第222話:第一回プロット会議

「・・・もしもし、もしもし。あれ、寝坊?寝坊?遅刻?」

「はは、早く起きてよ。会議に間に合わない」

「え、間に合わない?まずい?ごめん、今、今すぐ行く」

「場所、分かる?」

「・・・え、わかんない。どこ行くの?俺どこ行くの?」

「ほら、本番やったときのファミレス。すぐ来れるでしょ?」

「あ、ああ、分かった、すぐ行く。遅れてごめん、寝ちゃってたんだ」

 ジーパンに足をつっこんで、適当なチェックのシャツをひったくって飛び出した。え、何でこんな寝ちゃってたんだ?っていうか今何時?

 ・・・6:32?

 っていうか、約束の時間は何時だった?・・・いや、何も決めてないよ。どこで何時から何するかなんて、まだ決めてな・・・、あ、そっか、決めないんだったね。したい時がしたい時なんだね。僕が寝坊したんじゃなくて、お前が気ままに早く来ただけだ。黒犬教に入ってしばらく経つのに、僕も覚えが悪いなまったく。


 ファミレスに着くとクロはまだ来ていなくて、もう席についてるのかと外からのぞくけどそんなイケメンはいなかった。携帯を見ながらしばらくきょろきょろしていると、何か外国のリゾート地みたいな、ハーフパンツに革のサンダル、上は薄手のひらひらシャツを重ね着したみたいな・・・っていうか、何でサングラスなんだ?

「・・・おはよう」

「よう」

 会議だからさ、と言って黒井はサングラスを外して頭に乗せ、「ふふん」って顔をしてみせた。

「いや、どう見ても会議だからさって格好じゃないよ」

「え、だから、会議に出るスナフキン」

「・・・出ないでしょ」

「出たらシュールじゃん」

 まあね、とどうでもいい同意をし、ファミレスに入った。中はガラガラで、今回は禁煙席。ここでタバコを吸ったりしてたのは、もう半年前だ。


 黒井がモーニングセットを頼み、僕はドリンクバー。

「・・・な、なに」

「え?何が?」

「どうせ起きたまんま飛び出してきたよ。寝癖でもついてる?」

 照れ隠しに頭を掻くけど、黒井は僕の顔や頭なんかどうでもよさそうに、「だって会議楽しみじゃん!」と笑った。はあ、どうして早朝からこの男の目の前に引きずり出されて、何かの期待をかけられなきゃいけないんだ?しくしく胃が痛くて、どう考えても割高なドリンクバーの単品なんか頼む羽目になるじゃないか。

「で?で?何すんの?プレゼンまだ?」

「・・・べ、別に何も決めてないよ。そんな大層なこと考えてない」

「いいじゃんそんなの、何だって。どうせ俺たちだけなんだから、好きなだけ、好きなように・・・あ、どうも」

 黒井のオムレツが届き、僕は黒井の分もコーヒーを汲みに行った。戻ると珍しく黒犬は<お預け>のまま待っていて、「一緒に食おうよ」と言った。

「いや、俺は」

「何か食べてきた?」

「・・・お前の電話から何分で駆けつけたと思ってるんだ」

「食欲ない?」

「・・・ん、まあ」

「ひとくち食えば」

「・・・う、うん」

 フォークを渡され、プレートのトマトとウインナーをかじった。黒井はポタージュを飲みながら、「俺も気が使えるようになった」と、一人で満足げにうなずいていた。聞いたこっちが何だか恥ずかしくなって、礼を言うべきか、「good!」と頭を撫でて褒めてやるべきか、あるいは「俺にそんなの要らないよ」なんて言うか迷って、結局「・・・うん」と曖昧に濁した。・・・どう言ってやるべきなんだよ!



・・・・・・・・・・・



 黒井は、ナプキンと、店員さんからペンを借りればいいと言ったけど、僕はいったん店を出てコンビニまで行き、キャンパスノートと三色ボールペンを二本買って戻った。

「おお、何か楽しそう!」

「まだ何もしてない。ノートを買ってきただけだ」

「いいんだよ、やる前が一番楽しい。ほら、たとえば映画の予告編とかだって」

「・・・まあ、ね」

 僕はノートの最初の見開きに<プロットとは>と書き、黒井にも見えるようそれを横に向けた。黒井は待ちきれない様子で「うんうん、早く教えて!」と。

 ・・・。

 ・・・ええ、っと。

 ・・・いや、プロットはプロットだよ。何ていうか、プロットのことだよ。

「・・・厳密な定義はちょっと分からない、が」

「うん?」

「それはつまり、ええと、・・・ストーリーの章立てのことだ」

「しょうだて?」

 僕はノートの見出しの下に、<第一幕 第二幕 第三幕>と縦に書き込んだ。

「・・・いや、まあ、章と言っといて幕なんだけど、そういうあれじゃなくて」

「うん?第三幕までしかないの?」

「ああ」

「短い劇のこと?」

「いや、いや、そういう意味じゃない」

 黒井は首を傾げる。ううん、導入が下手なのは営業と同じか。

「えっと、物語の長さに関わらず、物語というものは遍く三幕構成だって意味」

「実際の幕とは関係ない?」

「そう、そう。ああ、つまり起承転結のことだよ。それが四じゃなくて三だけど」

「三じゃなくて四、なら量子なのに」

「・・・まあ、それは残念だ。あ、あと俺は実際の演劇のことはよく知らないし、脚本と台本の違いもわかんない素人で、その冊子に何が書かれてるのかも知らない。俺が分かるのは、ただ物語という装置の概念だけだ。細かいことはわかんないけど、ただ、シーンが移り変わっていくっていう、大まかなあらすじの、普遍的な方向性・・・えっと、分かりにくい?」

「・・・う、ん」

 問題なのはいつも、総論と各論をどういう順番で提示するかだ。総論を常に参照しながら各論を一つずつ進めていくのがいいんだとは思うが、はじめに総論をさらっておいたほうが理解が早いようにも思う。いや、逆に、意味不明の各論を暗記してから総論の意味を深めていくと、般若心経を自分で唱えながら意味をたどるみたいに、身体で分かる感覚がある。どれが正解というのはないのかもしれないが、今、この場合はどうするべきか・・・。

 そうだ、あのプロットの本を思い出そう。あれにはなんて書いてあった?

 そう、あの中のプロット会議では、常に有名な映画のシーンを参照して、その数を重ねることでシーンの感覚を呼び起こしていた。総論を参照しながら、というより、各論を参照しながら総論を進めるわけか。

 しかし、映画の脚本家を目指す生徒たちには、有名なあの映画のあのシーンです、ですぐに通じるかもしれないが、僕と黒井にどれだけの作品の共通認識があるのだろう?黒井は<バック・トゥ・ザ・フューチャー>を擦り切れるまで観た?<インディ・ジョーンズ>は?<ネバー・エンディング・ストーリー>は?

 ・・・ああ、そうだ、<アバター>があった。あれなら分析済みだし、すぐに参照できる・・・。

「ねえってば」

「・・・え?」

 我に帰ると、黒井に怪訝な顔でのぞきこまれていた。

「それ、喋ってよ」

「は?」

「何か考えてるんでしょ?どうせ小難しいこと?」

「あ、ああ」

「まあ聞いてもわかんないけど、見てるのも面白いけど、俺、暇だよ」

「あ・・・ご、ごめん」

 いつの間にかノートには下手くそな、っていうか壁画みたいな犬と猫の落書き。猫の耳の三角の上に何か付いていて、ああ、黒犬と山猫なのか。

 ちょっと、照れた。

「分かった、ちゃんと説明する。大丈夫だ、具体例を挙げるから、分かるはずだ」

「うん」

「えっと、その前に。あの、悪いんだけど実は、俺は演劇とか舞台ってのに詳しくないどころかほとんど観たことがなくて、映画とドラマと小説の話しか出来ない。基本的には演劇も同じだとは思うけど、具体的な制作の現場においてはもしかしたら視点が全然違うのかもしれない。その辺りは・・・」

「・・・うん」

「分かってるよ、前置きが長くて済まない。じゃあ始める」

 黒井はにかっと歯を見せて笑い、「いいなあ」と言った。一瞬また寂しげにうつむき、しかしすぐに「よし、やろうよ!」と。


 それを見て僕は、反射的に、そして確信的に、「絶対連れて行く」と思った。お前を第一幕に乗せられれば、第三幕で救われる。

 何としても、そこまで導く。だって、俺はそのために生きてるんだ。



・・・・・・・・・・・



 妙な使命感で熱弁を奮い、ノートに書いたグラフは黒や赤で何重にもぐりぐりと濃くなっていった。

 黒井は、物語というのが三幕構成であり、プロット転換ポイントによって動いていく、という概念については「分かると思う」と同意した。一つ一つの理屈に納得するのではなく、全体としてぼやかして見て、モザイク画を判別するみたいに。

 しかし、どうも、役者視点というものなのか、転換ポイントによって「動かす」という恣意的、あるいは他律的な感じに違和感を覚えているらしい。それは主人公本人の心情によって自然にそのように「動いていく」ものであって、制作サイドがグラフを見ながら「ここはこれでいこう」と決めるものではないのではないか、と。

「いや、もちろん売れるために強引にそんなことしても不自然になるし、あくまで主人公やその物語自体の流れに沿ってないと、それは違和感のある結果になると思う」

 僕は<アバター>で自分が感じた違和感について話した。

 たとえば、ネイティリは神秘的なヒロインとして登場し、精神や絆を最も大切にしている。しかし主人公がスパイだと分かったとたん態度を一変させ、契りを交わし、同族となる儀式をした後だというのに、仲間じゃないと言い張る。それは一族のために泣く泣くそうした、とは思えないし、しかも、主人公があの大きな竜に乗り英雄として帰ったときにはさっさと近寄ってきた。これは、主人公にダメージを与える<役>、成長のご褒美という<役>としての機能、つまり転換ポイントとしての役割が、元々のキャラクター設定に合わないから感じる違和感であって、他の見せ方も出来たんじゃないかと僕は思う・・・。

 しかしそれに対する黒井の一言は実に辛辣かつ現実的だった。

「・・・でもああいう女いるよ?」

 あっそう!どうせヒロインに夢見すぎな非リア充だよ!


 そして、黒井はあくまで、物語の方向性を決めるのは図面もなく鍬を振るう人間たちであって、セスナから地上絵を見る製作者ではないと言い張った。台本があってもアドリブが通用し、リアルタイムで流れていく舞台だからこそ、脚本よりその場の空気、なのだろうか。全体の流れを見直してチェックを入れるという行為自体が、本来ならば出来ないことなのだ、と。

「だってさ、何ていうか、あくまで場面なんだよ。俺が今演じるのはシーン何々であって、その場でそのやり取りの中で何を感じるだろうって、それはその場に立ってる俺が感じることであって、誰かから『こう感じることにしてくれ』って言われるもんじゃないし、っていうか言われても意味ない。・・・はは、懐かしいや。俺、何回こうやって、今それを感じた俺が正しいんだって主張したか」

「いや、まあ、本来はそれが正しいんだと思う。それが自然な流れとして力を持てば、それは力強い共感になって、こう、盛り上がっていくんだ。主導権がどっちかってことじゃなく、まあ、それが役者も制作も観客も、一致してれば問題はない」

「・・・問題、って」

 黒井が「もうやだ」って言い出したらどうしよう、と少しだけ怯えながら、でも、気持ちは殺しても理屈だけは通したいから、少しだけ喧嘩腰になったけどそのまま続けた。別に僕が黒井の感情を押し退けて、グラフ優先のプロットを立てたいわけでもないけど、ただ、恣意的って言葉とはちょっと違う角度で、力のある物語の共通パターンとして浮かび上がるその黄金比を知る喜び、そして、その骨組みをテクニックじゃなく感覚で使いこなして、物語に魂を与えていく喜びがあるってことを、伝えたいだけだった。

 それに対して、黒井が繰り返したのは、ただ人間だ、ということだった。

 結果的にそういうパターンがあったり、共感を得たりはするのは分かるし、そういう物語が好まれ、残っていくだろうけど、それはあくまで結果論であり、まず最初に在るのは一人の人間なのだと。

 つまり、黒井にとっては遍く<物語>というものはノンフィクションの誰かの人生そのものであって、共感出来るか出来ないか、感動するかしないか、面白いかどうか、なんてことは関係ないらしい。誰かの日記を読んで面白いと感じるかどうかなんてその人の勝手であり、もし面白くなくたって日記の書き直しなんて要求するべきではない、いや、そもそもするようなものでもない・・・。

「っていうかね、だから、その日記を読んでるやつのその時の感じだって、視点を移せば、そいつが主人公の舞台のひと幕なんだよ。面白い面白くないの評価なんて何の意味もなくて、俺はあの時あそこでお前と<アバター>を観た人生だった、ってだけで、そこに客観的評価なんて入りようがない。今観たらきっとまた、俺には違う印象になるわけで、何ていうか、流れてるだけ。分かる?船に乗って、島影を見ながら進むだけ。雲がもくもくして、カモメが飛んでって、それは俺の人生で、ただ俺の時間なんだよ。その一部を切り取って、もう過ぎたんだからどうしようもないのに誰かがあーだこーだ言っても意味ないんだって。いや、言われたくないとか文句つけるなとか言ってんじゃなくてさ、本当に、意味がないんだ」

 そして黒井は店員を呼び、チーズケーキを頼んで食べた。ふいに食べたくなったそうだ。

「・・・うまい?」

「うん。冷えててうまい。あ、ひとくちいる?」

「いや・・・ああ、それだ」

 ふいに思いついて、僕は言った。

「え?」

「たぶんこうだよ。俺はチーズケーキを美味しく作るためのレシピの話をしてる。でも、お前は、それを、食べる、だけ・・・」

「・・・うん、うん、俺は、今これを食べてる、こういう人生・・・」

「分かった、また時間の話だ」

「え?」

「俺は時間の流れてる、刻一刻と進んでる人生から、こう、取り出して、いったん時間の流れていない別の部屋に持っていって、検証なり何なり、手を加えようって言ってるんだ。でもお前はそんな部屋は原理的に存在しなくて、誰がどんなことしたって、それは個人の人生に還元されるんだって、客観的ってもの自体がないんじゃないかって、それはあの、量子力学のコペンハーゲン解釈であり、結局<コペンハーゲン>なんだ」

「・・・んん」

「お前は、電車からは降りられないって、その視点以外にないだろって言ってるんだ。・・・特殊相対性理論だよ。運動の速さは常に相対的で、自分は慣性運動で静止しているものとみなして、ただ相手の速さがあるだけで、自分で自分の絶対的な速さは計れないし、決められないし・・・」

「でも、光の速さは誰からも同じ、絶対的な・・・」

「そう、三十万キロ、秒速」

「それが、誰から見ても共感する力を持つ、共通パターン、の、プロット?」

「・・・さあ、そこまでの絶対性はないだろうけど、だって絶対に万人に受ける物語なんてないわけで、でも、ある意味、個人の感性を超えた、ほら、例のユングの集合的無意識、そういう無意識に内在するような、共通パターン・・・」

「でも、・・・でもやっぱりそれは今の俺と、・・・いや、ちょっと待って」

 しばらく、チーズケーキのかけらにフォークを突き刺したまま黒井は固まり、そして、顔を上げた。

「・・・分かった」

「うん」

「客がいるのかどうかだ」

「・・・は?」

「だから、客がそこにいるって構図で<作る>のか、俺たちがただそこに行くのか、だ。シュレディンガーの猫の箱を開けて、見るやつがいるのかどうかだよ。いや、別に、結局は同じなんだ、客がいようがいまいが、やるだけだ。その、絶対の光のプロットも変わらない。でも、何ていうか、お前はどっちを向いてるのかって話だ。・・・客席?それとも、・・・俺?」

「・・・おまえ、だ」

 沈黙して間隔をあけるわけにはいかなくて、ただ走り抜けるように、目を見てそう言った。

「じゃあやろう。・・・ねえ、分かる?」

「え?」

「見て」

 黒井はフォークで刺したケーキを持ち上げてみせた。「ほら」と示され、僕はその手が細かく震えているのに気づいた。

「・・・寒い?」

「馬鹿だな、お前」

「・・・んっ」

 チーズケーキを口に押し付けられ、そのままフォークの先端が唇に突き当たる。まったく、手加減がない。仕方なくそれを口に入れ、フォークを引き抜かれたら、ひゅうと腹が透けた。

 機能しない味覚野が微かなレモン風味をとらえ、そして、黒井はフォークを持ったまま言った。

「俺、興奮してる」

「・・・」

「やりたくてしょうがないよ」

「・・・」

「口に出すのも嫌だった<コペンハーゲン>を、ねえ、何で?今は、やりたいよ・・・」

 カチャン、とフォークが皿に落ちた。

 店の空気が一瞬静まり、僕は、そのまま震え続けるその手を自分の両手で包んだ。冷房のせいか、それはやっぱり冷えていた。そして、黒井はそれを静かに見つめて、ただ微笑んでいた。

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