第137話:困った時の関口頼み

 火曜日。

 納品に行った先では一課の米山が仕切っていて、全部任せてしまえそうだった。若くてちょっと可愛いめの女性がずっとついていたから、それで張り切っていたんだと思う。邪魔しちゃ悪いからという名目でいくつか勝手に仕事を押し付け、後はよろしくと判だけもらって退散した。

 午後からは展示会だが、いったん帰社してお局様対策を練り、他のこまごましたことも出来るだけ片付けた。

 菅野に会場の場所や詳細を聞き、「ここですよ」と地図を見せられた。

「ああ、国際フォーラムね」

「何か、盛況らしいですよ。昨日行った人によると」

「ふうん。で、何すればいいの?客引き?」

「あたしだってよくはわかんないけど・・・、二課の、今日は西尾さんって子が、何ていうか、コンパニオン的なことしてくれてるらしいんですよ。だから、営業さんはブースで説明とか商談とかすればいいんじゃないですか?」

「え、急にそんなこと言われても」

「あ、盛況って、会場がって意味で、うちらのブースは暇みたい。あたしコンパニオンのバイトもしたことありますけど、意外とああいうのって、内輪っていうか、業界の知り合いが顔出す会的な?」

「別に、業界に知り合いなんていないよ」

「IT何とかグループの利根さんって方がブースに詰めてるみたいですよ。本社の人?」

「さあ、知らないけど。まあ誰かいるならいいや。どうせお手伝いだし」

「あ、山根さん今日と明日ですよね。あの、黒井さんと一緒にしてあげたんですよ?」

「・・・へ?・・・何が?」

「いや、だって、仲いい人が一緒の方がいいでしょ?」

「でしょ、って・・・まあ、別に何だっていいけど」

「えー、せっかく頑張って日程調整したのに。ぶー」

「ぶーじゃないよ、知らないよ。じゃあ行ってきます」

「はーい。行ってらっしゃーい」


 しかし、有楽町に着いた途端会社の携帯が鳴り、課長の声がしてどきりとした。

「おい、山根、そっち行ってる場合じゃなくなった」

「は、はい、何ですか?」

「例の日本橋。今からあっち行け」

「な、何ですか。どうなりました」

「今電話あって、俺が出たらさ、何かまたわけわかんないことごちゃごちゃ言われて、今日来いって言うんだよ」

「え、明日じゃないんですか」

「だから、水曜で予定してますって突っぱねようとしたんだけど、もう、場合が場合だから。何か明日はいないっぽいこと言われてさ。今月中に取れなかったらこっちがまずいんだから、もうしょうがない。だからもう、とにかく行ってもらってこい!」

「ええ?展示会行くとこですけど・・・」

「いい、いい。本社から何か言われたら、中山くんが検収優先って言っちゃったんで!って言っとくからさ!はは!」

「そ、そうですか・・・。ま、まあ分かりました。検収書優先で行ってきます」

「頼むよ。今日中に取れないとまたこじれそうだからさ。俺が行くって言ってもまた別の担当の方ですかとか嫌味言われてさ。ったく、そっちこそ本来の担当じゃないくせに・・・って、言っててもしょうがないな。じゃ、何かあったら連絡して。一応でかい案件だから」

「分かりました。とりあえずやれるだけやってみます」

「ほい、頼むよ!そんじゃ!」

「はい・・・」

 ・・・ええ、と。

 しばし考えて、JRに取って返し、日本橋に近い東京駅へ向かう。

 まあ、別に、行けと言われたらどっちでも行くけどさ。

 振り回されてる方が何も考えなくて済むし、情緒不安定も少し落ち着いている。このまま、あっちこっち行ってるうちに三月が終わるさ。大丈夫、もう少しの辛抱だ・・・。



・・・・・・・・・・・・・



 昨日の今日で、さすがにちょっと緊張してお局様を呼び出すと、予定を早めたことについて、新人研修での見本みたいに向こうが丁寧に詫びた。しかし、その調子でするすると話も進めば・・・なんて少しでも期待した僕が馬鹿だった。そう、その調子で馬鹿がつくほど律儀に、こちらの非をあげつらってくるのだった。ああ、なるほど、謝るのも責め立てるのも同じ道理で、大真面目なわけね、この人は。ということは、謝っているようで悪いとは思ってないし、責めているようで憎いとも思ってないわけだ。ただ、道理に反しただけ。あるべき形からはみ出しただけ。

 妙にご機嫌を取ろうとするのをやめ、こちらが請け負っているという立場も横に置き、ひたすら論理の話をした。小さな会議室で資料を見ながら、うん、裁判で争点を明確にするような感じか。槍玉に上がっているのが僕じゃなくてどこかの会社の第三者だと思って、「正直に申しますと」「ここだけの話ですが」と枕詞を置いて批判も謝罪もした。契約は厳正な審判じゃなくパフォーマンスなんだって思った途端にこれだ。いや、だからこそ、僕はリングの中で相手のやり方で戦いつつも、同時にリングから降りて状況を見極めなきゃいけないんだ。

「でも、やはりここのデータがないというところは、御社に何とかしていただく以外ありませんので」

「ですから山根さん、お渡ししたものが全てなんですよ。以前もそういうことがありましたでしょ?ですから、またあってもおかしくないって申し上げてるんです」

「ではこのデータの問題だけですね?ここをリカバリすれば判をいただけますね?」

「ですから、最終的に完璧に稼働できる形にしていただかなければ・・・」

「ここが最終です。そういうことなら早速今、取りかかってもよろしいですか?」

「・・・それは、そうしていただかないと困りますから。ただ、準備もありますので少しお時間を下さい。十分、十五分大丈夫です?」

「あ、はい。あの、ここにいても?」

「はい、ここは使っていただいて結構です」

 女性が「では、ちょっと失礼します」と、気まずさのかけらもない明るい口調で出ていき、ああ、向こうはこっちを個人的に責める気なんかさらさらなく、喧嘩腰になって気まずくなるというアタマもはなからないんだなと思い知った。もう、検事か弁護士にでも転職してくれよ。

 そうだ。勝手にこれからすぐやるなんて言っちゃったけど、僕がどこからかデータを復旧させてシステムを組み直すなんて、出来るはずもない。・・・まあ、昨日の今日で、とっさに関口をあてにして言っちゃったんだけどさ。

 ダメ元で関口に電話を入れる。無理なら課長に相談して、誰かSSの人を寄越してもらうしかない。

「・・・はい」

「あ、出た。関口さん!」

 ・・・。

 冷静だったつもりだけど、思わずまくし立ててしまった。例のお局様を少し攻略したこと、つい今からやるって言っちゃったこと、検収書優先で、何とか今日中にもらえと課長に言われていること・・・。声がうわずって、少し震える。何だ、褒めてほしくてしょうがない犬みたいだ。これくらいのことで、情けないな。

「・・・で、俺に来いっつーの」

「はい、頼みます!ホント、関口さんしかいないです。お願いします!」

「ええ?日本橋?・・・あ、まさか隣か」

「い、今どこですか?」

「・・・茅場町」

「す、すぐそこですよ!目と鼻の先!もう見えてる!」

「・・・うっさいなあ。わーったよ、本当に腹立つ」

「文句は後でうちの課長に言って下さい。ちょ、ちょっとタバコ吸ってる場合じゃないですからね。えっと、東西線飛び乗るか、じゃなきゃ走って来て下さい!」

 ちっと舌打ちが聞こえ、「電車。場所わかんないから、迎え来い」と。

「すぐ行きます!改札で手振って待ってます!」

「うざい。死ね」

「はい!よろしく!」


 関口は本当に本当に嫌そうで、僕が何を言っても無視した。だんだん、もしかして大それたことをしてしまったんじゃないかと不安になってくる。仕事中のSSを引っ張りだして作業させるとか、会社的にまずかった?あ、費用の問題とか発生する?その辺を聞こうにも関口は口を開かないし、しかし課長に確認して今更だめと言われても困るから、このまま突っ切るしかなかった。やってしまえば、そして伝家の宝刀、検収書さえもらえば、あとはどうとでもなるだろう。

 

 ないものはない、と言い切る関口と、そんなはずはない、以前の件があるから信用できない、を繰り返す女性に挟まれ、僕はいったん関口を連れ出して会議室にこもった。

「・・・ない、んですよね」

「疑うのか?」

「いえ・・・」

「さっさとしてくれ。いい加減、次も押してる」

 壁に寄りかかり、腕を組んで斜め下に目を落とす関口。イスに座って、ひたすら両手を組んだり離したりする僕。どこで折り合いをつけられる?どうすれば判がもらえる?どんな証拠をつきつけても向こうは信じない。

 ・・・。

 妙案なんか浮かばないけど、関口がないと言った以上ないんだろう。これ以上引き留めても仕方ない。

「・・・何とか、します。わざわざありがとうございました」

「ったく、呼びつけといて、そんな声出して帰すんか」

「・・・すみません」

「最後は、誠意見せるだけだ。俺にはないけど、あんたのその顔ならいけんだろ」

「・・・はい」

「おい!馬鹿泣くな。くそっ」

「いてっ」

 デコピンを、された。痛さに驚き、思わずにじみかけた涙が引っ込む。

「い、痛いっす」

「いい加減俺に迷惑かけすぎだ。今、あんた俺のランキングで最下位」

「さ、最下位・・・」

「検収取れなかったら枠外だからな。・・・行ってこい」

「・・・は、はい」

 乱暴に肘で押し出され、重い足取りでさっきのオフィスに戻る。関口は振り向きもせず、さっさとエレベーターに向かう。・・・誠意、か。関口が言うならきっとそうなんだ。もう、自分の考えも主張もやり方も、よく分からなかった。最下位から這い上がるべく、言われたとおりにやろう。目の前の道を行くだけだ。

 オフィスに戻って「もう一度検証させてもらいます」と、今までの資料やデータを総ざらいした。何の意味もない作業。どんなに見たってあるはずがない。しかし、それをしているところを見せるしかない。オフィス中の気まずい視線を浴びながら、でも隣の会議室ではなくここで、それをするしかない。

 資料から、今までここを訪れた営業やSSの痕跡を垣間見た。いくつかこちらのミスも見つけた。池袋の資料で関口の名前もあった。過去がこうして律儀に保管されていて、ラベルを貼られて、分類されて時系列に並んでいる。今の僕にはない、きちんとした歴史と実態。積み上げてきた関係がそこにはちゃんと記されていた。その軌跡に、なぜか分からないが、胸が締め付けられるような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る