第161話:大阪の人と、貴公子の部屋

<クロへ


 まさかメールが来てると思わなくて、今読みました。

 今、お前のうちに寄って、それから自宅に帰る途中です。

 更にひどくなった惨状を見て、これは計画が必要だと思い、新しくノートを買いました。

 全体像を見極めて、少しずつやっていくつもりです。

 

 こちらも、「時間」のことをちょうど考えていました。

 俺とお前は、本当に全然違う。

 血液型は、同じなのにね。

 プロファイリングが本当に正しいか、というより本当に正確な枠組みを捉えているのか、まだまだ大雑把で、虫食いだと思います。でも、自分で言うのも何だけど、根幹としてはしっくり来るような気がする。行動心理学なんかではもっと、体系化されていたり、理論があるのかもしれません。

 少しでも、何かの気づきとか、役に立っているなら、嬉しいです。

 

 実は今も、こうして、書いていて、読むのはずっと後になるんだろうと思うと気が楽です。今の今でその思いを伝えるのは、いつも浮ついたような、ぶっつけ本番のような緊張感があります。実技よりは、筆記の方がずっといい。お前は逆に、本番の方が得意なんだろうね。ああ、演劇部なんて、俺は学芸会も嫌いだった。

 メールでは言葉が選べない、とありましたが、うん、やっぱり俺はこっちの方が適切に自分の考えを描写出来るような気がします。何度も細かいところを修正して、文体や語尾を整えて、でもお前から見たらこんなのは、本当にもどかしい作業なんだろうね。


 海。

 どんな海辺か分からないけど、お前が早朝、一人で立ってそれを眺めているのが目に浮かびます。願わくば、美しい海でありますように。お前には、月や、雪や、自然の美しいものが似合います。

 もしそれが浜辺なら、眼前に広がる、真理の大海を見てきてください。ニュートンのそれを読んでから、俺も海が見たいと思っていました。そういうのを見たならば、きっと、弱いとか強いとか、そういうのを越えた芯みたいなものが、まあ俺の言葉で言えば、インストールされるような気がします。宇宙の真理からダウンロードしてくる、なんて言うと馬鹿くさいけど、物理を学ぶとそういう、理論の力、みたいなものを感じることがたまにあります。目に見える事象ではない、概念と、理論と、数式の力、というか、結びつき?この辺りは俺も言葉に変換するのが難しくて、ほったらかしの領域ではあるけど、また少し仕事が一段落したら素粒子の続きをやりたいと思っています。


 長々と思いついたまま、書いてしまいました。 

 たぶん、一ヶ月経って読まれて恥ずかしくなるだろうけど、お前を見習って、今に正直になってみました、なんて。


 どうか、好奇心のまま海に落ちて、溺れないで下さい。

 無事に帰ってきてくれることを、願ってます。


 その頃、そう思ったら、話を聞かせてください。

 

 山猫 拝>


 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 布団にうつ伏せになって、ノートに間取り図を描く。

 玄関、廊下、キッチン、風呂、トイレ、部屋・・・。

 うちの間取りとほとんど変わらない。

 赤ペンで、きゅきゅ、と間取りを区切る。小さく分けて、少しずつだ。


 1、仕分け

    ゴミとそうでないものの仕分け。

    ゴミは分別して出す。

    そうでないものはいったん保留。

 2、掃除

    風呂、トイレ、キッチン(水回り)。

    床、その他すべて

 3、片付け

    すべてを、元のあるべき場所に戻す。


 間取り図を見ながら、必要なものを想像し、リストアップ。ゴミ袋は買ったから、雑巾、ゴム手袋、水回り用の洗剤、汚れていい靴下、小さなポリ袋、仕分け用の段ボール・・・。

 うちから用意できるものは用意して、紙袋に詰めた。段ボールはあのファミマでもらっていこう。

 僕は今度はためらいなくメールを保護して、それから、鞄から出したコーヒーの缶を二つ枕元に並べて、眠った。

 黒井の夢を見たような、気がした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・



 四月一日、火曜日。

 電車も、新宿の駅も会社のビルも、新入社員で溢れていた。

 でも、腕章をつけているわけでもないのにどうして一目で分かるんだろう。ほとんど変わらないスーツなのに、彼らはどうしてフレッシャーズなんだ?それでも何となく、どうでもいい先輩風を吹かせたくなったりして、自重。ああ、あいつはこれからこういうのの面倒をみるのか。僕も行かせてくれって思ったけど、この中に混じると思ったら、ちょっと居心地の悪さに顔が引きつりそうだった。


 昨日に引き続き、全体朝礼。

 お偉いさんも集まって、新しい体制の説明。何か、本社の一部とどこかを合体させて、第一部と第二部にするんだとか。昨日横田が言ってたっけ。別に、どんな引き出しに入れたって同じだと思うけどね。

 それから、新しいメンバーの紹介。一年間の新人生活を終えた二年目くんたち三人が、新たに課に配属される。うちには来ないから関係ない。それから、榊原を含む新SSメンバーと、最後に、営業の新メンバーが二人。

 一人は中途採用の、いかにも即戦力という感じの人。榊原が抜ける分もあって、二課へ。一応黒井の代わりじゃないから、三課、帰ってきてくれるって信じたいけど。

 それから何と四課には、大阪支社から異動になった、いかにもな関西人。ああ、何か昨日言ってた?

「えー、大阪支社から参りました、西沢いいます。今まで岩本支社長にさんざこき使われてきましたんで、少々のことではへこたれんと思ってます。ははっ。えー、東京は初めてやないんですが、自分、関西をこう、ぐるぐる回って来た人間なんで、ぶっちゃけ関西弁、ごっちゃです。よくエセ関西人や、言われてきましたけど、ま、こっちの人にはあんまわからへんかな、なんて失礼ですかね。あー、長いっすか?すんません。そういうわけで、まあ面倒みたってください。よろしく」

 みんなちょっと顔を見合わせながら、曖昧な拍手。やたら背が高くて、色黒で、派手目のスーツ。え、この人、僕の隣に来るの?本気?

 ちょっと、やめてやめて。昨日課長が「コテコテ」って言ってたの、これか。苦手という言葉で表せないくらいの、違和感だった。


 四課でのミーティングで、新人が来るということであらためて全員自己紹介。普通は名前と、例えば以前はどこの課にいましたとか、何年目ですとか、それくらいで済ませるものだけど、西沢が出身地だの既婚かだのいちいち突っ込むので全然進まなかった。そして最後に僕の番。

「え、じゃあ、横田君と、山根君が同期なん?」

「はあ、そうです」

「ふーん、てゆうと、いくつ?なんこ下?俺もう三十やねんけど」

「二十、七ですけど」

「はーん!東京は若いっすね、大阪より平均年齢だいぶん若いんとちゃいますか。っていうか俺サバ読んだわ。ほんまは三十二」

「は、はあ・・・」

「いやー、さっきから俺、山根君にめっちゃ疎ましがられとるわ。席隣やねんから、仲良うしたって?課長さんからもよう言って下さいよ。え、親戚とかに関西の人とかおらへん?こう、こういうノリの人」

「い、いや、いなくて・・・すいません」

「あ、マジで?ふーん、そんなら俺で慣れてな?俺標準語にならへんからね、ずっとこうやと思うから。そしたらね、たぶんうつるよ。山根君もそのうち『そうやねん!!』とか言い出すで。ははっ!」

 僕はもう苦笑いを貼り付けたまま、何だこれ、と頭の中で繰り返した。菅野さん、お願いだから帰ってきて!カラオケでも何でも行くから、戻ってきて!!



・・・・・・・・・・・・・・・・・



「何や、ここにめっちゃ可愛い女の子座っとったって聞いたけど、ほんま?」

「は、はあ」

「マジで?昨日までおったの?何で俺会われへんの!?」

「は、はあ・・・」

「ねえどんな?若い子やったんやろ?どんな?」

「え・・・」

「ほら、受付の妹尾さんて、彼女美人やな。今朝廊下で、俺早速声かけたったで。こう、いかにも東京っぽい、イケてる感じやん。あんな?」

「いや、ちょっと、違う・・・」

「・・・ま、いなくなってもうたんや、しゃあないな。つうかね山根君、どうしてここ、あっちの島に比べて女の子少ないの?あっちの端っこにはいっぱいおるやん。何でこっち、島に一人しかおらへんの?いや、あ、どーも!佐山さんいいました?あの、あなたに不満とか、そーゆうのやないですよ!」

「・・・」

「大阪はちゃーんと島でばらけるように配置されとるんよ。取り合いなるからね。・・・って嘘や、みんなきっついもん。ははっ!マジ、これくらい喋られへんと、ハリセンでどつかれんで!怖いでー、若いコから熟女まで、笑いにキビしいでー!」

「・・・」

「って、どしたん、マジ大丈夫?具合悪いんちゃう?熱でもあんの?」

 そのデカい手のひらがおでこに寄ってくるので、思わず手で振り払った。

「だ、大丈夫ですから!」

「やー、俺マジ嫌われとる?嘘やん。・・・ま、初日やからね、緊張するわな。うん、俺もちょっと緊張して喋りすぎた。ちょっとおとなしいしとくわ。堪忍な?」

 そのストライプのグレーのスーツも、ゴテゴテのデカい腕時計も、先が尖って刺さりそうな靴も、整髪量の匂いも、身長に対して窮屈なデスクに、椅子を低めにして足を投げ出してるのも、もう、すべてが、生理的に受け付けない感じだった。これに比べたら右隣の横田に抱きつきたいくらい、それくらい嫌でしょうがない。・・・いつまで隣にいるんだ?一ヶ月?二ヶ月?一年?おい、勘弁してくれ。別の島でデカい顔してる分には全然構わないけど、よりによって僕の隣に・・・。

「あ、それでな、山根君・・・」

 西沢の<ちょっと>はもう終わったらしい。二分、くらい?ヤマネくん、じゃなくて<やまネ・くん>というイントネーションも違和感がありすぎる。この後定例会議があるから外回りに出るわけにもいかず、横田も助け舟を出す気は全くないようで、ああ、もう、俺こーいうの苦手やわ!ってか、大っ嫌いやねん!!



・・・・・・・・・・・・・・・・



 エイプリルフール。

 誰か、そうだって言って。こんな関西人、明日にはいなくなるって。異動じゃなくて出張で来ただけだって・・・。

 黒井が恋しかった。あの、爽やかで、こんなんに比べたら本当に品が良くて、綺麗な笑顔。「えー何それ」とか「さあね、わかんない」なんて、いつも柔らかくて、でもちょっと低くて、まるでお茶の葉の濃くて深い緑のような、薫りさえしてきそうな声。手にしても、腕にしても、着こなしとか髪の感じとか、もう、もう!こんなチンピラもどきに比べたら、貴公子!!

 とにかく今日、今日だけ我慢しようと言い聞かせて、何度も三課を振り返る。・・・あの席に、あの席に行かせてほしい。もう中山に怒鳴られながら仕事したっていいから、ここから逃れたい。・・・あ、でももし黒井が帰ってきて僕と交代にここへ座るようなことになったら、ああ、それは嫌だ。こんなやつに、「おー、黒井君、お疲れやね」とか「そのお菓子うまそうやんな、いっこくれへん?」とか、・・・無理!!クロ、お願いだから、「嫌です」とか「構わないで」とか、バッサリ斬っちゃって?間違っても「ほな、あげとこかー、って、あれ何か違う?」なんて、やめてやめて!

 ・・・。

 黒井がここに座るくらいなら、僕がここにいて「はい」「そうですね」を繰り返した方がまだマシだ。

 そう結論して、僕は腹の底に苛々をずっと抱えながら、席に座り続けた。常にちょっとだけ顔を右に傾けてるせいで、首が痛くなりそうだった。


 顧客の割り振りがまた変わるらしく、例のコーポレート何とかの変更だとか何だかんだあって、今週は内勤になりそうだった。もう、げっそりする。ねえ横田くん、もうちょっと僕と喋ってくんないかね。菅野のときは積極的に混じってきたくせに、ちょっと現金なんじゃない?ま、仕方ないけどさ。

 会議から帰ってくると佐山さんが全員分の名刺を机に配っていて、何だかちょっとだけデザインが変わったようだった。別に、それほどオシャレなわけでもないし、どうでもいいんだけど。

 ・・・。

 あ。

 ローマ字表記が、<Yamane Kouji>になっていた。

 ああ、メールアドレスも、<kouji_yamane@・・・>にちゃんと変更されている。

 や、やった・・・。な、名前が変わった!僕の名前が、本当に変わったんだ。結婚したんだ!・・・違うか。

 自分がコウジなんて名前になるとは、思ってもみなかった。でも、もうそれしか、そうとしか思えない。く、クロ、俺、ちゃんと変わったよ!立派な客観的証拠だよ。免許証だけじゃ読み方は書いてないけど、これがあれば、刑事部屋のホワイトボードに<山根弘史 ヤマネコウジ 27才 会社員>って書いてもらえる!

「ふうん、別に大阪と変わらへんね」

「・・・そ、そうですか」

 隣から西沢が覗き込んでくる。本当、いいよいちいちコメントしなくて。大阪のことなんか聞いてないし知りたくもない。

「俺のはまだっちゅうことやな。ほら、急やったやろ。ここの会社いつも急やねん。俺なんかね、今ういーくりーまんしょんに住んでんやで?まだ引越し終わってへんのよ。あ、俺ね、聞いて、新宿に住むんよ。ほんますぐ近く。やから、遅なったら泊まりぃき?や、や、ええねん。彼女とかおらへんの。こっち来るゆうたら振られてもうたの。ははっ、しかしすぐでけるで。何たってここ、大東京、新宿やもん」

 途中からほとんど聞いていなかった。あっそう、勝手にして。どーでもいい。

「しかし何や、山根君は無口やね。男のくーるびゅーてぃーてやつ?ははっ。何か、顔立ちもどことなく東京ぽいね。こう、裏原宿ゆうの?そんなとこで何やわからん服屋かカフェでもやってそう。ほら、あれやん、草食系?何や個性的な服でも着て、ああ、女みたいなカッコとかも似合いそうやね。あ、俺は無理やで?図体が違うやん。俺もね、服とかすごい興味あんねんけど、このサイズやから、オシャレなん探すの大変なんや。・・・って、お、これプリンタどっから出てくんねや?ね、どこ?」

 僕はそっちも見ずにただ斜め後ろを指差した。いや、こんなの失礼すぎるけど、これで文句を言われるならそれはそれだし、言われないなら今後こうしよう。

「・・・うん?あっこ?あれは・・・あれたぶん支社長の席やで?もう、山根君!案内したってやー」

「・・・」

「なあ?新人には親切にしときー。年上で図体でかくて悪いけど、いろいろ教えてや」

 僕は黙って立ち上がって、プリンタまで大股で歩き、出ていた紙を裏返した。通勤費の申請書に<西沢 薫>、とあった。

 後ろからついてきた西沢に渡すと、おお、これやこれ、と。

「あ、見た?俺カオルくんゆうねん。女の子みたいで嫌やねんけど、今更変えられへんやろ?俺の唯一の汚点や。もっと男らしい名前がええわ。あれ、山根君は何ていったっけ?」

 席に戻って、黙って名刺の箱を左へ置く。黒井がつけてくれた名前を、見せるのも嫌だけど半分は自慢したい気も、あった。ふふん、薫くんだって?あんたも改名したら?あ、でも、漢字の読みだけなら変えられるけど、漢字から改名するには役所というか裁判所の手続きがいるらしいよ。それ相応の理由も必要らしいし、でも、薫って男性なんかいっぱいいるから、女っぽいなんて理由じゃだめだろうね。

「これでこうじって読むんや、ふーん。でもコージ君なら普通でええね」

「ええ、こうじって読みます。まあ、普通ですよ」

 改めて自分で発音すると、しかしやっぱりちょっと違和感。うん、多分名字と一緒に読むことで効力を発揮するんだな。やまねこうじ。漢字にすると<山猫氏>って感じで、何だか<注文の多い料理店>みたいだなと思った。

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