29章:コペンハーゲン・アゲイン
(四月に作った「プロット」の地図が役に立つ・・・?)
第215話:サイコな扉が少し開く
<ハンニバル>が見れない欲求不満で、サイコで病的な僕たちを妄想して何度かそれを出した。気づくと明け方になっていて、シャワーを浴びて寝た。
日曜日。
先週田園都市線で<ATOM>を読んだのに、今週は誘ってくれないね。
テーブルの上に、今までのすべてを置いてみた。
<ATOM>に<部分と全体>、魔法の石にしろねこ、萌黄色のネクタイ、鍵が入っていた封筒に社内報の切り抜きの写真。
並べてみると妙に生々しく、<ハンニバル>のビジュアル的なイメージが手伝って、まるで遺体発見現場に残されたグロテスクで意味深なメッセージみたいに見えた。
しばらく据わった目でそれを眺め、おかしくなった頭で、行かなきゃ、と思った。
あいつのところに行かなくちゃ。
頭がおかしいときのほうが、体調がいいみたいだ。
頭痛とか目眩とか、体が重いとかふらつくとかもなくて、手ぶらで出掛ける足は軽かった。空腹も腹痛もなくすべてがフラット、いや、少しライト。藤井からもらったipodで<愛してる>を聴きながら、小雨も気にせず駅へ歩く。
何て気持ちがいいんだろう。
ドアを叩いて、出てきたあいつに抱きついてキスしちゃえばいいんだ。
もしいなくたって、きっと鍵は開いてるんじゃない?
中に入って待ってればいい。
いやいや、ストーカーなんかじゃないって。だって僕はあいつのことが好きなんだし、あいつだって、言わないけど、ねえ?
たとえ好きじゃなくたって、またあれをしゃぶって飲ませてくれるくらい、いいと思うんだ。もちろん今度はキスした後でね。
・・・二回目はゴムに出してもらって、口を縛って持って帰ろうか。
それはいいかもしれない。あのテーブルにそれを加えたら、我が家のあいつが充実していく。
電車で思わず笑い出して、ちょっと危ない人。やだなあ、本気じゃないよ、妄想だって。
昼下がり、桜上水に着いた。
携帯に、着信もメールもない。
僕に用事がないらしいあいつは今、いったい何をしてるんだろう?
ふつうに訪ねていくのはナシにして、マンションの前で見張ることにした。
まずは住人のふりして、勝手知ったる郵便受けをあさる。
何もない、か。
周りの郵便受けには、同じピザのチラシが撒かれていた。せいぜいこの土日、いや、今日入ったんじゃないか?だとしたら黒井は出かけている、いや、もう出かけて帰ってきたのか。出るときに郵便受けの中のチラシを持って行きはしないだろう。
ふうん、じゃあ、今うちにいるのかな。
今まで、電話が来ないメールが来ないって、いったい僕は何をうじうじしてたんだろう。こうして直接来て、何してるかって調べてみればよかったんじゃないか。
・・・盗聴器とか、仕掛けられないかな。
もしうちでずっとあいつの部屋の音が聴けたならどんなにいいだろう。
鼻歌を歌ったり、独り言を言うのかな。
アレをする時の声とか、どんなだろう。
その時、僕の名前が漏れたなら悶えて死んでしまいそう。
そんな可能性があったのに、四月の間、そんなチャンスはいくらでもあったのに、僕はいったい何してたんだろう。僕の頭は節穴か?
いやいや、今更気持ち悪いとか思わないよ。最初から、こういう欲求だったじゃないか。何の違和感もない。僕はこういう人間で、あいつはそういう対象だ。
マンションの近所を歩き回って、あいつが鍵がなくて入れなかったとき、野宿をしたという公園を探した。たぶんそれほど遠くなくて、東屋があるところ。酸っぱくなったカフェオレを飲んだって?許さないよ、そんな、誰が飲んだか分からないペットボトルに口をつけるなんて。
妄想は進んで、声だけじゃ満足できないなあなんて思い始めた。
映像で、見たいなあ。
二十四時間、トイレの中まで見ていたいよ。
・・・隣の部屋を借りられないかな。
二十四時間の監視は物理的に無理があるけど、あいつに内緒で隣の部屋に住むことは出来るんじゃないか?
うん?それには、まずは隣人を追い払うところからか。
っていうか、あいつの隣の部屋に住んでる人間がいるだなんて、許せないな。
さらっと殺しちゃおうか。そのまま契約もせず成り替わって住んじゃおうか。
引き落としだったらそのまま家賃も払わなくていいし、面倒な引越しや家具の搬入もなくて済むし。
・・・死体をどうするか。
面倒だな。
そんなリスクを冒すより、もうあいつを監禁しちゃおうよ。手錠をかけて、ベッドの脚に繋いじゃって、好きなようにしたい。あれ、でもそれじゃ、僕の好きなように犯してもらえないか。
だって手錠で繋がれたいのは僕なんだから。
監禁なんてしなくても、手錠を持っていったらちゃんとしてくれるかな。
僕がされたいこと、ちゃんと察して、やってくれるかな。
やってくれるような、気がした。だってあいつのこと信頼してるんだ。
少しずつ、雨が強くなる。
東屋が見つからなくて、雨宿りもままならない。
でも、この辺、何だか見たことあるな。どうしてだっけ?
・・・ああ、部屋で昼寝してるあいつを前に我慢できなくて、その後自己嫌悪で飛び出して、歩き回ったんだっけ。
何てイイコトしたんだろう。ちょっと思い出せないのが悔しいな。罪悪感が強いと記憶を飛ばしちゃう癖があるみたいだ。そんなもの感じる必要もなかったのに、黒井だって喜んでくれてたのに、馬鹿だなあ、僕。
・・・っていうか、強いよ、雨。
強いっていうか、痛いよ。
まるで僕を苛むように、罰するように、あるいは浄化するみたいに、空から大量の水が降り注いでいた。
僕はふいに現れた公園にその東屋を見つけ、大笑いしながら走って行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・
自分の声も聞こえないくらいの、激しい雨だった。
ゲリラ豪雨ってやつだろう。
あはは、なんておかしいんだ。とにかくおかしい。僕は何をやってるんだ。
東屋のベンチに寝転がって、降り注ぐ雨が地面から顔まで撥ねてくるけど気にせずに、僕は手足をばたばたさせて喜んだ。
どれだけ降るんだって感じの雨が止む頃には、濡れた服が肌に張り付くのが気持ち悪くて仕方なくなっていた。
・・・気持ち悪い。
大丈夫か、自分。
歩く度、靴の中でじゅくじゅくと靴下から染み出る水が気持ち悪い。
マンションを避けるようにして駅へ向かった。電車は遅れが出ているようだが、止まっていなければそれでいい。何時になってもいいから、うちに帰してください。
どうにかうちに着いて、玄関先からすべてを脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。
ああ、もう、お前が好きってだけなんだ、許してくれ。
接近禁止命令とか出さないで。お願い、お願い、悪いことしないから。
風呂から出て、体を拭いて、全裸のまま黒井に電話をかけた。
すぐ切って、ちゃんと服を着て、もう一度かけた。
「・・・あ、もしもし?」
「うん?・・・ねこ?」
「うん。あ、ごめん、寝てた?」
「へへ、寝てた」
「そっか、ごめん、切るよ」
「ううん、いいよ。別にいい」
「話してもいい?」
「うん」
「・・・あの、今日は、何してた?」
「えっと、買い物行って、肉焼いて食って、そんでちょっと本読んで、眠くなって寝てた」
「そっか。あの、すごい、雨だったね」
「え、ああ、雨だったんだ。何かうるさいなあって思ってた。変な夢見てた」
「ふうん、どんな?」
「え、何だったかなあ。何か、手すり、銀の手すり・・・向こうの部屋で、何かやってんだけど入れなくて・・・」
「・・・うん?」
「窓があって、部屋の中は見えるんだけど・・・何だろう、病院?・・・声だけでも聞こえないかって耳をくっつけるんだけど、よく聞こえなくて。男が何人か、医者なのかな、何か話し合ってて・・・」
「うん?」
「・・・」
「・・・」
「・・・忘れちゃった。とにかく何かもどかしくて、不安だった」
「そっか。・・・大丈夫、ただの夢だよ」
「うん、そうだね」
「あの、雨・・・ひどかったんだよ。ゲリラ豪雨。今もニュースでやってるよ。外出てなくてよかったね」
「ふうん。こないだから雷とか、そんなの多いね。俺そういうの好きだから、むしろ降られたかったのに。もう止んじゃった?」
「とっくに止んだよ。降られたかったなんて、変なやつ」
「え、だって楽しいじゃん」
「はは、お前らしいね。今度そんなことがあったら、電話して起こしてやるよ。・・・ああ、でもお前が寝てるかどうかなんて、わかんないか」
「いいよ、寝てても寝てなくても、電話して」
「うん・・・、ごめん、用もないのに電話した」
「・・・だから、別にいいって」
「あの、俺・・・」
「ん?」
「好き・・・だよ」
「・・・え」
「・・・俺も、雷、好きなんだ。また鳴るといい」
「そう、だね。俺は光るのが好き。屋上で見るとすごいよ。今度一緒に見よ」
「それは迫力がありそうだね。楽しみにしてる」
「うん」
「・・・じゃあ、また、明日。おやすみ・・・って、お前は起きたばかりか」
「また寝るからいいよ。おやすみ」
「・・・うん、それじゃ」
「またね」
電話を切って、・・・いろんな好きを積み重ねて、綺麗なそればかりじゃないけど、僕の中にはそれが全部ぎゅうぎゅうと詰まっているのを感じた。もしそれを告げる日が来るのなら、今日みたいな感情だって隠さず話そう。テーブルの上の魔法の石を手のひらに置いたら、いろいろな霧が晴れていって、一番純粋な気持ちがちゃんと見えた。
俺は、お前のために生きるよ。
それを一緒に、取り戻そう。
・・・・・・・・・・・・・・・
月曜日。
朝礼の後、例の、ビジネスオペ某へプチ出向。
今日はこれで見納めかと思ったら、いつも以上にその背中に焦がれた。
全体朝礼の後の課ごとの朝礼で、中山が黒井にジュラルミンのことなどを振っているのが聞こえ、それを頼むのに費やす二分もこれで消えた。「はーい、わかりました」の声が明るかったのは、僕とやりたくないからじゃないよね?たとえば、そう、「あいつの分だったら俺が喜んでやりますよ」って意味・・・とか、こじつけすぎる?
ビジネス某でマニュアルを担当しているのは二人で、管理者っぽい、小柄な男性の大橋と、実務っぽい女性の林さん。どちらも何となくおっとりしていて、真面目で几帳面そうだけど、とにかくスピードとテンションが、遅かった。
「えーと、まず趣旨の説明ですけれども・・・」
いや、まあイチから説明してくれるのはありがたいけど、しかも思ったよりまともで素晴らしい趣旨だけど、正直、僕にとってはマニュアルの分かりやすさと効率性が大事なのであって、そんなお題目はどうでもいい・・・。
・・・っていうか、この説明、林さんも一緒に聞いてる意味、ある?
この人は当然知っててやってるんだよね?この長ったらしい説明の二十分を、特に何の疑問もなさそうにただ黙って聞いてるなんて、そして上司らしき大橋もそれで何も言わないなんて、僕の中の合理性と効率性が泣いている!!
・・・これじゃあ、課長たちと合わないわけだ。特に数字の鬼の中山なんかとは。
どちらもとてもいい人そうで、椅子を勧めてくれたり赤ペンを貸してくれたり気を遣ってくれて嬉しいけど、何か、ちょっと、違うんだよな・・・。
本社で、黒井はこんな空気の中にいたのだろうか。
黒井と同じ鷹揚な雰囲気、とも少し違って、何となく黒井が、支社が合うわけでもないけど本社がぴったりってわけでもない、と感じでいるらしい理由が分かった気がした。
七月一日、火曜日。
課長たちは相変わらず例の会社の対応に追われていて、しかし僕は課長代理を気取ることも出来ず、空気の違うビジネス某で目的のよく分からない行為をひたすら待ったり、見守ったり、いい加減口を挟もうとして我慢したりしていた。
・・・嫌いではない。
林さんは四十代くらいの、少し足を引きずっている女性で、とても几帳面で細かい人だった。一度見た書類を律儀に丸二回はチェックするし、僕が何か言うと、肯定にしろ否定にしろ、どうしてそう思うかを延々一から十まで、重きを置くところは二、三回繰り返して解説してくれる。いちいち全くごもっともでうなずくしかないんだけど、その理屈っぽさは僕と似たものがあるんだけど、でも、近親憎悪的なものなのか、その説明全部省いて終わらせちゃえば一秒で終わらない?なんて思ってしまう。
ああ、僕ももしかしてこれくらいくどい?
他人の振り見て何とやら?
これに比べたら大橋はもう少しドライだったが、それにしてもあまり感情を見せないし、今のところ真面目が服を着て歩いているような感じ。
しかし、どうにも、くそ真面目のくせにゴールがはっきりせず、意外と行きあたりばったりで、しかしそのくせ大筋では方向は決まっていて僕の意見が通るわけでもないし、しかもそれは曖昧に、説明はされず、暗黙のうちに退けられている。そんなやり方が目の前を外国の列車みたいに通過していって、まったく僕の土俵に乗せることなど出来ず、ペースを崩されたまま回復の見込みはなかった。
・・・とまあ思考まで、冗長で理屈っぽそうなわりに意外と意味のあることは積み重ねていないという、そんな空気が刷り込まれてしまった。
水曜日。
「僕がいなくても、別に、よさそうですね?」の一言を切り出すタイミングもなく、そのまま愛想笑いで林さんの世間話を聞く。決して悪い人たちではないし、居心地が悪い思いをすることもないんだけど、・・・どうしても、やっぱり、華がない。
別に、特別美人じゃなくたって、持ち上げてくれたり、楽しく話しかけてくれる女の子がいたらなあ。
あるいは無口だって、今日は話してくれるかなって期待しちゃうような、いや、もう、若い子で平均以上ならどんな子だって・・・。
・・・。
別に、イケメンがいてほしいとは、思わないな。
やっぱりどうしたって、分不相応だって分かってても、女の子に声をかけられてちやほやされたり、どうでもいい一言で笑ってくれたり、華奢な腰なんかを後ろから眺めたいっていう欲求はある。
四課にいたらいつも神経は背後の黒井に向かってるけど、こうして島を離れてしまえば黒井はもう見えないし、だったらやっぱり女の子がいい。
・・・ああ。
そりゃ、四課も華が欲しいよね。
もし黒井がいなかったら僕だって、こんな出会いのない職場は鬱陶しいばっかりだ。
だから、ノー残への期待は募る一方だったのに、どうにもすれ違いで一緒に帰れなかった。
・・・胸が、きりきりする。
隣で西沢が「これ友達に借りたんやけど」とか言って、<夢をかなえるゾウ>とかいう本をぱらぱらめくっている。別に、読書好きだからってジャンルが全然違うし、そんな何年も前のベストセラー覚えてないよ。
「何か、その友達の知り合いがさ、ほんまに、何年来の夢叶えたんやて。外国の、何や、どっかの南の島で開業したとか」
もう、うっさいなあ、夢なんか叶わないよ。そんな自己啓発もどきの絵本で叶うなら今頃結婚してるよ。
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