第131話:我慢できない獣

 どうしよう、と震える菅野を送り出し、クッキーをかじりながらパソコンに向かった。発送部屋に行ったことがないと言われたが、道案内までするほど暇じゃないよ。

 しばらくして微妙な顔の菅野が帰ってきたけど、「ねえ、どうだった?」などと訊く気もなく、まずいコーヒーをすすった。

 頭の中に響くのは、「今夜、空いてます」のひとことのみ。

 とにかく、どこのホテルへ行くかだった。ネットで検索したいけどそうもいかない。こんなことになるなら前日からリサーチしとくんだったよ。まったく、そんなこと期待も想像もしないから、おしゃれなバーも、ゴテゴテしてないシティホテルも、全然知らないんだ。

 ・・・今日は無理かな、っていうか、そもそも無理かもな。そんな、告白もせずデートすることもなしに、そんなところに連れ込めるなんて。

 カラ元気で上の空のまま仕事をして、何か言いたげな菅野が帰るのを「お疲れさま」と見送って、結局横田と二人で、顔を見ないままの行き先不明の会話で夜が更ける。

「山根くんさ、菅野さんはもういいわけ?」

「いいよー、どうでも」

「あれ、あちらさんに傾いた?」

 ・・・あちらさんって?

 ちらと横田を見ると、ちょっと首を傾げて、向こうのフロアの業務部を示していた。

「ああ、まあね。結局、簡単な方へ傾くわけよ」

「ちょっちハードル高かった?」

「ちょっちね」

「三課のライバルさんがゲットしたかしら」

「どうかしら」

「で、山根くんもふらふらしてないで、身を固めるわけ」

「固まれば、ねえ。固くなれば、ねえ・・・」

「・・・何すかそれ。でもほら、もう手をつけてるわけでしょ」

「もうちょっとつけたいけどね。でも、行くとこがない」

「行くとこって?山根くん、一人暮らしでしょ?」

「・・・でも、遠いよ」

「あれれ、何、切羽詰まった問題?」

「詰まりたい。詰まりたいね。そういうことになりたいね」

「うわ、キテるね。ああ、今日ホワイトデーだから?」

「まあ、そういう」

「ところで何でホワイトかね」

「・・・白いパンツ」

「ぶっ、山根くん、頭やばい」

「やばいっす」

「・・・本気?」

 ここで初めて横田が前かがみだった体を起こして僕を見た。

「・・・だって、今夜空いてますって」

「うっわ、リアルだね。生々しいね」

「・・・うん」

 横田が腕時計を見て、「どうすんの」と。

「・・・だから、行くとこない」

「向こうのおうちは?」

「実家」

「・・・あ、そう。じゃあ、どこでもいいの?この辺なら?」

 曖昧にうなずいて、しばらくするとポケット地図が回ってきた。

「今もあるかわかんないけど」

 ふせんが貼ってあるページをめくると、新宿三丁目の、右あたりにさらにふせんで矢印。

「え、これって」

「まあ、もうちょいお盛んだった頃は、ねえ」

「へえ、そう。・・・いい感じ?」

「まあ、それっぽすぎなくて、良かったと記憶している」

「信じよう」

 僕はちょっと目を閉じて道を頭の中で確認し、ふせん二枚を剥がして地図を返した。うん、お膳立ては済んじゃった?何かしようとして、ちょっと人に話したら、あれよあれよと道が出来ちゃうものなのかも。もしかして話は、っていうか人生は、もっと簡単なものだったのかも。

「・・・十時で上がる。それまでに絶対終わらすわ」

「はいはい、手伝いますよ。手伝うふりで、ちょいちょい邪魔もしますよ」

「ふん、やったろうじゃん」

「その意気だ!」



・・・・・・・・・・・・・・



 結局十五分過ぎて会社を出て、メールをするも音沙汰なし。そりゃそうだよねと思って京王線に歩きだした頃<今、終わりました>と返事が来た。・・・え、向こうの部署のが遅くまでやってたの?もう十時半だよ。こんな時間まで事務の女の子たちも残ってるのか。まあ決算期だし、向こうの処理の方が立て込んでるのかな。

 腹が減ってるのか、緊張してるのか焦ってるのか、気まずいのか何かの罪悪感なのか、胃のあたりがきりきりして、少し動悸がした。自分がいったい何をしてるのか、本当にそれをこれから行おうとしてるのか、ふわふわして、流されている感じがする。コントロールが取れてない。物事が把握できてなくて、でも、誰かに任せてしまうものでもないから、ううん、見通しが立たないんだな。

 ・・・たたない。

 あ、それか。

 その懸念が残ってたわけだ。そうだ、それだ。ああ、やめとくか。仲良くラーメンでも食べて、一杯ひっかけて、改札まで送って大人しく帰ろうか。

 ・・・。

 しかし、カツカツというヒールの音とともに後ろから藤井が走ってきて、息を切らせて「・・・あの、お待たせ、して」と、その乱れた髪と、スカートから伸びる生の太ももを見てしまったら、いろいろすっ飛んだ。

「こ、こんな時間まで、お疲れ」

「はい、・・・疲れ、ました。はあ、はあ、こんなに、走れない・・・」

 支えようとして肩に回した手に、自分でも思わないくらいの力が入って、思わず離した。でも抑えきれなくて、少し汗ばんでいるその手を握り、早足で歩いた。

「あ、あの、私・・・!」

「・・・」

 ああ、焦ってるんじゃない、気まずいんじゃない、腹なんか減ってない。

 ・・・やりたいんだ。

 理性のすべてをおいてけぼりにして、俺はやりたいんだ。ここ何週間、いや、何ヶ月欲求不満を抱えてたと思ってるんだ。もう無理だ。頭の中は、さっき見た新宿の地図をグーグルマップのように立体で組み立てて最短距離をたどることだけだった。藤井が何か言ってるけど、聞こえてない。もう、いいじゃないか、きみとやるんだよ。これからベッドの上で、きみに乗っかるんだ。僕が完全な主導権を握って、誰にも邪魔されず、遠慮もせず、そこから先のことなんて何も考えず、ただその瞬間に向かうだけだ。世の中にはこんなに人間が溢れていて、半分は女なのに、達成できないその瞬間。でも、そろそろ僕の番が来たっていいじゃないか。我慢する必要なんかある?ないよね、ないだろ、何にもないだろ!!



・・・・・・・・・・・・・・・



「あの、山根さん、私・・・!」

「なに?お腹空いた?」

「いえ、そうじゃなくて」

「家に帰らないと怒られちゃう?」

「それは、大丈夫、なんですが」

「じゃあいいね」

 ぐだぐだ言わないでついて来てくれないかな。地上への階段を駆け上り、握っていた手を離した隙に藤井はまたフードにイヤホンになっていた。

 ・・・別に、構うまい。

 強引にまた手をつかみ、交差点を渡って一つ路地を入る。確かこの先を左で、そこの角地だ。それっぽくないそうだから、ギラギラしたネオンとかは出てないかも。っていうか、名前くらい聞いとけばよかったな。ま、そのくらい自分で何とかするか。

 ・・・ここ、か。

「ちょっと待ってて。ここにいて」

 聞こえているのかいないのか、もう、自転車みたいにチェーンでガードレールにくくりつけておきたいな。

 僕はその、マンションのような雑居ビルのような建物の地下に降り、古い喫茶店みたいな薄暗いカウンターの前に立った。天井から顔の高さまでの仕切りがあって、冬の間バンガローにいる猟師みたいな、ヒゲおやじがいた。

「ご休憩?」

「あ・・・と、泊まりで」

「今ね、ここしか空いてないから。一万二千八百円」

 ・・・、高っ!

 そんなにすんだっけ?こんな、高級そうでもない、マンションの一室みたいな部屋が、一万二千?

 おやじの指が、カウンターに置かれた部屋番号と休憩・宿泊の料金表をなぞる。写真も、部屋の広さとか設備とかアメニティの説明も一切なし。ここ、と示されたのは一番上の段。そこしかないって、本当かよ?でももう、まったく、どこへも、引き返せない。財布の中には一万五千円しかなくて、えらく寒々しくなってしまうけどしょうがない。ああ、今朝コンビニで二千円分も菓子を買ったからだ。でもまあともかく鍵と釣りを受け取って、そこには<603>の木彫りのプレート。

「明日、九時までね」

 僕は振り返りもせず狭い階段を昇って、地上で大人しく待っていた藤井を引っ張ってこれまた狭くて古いエレベーターに乗せた。


 薄暗い廊下は安いカラオケ屋みたいで、部屋のドアを開けると、スキー場の安いペンションみたいだった。

 タバコと、リネンと、その他の匂い。

 おい、本当にここ、いい感じか?横田くんよ。

 しかし古臭い黒い電気スイッチをぱちりとつけると、壁は木材で覆われて、何だか山小屋みたいな雰囲気だった。明かりはオレンジの薄暗い裸電球だけ。

 確かに、いかにも、なラブホではない。ああ、みつのしずくを思い出す。細い手首をつかまれたままの藤井が、また「あの・・・」と小声で僕を呼んだ。

「・・・なに?」

「山根さん、実は私・・・」

「先にシャワー浴びたい?」

「え、えっと、その」

 においも気になるし、清潔そうでもないし、黙っているとうっすら他の部屋の何かの声が聞こえてくるけど、もう気にしていられない。人目につかないベッドがあれば、もうそれで。

 ・・・ああ。

 あれね、俺の、ムードが足りないのね。

 うん、分かってる。でも、無理。

 鞄を、放り投げる。コートを脱ぎ捨てる。

 藤井の肩のバッグをずり落とし、フードはかぶせたまま、ベッドの前まで連れて行ったら、もうだめ。

「あっ、あの・・・!」

 押し倒した。

 ギシギシと軋むベッド。バリバリのざらつくリネン。必死に起きようとする藤井にのしかかって、もがく腰を膝で押さえつけ、あいた両手でネクタイを取り、上着をゴミみたいに床に落とした。ついでにベルトを最高速で抜き取って、藤井を縛ってやろうかと思ったけどさすがにそこまではやめた。

「ね、そのつもりで、来たんでしょ・・・?」

「あの、ごめんなさい、待って・・・!」

「待たない。待てないんだよ」

 ジャンバーのファスナーを下ろし、カーディガンのボタンを外し、最後にブラウスのボタンを外していく。女の子の服はボタンの位置が逆なんだな。そんなの忘れてた。藤井が必死に僕の肩を押し返すけど、だめだめ。最初に挑発してきたのはそっちでしょ。今日は俺がやるんだよ、最後までね。

 薄明かりの下に、無地のタンクトップ、そして左右の二箇所にほんの少しの陰影。やっぱりブラしてないんだ。そんな子って本当にいるんだね。

 覆いかぶさって、首筋に荒い息をかけ、右手で乱暴に胸を揉んだ。「ひあっ」と藤井の声が漏れたら体中の血液が沸く。タンクトップを無理に引き下げて、片方の胸を露わにした。控えめな白い膨らみに頭がぶっ飛んで、揉みしだきながらそれに頬擦りして口に含んだ。強く吸ったら「ひゃああ」と濡れた声。片手でズボンをずり下げて、自分のそれをスカートに押し付けた。

 ・・・勃ってる。

 思いっきり。

「あ、あの、だめ、だめっ・・・!」

 藤井が横を向いて逃げようとするけど、うん、そうやって抵抗してくれた方が、興奮する。首の下から手を回して両手首をつかみ、左手はスカートの中に入れた。太ももをまさぐったらもう、目を開けているのに何も見えていない。ズボンを強引に脱ぎ捨て、足で藤井の片足を挟んで押さえつける。左手をそのまま上に這わせて、薄い布に触れたらもう、「うあっ・・・!」と唸りが漏れ、歯を食いしばった。止まれるわけ、ないだろ!

「おとなしく、しろって・・・!」

「だめ、だめなの!わたし、だめ・・・」

 だめとか言ってんじゃねえよ、初めてでもあるまいし、今更・・・。

 ・・・。

 ・・・、あ。

 は、はじめて。

 初めて、なのか。

 女とはどこまでしてるか知らないが、そんなことどうでもいい。

 その中に、男は誰も入ったことがない。

 ぶるりと、身震いした。興奮が駆け昇る。


 強引に足を開かせて、もうすっかり濡れてるそこをまさぐった。ほら、やっぱりダメダメ言いながら、こうなってんじゃん。

 こんなこと、何であの日にしなかったんだろう。

 ・・・今まで、いったい誰に遠慮してたんだろう。

 ごくり、と喉を鳴らして唾を飲み込んだ。身震いが止まらない。何でだろうね、何でやっちゃわなかったんだろうね!

 いったんベッドから降りて、トランクスと靴下を脱いだ。両手で顔を覆ってしまった藤井の、その白いスカートをめくり上げて、その行為に興奮した。あのね、俺スカートめくりもしたことないんだ。だって出来なかったんだもん。本当はしたかったよ。

 ・・・。

 ・・・。

 ・・・え、なに、これ。

 ・・・露わになったスカートの中身が、薄明かりに照らされている。

 半分ずり下ろされた、その、パンツの、その部分。

 微かに震える藤井の身体。すすり泣いてる?

 え、どうして?わかんないよ。

 俺、・・・いつ挿れた?

 なんで・・・何で、こんな、色、なの?

 白いパンツが、どうして、赤く、染まってるの・・・??

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る