、それを観測して収束した点を見ても何か違うって感じるし、元々それが内包していた広がりや可能性を切り捨てたように感じるんだよ。言葉にするのは、お前にとって、ロジカルだから嫌だっていうんじゃなく、観測って行為に等しかったんだ・・・」
「・・・」
「・・・あ、ごめん。違う?」
「う、ううん」
「少しは、そんな感じ?」
「・・・な、何だよ。ねこ、お前」
「え?」
「何これ、こんなの・・・もう、切っていい?」
「えっ、ご、ごめん。気を悪くしたなら、謝る・・・」
「まったく、な、なんだよ。もう、いいってば」
「え、な、なに?」
「・・・」
「どうしたの?クロ、ごめん、俺何か・・・」
「・・・しゅうそく、させない、から」
「え?」
「今感じたこと、そのまま、観測、しないよ。それで、いい・・・?」
「・・・え、う、うん」
「そんだけ。はい、もうそんだけ!で、明日、どうする!?」
「えっ?」
「プロット会議!夜までにメールして。じゃあね!」
「う、うん・・・」
ツー、ツー、ツー・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・
どこへ行こうかと、考えていた。
蜜の雫、とか。
マンガ喫茶とか。
本番の時のファミレスとか。
最近立て続けに行ったから、何だか意識してしまっていた。
会ってまだ一年も経たないうちから<俺たち>の<思い出巡り>だなんて、お前に出会う前の僕なら鼻で笑っていただろう。
でも、自分がそういう盲目的な立場になってしまえば、自己満足で自己陶酔でも、そういうことで胸が熱くなってしまう。
・・・別に、いいじゃないか。
誰に迷惑かけるわけでなし、ペアルックで見つめ合うわけでもなく、ただ僕が一人で思ってるだけなんだしさ。
朝から会って夢分析をするなら、ユングの書斎よろしく、ゆったりしたソファのあるホテルのラウンジとかどうかと思ったけど、ハイアットはあの<おねえさん>に取られてしまってるわけで、でも他に知ってるのはよく懇親会で使ってる京プラ(京王プラザホテル)だけど、でもそれじゃあイマイチだった。
それで、俺とお前の思い出をたどってたら、・・・新宿サザンテラスかな、なんて。
何か思いついたら紀伊國屋ですぐ資料を買いに行くことも出来るし、何より、あのデッキの感じがちょっといい。甥っ子のクリスマスプレゼントを買いに行ったあの夜のあの寒さを、少し思い出した。
タカシマヤから、線路を挟んだ向かいのスタバに開店時間から待ち合わせにして、メールを送った。どうせ日曜は混むし、でも夢の内容なんてプライベートなことを聞くんだから、なるべく空いてるうちがいい。とにかく目覚ましだけ何度も確認して、早めに寝た。
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