第173話:映画鑑賞会
「ああ、何か寝た!気持ちよかった。何か、世界で一番気持ちよかった!」
ホームで思いきり伸びをして、その声が夜空に響いた。・・・僕だって、世界で一番幸せだったよ。
「そんでもって腹が減ったよ!ねこ何か作ってくれるでしょ?」
「お、お前、声が大きいよ・・・」
「・・・あ、そう?やっぱり?」
「え?」
「何かさ、あいつら相手にずっと大声出してたら、だんだんこうなった」
「あ、ああ、研修?」
「そう、お前みたいなやつもいたんだよ。でも全然・・・ああ、それも後で話す。とにかく行こう。お前明日会社なんでしょ?」
「そうだよ。お前は休みなの?」
「うん、明日まで休みにした」
「明日まで?じゃあ今日も休みだったの?」
「もう、だからさっき言ったじゃん!早く、こっち!」
「そっちじゃないよ」
「こっちなんだよ!」
黒井は意気揚々とうちとは反対側の改札を通ろうとして、ピンポン!と捕まった。
「そうだ、忘れてた。ね、これやって」
パスモを渡され、後ろの精算機を示される。OLさんが黒井を見てちょっとはっとして、それから顎で使われている僕をちょっと振り返り、改札を出ていった。いえ、いいんです、気にしないで下さい。
残額三十円のパスモにとりあえず千円チャージして渡し、「どこ行くつもり?」と言いかけて、ようやく思い出した。ああ、いつどこへどうやって何しに行くのか、決めてないし決定しちゃいけないんだっけ。まるで量子だな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
改札を無事に通り、「あのさ、それでね」と相変わらず少し大きめの音量で話しかけられ、並んで歩きながら、ふらりと倒れそうなくらいどきどきして仕方なかった。腕を取って引っ張られてるわけじゃなく、ふつうに歩いてる、その距離が近い。西沢や横田と歩くのよりずっと。顔が近くて声が近くて、その手がすぐ僕の腕を軽く叩いたり肩に乗ったりして、ちょっと、この人がこれからうちに来てしまうってどういうこと?この時間からご飯まで食べる気みたいだけど、そしたらあっと言う間に終電なんかなくなるよ?
・・・泊まるの?
あ、だから、こいつはそんな、何時だからどうするとかきっと考えてないんだ。そうなったらそうなった時困ればいいって、うん、っていうか何でうちに来るんだろう・・・。
「ああ、やっぱあった」
「え、ツタヤ?」
「映画を観るんだよ!」
・・・ああ、そうなんだ。
テレビが、ないからね。
パソコンすらないし、スマホじゃDVDは観れないもんね。
うちで、映画が観たかったのか。
ああ、どうぞどうぞ。でもさ、いくら観たい映画があるからって、「会えなかったら死んでた」は言い過ぎじゃない?
ツタヤに入って、でも黒井がそんなに観たい映画って何だろう、と興味はわいたけど、一直線にどこかへ向かう様子もなかった。新作コーナーを冷やかして、映画のサントラなんか眺めている。
「・・・<アナと雪の女王>。これ女の子たちがみんな観たいって言ってた。知ってる?」
「ああ、話題のやつね」
「俺たちみんな浦島太郎だよ。消費税だってさ、当たり前みたいに上がってんの」
「そりゃそうだ」
「せっかく三十円あったのに、ブラックサンダーが買えなかった」
「・・・あれは、上がる前から三十一円だ」
「え、じゃあどっちにしろ無理だったの?」
「そうだね」
「三十一円?」
「うん」
「今どうなってる?」
「三十二円」
「あ、そう」
特に意味もなく笑いあって、黒井が僕の背中や肩をまた叩いた。何だよ、一ヶ月ぶりに会って、こんな風に笑いあって、本当の親友みたいじゃないか。他の客が狭い棚の後ろを通り、「あ、すいません」と僕が謝る。黒井が「はは、怒られてやんの」って顔で足を蹴ってくるので、もう土で汚れたそれを遠慮なく蹴り返してやった。いや、だからどうしてそんな汚れてんの?
「バカ、他の人に迷惑だろ?さっさと映画を探せって」
「探すのはお前だよ」
「ええ、何?分かった、探してくるから、タイトルは?」
「知らない」
「・・・主演は?監督は?」
「知らない」
「ジャンルは?」
「・・・さあ、SF、かなあ」
「最近の?古いの?邦画?・・・ってことはないか、SFなら洋画?」
「・・・えーと」
何となく棚を回遊しながら訊くけど、さっぱり要領を得ない。どれが観たくてそんなに急いでたんだよ!
「もう何でもいいからさ、覚えてるシーンとか、どんな敵が出てくるとか、特殊能力とか舞台はどこかとか・・・」
「言ったら見つけてくれる?」
「・・・そこまで映画に詳しいわけじゃないけど、まあ、出来る限りは」
脚本の本を読んだばかりだから何となく知ったかぶりをするけど、ごく当たり前のメジャーどころ以外はミステリ系しかあまり知らない。
「ええとね、全く別の星か、遠い未来とかで、大自然の中で飛んだり跳ねたりするやつ!」
「・・・はい、それで?」
「・・・そうだな、えっと、すごく遠くまで見えて、飛んだりする」
「飛ぶのは聞いた。何で飛ぶの?スペースシップ?小型の飛行装置?」
「・・・さあ。でも乗り物じゃなくてどちらか言えば自力かなあ」
SFで大自然といえば、ウィル・スミスの親子共演のやつがすぐ思い浮かんだけど、あれは飛んだかな?飛ぶといえば、テレポートみたいにどんどん場所をジャンプするやつもあったけど、あれは何だったかな・・・。
「まあとにかくすごい景色なんだよ」
・・・他の惑星か未来ですごい景色なら間違いなくすごいCGであって、なら古典ではないんだろう。せいぜい2000年以降で、たぶんハリウッド製で、飛行シーンがある・・・。
臨場感のある景色といえば、確か3Dが導入された頃盛り上がったやつがあった。別の星で、確か恐竜みたいのに乗って飛ぶところがあって、何だっけ、青い原住民が弓を引くやつ・・・。
「えっと、何だっけ、ア・・・<アバター>とか、そういう感じの?」
「あ、それ借りて?」
「・・・あ、そう」
黒井がAVコーナーへ消えるので、僕はもうどぎまぎしながら、カードは出し間違えるしDVDじゃなくてブルーレイを持ってきてしまうし、ひどい有様だった。でも黒井は手ぶらで帰ってきて、「これも借りて!」とはならなかったのでほっと胸をなで下ろした。いやいやいや、そんなの無理でしょ。そんな鑑賞会、・・・いやいや、<アバター>観ようよ!設定がお粗末とかラストのご都合主義が見てられないとか言わないから、これ一緒に観よう、ポップコーン食べながら!!
・・・・・・・・・・・・
「俺ああいうの全然好きじゃないんだよ、何か、興ざめで」
「・・・そ、そう。ふうん」
「写真ならともかくさ、こう、何ていうの、見え見えで」
「・・・見え見え」
「ち、違うよそういうえろい意味じゃないよ!」
「しっ、声が大きいって!」
映画を借りてコンビニでポップコーンとジンジャーエールとチューハイを買って、えろい話で肩をどつきあいながら帰宅・・・とか、どこの友達だよ!僕がそんなこと!全く信じられない!
マンションに着いて、鍵を開けるなり黒井はうちに飛び込み、スーツとシャツを脱ぎ捨てて布団にダイブした。まさかうちに来ると思っていないから、変なものが置いてないかと冷や冷やして・・・って!ある、ある、思いっきりあるよ!玄関しか電気をつけてないからきっと見えてない・・・。
「ははは、お前、余程疲れてたんだな」
「ううー、誰のせいだと・・・」
「まあまあ、ほんと、一ヶ月お疲れ様・・・」
脱ぎ捨てられたスーツを拾いながら、枕元の写真と封筒とノートをこっそり隠し持って、そのままそそくさと玄関に戻る。とりあえず鞄の内ポケットにしまい込んで一息ついた。いや、危ないよ。浮かれて油断してた。あいつがさっさと布団に飛び込んでくれて助かった・・・。
二人分のスーツを掛けて、下だけ寝間着に着替え、そこで、うわ、足くさ!と思うけど、どうやらそれは自分じゃない。え、まさか?
うつ伏せに倒れているその足元を嗅いで、あれ・・・、うん、風呂を沸かそうか。
っていうか、スーツの汚れといい髪の乱れといい、いったいどうしたんだ?
「クロ、今風呂を沸かすからさ、映画はその後で・・・」
「・・・え、風呂?いいよ、そんなん入ったら寝ちゃう」
「じゃあ、シャワーだけでも浴びたら」
「・・・そうかな」
黒井はのっそり起きあがって、勝手知ったる風呂場へ向かった。イケメンでも足が臭くなるんだなあなんて、馬鹿なことを思った。
急いで鶏肉とキャベツの炒め物を作り、その間に冷凍のご飯とほうれん草を解凍し、わかめとねぎの味噌汁を作った。ほうれん草はおろしぽん酢でおひたしにして、炒め物を皿に盛った後、そのフライパンで玉子焼きを作った。
シャワーの音が止まって慌ててバスタオルを用意し、一番きれいめのシャツとパンツを出しておく。食事を運んでチューハイも用意し、うわ、何これ完全にお嫁さんだよ。お風呂、お食事、そしてその後は・・・。
目をつぶって深く息を吸い、映画、映画と言い聞かせる。ひと月前は風呂を借りに来たんだし、今日は映画を観に来たんだ。
「あー、さっぱりした!」
「よ、よかったね」
「・・・あ、飯だ!飯が出来てる!」
「た、大したもんじゃないよ、本当に有り合わせで」
「うまそう!」
黒井は一口食べるごとに「あーうまい」を繰り返し、僕はそれだけでお腹がいっぱいになってしまった。
「あのさ、あっちの食事がさ、この俺でもちょっとイマイチってくらいマズかったんだよ。いや、別にちゃんと食べたけどさ。ほんと、みんなもまずいまずいって、でもすぐタブレットで何でも調べちゃって、作り方がどうとか調味料がどうとか突き止めちゃうんだ。何かすごくない?時代が違うよね」
一気にまくし立てて味噌汁を飲み、おひたしがなくなった。僕は「へえ、そうなんだ」とか言いながら、でもそのイマイチな食事を作った人にこっそり感謝した。おかげで僕の何でもない料理の株が相対的に上がったんだから。
「ああ、本当にうまいよ。お前を連れてけばよかった」
「・・・な、何だよ、持ち上げても何も出ないからな」
いろいろと無頓着なくせに意外と綺麗な箸使いを見ながら、顔は上げられない。いや、もう本当、早く、シャワーを浴びなくちゃ・・・。持ち上げても何も出ないけど、何かしたら何か出るかもしれないからさ・・・。
いろいろまずくなって風呂場へ逃げようとするも、黒井は先に一人で映画を観ててくれはしなかった。でもこれ、確か三時間近くあるんだよね。
「風呂なんかいいじゃん。昨日入ったんでしょ?」
「そりゃ入ったけどさ」
「じゃあいいよ。俺も眠いし、早く観よう!」
「いや、だから先に・・・」
「お前と観なきゃ意味ないって」
僕の寝間着を着た黒井が、肩に手を置いてまっすぐ目を見てくるから、もう降参。な、何の意味がないんですか。何で僕なんですか。わ、分かりませんけど、すぐに、用意、しますから・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・
DVDの準備をして、予告編もなくメインメニューが表示された。日本語字幕を選び、ああ、それなら仕方ないから眼鏡を用意する。黒井に何か冷やかされるかと少し構えたけど、<再生>を押して20世紀フォックスのテーマが流れ、本編が始まった瞬間、空気が、変わった。
霧のかかった、広大なジャングル。
視点は空をすべるように進む。
独白。退役軍人病院の負傷兵は、やがて空を飛ぶ夢を見るようになった。自由奔放に・・・。しかし必ず夢は終わる。そして、病院らしき場所で目を覚ます男性。
その、少し自嘲気味の、諦め混じりの、自分自身を語る声。若く精悍な顔つきと、その悲壮感のアンバランスが更に人生の憂いを際だたせている。
・・・嫌でも、隣の男のそれと、重ねてしまった。声のトーン、それでも完全には諦めていないしぶとさ、でも、ともすれば壊れてしまいそうな、危うさ・・・。
ただ、声だけだ。それでも同じ波長を感じた。役者って、もしかしてただのスターやゲイノウ人ではない?
地上波で一度観ただけだったから、こんな始まり方だったとは覚えていなかった。
すぐに画面は宇宙船に切り替わり、主人公がなぜここにいるのかの説明がざっと入る。黒井は身じろぎもせずじっとしていたが、やがて僕の腕をゆっくりつかんで「え、なんで・・・?」と乾いた笑いを漏らした。
「・・・え?」
「やっぱり・・・」
「・・・あ、あの、やっぱり一人で観たかったら、俺」
「何で?お前が選んでくれたんじゃん・・・」
やがて場面は、惑星パンドラへ降り立つところ。主人公は、・・・ああ、車椅子だったんだ・・・。
「・・・え、あの、お前の・・・お気に入り、じゃ、ないの?」
会話を続けたのは、黒井に重ねた痛々しいその姿をそのまま見ていたくなかったからかもしれない。
「え、知らないよ。初めて観る」
「え?」
「でもたぶんこれだ。こんなのが観たかったんだ」
「え、ごめん、違ってた?これじゃなかった?」
「違うとかないよ。お前が、選んだ・・・」
そしてまたすぐ、黒井は画面に引き込まれ、世界に入っていった。それっきりエンディングまで、身じろぎもせず、一言も口を利かなかった。
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