第188話:三課と四課を越えた仕事

 腹が興奮でキリキリしたまま、ノー残で一目散に会社を飛び出した。

 ほとんど仕事は進んでないし、っていうか最低限しかやってなくて、ほとんどサボってたようなもんだし、でもそれどころじゃないからさ。<ノー残だから、終わった、ってか、終えた!>なんてメールも出してしまう。本社も水曜ノー残とかあるのかな。待ち合わせて一緒に帰れたりは、しないか・・・。

 気持ちばかりが先行するけど、でもいくら早く終わってもどうするかって、二人のアトミクは出来ないから、せいぜいお前の誕生日プレゼントが届いてないか確認するくらい。郵便受けを見るけどまだ伝票は入っていない。

 帰宅し、カレーでも作りながら、誕生日の計画を練ることにする。プレゼントをどこで渡すか、どこかへ行って、ディナーでも?相棒の誕生日なんだ、盛大に祝ってやらなくちゃ・・・。

 包丁でじゃがいもの皮をむきながら、ふと、ようやく自重する。おい、ちょっと突っ走ってないか?あいつは三十って歳のことを気にしてるし、いくらアトミクを始めたとはいえ、まだ何かを取り戻したってわけじゃないんだし、また僕だけ浮かれポンチでお前のこと考えてないんじゃないか?

 包丁の手が止まる。

 ああ、そうかも。

 すべては、僕の勝手な感覚だ。

 考えてみれば、カラオケで黒井の歌を聴いて<ありがと>って言って以来、ほとんどろくな会話をしていないのだった。メールだって、別に大した内容じゃない。僕としてはすごいことなんだけど、文面としては何の変哲もなくて、だからお前に僕の気持ちが伝わってるってわけでもない・・・。

 ・・・やっぱり話さなきゃ、わかんないね。

 そういえば誕生日だって当然一緒に過ごす気でいるけど、別の約束があるからと言われれば、撃沈なんだし。

 ・・・うん、でも、めげないぞ。

 いつもみたいに、やっぱそうだよな、と落ち込んだりはしない。何の勘違いかもしれないが、キャタピラみたいな心でごりごり乗り越えて行ける。他の誰かと約束があったって、それが何だ!


 ただ誕生日空けといてって言いたくて、<家に帰ったら、ちょっと電話ください>とメールした。そしたら<今日は松山さんの奢りで、まだみんなで飲んでる。ごめん>と。とりあえず二人っきりじゃなくてよかった、と勘違いの嫁さん気分で、しかし、がっかりしながらも、こうして返信が来るのが嬉しい。スマホは鳴らないんだとか言ってたけど、しょっちゅう確認してくれてるってこと?


<別に、急ぎでも何でもないし、気にしないで。

 奢りなら、存分に飲み食いしてこいよ!>


 黒井はまたろくなものを食ってないんだろうと心配してたから、多少偏食気味でも居酒屋で食べてくれたならよかったと思った。

 ・・・。

 もう、ほんとに、お前は黒井の何なんだって!



・・・・・・・・・・・・・・・



 誕生日の案は、何となく、イメージはあった。

 外が、いい。

 どこか、自然が多いところ。

 そして、夜だ。

 こないだのマンガ喫茶で感じたような、本当の夜。ナイト・トレイルまでは出来ないだろうが、それに近い何か。

 この辺りで、そんな場所はないだろうか。キャンプとかまで大げさではないけど、ふつうの公園よりはそれっぽいところ。

 

 木曜日。

 結局黒井からメールも電話も来なくて、まさか酔っぱらっておかしなことになってないだろうな、と訝しむが、適当なメールの文句も浮かばないのでそのまま。

 心はもう誕生日の土曜に向かってるのでどうにも会社ではやっつけ仕事なのだが、朝から課長に呼び出され、ちょっと冷や汗をかいた。思い当たる節がありすぎるだけに、びびりながら応接スペースについていく。

 あの件か、この件か、と考えていると、大体ぜんぜん違う方から矢が刺さるものだ。

「山根大先生にはね、折り入ってお願いしたいことがあるわけよ」

「え、何ですか」

 <大>がつくなんて、よほどの面倒に違いあるまい。

「まあ先般ご承知の通り、あっちに、あの、島の奥ね。本社の方々がいらした関係で、まあいろいろ、辻褄というかね、合わせなきゃならんわけ」

 そう言って笑われても、何のことだかさっぱり分からない。

「で、聞いてると思うけども、来週から新人さんたちがいらっしゃるでしょ?そこんとこの関係もあって、ま、事務処理フローだとか、進捗管理とか、まあその辺のことをね、しばらく山根に任せたいかなと」

「は、はあ?」

「いや、別に全部をすぐにどうこうって話じゃなくて、・・・ま、俺もよくわからんのだけどね」

「は、はあ・・・?」

 道重課長いわく、例のビジネスオペレーション某の意向というか指示により、課長・G長だけでなく営業の一人一人も何たらかんたらの何とかを明確に持つべし、とか・・・。そういえば四月から営業にもフローが振られて、佐山さんが失職を心配してた、あれのことか。

 しかしその後それも二転三転しているらしく、言ってる課長も匙を投げるけど、投げられたって受け取れないのになぜだかそれは僕の頭に乗っかったようだった。

「で、当然全員がいきなりそれを全部出来ないし、そんな時間もないし、物理的に無理がありますよって話はしてたんだけど、じゃあ物理的に無理のない範囲で、って返されちゃってさ」

「はあ」

「まあ、元はと言えば営業と事務方の意思疎通というかね、ほら、不備が多すぎて突っ返されて、小野寺さんと大喧嘩したしね」

「ありましたね」

 廊下を挟んで反対側のフロア、事務の<鬼のオニ寺>女史とこっちの営業課長たちとの戦いは今に始まったことじゃない。黒井が支社に来る前、大々的にやりあっていたことを思い出した。

「一応、その、三十一期かな?今回の大量の新卒から、もうそういうのは営業のいろはとともに教えていきましょうと。・・・そんなら自分たちで教えてくれって話だけどさ」

「そりゃ、そうですよ」

「まあ無理だと思うけどさ、はっはっは!」

「いや、そうですけど・・・」

 とにかく、話としては、半ばなあなあでなくなりかけていた四月の話は白紙に戻し、営業全員じゃなく、僕が、佐山さんが今やっている営業事務の一部をフォロー、ゆくゆくはやることになる。課長とG長がやっている進捗管理の一部をそのうちやってもらう、いずれ任せる。新人が仮配属されてきたらその辺のことを教えて、機を見ながら、ゆくゆくは営業全員が出来るようにしていく・・・、ということだった。その代わり営業案件減らしてくれるんでしょうね、の一言が、いや、減らすほど抱えてないけどさ、という後ろめたさで飲み込まれる。

 またうちの会社のやるやる詐欺かなとまあ話半分に聞いて、「はあ、分かりました」と解放された。オフィスに戻るともう誰もいなくて、かといって今日からやることもないので、佐山さんと「何なんですかね」と今ひとつ噛み合わない会話をして外に出た。


 最初は、何となく、自分が頼られたようで、能力を認められたようで、嬉しかった。

 でも地下通路をぼんやりと歩くうち、もしかして、単にデキないやつが半分事務に回されただけ?と思い至った。もしや婚約してそのうち辞めるかもしれない佐山さんの代わり?俺、島の端っこで昼間もぽつんと事務や電話取りすんの?

 真っ先に思ったのは、そんなの黒井に見られたら、ということだった。

 考えただけでもいたたまれない。

 だって、僕じゃなくても、横田だって条件は同じだったはずだ。

 むしろあいつは復帰してしばらくそういうことをしてたんだから、僕より分かってるんじゃないか?あいつは何でもぐだぐだ言うわりに几帳面で細かい仕事をするし、明確なビジョンがどうとかはないだろうが、頼まれたことはきっちり仕上げる方だ。去年からの流れで横田にお鉢が回ってもまったくおかしくはないのに、営業成績だってまあどっこいどっこいで、歴然と差がついているってほどでもないのに、でも、どうして、僕だった?

 いや、きっと、課長が、指示が出しやすいからってだけじゃないか?

 横田は表面上ちょっととっつきにくくて無愛想だし、不明点を何度もやりとりしてすり合わせていくようなコミュニケーションをするタイプじゃない。まあ何より、休んでいたのも突然復帰したのも、たぶん課長にも本心を明かしていないわけで、それよりかは僕の方が<分かりやすい>ってだけかも。仕事がデキるデキないっていう営業スキルより、ちょっとした仕事を頼みたい時気安く頼めるかとか、ダメ出ししやすいかとか、そんなことで何となく、じゃないか・・・?

 結局、答えの出る話じゃなかった。

 ビジネスオペ某からどこまで明確な指示が来てるのかも分からないし、何ヶ月かしたら立ち消えになっているかもしれない。

 電車に乗ってしばらくして、反対方向に乗ったことに気づいて慌てて降りた。


 気にしないよう努めていたが、帰社するまで、どうして僕なのかってことをずっと引きずっていた。

 そして、それはたぶんどうして僕が選ばれたかっていう本当の理由じゃなくて、あるいは僕がデキないやつだとされていることに対するいじけた気持ちとも少し違って、ただ、誰かに注目されて、何かを見られているのが嫌だという、嫌悪感だった。

 課長が嫌いだという話じゃない。僕に対する評価が不当だなどと言う気もない。

 これはもう、仕事がどうの、会社がどうのじゃなく、生理的なものだ。

 少し面倒なものを買うとき、レジに並ぶのさえ嫌なんだ。全てのものが自動販売機で売られていればいいと思う。通販だって結局運送屋に会わなければいけない。

 僕の人嫌いは、人のことが嫌いというより、自分が人に見られるのが嫌いなんだ。

 特別、どこがどう、というコンプレックスがあるわけじゃないけど、ただ、自分が誰かに注目されて、何がしかの印象やイメージを勝手に持たれるというような状況が、気持ち悪くて仕方ない。黒井のように、容姿ゆえに勘違いされて、直接困った状況に陥るってわけじゃない。ただ、見られていること自体に違和感がありすぎる。誰かの視界に入って、網膜に映って、認識されることが。

 その結果どう思われようが、しかしそのことについてはそんなに興味はない。デキないやつに思われようが、まあ、パッと見でそういう印象を持ったならそれで構わないし、それが真実だろう。そこを訂正したいなどとは思わない。見たのなら、見たまま個人個人がどういう印象を抱こうが勝手だ。とんでもない勘違いをされようと、僕には関係ない。

 ただ、誰かの思考の、思念のどこかに僕が浮かぶ瞬間があるかと思うと、まるで突然飛び入りで舞台に上げられて手品の手伝いとか、モノマネをさせられるみたいな嫌悪感で、今すぐやめてくれ、と思ってしまう。たとえ可愛いレジのお姉さんに「あ、あの人また来た、カッコイイ」だなんて思われるのだとしても(あり得なくて笑えるけど)、そんな、他人の人生に僕が出演するひとコマがあるだなんて、まさか、無理無理。道端の石みたいに、本当に、誰にも何の影響も与えたくないんだ。

 だから、営業成績の数字で選ばれたのならともかく、性格や、僕個人のあれこれを勘案して何かの選考をされたのだというなら、居心地が悪くて、考えただけで目を逸らしたくなった。

 そして、黒井から僕が何かを思われていることについては・・・、一瞬頭が白くなるほど、よく分からなかった。

 会って、話してるときならともかく、例えば今、あいつが本社で僕のことを何か考えているんだとして。

 ・・・僕のことを、考えている?

 あいつが、あの頭の中で?

 僕は、一体どういう風に映ってるんだろう?あいつが僕のことを思うとき、どんなイメージが浮かんでいる?鏡なんか嫌いだからろくに見ないけど、喋ったり、笑ったり、食べたり、動いたり、一体どういう僕が再生されるんだろう?

 気持ち悪い、と思った。

 黒井のことじゃない。

 あいつの目が見えなければいいのに。いつでもブレーカーの落ちた暗闇で僕と話せばいいのに。いや、僕は自分の声だって好きじゃないけど・・・。

 ああ。

 もしかして僕は、黒井が、好きなのか?

 いや、恋愛対象という意味じゃなく、あれが僕の理想像というか、選びたいアバターというか、とんでもない高望みをして生まれ変われるなら、あんな風になりたいって・・・!?



・・・・・・・・・・・・・・・・



 あれ以来メールも電話もないまま金曜日。

 アマゾンの届け物は今日の一番遅い時間で届くよう指定して、まあ、残業もそれに間に合うように切り上げよう。

 誕生日の計画も、僕の自己満足的な案がいくつかあるだけで、進まなかった。何だよ、一応電話くれって言っといたんだから、その日は無理でも、電話できなくても、メールの一本くらい寄越したら?


 朝から、システムの進捗管理の管理者メニューについて課長から教えられ、へえ、こんなことしてたのか、と、ちょっと権限を与えられていい気持ちになっている自分がいる。有能だから任されるんじゃないぞ、と言い聞かせつつ、次は佐山さんから見積もりシステムの事務管理メニューのレクチャー。っていうか、要するに面倒を一手に引き受ける人?何をして、何を終えればクリアというものもなく、ひたすら日々の件数やグラフとにらめっこ。でも、増えようが減ろうが僕が何かの指示を出せるわけでもなく、それでどうするというあてもない。

 ああ、さては、ゆくゆくは営業全員がこういうのを見ながら営業活動を進めていく、って理想なんだろうけど、今は無理であって、でも見てくれだけは「一応プロトタイプで一人やらせてますんで」っていう、スケープゴート?だとしたらたぶん、この目論見もそのうち頓挫して僕がやるだけ無駄だったって、面倒な雑務に追われて優良な営業案件も手元に残ってなくて実績もなくて、っていう、そんな感じになっていくんだろう。別に、だからって、それでもなあなあで拾ってくれる、実力主義とかない会社だから別にいいけど。

 颯爽と出かけていく、すっかり東京にも慣れてきた西沢を見送って、一人でパソコンに向かっていると、後ろから三課の中山課長の声。え、僕に言ってる?

「それ、来週から黒井にやらせるからね。教えといて。ね、道重さん、借りていいでしょ?」

「ええ?」

「だって俺教えたくないもん。暇ないしさ」

「ちょっと、それじゃわたしが暇みたいじゃない」

「いやいや、そうは言ってないけどさ。システムとか、別に、教えてもね・・・」

 中山はちら、と奥の島を見遣り、舌打ちしそうな顔を一瞬傾げてみせる。まあ、いつだって、「上の考えることはようわからん」、そして大体が、面倒で迷惑・・・。

 ・・・黒井に、教える?

 え、三課でこのポジションが、黒井だってこと?

 ああ、そういえば半分は新人の世話焼きだとか、言ってたっけ。その延長で?

 ぼ、僕と黒井が、課を越えて同じ仕事をする?

 こうして昼前に、がらんとしたオフィスで、「あれチェックした?」「ああ、まだだった」とか何とか、のんびりと?僕が電話取ったりして、「お前も取れよ」「だってめんどいもん」とか?佐山さんと島津さんにくすくす笑われながら?

 その後、一緒にお昼食べたり?

 ま、まさかの弁当持参とか?お前の分も?

 ・・・。

 昨日まで、黒井に見られたら、さっきの西沢みたいに「まあ俺は忙しいから」って顔で置いていかれたらみじめだって、そんな毎日になったらいくらアトミクをやるパートナーだからって、釣りではスーさんにダメ出しするハマちゃんみたいにはなれないよって、思ってたのに。

 な、何だよ。

 お前と一緒なら、便所掃除だろうが、何だろうが・・・。

「おいおい山根、頼むよ。何、頭抱えるほど嫌か?」

「へっ・・・、いや、そんな」

 いつの間にか、そんなポーズをとっていたらしい。いえ、絶望じゃないです。っていうか、え、もしかして中山課長、僕たちがデキてると思って、くっつけてくれた、り、してる?

 いや、むしろそれなら、道重課長の方か?

 もし僕が選ばれた理由がそうなんだとしたら、ああ、何て素晴らしい会社なんだろう。

 はは、本当はデキてもいないし、そして、キス以上だって何も出来てないけどね。

 ああ、会社でも、休みでも<一緒にやる>なんて、もう、どうしちゃったんだろう。何が回ってきたの?僕に対する、何かの功労賞?

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