第216話:恋されよう計画

 さっさと帰って、チャーハンで夕飯を済ませ、ノートに向かった。

 ・・・べ、別に、さっきの今で<夢をかなえる>何とやらに影響されたってわけじゃ、ないけど。

 ただ、目標をはっきり定めることは、運転中、カーブで視線を少し先へやると自然にそちらへ行きやすくなるみたいに、手近な景色やハンドルさばきにとらわれずに目的地へ向かいやすくなる・・・。

 ・・・結局、今日も一日中、黒井のことばかり考えていた。

 でも、ぼんやりと同じようなことを思うばかりで、具体的に何がしたいのか、どうなったら満足して、どうなりたいのか、思考は全然先に進まない。

 ・・・だから、会えないんじゃないか。

 会っても、その先のビジョンがないから、ちょっとすれ違っただけで二の足を踏んでしまう。ちょっとした機会をとらえられない。ここぞという瞬間を見逃して、アプローチできない。

 たとえば、本当は今日、どうなりたかったんだ?

 すべてが理想通り、何から何まで僕の望むように事が運んだとしたら、今日はどんな一日だった?

 ノートに、書きはしないけども、ボールペンをトントンと叩きながら考えた。

 ・・・そりゃ、また本を読んで、デートみたいに夕飯を食べて、あわよくばイチャついたりなんかしちゃったりして、また「別れたくないね」なんて惜しまれて帰れたら、文句はないんじゃない?

 キス、とかも、しちゃったり?

 え、どこでかって?それは、その、どこかの路地裏の暗がりなんかに連れ込まれたりして、「ちょっとしようよ」なんて壁に押し当てられて・・・。

 「お前が欲しいよ」とか・・・。

 「我慢できないよ」とか・・・?

 「好きだ、愛してる、今すぐセックスしよう」とか・・・??

 いやいや、あり得ない、とかは関係なくて、もうこれ以上ないってくらいの夢みたいな妄想でいいじゃないか。何のリスクもなく、思い描いただけで何でも叶うとしたら、何だって言ったもん勝ちだ。

 ・・・好きなように。何でも。

 どんなシチュエーションだって、どんなせりふだって。

 一瞬のその場限りの舞台じゃなく、二人の関係性までも、メイキング出来るなら。

 本当は、僕は、どうなりたいの?

 本当に結婚したい?二人で暮らして、毎日愛しあいたい?

 したくなったらキスして、ちょっと誘えば押し倒されて、強引に、荒々しく攻められたい?

 ・・・そ、それは、もちろん。

 ご飯を作れば「美味しいよ」と微笑まれ、風呂を沸かせば「一緒に入ろう」とはにかんで笑う。ベッドの中で本を読んでくれて、ぎゅうと抱きしめられて眠る。やがて、体をまさぐられて「我慢できない」って言われちゃうけど、時々は「今日は寝ようよ」って手を繋いで、くすくす笑いながら眠る。朝はカーテンを開けた日差しの中で「おはよう」って微笑まれ、チュッとキスされて起き、一日が始まる・・・。

 ・・・いやいや、そんな、見ないでって。

 「お前のこと好きだよ」って目で、見つめないでくれる?

 一瞬なら、それも、いいけど。

 でも、毎日そんな風に見られたらきつい。

 期待に応えられる自信がない。

 そんな、きらきらしたものを愛でるような視線に耐えられないよ。僕はいるだけで華になるような女の子じゃないし、顔だって身体だって、会話だって夜の営みだって、何の自信もないし、意識したとたん萎縮してしまう。そもそも本来は黒井の隣にいるような人間じゃないんだし、うん、かわいいお嫁さんは、無理かもしれない・・・。

 もうちょっと、ハードルを、下げようか。

 ごく普通の友達の関係で、時々ほんの少しだけはみ出して、手を繋いだりするくらいはどうだろう?

 あるいはむしろ、まだ全然知り合いじゃなくて完全な片想いだけど、実は向こうもチラチラこちらを気にしてるみたいで、ある日何となく会釈を交わすような仲になる、みたいな・・・。

 ・・・。

 僕はだんだん眠くなってきて、布団に入って無意識にゆるくそれを左手でこすりながら、結局どの状態がいいんだろう?と考えた。

 そして、半分夢と妄想に足を突っ込んだ頭で、ああ、それが欲しいんだ、と思った。

 それっていうのは、つまり、えっと・・・。

 いやいや、黒井のあれじゃないよ。そうじゃなくて。

 ・・・クロが、俺のこと、どう思ってるのかって。

 もしかして、もしかするのかもって思っちゃう、その瞬間が、欲しいんだ。

 気にされてるんじゃないか。

 僕のこと考えてるんじゃないか。

 ちょっとでも僕と接点を持とうとして、何か手回ししてたんじゃないか。

 ・・・あれ、もしかしてそうなの?・・・って、60%くらいの確信でいい。

 「愛してる」って言われたいんじゃない。

 あれ、今まさか、何かそれらしいことを言おうとした?って戸惑いたい。確定は出来ないまま、でもそんな可能性もあるかも、って、微かなものを信じたい。

 ・・・なるほどね。よろしい。

 ではそれを僕が現実で感じて幸せになるためには、僕は何をしたらいい?

 ただじーっとそれを待つだけじゃなく、僕からさりげなくそれを引き起こすとしたら。

 僕のことを気にしてるって瞬間を目の当たりにするために、どんな舞台を用意して、僕がどう動けば、そうなるだろう。

 もっと思わせぶりにチラチラ見たら、寄ってきて「へへ、なんだよ?」って言うかな。いや、それじゃだめだ。あくまで向こうが自主的に感じたものでないと。

 たとえば僕が西沢と盛り上がって大笑いしてたら、ちょっと嫉妬混じりの視線でこっちを見たりしないかな。あるいは、朝、地下通路であいつの前を歩いてたら、めざとく見つけて走り寄って来ないかな・・・。

 そういうちょっとしたことを日々繰り返してたら、「あれ、俺、あいつのこと妙に意識してる?」「いつも会うのは偶然じゃなくて、俺が無意識に探してるから?」って、僕のストーカー疑惑さえ払拭して、あいつの恋心に変換できない・・・?

 ・・・。

 明日、やってみるか。

 そうとなれば俄然やる気が出て、むしろ眠れなくなって、全力で羊を数えて寝た。



・・・・・・・・・・・・・・・・・



 木曜日。

 こんな朝のラッシュの中でスーツ姿の男一人見つけるなんて無理だって、計画の甘さに呆れながら、しかし執念でそのシルエットを見つけて後を尾けた。

 ・・・違うって。

 後から歩いたって俺がその背中を見て胸を熱くするだけで、それじゃ意味がない!いや、嬉しいけど!!

 でもそうじゃなくて、あいつに僕を見つけてもらわなきゃいけなくて、このまま僕があいつのスピードに追いついてこっちから「よう」って言ってもしょうがない。

 ・・・あ、そうか、歩調のことを忘れてた。

 僕が前を歩いてたら、やがて距離は離れて、人混みにまぎれてしまうか。でも僕が不自然にゆっくり歩くのもおかしいし、捻挫か骨折でもするか?

 ・・・いや、そうじゃなくて。

 まず、あいつが前を歩く僕を見つける。

 そして、見つけて「ふうん」ってだけじゃなく、わざわざ急いで僕に追いつき、声をかける。

 ・・・これが肝心だ。

 歩調がいい感じに合ったからたまたま一緒になる、じゃなく、あいつがわざわざ行動を起こすというところが大事だ。ごくふつうに並んで歩いてたら「あ、おはよう」ってなるのは当然で、でもそれじゃ気持ちは動かないし、毎日会ってたらさすがに僕がわざわざ時間を合わせてると勘ぐられるだろう。

 でも、自分が見つけて、自分が走って声をかけるなら自己肯定の気持ちも働くだろうし、そこで楽しく話したらその行動には快の感情が伴う。しかもそれが何度か続けばだんだんそれが当たり前みたいになって、それがないと物足りない、みたいになって、やがて黒井は気づくんだ。

 何にって?

 僕への恋心に、だよ。

 ・・・。

 思うだけならタダでしょ!?

 夢見るだけだよ、僕にだってそれくらい!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 金曜日。

 実践。

 念のため、これ以上早くは来ないだろう、という時間から待っていて、昨日とほぼ同じ時刻、ゆったりとした足取りで黒井が歩いてきた。一瞬見とれそうになるが、今日は僕が前だ。お前に見てもらわなきゃしょうがない。

 僕は柱の陰から、遠すぎず、近すぎずの距離に躍り出た。目の前ではないけど、絶対視界には入っているだろう、ほんの何メートルか前。

 昨日の予習で、あいつは動く歩道へは行かないし、スマホを見ながら歩いたりもしないと分かっていた。どんなに混んでいても余裕たっぷりの歩調は崩さないし、まっすぐ前を見てよそ見もしない。

 僕みたいに、前かがみで地面だけを見ながら、すべての景色が過ぎ去ればいいって感じで歩いたりはしないんだ。

 そして、今、僕の背中が、後ろ姿が、見えているはず。

 千葉から戻って、あいつはここを走って僕に追いつき、眼鏡の僕を見て戸惑ったけど、でも後ろ姿を見分けることは出来たんだ。だから念のため、7月だってのにスーツの上着も着てきた。これで、Yシャツ姿だから見慣れてなくて分かんなかったなんてこともない・・・。

 ・・・ない、よね?

 ちょっと、速く歩きすぎたかな。

 真後ろにのっぽのデブでも立ちはだかってるのかな?

 不自然にならない程度に歩を緩め、人を避ける振りをして少し斜め前へ。

 更に、ぶつかりそうになった振りで、一瞬立ち止まったりして。

 ほら、もう気づいてるでしょ?

 ねえ、別にイヤホンで自分の世界に入ってるわけじゃないし、声かけていいよ。「おい、やまねこ!」って肩を叩いていいよ?

 ・・・。

 ビルまで、来てしまった。

 エレベーターか。

 まだチャンスはある。

 この時間だと列が出来てるし、絶対同じ空間にいるはずだ。

 ・・・ほら、乗れそうだったけど諦めて次を待つからさ、同じ箱に乗れるかもよ?

 四基あるエレベーターを先頭で待って、どの箱が来るかと見回す振りで黒井を探す。

 い、いる、いたよやっぱり!

 すぐに目を逸らし気がつかない振りで、あーあ眠いなって顔で次のエレベーターに乗り込んだ。一番奥から見てたけど、まだ余裕があるのに黒井は乗り込んでこず、さっさと空いた次の箱に向かうのが見えた。ドアが無情に閉じて、僕を会社へと連れていった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・



 特別な用事もないのに、「あー、さっきお前見たよ。声かけそびれたけど」なんて言いに来るはずもない。しかも、パーテーションで区切られたビジネスオペ某の島まで来るわけない。

 何か、ものすごく集中して考え事をしていたのかも。

 いや、分かってる。別にちょっと見かけたからって、わざわざ追いかけてまで声をかける必要なんかないよね。声をかけられたらふつうに話すだろうけど、別に十年ぶりに再会する幼なじみじゃあるまいし、毎日同じ会社に通う同僚なわけで、それでも、一分一秒でも長く一緒にいたい、なんて欲求は、ないよね・・・。

 なりふり構うのやめて、後ろ姿をじいっと見つめながら歩けばよかった。今日は親睦会なわけだから週末といっても一緒に帰るのは無理だし、土日でまた連絡がなかったら僕はどうしよう。

 あいつに、必要とされてないのかな。

 ほんの数メートル早足で歩く労力すら使ってもらえない程度の、存在?

 相変わらず林さんはどこかの民宿のおかみさんみたいに優しくしてくれて、エクセルの操作をちょっと教えてあげたら、「ああ、それだったかあー。何度やってもわかんなかったわ」と感心してくれた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・



「幹事さん、ぼちぼち行く?」

「あー、そっか、みんなより先に着いてなきゃか。じゃあそろそろ行きますか」

 飲み会とはいえ四課の知った顔しか来ないわけだし、まあ新人にスポットライトが当たるだろうが、別にどうでもよかった。あの女の子二人をみんなで取り合ったりも、まあ、しないだろうし、もちろんそこにエントリーする気もない。黒井が飛び入り参加する可能性もないのだから、もう、何の期待もなく、ただ夕飯を食べるだけだ。

 別に、島にいるのと同じだし、横田だっているんだから、居心地が悪いこともあるまい。

 それに、西沢も僕が最近何をしてるのか少し気にしているみたいだったし、事務のことや、島津さんのことや、ビジネス某の裏側とか、みんなが知らないことを披露できるかも。


 小雨が降る中、少し早めに会社を出て店に向かった。横田と二人で歩いても何一つ緊張もしないし気を張ることもなくて、気楽だった。別にそれほどおかしくなくてもアハハと笑って茶化しあい、愚痴と悪口で「そうっすよねー」。

 ・・・。

 うん、気にならないね。

 横田のスマホに電話が入って、何か話し始めても、どうとも思わない。誰から?とか思わないし、電話の相手と楽しそうにしてても、まあ別に聞いてませんよって感じで適度な距離をとって歩くだけ。

 ・・・うん。横田が前を歩いてるのに気づいても、わざわざ声なんかかけないよ。

 どんなに気が合って盛り上がって楽しく喋っても、家に帰ってからもずっと考えたりなんかしない。もちろん黒井と僕は単なる同僚以上のアトミクをやるパートナーだけど、でも、だからって、今この時、黒井は飲み会に出てる僕のことを考えてると思う?あいつは今頃・・・なんてやきもきしてると思う??

 ・・・。

 もういいや、いったん考えるのをやめよう。

 ぱーっと飲んで、今日は忘れよう。

「じゃあもう、今夜は飲みますか!」

 電話が終わったらしい横田に宣言して、「いやいや、まったく!」と拍手された次には、「どうぞ飲んでくださいよ、俺途中で帰るんで」。・・・え?



・・・・・・・・・・・・・・・・



 三々五々にメンバーが集まり、新人たちを適当に二組に分け、テーブルに着いた。横田と、早めに来た二、三人にこそっと相談し、例のヘルシー女子会の二人は一人ずつ分けたりしないで、くっついててもらっていいことにした。会社の慣習的には女の子はそれぞれのテーブルでお酌、ってのがあるんだろうけど、そういう前時代的なセクハラまがいのことはやめよう、というのではなく、「別に、・・・いいか」という結論だった。・・・っていうかこれも十分セクハラか。


 課長が少し遅れて来るというのでG長に開会の挨拶を頼んだが、「いいよいいよ、幹事さんやって」と手を振られた。まあ、支社長の前でやるわけでなし、気楽に始めちゃおうか。

「それでは皆さんお疲れさまです。えー、この度は新卒の七名の方々が四課に仮配属ということで、ささやかながら歓迎会を催したいと思います」

「ちょお、山根君俺もやで!俺も!」

「あ、はい西沢さんもでした。それでは・・・」

「うわ、扱いひどっ!」

 西沢のおかげで場も和み、アルコールが行き渡ったところで乾杯。ささやかながら事務仕事の采配を振っていることもあって、課長もいないし、ちょっぴり目立って気持ちよかったりする。キャビネ前の四人組じゃなくても、なじんで話せるかも?途中で横田が抜けたって、みんなの中で気持ちよく飲めるかも?

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