第192話:余韻
二人でカロリーメイトを半分食べて、ポカリは、ペットボトルの口をティッシュで拭いて黒井に渡した。「そんなとこまで気にしないよ」とのこと。そもそも間接キスだということは、認識すらしてないみたいだ。
「でも、どうしようか。タクシーで帰る?それとも・・・」
ごくふつうの会話をしていないと何かが爆発しそうで、僕は独り言だか何だか分からないことをぶつぶつ喋り続けた。
「ああ、ここのバンドで留めて、調節するんだな。何だ、ライトも三段階じゃないか」
誕生日といえばケーキかなとか、そういえばディナーはどうするとか、でも目の前にはそれ以上の巨大な何かがそびえていて、思考はそこまでたどりつかなかった。
「クロ、足、大丈夫?俺の靴、貸そうか」
黒井はホーム・プラネタリウムの表面を眠そうな顔で撫でている。僕の存在なんか、忘れたみたいに。
「駅前なら、どっか泊まるとこ、なかったかな・・・」
しばらく黙っていた黒井が、小さく、「ここでいい」とつぶやいた。
「え?ここで寝るの?」
「もう眠い。だって俺、野宿慣れてる」
「あ、ああ、そうか」
「雨降ってないし、寒くないし、全然平気」
「・・・そう?」
「お前は?」
「うん?」
「外で、寝たこと・・・」
「な、ないよそんなの。ふつうに生きてたらそんなことにならないって」
「じゃ、いいじゃん。今日はここで寝よ」
「う、うん・・・」
「何でかな、自分でするより、すっげー疲れた・・・」
「・・・っ、ほ、ほら、タオル。枕代わりに」
「ん。もうだめ、俺、落ちる、よ・・・」
受け取るけどそのまま寝てしまう黒井の、頭を手で持ち上げて、タオルをはさんでやった。「ほんとに落ちるなよ」とつぶやいて、僕はもう一度、あらためて、「誕生日おめでとう」と囁いた。
・・・・・・・・・・・・・・
黒井の寝息を聞きながら、僕は口の中を舐め回して、僅かに残ったその残り香に浸った。鼻から息を吸い込むと、少しだけ、まだ分かる。これが、黒井の中身の味・・・。
身体がぶるっと震えた。
前かがみで、両膝に両肘をついて、手で顔を覆い、頭を支える。
・・・。
やっちゃった・・・。
とうとう、一線を、越えちゃった・・・よね。
こんな、夜中の公園で、ちょっとじゃれたり、ふざけていちゃつくんじゃなく、あるいは誕生日の感動で、友情として抱き合うんじゃなく、・・・舐めて、しゃぶって、出して、飲んで・・・。
・・・っ。
どっかに飛んできそうな、あるいは落っこちそうな。
身体中が痺れて、僕のそれだって、脈打つほど膨張して。
暴風雨みたいな身体の中を感じながら、ちょっとだけ荒い息でやり過ごし、僕はまたさっきのことを反芻した。
「俺の中身、今出して」って、あの声。
どうして、流れ星を見て、そんな切羽詰まったことになっちゃうんだよ。お前の性欲、どうなってんだ?
横たわった黒井の、投げ出した足とか、あの腹とか、へそとか、立体的な肉体の質感を思い出す。無意識に、左手が自分に伸びていた。ジーパンの上から軽くこするだけで、もう、ちょっと、やばい。だってお前のそれを、この口に、くわえて・・・。
・・・。
まさか男のそれを本当にくわえる日が来るなんて。
自分とほぼ同じフォルムのそれを、でも、見たり、握ったりは慣れていても、口に入れたらどんな感じがするかなんて、初めてで。
け、結構、大きくて、太かったな・・・。
全部は、入らないくらい。喉の奥を突かれて、息もままならないくらい。
AVで見るようなそれとは比べたくもないけど、僕もあんな顔で頬張っていた?そんなものだけは見たくない。そんな想像はさっさとやめた。
一瞬、まさか防犯カメラとかに映ってないよね、と嫌な汗をかき、天井や周辺を見渡して、一応、大丈夫だと、思うけど・・・。
心拍数が跳ね上がって、でも、そんな視点で見たら、やっぱりちょっとやばいことしちゃったんだって、いろんな角度から悶えた。
だって、・・・だって、ねえ。
口をきつく手のひらで覆う。
確かに、しちゃったよ。
俺が強引にするんでもなく、お前にされるんでもなく、何ていうか、二人の、同意の、上で・・・。
これ、もう、どういう意味?
右手の手のひらを見ながら、痕跡なんて何もないけど、もう、何か、刻まれていればいいのに。キスだって何だって、回数分だけ、手首の内側あたりに刻まれていけばいい。そのうちバーコードみたいになっちゃって、指をかざしたら脳内で読み取って、再生できたらいい。
・・・僕の誕生日、お前も、俺のを、舐めてくれる?
まさか、ね。
ねえ、俺、ふざけてだって、お前に触られたことないんだ。温泉や風呂で見られてはいるけど、それ以上は何もない。お前は、キスをして、自分のを出させても、それだけ、かな。俺のをどうこうとか、そんな欲求、お前にはないよね・・・。
でも、少なくとも、こんなことしちゃう、関係だ。
っていうか、さっき、押し倒して、俺にキスして、そのままどうする気だった?
ま、まさか、俺に挿れる気だった?いや、あんな直後に?
ごくりと唾を飲み込んで、まだ少し喉がひりついた。
お前のを舐めて、飲んだら、キスできないなんて。
唇だけなら、いい?
ねえ、寝てるお前に勝手にキスしてもいい?
・・・だめか。そんなことしたって、同意の上じゃなきゃ、意味ないよね。
・・・ああ、とうとう、やっちゃったんだな。
腹の底からこみ上げる、静かな興奮。快感。悦楽。
あれ、また、一から反芻する気?
いいよ、何度でも、思い返しちゃうよ。
自分のを解放したいけど、でもそんな暇すらないほどに。
・・・今、俺の腹の中で消化を待っている、お前の精液。
俺の、一部に、・・・俺の、血肉に、なっちゃうんだ。
お前の中身を取り込んで、生きちゃうよ、俺。
「んうっ」
おかしな唸りが漏れて、もうほとんど、身悶えした。
確かにアレは苦くてキツいけど、「ゆるして」なんて言わなくたって、飲んであげるよ。飲まれて嫌だったってわけじゃ、ない、よね?だったらこれからも、こういう関係で、こういうことして、金曜の夜は・・・とか、どうかな。もうちょっと、エスカレートしてもいいよ。顔にかけられて、塗りたくってくれても、俺、嬉しいよ・・・。
一瞬うとうとしたり、夢か妄想か分からないものを見たりしながら、ふと、隣に黒井が立っていた。
無言で、じっと。
あれ、起きたの?
どうしたの、おしっこ?
トイレがどこか分からない?じゃあ、その辺で、しちゃえば?
・・・違うの?
暗くて顔は見えないけど、裸足で、そこにいた。
僕を、見ていた。
ねえクロ、どうしたの?
僕は寝ている黒井を見た。お前が俺を見てるんだけど、ねえ、クロはどうしたの?
そうしたら、立っていたクロはふいに、後ろを向いて、裸足で歩いていった。芝生の方へ。緩い坂を下って。
そのうち闇に紛れて、見えなくなった。
・・・・・・・・・・・・・
気づいたらもう、空がすっかり白んでいた。
夕焼けより、ずっと早い気がする。
グラデーションがなくて、もう、朝となったら朝だ。
少し肌寒い空気の中、芝生を歩き回って、ちょっとその場で跳んだり、伸びをしたり、後ろに反り返って背中を鳴らしたりした。
何だか、よく分からないけど、すがすがしい。
何度かあくびをして、涙が出た目をこすった。もしクロが本当に黒犬なら、散歩をしたい気分だ。黒井を見ると、僕に背を向けて、膝を曲げて眠っている。裸足の足の裏が、少しだけ汚れている・・・。
どうしてだろう、朝は全然えろい気持ちにならなくて、キャンプみたいに、火をおこして朝食を作ったり、熱いコーヒーを飲みたくなる。ねえ、いつかキャンプに行こう。テント張ったり、カレー食べたりしよう。そして夜は満天の星を見て、一緒に流れ星を探そう・・・。
ふと不安に駆られ、黒井の肩のあたりを凝視した。
ちゃんと、上下してるよね?
それを確認して、ほっとした。それから、ケーキのこととか、ディナーのこととかを、一人にやけながらあれこれ考えた。
黒井が起きて、カロリーメイトの残りを食べ、ポカリを飲み干した。上を向き、舌を出して、最後の一滴まで。
後頭部をがりがり掻いてあくびをしながら、「ねえ、まだ眠いよ」と言う。
「はは、おはよう」
「おはようじゃない。俺がまだ起きてないし、そういう気分じゃないときは、おはようじゃない」
「・・・あっそう」
「おやすみはいい。でもおはようはだめ」
「ふうん」
意味不明だけど、黒井の好き嫌いを教えてもらうのは嬉しいし、でも何より、お前から言い出したこととはいえ昨夜あんなことがあったわけで、とりあえず、あり得ない、友達やめる、みたいな流れになってなくてほっとした。
・・・っていうか。
どう、思ってるんだろう。
まるで何事もなかったかのように「足が寒かった」とか訴えてくるけど、お前は、自分のそれを舐められて、そこで出しちゃったことを、どう思ってる?早いとか、我慢できなかったとか気にしてたけど、本当は気にするとこ、違うんじゃない?
お前にとっては、こういうの、どういう意味を持つんだろう。花びらを奪われたキスが、お前にとって自分の力の証明だったみたいに、性欲とはちょっと別の、何かなの?だとしたら、お前の中身を出して、飲み込んだ僕のこと、どう思ってる?
・・・どういう意味でかは分からなくても、求められていたり、する?お前にとって、特別で、大切な存在に、なってたり、とか・・・。
勝手に想像して、勝手に目頭熱くして、世話ないね。
あくびのふりで、また目をこすった。
何かしたいことある?と訊くと、「うち帰って寝たい」と、そのまま歩きだした。何となく、僕も一緒に行って、一緒に昼寝して、また夕方からご飯でも、と思うけど、そこまで確認できないまま、来た道を戻る。昨日の夜とは全然違う、青々とした木々の緑。公園の時計で見ると、まだ五時半過ぎだった。土曜の始発、もう出てたっけな。
コーヒー飲みたいとか、朝は冷えるとか、特に意味もない、ぽつぽつとした会話。ただ眠いだけなのか、身体が冷えて少し体調が悪いのか、あるいはゆうべのことを一応気にしているのか、黒井の心持ちは分からなかった。機嫌が悪いとかふさぎ込んでいるってことはないけど、プレゼント臭が皆無のビニールをぶらぶらと提げて、いつもよりちょっと、言葉少なだった。
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