第133話:男でも女でもなく
でも、結局出て行こうとしたら藤井が起きてしまい、ベッドから出て僕を止めた。ひらりと、腰に巻いていたバスタオルが落ちる。そこには、見てはいけないような、茶色い染み。藤井もさすがに恥ずかしかったのか、落ちていたスカートを慌てて下半身にあてがった。でも僕はそこにも染みを見てしまい、そんな服で一人帰すわけにもいかなくなってしまった。
「・・・どこかで、服を、買おう」
「ほらね。慣れないことするから、散々なことになっちゃいました」
「・・・それは、俺もだよ」
僕はドアを閉め、二人でサンドイッチとおにぎりを食べた。少しだけ、苦笑いだけど、笑えた。
藤井が生理用品を持ってトイレに消え、新しいバスタオルを巻いて出てきた。まだ八時だ。九時に出ても店は開いてないだろうから、しばらくはそのスカートを履くしかないわけだけど、ぎりぎりまで履きたくないみたいだった。
「・・・生理が、嫌いなんです」
下腹部をさすりながら、そんなことを言う。
「毎月毎月、お前は女だって、言われてるみたい。それも、暴力的に、思い知らせてくる」
「女だ、って・・・?」
「私、別に男とか、女とか、思いたくないんですよ。中性がいい。胸も、ペニスも、いらないです。なのに、お前は女だって・・・。だから、生理の、その血を見ながらセックスするのは大っ嫌い。あの、だから、昨日はごめんなさい。私の、忌々しい血のせいで、その、する気が・・・」
「い、いいよ。そんなの、しょうがない」
「本当に、終わったはずだったんです。だから、スカートだって。それなのに、こうして山根さんとするのを邪魔してるんですよね。こいつが。ここの、こいつが・・・」
下腹部にあてた握りこぶしを、強く、押し込んでいるみたいだった。
「藤井さん、やめろ、そんなこと」
「あのね、私、こいつを抉り取ってやろうって、ずっと思ってるんです。生理痛、痛いんですよ?毎月、処方箋を飲んでるんです。吐いたり、転げまわったり、そのせいで会社を休んだり、みんなから、生理痛くらいでって、思われたり・・・!」
その目から、涙が、零れ落ちた。歯を食いしばって、目を逸らして、耐えている。
「そう、バレンタインの時だって・・・。私が、山根さんを、男の人を見て、いいなあって思う度、こうやって、お前は違うぞって、どんなにカッコつけたって男にはなれないし、でも可愛いオンナノコにもなれないし、でも女以外ではありえないし・・・!私、山根さんは好きだけど、普通のお嫁さんになんかなりたくない。なれっこない。普通なんて、出来ないんです!それなのに、この身体はそれを許さないんですよ。私を縛り付けて、どこまでも追ってくる。強い薬を飲んで、痛みはおさまっても、消えたわけじゃない」
どこまでも、追ってきて・・・。
とうとう声は消えて、藤井は唇を噛み締めた。
ぼさぼさの髪に、すっぴんの顔。ノーブラで、痩せっぽちの身体。
・・・昨日僕は、きみを、ただ、女として、女の子だから、抱いた。
しかも、女として好きだから、でもなく、ただ僕に告白して、抱かれても文句を言わないだろうからってだけで。
こんな最低の僕を、まだ好きだって言うつもり?
一刻も早くやめるべきだ。絶対、今すぐに。
「俺、きみに好きだなんて言ってもらう資格ないよ。きっとこれからも傷つける。俺なんて、今すぐ見限った方がいい」
「嫌ですか。やっぱり、ちゃんとした女じゃないから、私なんか・・・」
「そうじゃないよ。俺が悪いだけだ。ただ女が抱ければいいなんて、身勝手なだけで、きみには何の関係もない」
「でも、普通、そうですよ。男が、女を抱きたいのは、当たり前です。悪くなんかない。山根さんは普通です。私が普通じゃない。それだけのこと」
「でも、そんな・・・」
「あの時は、普通じゃない何かを、見てしまったんです。その、山根さんの、特別の人。でも今は違うんですね。どうしても私の側に引き寄せたくて、昨日は怒らせてしまいました」
「・・・」
「だめですね、分かり合える、仲間がほしいだなんて。普通じゃない人は、孤独でも、そんなこと気にもかけないって、自負してたんだけど」
藤井は苦笑いをして、一人で泣き止んだ。「・・・お菓子でも食べますね」と、昨日のたけのこの里のパッケージを開ける。どうしてそんなに強いんだろう。何があったら、僕もそんなに強くなれる?
僕はまた、ひりひりと痛み始めた薬指を押さえた。痛みが、そしてめまいや幻覚が執拗に追ってくるのは、僕も知ってるんだ。
「あの、さ」
「はい」
「どうしたら、追ってくるものから、逃げられるのかな」
「・・・たぶん、逃げることは出来なくて、ただ、受け入れるしかないんだと思います。私が、自分が女であって、子どもが産める身体だってこと・・・つまり、もう大人なんだってことを、自覚して、受け入れたら、追うも追われるもなくなって、一体になるんだと思います。でもきっとそんなの無理で、でももしも自然に出来るとしたら、それは・・・」
「・・・それは?」
藤井はゆっくり僕に近寄って、ベッドに腰掛けている僕を立たせ、身体を寄せた。
「それは、私が思いもしないくらい、まさかってくらいの確率で、もう、これは仕方ない、こんな奇跡、どうしようもないってカタチで、・・・もしそれが、宿ったら。その時は」
藤井の下腹部から離れたその手が、僕の股間へと伸びて、優しく撫でた。
「・・・きっと身体も心も変わっちゃって、私じゃなくなって、自然にそれを受け入れられる自分になってるんだと思います。もしそんな機会が、あったら、ですけど・・・」
藤井は僕の胸に耳を当て、その鼓動を聴いていた。きっと、心拍が速くなったのも、そして、その手が離れた直後から僕に熱が訪れたことにも、気づいたと思う。
僕はただ前を向いて、やり場のない手をぶらぶらとさせていた。本当はその背中や腰を撫でたかったけど、だってそしたらまたバスタオルが落ちて、そしたら、今度は、本当に・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・
その肩を抱いて少し体を離し、ちょっとどきどきしながら、唇を寄せた。藤井が目を逸らしながら少し顔を上げ、互いの息がかかるほど近づいた、その時、「ピピピピッ、ピピピピッ」と携帯のアラームが鳴った。
「あっ、じ、時間だ。あと十分で、出ないと」
「は、はいっ」
二人とも我に返り、現実に戻って、散らかった部屋を片づけた。
・・・い、今、いい雰囲気だったんだけどな。
もし時間を巻き戻せるなら、昨日の夜、こうやって始めてたらよかったんだ。そしたらきっとちゃんと最後まで出来ていた。「そのつもりで来たんでしょ」なんてゲスなせりふの代わりに、こうしていれば、きっと今頃・・・。
でも、仕方ない。あの時はああだったし、あの時があるから、こうして今があるわけで。ああ、なるほど、こういう時のために<延長>というのがあるのか。でも、何だか今更だった。今ならもっとちゃんと、まともに出来そうな気がするけど、でも、何となく・・・。
顔を洗って髭を剃り、ネクタイを締めたら、もう時間だった。
「山根さん、ほら、コート」
「あ、ああ。ありがとう」
「じゃあ行きましょう」
洗面台でブラシや化粧品を使うこともない藤井は、スカートとジャンバーを着ただけでさっさと支度を終えた。でも、その後ろ姿を見て、僕は着せてもらったコートを脱ぎ、「ちょっと」と声をかけた。
「はい?」
ジャンバーのファスナーをおろすと、「え、あの・・・?」とちょっと慌てる。
「違うって」と笑い、僕のコートを羽織らせた。白いスカートに付いたそれが、見えてしまったから。
「・・・え?」
「そ、その、丈がさ、短くて、隠せてない」
「あ・・・ど、どうも。・・・やっぱりぶかぶかですね。でもこれはこれで、何だか、いいかも」
袖からほんの少し出た指を引いて<603>を出ると、新宿の喧噪が戻っていて、必要に迫られた買い物ではあるけれども、まともな初デートに出来そうだった。
・・・・・・・・・・・・・
「・・・ユニクロの一番安いのでいいんです。一番安いジーパン」
「え、ジーパン?スカートじゃなくて?」
「もうこんなのまっぴら」
「・・・そ、そう?」
マックのコーヒーとオレンジジュースで時間を潰しながら、僕は見納めになりそうなスカートを見ようと、テーブルの下をのぞき込んだ。少し開いていた足が慌てて閉じられ、中までは見えなかった。
伊勢丹やGAPなんかを見て回ったけど、結局藤井は「こんなの要らないです」を繰り返し、とうとう本当にユニクロで二千円のジーパンを買った。・・・また二千円か。女の子にお菓子を買い、生理用品を買い、服を買い、六千円というのはかかるお金として高いんだか安いんだか。いや、まあ、きっと安いんだろう。さっきのデパートの服なんて宿泊代より高いのがざらだったし。本当は自分の服もいくつか買いたかったけど、二日で二万円以上使っていると思うと少し怖くなってやめた。菅野なんかとつきあったら、映画にカラオケ、ランチに服に化粧品?僕たちなんか昨日の夕飯は抜きで、朝はおにぎりとマックのジュースで藤井は文句も言わない。・・・いや、菅野が悪いんじゃなくて、僕の甲斐性がないだけだよ、うん。
藤井は早速ジーパンに履き替え、僕のコートを脱いでジャンバーを着て、まったくいつもどおりになった。まあ、僕もこの方が落ち着く。
お昼は、食べたいものがあるというのでついていくと、会社の近くの蕎麦屋だった。僕が出そうとしたけど、藤井は「自分が食べたいものだから」と、自分で食券を買った。
「ここ、俺もよく来るけど・・・食べたことなかったの?」
「はい。みんなと食べるのも嫌なので、絶対お弁当持参なんです。だって、どうして誰かの噂話とか流行りのドラマの話とか、・・・無理ですよ」
「え、じゃあ、一人で?」
「もちろん。音楽を聴きながら、一人です。誘われてもお断りします」
・・・僕もみんなと食べるのは苦手だし、微妙に合わせられなくて辟易するけど、藤井はそんなもの感じることもなく、孤高みたいだった。
「そ、そういうのってさ、内勤で、女性ばっかの職場で、浮いたりしない?」
「浮いてる、んでしょうね」
「その、気まずかったりしない?大丈夫なの?」
「・・・別に、大丈夫、ですね。だってみんなと食べても面白くないんですよ。面白くもないのに、そんなことしたってしょうがない。あの、その天ぷら一口もらえませんか?」
「え、ああ、いいよ」
「私の鴨もあげますね。鴨が美味しくて好きです」
「そう、ありがとう」
二人で並んで蕎麦をすすり、何となく、それでデートらしきものは終了した。
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