第190話:おんぶしてナイト・トレイル

「ね、お前は、どこで生まれたの?」

「へっ?」

 いや、聞きたいのはこっちで、そんな、僕のことなんて、どうだって・・・。

「もしかして、この辺、なの?」

「え、いや、違うよ」

「そう。・・・俺さ、引越しも何回かしたし、東京だし、故郷とか地元ってないから・・・お前はそういうの、あんのかなって」

「と、東京?」

「え、うん」

 芦屋じゃなくて?

「東京って、ヤモリも、枇杷も?」

「うん」

「と、東京の、どの辺・・・」

 一応、ここだって東京だけど。

「えっと、あれは世田谷」

「せたがや?」

 世田谷の一軒家の庭に、枇杷と桜と棕櫚? 

「・・・っていうか、お前、今も世田谷だ」

「あ、そうだね、そういえば。でもちょっと違うよ。あれは東横沿いで」

「とうよこ・・・」

「世田谷で何度か転々としたんだよ。次は、もっと渋谷寄りで」

「しぶや・・・」

 どうしよう、埼玉で生まれて千葉で育ったなんて、言えなくなってきた。

「ね、あそこ、何か見える」

「え?」

 我に返って、指さす方を見るけど僕の視力では何も見えなかった。

「ほら、何か、屋根みたいの?」

「ああ、休憩所かな」

 確か、昼間は売店とか、軽食とか出してたような。

「俺、ちょっと足痛い」

「あ、ごめん・・・っていうか、サンダルで飛び出してくるから」

「別に、これはこれで、いいんだって。・・・あ」

「・・・なに?」

「おんぶしてもらおう!」

「へっ!?」

 な、何でそうなる?お、俺、背中には、ナップザックを・・・。

「それ前に背負ってよ」

「へっ?な、ど、どっか怪我した?」

「ううん。疲れただけ」

「も、もうちょっとだ」

 僕にも見えてきた東屋を示すけど、「何だよ、いや?」と。

 い、いやじゃないです。です、けど。

 腹とか、腰が抜けて、途中で潰れる、かも・・・。



・・・・・・・・・・・・・



「あ、脱げた」

「ええ?だから、言ったのに・・・」

 もう、いろいろ、くらくらした。

 成人男子がこんなに重く感じるとは思わなかったし、でもつい大丈夫なふりで歩き出しちゃって、いやいや、しゃがんで拾うとか無理だって!

「い、いったん降りて・・・」

「え、もういいよ。このまま行こ」

「ちょ、じたばたすんな!」

「早く!早く!」

 一度背負いなおして、裸足の黒犬を東屋まで連れていく。こないだ僕が熱を出して背負われたときは、もっと長い距離を、もっとさっさと歩いていたような。

 っていうか、こんなのもう、だめなんですけど。

 顔が見えないのが幸いだ。緩んで、にやけて、どうしようもない。

 休憩所に至る道はほんのちょっとした丘になっていて、僕はサンダルを置いて歩き始めたけれど、一歩一歩遠ざかるうち、だんだん気になってきてしまう。

「や、やっぱり、拾おうか」

「ええ?いいってば」

「でも、なんか、ちゃんと完結しない・・・」

「おい、戻るなって!いいよ、俺ベンチで待ってるからお前が取ってくれば」

 何が「いいよ」なのか分からないが、まあ、確かに僕が取ってくればいい話だ。どうにも落ち着かないけど、重い足取りでまた引き返す。

「ね、重い?」

「・・・うん」

「俺、向こう行って、ちょっと太ったかも」

「・・・ふうん」

 ああ、確かに三月のげっそりした感じに比べて、健康的になったね。

「あのね、60、くらい」

「・・・何が」

「俺の、質量」

「ああ、そう・・・」

 178センチの男性が60キロというのが痩せているのかどうなのか、自分の体重もよく知らない僕には分からなかった。

 裸足の黒井に途中で降りて、とは言えないから、緩い傾斜の芝生をのぼりつづける。向こうに回れば舗装された階段もあったけど、こっちが、近い、かと、思って・・・。

 足を支える腕が疲れてくるし、芝生が少しすべるし、え、っていうか俺、今六十キロの物体を運んでるのか。段ボールだったら絶対持てない重さだけど、こうしてしがみつかれたら運べるもんだ。死体だったら、あらかじめおぶっておかないと死後硬直で運びにくくなるだろう。うん、車のトランクに入れるとか、一人では無理だな。いや、ロープやてこなんかを使えば、何とかなるのかな?

「ね、こんなか、何入ってんの?」

 黒井が前に手を伸ばして、ナップザックを探る。

「お、おい、開けるなって。タオルとか、ライトとか、だよ」

「ライト?つけたい!」

 握った手の形を作るけど、残念ながらそれは持ってきてない。

「懐中電灯、じゃ、ないんだ」

「え、なに、ランプ?」

「ヘッド、ライト」

「ええ!すごい、つけたい!」

「あ、暴れるな!勝手に開けるな!」

「ええ?今つけたいよ。早くしなきゃ、着いちゃうじゃん」

「着いて、降ろして、落ち着いてから、つけよう・・・」

 ようやく、菱形を斜めに二つ繋げたような東屋にたどりついた。隣の小さな建物はシャッターが下りた売店。

 東屋のベンチの上に降ろしてやると、もう、僕がへたばった。

「ね、どこ?」

「あ、ちょ、待てって!今出すから・・・」

「何だよ、いいじゃん」

「ち、違う。とにかく、クロ、待て!<待て>!」

 手のひらで制止を示すと、黒犬は「・・・くうん、ふん、ふん!」と、仕方なさそうに手を引っ込めた。僕はナップザックを引ったくり・・・いや、緩慢に引き寄せ、ヘッドライトを出した。僕だってつけたことないから、どこをどうするのか分からない。説明書もついてるけど暗くて見えなくて、何かライトない?・・・って、本末転倒だ。

「貸して貸して!」

「ほら。でもやり方わかんないよ。どっか、サイズを合わせるとこが・・・」

「はは、俺、説明書なんか読まずに捨てるよ。あ、ついた!」

 点けて、目の前でかぶってみせるから、ま、眩しいって!

「ね、どう?俺、どう?」

「どうって、なんも見えないよ!」

「探検隊っぽい?冒険家?」

「・・・うーん、それを言うなら、今こそひげがほしかったね」

「ええ?そんな、今無理だよ」

「・・・そりゃ無理だろ」

 二人で笑い、何とはなしに顎をさすった。もうほんの少しちくちくしている。僕なんか薄くて綺麗に生え揃わないし、どうせ童顔だから似合いもしないけど。

 黒井は僕に眩しい光線を当てるのをやめ、頭を押さえて天井を照らしたり、好奇心旺盛に新しいアイテムで遊んでいる。ふむ、こういうのは、マンホールを降りた地下道みたいな人工の場所と、洞穴のような自然の中と、どっちが似合うだろう。まあ、どちらにしたって見つけるのはもちろん・・・。

「ほら、お前も」

「うわっ」

 ぼうっとしているとライトをかぶせられ、・・・はあ、頭を動かすと視界が丸ごと照らされるという感覚は、何だか新鮮だった。手で操作するのではなく、視覚と思考が一致する感じ。自分が視点となって、自分の中から世界を見ている感じ。・・・いや、それは、そうなんだけど。

「ね、これで、何か発見とかしたくない?」

「う、うん、ちょっといいね」

「そうだな、・・・化石とか、壁画とか」

「えっ」

 死体じゃないの?

 黒井は楽しそうにまたかぶり、「よし、探検行こう!」と、しかし、踏み出した足が裸足だった。

「いてっ」

 早速ライトで足の裏を照らし、小さな石を手で払う。

「サンダルどの辺だっけ」

「さあ、降りたとこだろうけど、よく見えないよ」

「え、もしかして、これでそれを探しに行く?」

「あ、なるほど。じゃ、行ってくる・・・」

「えー!ずるいよ!」

「へっ・・・?」


 黒井に僕の靴を貸せばよかったってことは、ずいぶん後から気がついた。別に、推理小説が好きだからって頭の回転が早くなりはしない・・・。

「あれ、どの辺から登ってきたっけ?」

「は、早く、見つけて・・・」

 もう重い。もう疲れた。好きな人を背負ってるからって疲れを凌駕できるわけではなく、っていうかむしろ、心拍数的に、余計、大変・・・。

「っていうか、それほど見えないね。ぼんやり明るいだけで」

「・・・」

 こないだの雑誌に書いてあったけど、たぶんこれは用途として、霧の中とか、あるいは木立を抜けていく時なんかに役立つのであって、FBIが使うハイビームのライトみたいな役割とは、違うんじゃ、ないか、な・・・。

「あ、あれかな?あそこ?」

 黒井が指さす方に、もう何も考えずに歩く。むしろ、ライトがない方が、暗さに目が慣れてよく見えるような気さえする。でもまあ、そんなことどうだっていいんだ。こうして黒井がはしゃいでいて、僕だって楽しいんだから。

「ね、ねこ、尻が、落ちるよ・・・!」

「じ、じぶんで、のぼって・・・」

「あ、ちょっと!うわ、はは、ちゃんと持って!」

「うで、しびれて、きた・・・」

 声が裏返って、腕から力が抜けていく。黒井が背中からずり落ちていって、「うう・・・」と唸りながらしばらくしがみついて、やがて、地面にどさりと落ちた。

「・・・あはははっ!!!」

 僕ももうそのまま倒れて、腹を抱えて痙攣して笑った。

「・・・見て、ねこ、・・・もうちょっとだった!」

「・・・ええ?」

「ほら、あそこ」

 黒井が外したヘッドライトを地面に置いて照らし、二メートルくらい先に、裏返ったサンダルがあっちこっちを向いて転がっていた。

「そ、そう・・・。お、落として、ごめん・・・」

「尻が、痛かった」

「俺だって、腰が、痛い・・・」

 裸足を投げ出して、手を後ろについて空を仰いだ黒井は、大笑いの余韻を残しつつ、「・・・星、あんま見えないね」と言った。

 僕は立ち上がってよろけながらサンダルを持ってきて、黒井の横に置いた。ああ、時計がないな。もう日付が変わったかどうか、これじゃわかんないよ。

「戻ろう。ポカリを、持ってきたから」

「ああ、飲みたい。喉渇いた」

 無意識に出してしまった手を黒井が取って、立ち上がった。ふらふらになった手足と、ひゅうと透ける腹を引きずって、また同じ道を歩く。

 お前に、星を、見せてやりたくて。



・・・・・・・・・・・・



 ナップザックから携帯を出すけど、いつの間にか充電切れで死んでいた。

「ね、クロ、今何時か分かる?」

「え、何で?・・・あ、お前まさか」

「・・・え?」

「終電の時間とか気にしてる?・・・別に、そんなのさあ」

「ち、違うよ」

「え?」

「い、いいから、何時か教えて」

「なに、用事でもあるわけ?一人で帰るの?」

「違うって。た、ただ知りたいだけ」

「何それ」

 しばらく押し問答が続き、「意地張るなって」「そっちこそ!」と、爆笑の後は喧嘩腰。どうして俺たちこうなっちゃうんだろう?とうとう黒井はスマホをベンチに叩きつけるように置いて、「俺今こういうの見たくない」とそっぽを向いた。ああ、ごめん、それでお前は千葉でも、ネットも電話もしなかったんだ。

「じゃ、じゃあちょっとだけ見せてよ。時間だけ見たら、すぐしまうから」

「嫌だ」

「だ、大事なことなんだって」

「だから何が?」

「お願いだって」

「だからそれを言えって!」

 そんなの、そっちこそ、察してくれ!

 ・・・。

 どうしよう、こんな雰囲気で渡したって、しょうがないよね。

 せっかく用意したのに、自分のせいで台無しだなんて、ほんとうに情けなくて呆れる。どうして夜でも光って見える腕時計を用意しなかったんだ。

 やっぱり、ちゃんと、完璧に計画しないから。

 そのせいでお前に嫌な思いをさせてるなんて、耐えられない。やっぱり、ちゃんとやらなきゃ、だめなんだ・・・。

 ネクタイの、サプライズとか、してくれたのに。

 僕はこうして、情けない声出して、誕生日をロマンチックに演出することも出来やしない。

「・・・あの」

「うん?」

 少し苛立った声。はあ。しかも、バッグからこそこそ出すのが、へんてこりんな包みなんだから、もうどうしようもない。

「これ・・・」

「・・・なに?」

「べ、別に後でも、よかったけど、・・・今、って、思ったから」

「・・・何のこと?」

「いや、だから・・・時間、まだだったら、言え、ないし」

「はあ?」

「い、いい加減、気づけって!」

 チカチカとライトをもてあそんでいた黒井が、「ええ?」と怪訝そうにこちらを向く。僕はグレーの袋を持ったまま、でも渡すことも出来ず、「だ、だから、時間!」と繰り返した。

「時間が何なの?それ何?」

 あぐらのまま僕を見上げる黒井に、「時間を見なきゃ、今が何日かわかんないだろ!!」と、逆ギレ。どうしてもっとまともに祝ってやれないんだ?

「何日って、え・・・」

 すう、と顔から苛立ちが消えて、ぽかんとした無表情。

「この鈍感!」

「え、まさか」

「だから、早く見て!」

「な、なんだよ・・・」

 ゆっくりベンチから足を下ろし、裸足も気にせず、僕の顔と持っている袋を交互に見ながら近づいてくる。ひゅう、と全身がこわばって、クロの顔が見れない。スニーカーの僕とほとんど同じ高さの、その顔が、スローモーションみたいにゆっくり肩に乗って、あとから背中に手が回された。

「バカ、そんなの、何時だって」

「よ、よくない。ちゃんと、正確に・・・」

「そう、思ったら、そんときだ」

「・・・分かったよ。分かった。今日はお前に譲る。誕生日おめでとうクロ」

 右手に袋を持ったまま、僕は左手だけでクロを抱きしめた。クロは、「お前のときは、ちゃんと、見る」と、懸命に譲歩してくれた。

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