第175話:誕生日プレゼントって何だ

 夕方になっても黒井からメールの返事はこなくて、仕方なく菅野には<お久しぶりです、こっちも元気です。ちょっと予定まだ分からなくて、またメールします>とだけ送っておいた。おっと、<追伸:会社の話題としては・・・佐山さんが婚約したそうです。知ってた?>と追加。

 まさか黒井はまだ寝てるのかな。メールにも気づいてない?

 ・・・そしてふと、あいつのスマホはどこにあったかな、と思った。スーツを掛けたとき、上着にもズボンにも、重いものは入ってなかったような。玄関にもなかったし、部屋のどこかに置いてあった記憶もない。

 え、まさか本当の手ぶらで来たの?だって、それなら財布すらなかったってことだ。あいつが持ってたものといえばパスモ一枚しか見ていない。それだって中は三十円で、チャージして精算したくらい・・・。

 あ、財布がなくて、それで僕に精算を頼んだのか。え、っていうかそれで帰れるの?チャージした残りでまあ足りるか。どれだけ向こう見ずというか、その日暮らしというか、風来坊なんだろう。チャージするか不足分だけ精算するか、たぶん見てもいなかったのに・・・。

 どうせまた、何も持ちたくない気分だったとか、映画だって急に観たくなったとか、そんなところだろう。海に行って、気まぐれ癖が更にパワーアップした?

 ・・・。

 そしてつい、こちらも癖で考える。

 携帯なしで、どうやって帰りがけの僕を見つけた?映画が観たくなって、僕の家のDVDプレイヤーを当てにして、それでどうして新宿で捕まるんだ?しかも、探してた、って、メール一本寄越せば桜上水で待ち合わせてうちに行ったのに。マルタイに接触する方法としては不確実すぎるやり方だ。

 それも、気まぐれ?

 会えなかったらそのまま帰る気だった?

 行動基準がさっぱり分からない。やることなすことサイコロを振るような人生なのか?



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 それから帰社して、西沢はまだいなくて、横田が話しかけてきてそれは判明した。

「そういえば山根君、昨日会えた?」

「・・・え?」

「ほら、あの、黒井さん」

「あ、ああ・・・会ったけど、な、何で?」

「何でって、昨日帰り、下で突然腕つかまれて、山根君ならついさっき帰りましたよって言っといたけど・・・。何かものすごいダッシュで走って行きましたけど、何なんすかあの人」

「あ、いや、何か急ぎの用事があったみたいでさ、うん」

 ちょっと気まずくなったところで西沢が帰ってきて、朝のお返しや、と律儀にガルボチップスとやらを寄越した。

「俺これお気に入りやねん。普通のガルボも好きやけど、このラスクみたいのも結構ええで。試したことある?」

「いや、ないです」

「なら食ってみ、絶対うまいで」

「それじゃあ、どうも」

「あ、横田君もいったってな?」

「あ、どうも。後でもらいます、今ガム食ってるんで」

「ああ、そらあかんな。そういう味のミックスはいかんのよね・・・」

「あの、味がどうこうもありますけど、前、ガムとウインナー一緒に食べたらえらいことになりましたよ」

「・・・はあ?何でそんなことすんの?意味がわからへん。そらえらいことになるやろ」

「いや、不味いっていうか、溶けるんですよ、油で、ガムが。あれはひどかった」

「はあ?ちょ、わからんよ。横田君、どうしてガムとウインナーが一緒にお口にお入りになるわけ」

「いや、それは・・・」

 僕をはさんでどうしようもない会話が交わされる中、確かに美味しいガルボチップスを食べながら、今黒井はどこでどうしているのかなあと思った。携帯を取り出し、やっぱりメールは来ていない。そこにヤモリも鍵ももうついてなくて、メールも来ないなら僕になす術はない。

 ・・・元に、戻ったんだ。

 もう行きたいときに勝手に部屋に行くことも出来ないし、あれやこれや必要なものを買い揃えることもない。あそこはもう僕の領域じゃないんだ。いついつ帰ってくるからそれまで頑張ろうという目標もないし、部屋を片づけて、あいつの期待にきちんと応えている、という満足感もない。

 僕は毎日自分の家に帰り、あいつの気まぐれを待つしかない。そういう、日々に、なるんだ・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・・



 西沢がゴールデンウイークの予定を訊いてくるので、「未定です」と答えた。ああ、<情熱と幻滅>の繰り返し。予定は未定で、目標もない・・・。

 カレンダーを見て、あ、そうだ、誕生日だ、と思い出した。それだけは、明確な予定であり、目標となりうる。年に一回、それが来週巡ってくるんだ。早いよ、もうちょっと先ならもっとずっと考えていられたのに、あと一週間しかないなんて。その後どうしたらいいかもう分からないじゃないか。来年のプレゼントを考えて一年間過ごすわけにもいかないし。

 ・・・うん?まさか、僕ならやりかねないかな、なんて。


 帰宅して、まずはキッチンに放置されたインスタントラーメンの袋と鍋。どんぶりは出てなくて、鍋のまま食べた?それからスーツはそのまま掛かっていて、え、まさかまだいるの!?

「・・・クロ?」

 でも返事はなくて、布団の中にも、トイレにも風呂にもいない。そして鍵も二つなくなっていて、その紙に「服と金かりてく」と一言。

 ・・・いつまで、いたのかな。

 鍋はもうとっくに冷たくなっている。

 棚の奥にあった、昔やってた五百円貯金の貯金箱がテーブルに置かれていて、何枚か持って帰ったようだった。やっぱり財布もなくて文無しだったんだ。

 ・・・はは、何なんだろう、嵐みたいに去っていく。ほんとに昨日、ここでイイことした?一緒に映画観て、イイ感じになった?布団の中に手を入れるけど、もちろんぬくもりなんか残ってない。何でだろう、千葉に行ってしまったときよりずっと苦しい。バカみたいにおセンチな気分になってしまって、藤井のipodを出して聴いた。仏説摩訶般若・・・以外の歌い出しは久しぶりだ。しかもその上愛してる・・・だなんて、もう何なの。


 パソコンに向かって、黒井の誕生日プレゼントを考えた。

 確か西沢が、万年筆だとか言ってたっけ。あいつは上等そうなボールペンを持ってるけど、もしかしてそういうの好きなのかな。適当に検索をかけてみるけど、とにかく何だか高級感溢れていて、うわ、腕時計ほどじゃないけど、十万とかするのもあるわけ?・・・いや、まあ三十歳の誕生日に千円、二千円の万年筆なんか贈れないけどさ。

 調べるうちに、一点もののほとんど芸術品みたいなものとか、プレミアム何とかモデルとか、ものすごいものがたくさんあった。自分で持ちたいとは思わないし使ったこともないけど、黒井になら似合うかもしれない。

 そして、モンブランが毎年出しているという特別モデルのページを見て、思わず「ああ」と声を出した。

 アインシュタイン・モデル・・・。

 え、何これ、すごい。

 <E=mc2>が刻まれ、キャップのクリップのところは重力レンズ効果を表現している・・・。

 ああ、これじゃないか?

 本当はハイゼンベルクの量子モデルなんかがよかったかもしれないけど、これはありじゃない?下手なグッズなんかじゃなくて本格的でさりげなく、上品で重厚感もある・・・。取引先ですっと胸元から出して「素敵な万年筆ですね」「ああ、実はこれアインシュタイン・モデルなんですよ」とか何とか、それで知ってる人なら「もしかしてここのデザインが相対論の?」みたいな感じで盛り上がったり・・・え、まさか<また物理の話・・・>の人と盛り上がっちゃうの?だめだって!

 しかし、僕が黒井に贈るのにふさわしい一品を見つけたと思ったのもつかの間、お値段におののいた。

 ・・・え、三十万越え?

 いや、ちょっと、三万くらいで何とかならない?せいぜい五万とか、すっごい無理して十万とか・・・?

 いや、もちろん絶対払えない金額ってわけじゃないけど、さすがに三十万のプレゼントってやりすぎだし、ああ、確か西沢も万年筆は親父さんからとか言ってたか。父親から息子へならともかく、友達で十万以上はないだろう。値段がわからなければまだしも、こんなプレミアモデル、検索すれば特定出来ないはずがなく、当然いくらか分かってしまう・・・。

 ああ、振り出しか。

 しかしこれを見てしまった後、ごく無難な二、三万の万年筆を選ぶ気にもならない。やっぱり僕からあいつにあげるなら、<そういう>ものでないと。


 それから他に<そういう>モデルがないかと腕時計なんか見てみるけど、つい<セシウム原子による正確無比な原子時計>というのに惹かれてしまって、でもそれは天文台にある代物であって、手の届くものではなかった。はは、セルンの加速器でもプレゼントする気か。ちなみに調べてみると、セルンにはATLASとALICEとCMSという三機があるらしい。お前に似合うのは地球をかつぐアトラスよりワンダーランドのアリスかな、なんて。

 ・・・どうしよう。

 大げさすぎず安すぎず、センスが良くて、モノとして持て余さなくて、もらって嬉しいもの。

 全然思いつかない!

 ・・・俺でいい?ねえ、俺でもいい?

 リボンじゃなくてタオルで両手を縛った俺とかどう?え、いらない?何で?あ、大げさすぎて安すぎて、センスが悪くてモノとして持て余して、もらって嬉しくないから??あはは!その通り!!


 長風呂しながら考えたけど全然だめで、流れ星っていうか隕石とかどう?とか考えるけど、たぶんあいつはそういう、展示ケースみたいなのに入った<商品>はいらないんじゃないかと思った。本当に偶然その日隕石なんか降ってきたら喜ぶだろうけど、それって僕からのプレゼントじゃないし。

 だから、「何が欲しい?」って訊くのもきっとだめなんだろう。そう、ハーゲンダッツのアイスだって、欲しいと言って用意してもらったって面白くないとか、ああ、花びらだって自分の力で奪うんだって・・・。

 ・・・でもそれじゃ、僕があげられるものなんて、あるのかな。

 やっぱりその、僕の初めてを、あっちの方の初めてを、奪ってくださいとか・・・はは、水でもかぶろうか!

 僕は湯船に浸かったまま冷水のシャワーを浴びて、ようやく風呂から上がった。携帯が点滅していて、菅野からメールがあったかなと思いきや、黒井からの着信のお知らせだった。

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