第225話:非几帳面な僕の納品ミス
・・・お母さんもお前のこと気に入るよ。
そう、言った。
黒井は、父親のことは親父と呼ぶくせに、母親のことをお袋とは言わないんだなあ、なんて思った。それから、少しだけその呼び方がどこかよそよそしいというか、なぜか他人行儀な感じがした。
その響きは、<お義母さん>、に、近くて。
そして、「うわあ!」だった。
お、お、お前の、お母さんに会ってしまうのか。え、お盆に?一緒に帰省して?そんなのまるで、将来の<お義母さん>に紹介されて、「あらあら、遠いところよく来てくれたわね」みたいな、「彰彦、かわいらしいお嬢さんじゃない」とか、それで親戚が集まったところでお酌なんかして、「おいおい、彰彦にはもったいない嫁さんじゃないか!」「よかったわね、いい人が見つかって。あっくんも三十だっけ。式はいつ?」だとか・・・。
・・・は、はあ?
自分の頬をぱちんとはたいた。
何を考えてるんだ?
お義父さんは、いや、親父さんはいないわけだけど、お母さんと、お姉さん夫婦と、その他親戚がいて、法事なんかするわけだよね?和室、扇風機、うちわ、蝉の声と甥っ子のはしゃぎ声、原付でやってくる坊さん、長机に座布団で、麦茶と仕出し弁当。坊さんの説教を聞いて、夜は身内だけで故人を偲び、ビールに始まり日本酒、焼酎、島根ならどんな酒だろう?
・・・って、中に。
親族でも、親父さんにもかわいがってもらった幼馴染とかでもない、東京の会社の同僚ってだけの僕が、混じるわけか??
・・・俺、紹介したい女性(ひと)が、ってやつでも、ないのに??
いや、むしろ、そういう紹介してくれても、いいんだけど・・・。
いやいやいや、そういうことじゃない。
ま、待て待て、何かがおかしい。どうしてこんな話になったんだ?
・・・お盆に、お前のお母さんの家に、二人で行く?
たまたま近くに寄ったから挨拶する、とかじゃなく、五日間も、そこに泊まる?
って、いうか。
黒井と旅行する!?
ひ、飛行機に一緒に乗る??
お盆に、羽田空港へ、ボストンバッグだのキャリーバッグだの持って、早朝から?
飛行機に乗って、降りて、お母さんに挨拶して、泊めてもらって、黒井家の食卓に、僕も?
お母さんの手料理を食べたり、風呂に入って「いいお湯でした」とか、食後はみんなでスイカを食べたりして、そして・・・。
「疲れたでしょう、もう休んだら?」
「はい、それじゃ、お先にお休みなさい」
「部屋が狭くて、ごめんなさいね?」
「いえいえ、そんな。お邪魔させてもらって、布団も用意していただいて・・・」
「彰彦、寝相悪いから気をつけてね」
「ちょっとお母さん、やだなあそんなことないよ」
「え、ええ、寝相はひどくないですよ」
「あら山根さん知ってるの?」
「えっ、はい、実は、寝言とか、他にもいろいろ・・・知ってるん、です」
・・・舌の感触とか、アレの舐め心地とか、精液の味、なんかも。
・・・。
すみません、もう手をつけちゃってるんです。っていうか、座薬なんか挿れられたりして、手をつけられちゃったりもしてるんです。なので、えーと・・・。
・・・息子さんを僕に下さい!!
ぱちん。
もう一度反対側を叩いた、っていうか俺に叩かれた。馬鹿か。
大事な息子を、しかもこんなイケメンを、よりにもよってどうしてお前なんかにくれてやらにゃあかんのだ。
・・・だよね。
どうしても横になって寝る気がしなくて、歯を磨きながら様々な妄想にふけっていたら一時間以上経っていた。友達のうちに泊まるどころか遊びに行ったことさえほとんどない僕が、この歳になって、好きになった男の実家へお盆に飛行機で五日間も嗚呼以下略。
・・・・・・・・・・・・・・
木曜日。
朝から電車の中で、挙動不審だった。
はっ、て、手土産をどうする!とか、服がない、靴がない、鞄がない!とか、思いつくたびにはっと顔を上げ、やがて下がっていって、またこまごましたことを思いついたりした。
そして。
・・・っ、ま、まさかあいつ、家族にカミングアウトしようとしてるんじゃ!!
びくんと痙攣し、目が泳ぐ。周りの女性がもぞもぞと僕から離れる。いや、今ちょうど、僕はそういう対象じゃないって話をしてるから、逃げる必要ないからさ。
・・・っていやいや、告白されてもいないのに、カミングアウトもくそもないか。
で、でも、たぶん親戚連中からの「そろそろ結婚は?」攻撃が始まっているだろう。そんな中で、東京から一緒に来る連れが僕っていうのは、どうなんだ?
っていうか、いったい、何て言って僕を連れて行くことになってるんだ??
今年は友達連れて帰るよって?でも、それならふつうチケット取る前に僕に言わないか?昨日もし僕がお盆は自分の実家に帰省するって言ってたら、そのチケットはどうなっていた?黒井は否定してたけど、やっぱり、何かの都合で余っただけなんだ。東京にいる別の親戚と一緒に帰るつもりだったのが、行けなくなったとか。
・・・あるいはまさか、本当に、連れて帰るような彼女がいたのに、破局した?
まあ、そうだとしたって、そうじゃないとしたって、今僕が誘ってもらえてるんだから、いいんだけど・・・。
っていうか、カミングアウトの件、本当に絶対ないって言い切れるかな。
だって、結婚願望なんか、ないみたいだし。
あいつのことだから、「結婚は?」って訊かれて、「うん、まあ、そのうちね」なんてぼかしたりせず、「俺、そんなつまんないことしないよ」「ええ?でもずっと独り身は寂しいわよ?」
「平気平気。だってさ、俺にはこいつがいるもん」・・・とか何とか言って肩を抱かれたりして、親戚一同苦笑いで空気が凍りつき、僕が「いや、あの、いつか一緒に事業を起こそうと思っててですね、もしかしたら二人で外国に移り住むかもしれませんし、まあ、そんなこんなでひとつよろしく・・・」とか意味不明に取り繕ったりして、へへ、えへへ・・・なんて乾いた笑いと風鈴の音が・・・。
「・・・さん、あの、山根さん?」
「へへ・・・。・・・っ、あ、な、なに?」
「あの、この納品の件って知ってます?」
「のう、のうひん・・・」
だめだ、結納品としか思えない。っていうか、いつの間に会社にいるんだっけ。席に座って、俺は何をしてたんだっけ。
「あ、佐山さん、変な電話は山根に投げて、そろそろ上がってね。台風来てるっていうし、明日の朝も、無理しないで」
「は、はい。ありがとうございます。それじゃあ・・・」
・・・上がる?
台風?
会社、もう終わるの?17時なの?
頭の中は、ピンク色の春ではなく真夏の暑さにやられていて、うるさいまでの蝉の声と風鈴が、今でも響いていた。
・・・・・・・・・・・・
金曜日。
テレビの中で猛威を振るっていた台風は関東を直撃というほどもなく、朝は雨も止んでいた。
頭の中は、今日も夏だった。
ついに、お母様に紹介されるまでになったか。
あいつはいったい何て言って紹介するつもりだろう。
会社の同僚?友達?それとも「こいつは俺の、特別だから」なんて笑う?
自分の馬鹿さ加減にも慣れて、徐々にエスカレートしていくのを、止める人はもう誰もいない。
あいつのあれを飲んだときもついにここまで来たかと思ったけど、今度こそ、公的に、来ちゃうわけだよね。お母様も公認の仲になっちゃうわけだよね。ああ、どうしよう、そうだ、食事の後は「洗い物やっときますよ」なんてポイントを稼ごうか。皿を洗うだけなら誰でも出来るけど、その後のシンク周りがびしょびしょだったりするとむしろ腹が立つものだ。置いてある布巾とかも使いっぱなしじゃなく洗ってきつく絞っておくべきだし、台所は相手のテリトリーなんだから細心の注意を払わなきゃ。
それで「あら、よく気のつく男の子ね。もういっそのこと彰彦のとこへお嫁さんに来てくれない?」なんて言われたらもう結納だ。そう、早速結納で・・・って、うん、でも正直結納ってのが具体的に何をするものなのか、よく知らないんだけどね。両家で何かの品物を交換でもするのか?お互いの家に、何かを贈り合う・・・?
「・・・というわけで、どうやら、納品がこう、それぞれ反対っこになって、届いちゃってるみたいで」
佐山さんが目の前で手をクロスさせ、島津さんが「入れ子になっちゃってますね」と補足した。入れ子?結納で入れ子って、別にいいんじゃない?うん、っていうか子どもは出来ないんだけど・・・。
「納品リストはここにチェックが入ってはいるんですけど、たぶん支店の名前を<新宿>と<新橋>で、見間違えたのかと」
ようやく僕は結納から納品に戻ってきて、何度か瞬きしてからリストを見た。
「・・・ああ、なるほどね。でもこの時点で間違ったとしても、最後に封筒のヘッダーで出なかったっけ?」
「ええ、出ては、いますね」
「ヘッダーは正しい?」
「はい」
「・・・これ、いつ届いたやつだっけ?」
「今週の月曜です。ジュラルミンの」
「・・・ああ、確か、・・・うん、思い出した、確か二つ来たんだよね。何で別々に来たんだろうって・・・」
「それで取り違えちゃったんですかね」
たぶん、そういうことだろうなあ。あの日はあいつと一つずつジュラルミンを持ってきて、だからきっとあいつが見間違えて・・・。
「納品書のコピー見せてくれる?」
「はい・・・」
手渡された紙の右上には、<山根>のシヤチハタ。
・・・。
・・・俺?
女性二人に見下ろされながら、膝の上で何度か紙をめくる。
・・・俺か。
口に出そうとしていた、「封をする前にもう一度見なかったのかな?」の言葉は、回れ右して自分に魚雷よろしく向かってきた。
・・・、うん。
昨日と今日ならともかく、月曜日、でしょ。
頭はまだまともだったはずなんだけどな。
「分かった、ちょっと、見てみるから」
「はい」
「すみません」
佐山さんと島津さんを自席に帰し、久方ぶりに使う頭で、経緯を確認した。
・・・。
封筒の中身の一部が、それぞれ別の支店に、新宿のが新橋へ、新橋のが新宿へ、行っちゃったってことだろう。だったら、同じ会社なんだし、新宿と新橋で、社内便で交換してくれたらいいじゃん。昨日新宿支店から電話が入り、よく分からないデータが一件混ざっていた、と。ああ、データ自体にそれぞれかがみが貼ってあるわけじゃないから、それが新橋の分だってことは分からなかったのか。で、それなら新橋からも「これ何ですか?」って問い合わせが来てもおかしくないけど、まだ開けてないのかな。
新橋に電話してみたけど、担当者不在で不明とのこと。
まあ、新橋の分はちゃんと新宿に届いてたわけだし、新宿に届けるはずだったものも、ちゃんと新橋に届いてるだろう。どこか全然違うところにやっちゃったり、なくしちゃったならともかく、ちゃんとありさえすれば、それだけのこと・・・。
・・・・・・・・・・・・・・
特に気にもかけず、新橋からの連絡を待っていることすら忘れて、夕方。
帰社すると、課長席に例のビジネスオペ某の大橋と林さんが集っていて、さて何だろうねなんて見ていたら、呼ばれた。
「山根君。あのね、これだけどね」
机に置かれているのは、例の僕のハンコつきの納品書コピーと、ヘッダー一式。
「・・・ああ、入れ子になっちゃったやつ」
「これはちょっと、非常にまずいですね」
大橋が言った。え、何?何が非常にまずいの?
「あの、新橋から連絡来ました?まさか、モノがなかったんですか?」
課長が、「いや、さっき俺が電話したけど、まだ連絡来ないね」と。え、何、データがなくなっちゃった騒ぎってわけじゃないの?わざわざ課長からもう一度電話した?
「・・・え、えっと、その、まずいっていうのはどういう・・・?」
すると、林さんがちょっと言いにくそうに、ホチキスどめの冊子の、あらかじめ開いてあった部分を僕に見せた。・・・ああ、マニュアルね。僕も手伝ったやつね。・・・はあ、納品の手順のページ?はいはい、それが?
「一応、最後にここでチェックすることになってるから、こういうことは起こらないように、なってたはずなんだけどね・・・」
それでも漏れちゃったのかなー、と仕方なさそうに首をひねる。
「お前さん、当然、マニュアルのこの部分は知ってた?」
「・・・いや、まあ、知ってるっていうか、やってますし、まあ・・・」
「今回のは何か、イレギュラーなわけ?」
「えっと、そう、ですね。今回ジュラルミンが二つに分かれて来たんですよ、いつも一つなのに。で、中身見たら、二つだけ追加っぽい感じで、分けて届いたんですよね。でも同じ会社の分だし、だからそれを一緒にしようとして、こう、反対になっちゃったんですよね・・・」
僕も佐山さんと同じジェスチャーで<たまたま>感をアピールしてみるけど、え、なに、こんな審問会が開かれるほどのことなの?
すると、僕の怪訝な顔を察してか、ようやく課長が説明してくれた。
「いや、まあ、たぶんこの新橋?こっちにデータは届いてると思うんだよ、十中八九ね」
「・・・はい」
「そっちは担当者がいないからちょっと今わかんないけど、この、こっち、新宿ね」
「はい」
「何か、こういうことが起こったいきさつを、文書で、回答してほしいって言われちゃって」
「・・・またですか」
この間の情報漏えい疑惑で、もう文書で提出はこりごりだ。いや、僕が対処したわけでもないけど。
「今んとこほら、新橋の連絡待ちだし、もしこれでデータがなかったらまた違う話になるし、それで待機中ではあるんだけど・・・」
課長が腕時計を見て、僕や大橋もそれにつられる。もうすぐ17時になり、会社の電話はかからなくなる・・・。しかしそれに答えるように、課長は「一応相手方には、俺の携帯の方も教えてあるから」と。
「そ、そうですか。っていうか、新橋と新宿で、直接やり取りしてないんですか?」
「まずはうちが確認を取ってからです」と大橋。「こちらの手違いを、向こうで解決させるというわけにも・・・」
「ま、状況からしてたぶん、届いてるはずだけどね。そこ以外に行くとも思えないし」
「はい、そうだと、思うんですけど」
一応神妙な面持ちでうなずいて見せるけど、データが見つかればそれで安心、という雰囲気を是正すべく、大橋がまた「非常にまずい」を繰り返した。
「今回はですね、まあ若干イレギュラー対応であったとはいえ、一応我々が作ったマニュアルの不行き届きという面もあるわけで、まあ私もデータはたぶん届いているとは思いますけど、こういうことが起こったという時点で非常に、これはまずいですね」
・・・マニュアルの不行き届き?
はっきり、山根さんのケアレスミスですねって言えば?
マニュアルは俺だって目を通してるし、宛先の支店名まで最後に確認するってところは分かってるよ。ただ、実を言えば、その手前の部分の帳票を<効率化>の下に大幅に省略していて、それがまずかったって話・・・。
・・・でも、ないか。
たとえ省略せず律儀に紙を何枚も印刷して従来どおりやっていたとしても、最後のリスト確認を怠れば同じことだ。別に効率化がアダとなったわけじゃない。
・・・なら、まあ、単純に自分のミスだ。
でも、確かに、最初に入れ間違えても最後で気づくような手順でなければそれは工程として欠陥があると言わざるを得ないし、僕がどちらもスルーしたせいでこんなことになったってわけで。
うん、別に僕は、神経質かもしれないけど、こういうとこ、几帳面ではないんだよね。
件数さえ合ってれば中身は見ないこともしょっちゅうだし、基本的に、会社の業務を真面目にやりたいんじゃなく、自分の好きに並び替えたいだけだ。
ゲームのRPGとかも、パーティメンバーの装備と魔法の属性なんかはこだわり抜いて、納得が行くまで絶対にダンジョンに入らないくせに、これでいいとなれば瀕死になろうが死のうが、当たって砕けてこい!って感じで送り出しちゃうんだよね。完璧な状態さえ作れたらあとはどうにでもなれ、・・・というよりたぶん、メニュー画面を開いて装備をしてるときは時間が流れないから、安心して心行くまで完璧を目指すわけだな。それで、ダンジョンに入って戦闘が始まったら時間が流れてるわけで、その辺は苦手だし、不得手な部分はすっぱり諦めて、うまくやろうとすら思わないわけだ。だからキャビネの中の書類は完璧に並べておきたいけど、流動的に、あっちから来てこっちに送っちゃうデータとかは、わりとどうでもよかったりする・・・。
林さんが「ここで先にこれをやっていれば」みたいな細かい理屈を延々述べ、課長と大橋は、そういう枝葉の問題じゃないって顔で適当にうなずいている。そうこうしてるうちに17時半になり、まだ電話は来ない。さっき担当者はいないって言ってたし、今日はもう帰らないんじゃないか?もういいじゃんどうだって。週末だしさっさと解散して帰ろうよ。
そしてまた、まずいまずい病の大橋が言う。最初は無難ないい人のイメージだったのに、すっかり地に堕ちたね。
「あの、例の件がありましたからね。お戻りになったら支社長にも経緯は報告しておきます」
何だ、例の件って?・・・まさかこないだの情報漏えい疑惑?それで今回のが支社長までいくわけ?
「それに、今は時期が悪かった。先方もそれでぴりぴりしてますから」
「ああ、あれね」
僕が僅かに首をかしげたのを見て、林さんが説明してくれる。
「ほら、通信教育大手の、個人データ流出の件。ここも通信教育系扱ってるから、過敏になっちゃってるわね」
そんなのニュースでやってたっけ。テレビは天気しか見てないし、昨日からネットも見ていなかった。
課長のPCでそのデータ流出のニュースをざっと見せてもらいながら、結局18時まで待ったけど電話は来ず、いったん解散となった。
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