15章:ケモノのホワイトデー

(なぜか欲求不満の僕は、抑えていたものを解放したい)

第130話:キューピッドなんてどうでもいい

 翌朝メールしようとして藤井からのメールをちょっと読み返し、<お返しはスーパーのお菓子1200円分で>という文を発見した。あ、そうだったか。っていっても、まだスーパーは開いてないし、でも、ふつうのお菓子ならコンビニでいいか。僕は駅前のコンビニで、たけのこの里だのムーンライトだの、片っ端からカゴに入れていった。メールを打とうとするけどもう面倒になって、朝っぱらから電話をかけてしまった。

「・・・はい、はい、もしもし」

「あ、朝からごめん。山根です」

「お、おはようございます」

「おはよう。今大丈夫?」

「はい。大丈夫です」

 会社にいる時みたいな、妙によそ行きの声だった。ああ、もしかして実家で、近くに家族がいるのかな。ホワイトデーの朝から男からの呼び出しなんて、お父さんが聞いてたらマズいかな、なんてね。安心してください、お嬢さんにたけのこの里を渡すだけなんですよ。それ以上何もしませんって。・・・今日のところはね。

「急で悪いんだけど、また、コンビニの前でお願いできる?」

「は、はい。急いで行きます」

「本当に申し訳ない。残業続きで昼も夜もどうにもならなくてさ。それじゃごめん・・・って、はは、本当にこんなのでいいのかな」

 僕は麦チョコの袋をかさかさと揺らした。こんなんじゃなくて、もっと、デパートの一階で見たような、化粧品とか、香水とか、アクセサリーとか・・・。

「あの・・・はい、どうも、すみません。それじゃ向かいますので」

「はい。気をつけてね」

「失礼します」

 声をひそめて「待ってます」と囁くと、何秒か固まったような沈黙の後、切れた。何だこれ、ちょっと、快感。コンビニの店員がこっちを見ていてこっ恥ずかしくなり、「お願いします」とビジネスライクにカゴを置いた。十個買ったら二千円を超えていて、最近のお菓子は高いんだな、おい。


 コンビニの前で、初めて藤井がやってくるのを見た。いつも僕が遅かったからね。そして、藤井のスカート姿も初めて見た。いや、制服ではもちろんスカートだけど、私服で。白っぽい、上品な、最初の頃菅野が履いていたような女の子っぽいスカートと、膝丈の黒いストッキング。少しヒールのある革靴。フードとイヤホンは相変わらずだけど、ウエストバッグじゃなく、大きめのショルダーバッグ。ああ、このビニールいっぱいのお菓子を入れなきゃいけないからね。

「おはよう」

 僕が手を振るとフードの中からこちらに気づき、ゆっくり近づいてきた。っていうか、スカート、可愛いじゃん・・・。

 イヤホンを取ってジャンバーのポケットに突っ込み、フードはそのまま、おはようございます、と。

「あ、その、こんな袋で申し訳ないんだけど、一応、お返し・・・」

「ありがとうございます。大事に、食べますね」

 僕はコンビニのビニール袋を渡した。だって、本人の希望なんだからしょうがないじゃないか。僕だってもっとカッコつけた紙袋を渡したいよ。

 藤井は中身をのぞいて、「まあいいか」とつぶやいた。

「あ、ごめん。何か、嫌いなものあった?」

「いえ、そうじゃ、ないですけど」

「や、やっぱり、こんな」

「違うんです。今更、今日の今で、もっと、特別なものが、欲しくなっちゃって」

「・・・っ、と、とくべつ?」

 僕は思わず目を伏せて、スカートと、その下の脚が目に入る。細いけどガリガリってわけでもなく、少し内股に閉じた膝が、妙に少女っぽくて・・・。

「あの」

「・・・う、うん?」

「こんな、慣れないことするもんだから、朝から痴漢に遭ったんです」

「え、ちょ、ちょっと」

「別にどうでもいいのでほっといたんですけど、あんまり下手なんで、思いっきり足を踏んでやりました。文句言わなかったとこをみると、本人だったんでしょうね。もし違う人だったらどうしようって、どきどきしちゃった」

「ふ、藤井さん。へ、下手って、ど、どこまで・・・、だめだよそんなの。ゆ、許せないな」

「どうでもいいんですよそんなこと。ただ、瓶詰めが欲しくなって」

「・・・はあ?」

「瓶詰めを頼めばよかった。スカートなんか履いて、スカスカなんですよ。落ち着かない。蓋を、閉めたくなる。山根さんだって履いてみたら分かりますよ、これ」

「そ、そんな」

「そんな趣味ない?」

「な、ないよ」

「とにかく、ありがとうございました」

 藤井はビニール袋をごそごそとバッグにしまった。僕は、何となく気になって、そのフードをそっと、おろした。何だか花嫁のベールみたいだ。藤井はいつもと違って、髪をひとつに束ねて顔の横から垂らしていた。少女っぽさと女性らしさが同居して、そして、あの時の生で触った胸の感触が蘇った。

「あ、あの・・・今日は、どうして」

「山根さんを見習って、こういう、<普通>っていう普通じゃなさも、ありなのかなって」

「よ、よくわかんないけどさ。・・・でも、そういうのも、似合ってるよ」

「そうですかね。あんまり好きじゃありません」

「あの・・・、もし、よかったら、だけど」

「・・・はい。今夜、空いてます」

「ち、違うよ!こ、今度どこか、遊びにでも行こうかって」

「あ、そうでしたか。せっかく生理が終わったのに」

「そういうことは言わなくてもいいんだよ!」

 その後はめずらしく一緒にエレベーターに乗って、無言だったけど、密着していたから少し緊張した。こないだは触れずじまいだった、その、スカートの下・・・。まさか、そのためにわざわざ履いてきてくれた?金曜の夜、ホワイトデーで、今夜、空いてますって・・・。

 おかしなことを考える直前でエレベーターを降りて、更衣室へ向かう藤井とは別々だ。お互い一瞬ちらと見て、そのままついと別れた。何これ、オフィスラブ、みたいな・・・。僕は忘れていた勃起不全問題を思い出し、それさえ治ってれば、もう、行っちゃおうかなと思った。新宿、ラブホ、朝帰り。僕もとうとうリア充だ。し、仕事、するか!



・・・・・・・・・・・・・・



 外回りに出るとき、ちょっと菅野を廊下まで連れ出して、引き出しに用意していたお返しを渡した。僕だけ本命並みのものをもらっちゃってたわけで、でもわざわざみんなの前で渡すのもあれだしね。

「え、あ、ありがとうございます。わざわざ、こんな」

「そういえば、今更だけどさ、美味しかったよ。自信あるって言ってただけあるね」

「・・・そう、ですか。うん、出来は、良かったと、思うんだけど」

「うん?良かったよ?」

「結果がついてこなきゃ、意味ないもんね・・・」

 菅野は廊下の壁に寄りかかって、片足をぶらぶらさせた。こちらはハイヒールで、マネキンのように形がいい。って、何を見てるんだか。

「結果って、その・・・」

「あの、山根さんはあたしのことどう思います?」

「え、どうって、・・・可愛いと思うよ」

「きゃ!やだ!・・・って、お世辞はいいですから。めんどくさい女とか、夢見がちとか、思ってません?」

「うーん、まあ絶対違うとは言わないけどさ、でも女の子にそんな、きっちり、現実的にとか、望んでないし」

「・・・あたし、魅力ないですか?」

「あるよ。俺だって、もし出来るなら誘いたいし」

「・・・っ、や、やめて下さいよ、そんな冗談・・・」

「照れてる?」

「照れますよ。やだ、何かどきどきしちゃう」

「ま、もしだめだったらさ、菅野さんの魅力に気づかないやつが悪いんだよ。・・・なんて、キザすぎた?」

「すぎる!もう、さっさと行ってください。行ってらっしゃいまし!」

「うむ、行ってくる!」

 菅野はまた僕の腕をばしばし叩き、背中を押して、エレベーターの方へと追いやった。あとは笑って、肩をすくめて、普通に「行ってきます」「行ってらっしゃい」を言い直した。振り返った僕に、菅野は紙袋を顔の高さに上げて、<これ、ありがとうございました>を示し、僕は何度かうなずいて<いいからいいから>と、廊下の角を曲がった。お金で買える素敵な包みと、言おうと思えば言えてしまうキザなせりふと、あとは下半身さえしっかりしてれば、女の子なんて落とせそうじゃないか?ふむ、どうやって確かめたらいいかな、いやいや、その行為に至ってしまえば、大丈夫じゃないか?エレベーターの中で不埒な悩みにふけって、舌なめずりしている自分に気づき、苦笑いした。バレンタインに小躍りして一ヶ月、ついに春が、直接的な春が、来たかもしれない!



・・・・・・・・・・・・・



 上機嫌のままいい感じで乗り切れるかなと思っていたが、嫌味のようなひとことを言われればそれなりにイラっとし、気をつけようと思ったそばから自分の段取りの悪さに呆れ、大丈夫かなと心配だったことがやっぱりだめだったりして、ちょっと落ち込んで帰ってきた。

 エレベーターを降りて、重い足取りで、ぶらぶらと廊下を歩く。はあ、また面倒が一つ増えちゃったな。今日は一体何時に帰れるんだろう。この分じゃ、藤井とどうこうなんて、してる暇もないか・・・。

 ドアの横のカードリーダーに、鞄から引っ張り出したカードをかざして、しかし「ピッ」といわなくて、あれっと思った瞬間ドアが開いた。「あ、すいません」と反射的によける。ドアの両側で同時にやっちゃうと、開かないんだよね。

 ・・・。

「・・・あ、よう」

 思わず二度見して、知った顔だと思ったら、黒井だった。

「ああ、お帰り」

「ただいま。・・・あ、そういえば、お前さあ」

 黒井は社内便の封筒を持って、たぶん発送部屋へ行くところのようだった。僕は廊下に誰もいないのを確認して、歩きながらその肩に手を置き、「結局、菅野さんに返事したわけ?」と小声で言った。

「・・・え、別に」

「別にって」

「だって、チョコもらっただけだし」

「だけって、でも、どうする気?」

「どうって、どうかしなきゃいけないの?」

「いけないの、じゃないよ。別に、断るにしたって、せめてきちんと言わないとかわいそうだよ」

「・・・はあ、めんどくさい」

「はいはい、色男くん、大変だろうけど文句言わないの。で、何かもう渡した?」

「何かって?」

「そりゃ、お返しだよ」

 黒井は僕に封筒を渡し、スーツのポケットを探った。左からガムと丸めたティッシュ、右からコンビニの袋が出てきた。袋の中から、赤いチェック柄の、ウォーカーのチョコチップクッキー。

「あ、クッキーじゃん」

 しかし期待したのもつかの間、食べかけだと分かった。まあ、コンビニで105円だって知ってるから、どっちにしてもアウトだけど。

「・・・ちょっと待って、ああ、しょうがないな」

 僕はふと思い出し、封筒を返して鞄を探した。・・・ああ、あった。藤井に渡すつもりで買った、ちゃんとしたクッキーの箱。おまけに紙袋も。ちょっとこういうのってどうかと思うけど、知らなければそれで済む話じゃないか?

「ほら、これ。絶対俺からもらったって言うなよ?」

「何これ。お前が菅野ちゃんに渡すものじゃないの?」

「違うよ、俺はもう渡した。一緒に買っといたんだけど、ちょっと、これは必要なくなったから」

「・・・そうなの?」

「とにかく!どうせまだ菅野さん残ってんでしょ?ああ、ちょうどいい、ちょっとついてきてとか言って、発送部屋に呼び出したら?あの子、断られたりしたら泣いちゃうかもしれないしさ。席で泣かれたら大変だろ?」

「・・・別に、まだ何も言われてないし、断るも何もないんだけど」

「あ、そう。まあ、どういう話になるかは勝手にしてよ。でもとにかく、チョコもらって食べたんだから、お返しはちゃんとしないと」

「・・・じゃあ呼び出してよ」

「え、俺が?はあ、今度はこっち?まったく二人とも人使いが荒いな」

「ええ、何それ?」

「何でもない、こっちの話。じゃあ発送部屋で待っててよね。あ、二人きりだからって、お前、変なことすんなよ?」

「・・・しないよ」

 オフィスに戻ろうとすると「ねえ」と呼び止められ、「これ、あげる」とコンビニ袋を手渡された。

「・・・はあ、どうも。じゃ、それと交換ってことで、もらっとくよ」

 ああしかし、本当、違うブランドの買っといてよかった。こんなとこで役に立つとはね。さてさて、あんな調子の黒井の元に菅野を送り出すのは気が引けるけど、こればっかりはしょうがない。美男美女だからって結ばれるとは限らないんだね。そこはほら、別に美男美女ってわけでもないけど、僕と藤井くらいのちょっとだるい感じがちょうどよかったりするんじゃない?ねえ、今度は僕だって、ただキューピッド役どころか伝令係で終わり、じゃないかもしれないしさ。僕が今夜どこにいるかは、まだ、分からないんだし・・・!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る