第81話:拷問の痛みはひとつずつ

 スロープの坂にちょうど隠れるように、なにか、いるみたいだった・・・。

 いや、きっと、ただの布切れだよ。カーテンとかが、ぐしゃっと置いてある、だけ、だよ。

 え、これ、僕がこれからそっちに、ライトを、当てるの?

 ゾンビじゃないよね。宇宙人じゃないよね。

 モルダー、スカリー、助けて!

 だめだ、来てくんないよ。あの人たちも年なんだよ。もう、二十年前のドラマだよ。

 だ、だから、ぼくがじぶんで、なんとか・・・。

 ふるえる手を、ゆっくり、うごかして。

 ライトの光を、手前から、すべらせるように。

 だんだんと、その輪郭がみえてくる。やっぱり、なにか、よこたわってる・・・。

 ・・・っ。

 あ。

 ひとだ・・・。

 これ、にんげんだ。にんげん・・・。

 だって、靴。ふたつ、うえに、むいてる。

 し・・・。

 し、た、い?

 ての、ふるえが。ライトがぶれて、よく、みえない!


 唐突に、今、思い出した。

 高校のとき、卒業文集の、<将来の夢>の欄に。

 <死体の第一発見者になる 山根弘史>って、書いたことを。

 担任の先生に、書き直せって、言われたけど。

 結局、無視してそのまま載ったんだ。

 だから、こうして、夢が、叶って。


 あ。

 ・・・カン!

「・・・っ!」

 ら、ライトを、落とした!

 ライトが、ころころ、転がって。スローモーションみたいに。

 影絵みたいに、シルエットが。

 先の少しとがった、革靴?

 足元を照らして、ライトは止まった。じょうはんしんがどうなってるかは、わからない・・・。

 ライトを、拾うには。

 近づかなくちゃ、いけなくて。

 頭では、行け、頑張れって、言ってるけど。

 体が、凍って、うごいてくんない!

 ひたすら突っ立って、見えてる靴だけ見つめる。長靴とかスニーカーじゃない。このひと、しょくぎょうはなに?

 ・・・もしかして、スーツなの?この会社の人?隣のビルの人?

 やっぱりやくざがどうしたとかで、殺されたのかな。

 それでここに、運ばれた?

 え、まさか、その運んできた人は、もういないよね。いたら僕、もうアウトだよね。

 じゃあ、さっきの物音は、運び込んだ音。死体遺棄。・・・刑法190条。死体、遺骨、遺髪または棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、または・・・。

 いま、だ・・・!

 刑法を唱えて、ライトを取るんだ!

「け・・・刑法199条殺人。・・・ひ、人を殺した者は、死刑または無期もしくは五年以上の懲役に処する・・・!」

 一歩、二歩、三歩。

 えい!

 かがんで、ライトを、つかんだ!

 光を、靴から、足、胴体。やっぱり、スーツ姿の会社員だ。口封じに、殺された。あるいは、弱みを握って誰かを脅して、返り討ちに・・・。腕はある、胸もある。首も、繋がってる!良かったね、あたまがなかったら、どうしようかとおもってたん・・・だ・・・。

 ・・・。

 ・・・。

 ・・・?

 ・・・それは、なんだか、しってるひとのかおみたいに、みえた。

 だれ?

 僕は一瞬目を逸らした。

 え、誰なの?

 この会社の、ひとだよね。

 知ってるはず、ないよね。

 何か、うちの会社の、くろいくんに、そっくりなんだけど・・・。



・・・・・・・・・・・・・・



 将来の夢なんかに、書いちゃったから。

 刑法199条なんて、唱えちゃうから。

 っていうか、狼と、猫の位置が、逆だったから・・・。

 相棒は離脱して、<人のいない土地>に行ってしまった・・・。

 うん、でもたぶん、最後に、主人公もそこへ行くんだな。もうそこに、人はひとり待ってるから、もう<人のいない土地>じゃないけど・・・。

 ああ、もう、いいかも。

 不思議と、動揺していなかった。

 

 そこに横たわっているのは、黒井だった。


 ・・・死んでるなら、いいんだよ。時間はいっぱいある。どうとでも、出来る。

 でも、もし、死んでないなら。

 一分一秒を争って、血の海の中人工呼吸しなきゃいけないなら。

 ねえ、そんなの、嫌なんだ。もう終わったことなら耐えられる。でも僕のせいで終わりそう、なんてのは耐えられない。

 骨なら、拾うから。

 俺の腕の中で、死んでいかないで。

 お願いだから、それだけは。どっちにしてもすぐに後を追うんだけど。死ぬ瞬間、そんな後悔したら絶対地獄行き。脳内にお前を死なせた映像が貼り付いて、書き換え不可。上書き不可。消去不可。ピー、固定されて、時間は止まります。世界が滅亡して電源が落ちても、映像はループし続けます。間に合いませんでした。あなたが準備しても、まな板の鯉に間に合わなかったのです。彼が、その、身代わりになりました。

 ・・・やめてよ!

 やめてよっ!!!!

 頭の中で怒鳴って叫び続けるけど、僕は喉を鳴らして唾を飲み込んだだけだった。手も震えない。黒井の顔が、ああ、何か、綺麗だね。まぶたも閉じてるし。どうやって殺されたの?痛くなかったんなら、全然問題ない。そんなら全然平気。でも、もしそうじゃなかったら。今も、本当は苦しんでるのに顔の筋肉が麻痺して動いてなくて、声も出せないんだとしたら。僕が金縛りや幻覚に遭ってるときみたいに、っていうか、今みたいに、頭の中で「助けて!」って叫んでるのに、声になってないだけだとしたら。

 耐えられそうにない。

 でもそれが、一分一秒を、争うってこと・・・。

 僕はこの一秒、次の一秒、動けないから、地獄に自ら飛び込んでいる。

 だから、言ったじゃないか。人質ごっこの人質は、俺だけなんだって。まな板の鯉は、ひとりで耐えるんだって。・・・言ったかな。言ってなかったかな。わかんない。でもきっと、伝わってない。お前と一緒にやることじゃなかったんだ。本気の本番だって、でも、それは、俺の・・・。

 ・・・。

 言い訳してても、しょうがないね。

 お前の脈を。

 取らなくちゃ。

 

 ぱっと見たところ、外傷はない。ナイフも突き立ってないし、血も見えない。首に縄が巻きついてもいないし、胴体もくっついてる。

 争った形跡も、ないの?

 お前、一人で、何もせずやられちゃったの?

 僕はポケットから、マイナスドライバーを取り出した。

 もしもだめそうなら、すぐに、心臓に突き立ててあげるから。両手で、全力でやれば、きっと出来る。あばらも貫通する。一回で無理なら、何度でも。

 そうしたらすぐ、自分にも。きっと半端になって、僕の方は出血多量で、しばらくかかるね。遅くてごめんね。

 僕は手を伸ばして、その手首に、いや、心臓に触れることにした。

 だって、ねえ。

 僕がこうしてドライバーを出して。

 ちょっと落ち着いたから。

 見えちゃったんだよ。分かっちゃったんだ。

 お前がすごく浅く、でもまだ、息があるってことを。

 その胸が上下してることを。

 生きてるんだよ、まだ。

 涙が出てきた。視界がにじんで、その鼓動も歪んで見えない。

 死んでてくれればよかったのに。

 今すぐ何も言わずに息絶えてくれればいいのに。僕がその生死を左右する立場になんてなりたくないし無理なんだ。

 涙が、ぽろぽろ落ちる。死んで、死んでくれ。今すぐ、死んで・・・。

 左腕を、伸ばす。右手にドライバーを、握ったまま。

 あはは、ドラキュラじゃ、ないんだから。

 銀の杭なんか打たなくても、死んでよ。

 少し笑ったから、頬がひきつって、また涙がこぼれた。視界が、もう、ほとんどない。

 そのまま腕を伸ばして、シャツに、触れるか、触れないか・・・。

 ・・・っ!

「ぎゃあああーーーーっ!」

 だ、誰だ、誰が叫んでるんだ!

 見られた?俺が殺すところを、誰かに見られた?

 刑法199条、殺人?

「うわあああっ!」

 腕を、つかまれて。ドライバーを、奪われる。もう真っ暗。何も見えない。手首を後ろできつく握られ、何かで、縛られる。あらん限りの大声を、腹に、力を・・・!

「んぐぐ、ううう!」

 タオルを、噛まされて。

「うう!ううう!」

 後ろから、手のひらで、口と鼻をふさがれた。

「んんーっ!んっ・・・っ」

 腹に、重い衝撃。息が詰まる。声が出ない。何だった?膝蹴り?

 息が吸えなくて、タオルに唾液が染みていく。少し、胃液も、逆流してくる。

 咳き込みたいけど、息が吸えない。苦しい。焦れば、焦るほど・・・!

 一度強く息を止め、少し隙間のある鼻から少し吸い込む。すぐに吐き出して、細く、長く、もう一度・・・。息だけ、しなきゃ。背中も蹴られて、後ろで縛られた右腕を強く引っ張られて、肩が外れそう。でも、そんなのどうでもいい。息だけ、してれば・・・。

 暗闇の中を歩かされる。どこへ、行くんだ?涙で前が見えない。え、搬入口?南京錠、開いてるの?

 え、違う。何だ。

「んっ!」

 足を踏み外し、一瞬宙を泳ぐ。そのまま右足は落っこちて、左足は踏ん張ろうとして、尻もちで階段をずり落ちた。階段?ここ、一階じゃないの?地下が、あるの?

 階段に座り込んで、止まった。立ち上がれない。足がちょっと、変な方向に曲がって、痛い。もう涙も出なくて、でも何も見えない。地下は、暗闇・・・。

 引っ張られてた手が離れた。僕の後ろに回る。今だ、逃げたいけど、でも、起き上がれない。顔の、後ろから。

「んんっ!」

 目に、冷たい感触。さらりとした、布?目隠しを、された。見えないのにね、全然。これから内臓くりぬかれても。

 あ、そうか。くりぬく側は見えなきゃね。ライトつけたら、僕も、見えちゃうから。え、もしかして、優しいの?どうなのかな、むしろ、きちんと見たほうが、いいような・・・。

 案の定、ライトがつく音。カッ、チン、っていう、多分スイッチもでかい、大型の懐中電灯。また腕を引っ張り上げられ、前のめりで立たせられる。い、痛い。膝が、痛い。歩けないよ!だめなの?歩くの?まあ、もげてないなら、使うけどさ。痛っ!

 半地下、くらいなの?階段が、すぐ終わった。ゴミ捨て場、みたいな?何か、埃っぽくて、紙くさい。段ボール回収所?

 急に強く腕を引かれ、突き倒された。また尻もちをつく。・・・遅れて、肩を打って、それから、後頭部を打った。何だ、もう、壁際だったの?何か手首が変な方向にねじれて、い、痛いんですけど。

 前に放り出した両膝も痛くて、でも、立たなくちゃ。逃げなくちゃ。・・・って、だめだよね。ああ、両足を持たれて、ろくに抵抗しないうちに、縛られた。もう、やだ。抵抗するの、やめよう、疲れた。とりあえず後ろが壁なんだから、頭をもたれて休もう。こりゃひどいね。人生で、こんなの、ダントツ一番に、ひどい・・・。

 だって、黒井はまだきっと、死んでないんだから。



・・・・・・・・・・・・・・



 ・・・少し、まどろんだ。

 肩が痛い。手首と膝が痛い。でも、それより眠い。痛みを洗い流すみたいに、泥が流れていくみたいに、眠気が上から降ってきて、全てを押し流していく。だんだん、眠気の量が増えていって、重たくなって、んん、これ以上は、首の骨が折れそう。砂袋でも乗せられてる気分。痛くはないけど、苦しくて重い。

 ・・・。

 感覚が、現実に引き戻される。

 何だ、頭が。溶けてる?くりぬかれてる?脳みそを、掻き出してるの?

「んんっ」

 目まで、冷たい。・・・冷たい?

 ああ、耳に、水が入る。よくわかんない。頭に、水をかけられてる?においはしない。ガソリンではない、やっぱりたぶん、水。

「んっ!」

 鼻と、口にも、タオルの上から水がかかる。焦って呼吸が早くなる。濡れた布の匂い。

「んーんー!」

 まだ水がかかる。え、どれだけかけてるの?滝?何の容器なの?それとも蛇口?

 逃れようとして、体をずらした。肩、腰、足、と横によけるけど、腕と足が縛られてるから、ほんの数センチも動けてない。ただもがいただけ。そして、もがいた分、自由がないってことが認識されて、じわじわと焦りと恐怖がやってくる。だめだ、今まで大丈夫だったんだから、縛られてたって平気だ。急に怖くなる必要なんかない。言い聞かせるけど、せり上がってきてしまう。・・・取れない!動けない!!呼吸が荒くなり、濡れた布から吸い込める空気の少なさが、だから、気づいた途端にパニックがやってくる。落ち着け!もう黙ってじっとしてろ!!

 ・・・。

 たぶん泣きながら息を細めていた、その時。

 足。右の、足の裏。

 ・・・つ、つった!!

 い、痛い、つった。ちょっと力を入れると余計に、い、痛い痛い!手でよく伸ばしてほぐしたいけど、後ろの手が届くはずもない。足首を自分で伸ばす?む、むり!いたい!

 どこに力を入れたって、ああ、痛みが上がってくる。ふくらはぎまで、つってきた!

 いたい、いたいよう。これ、じっと耐えてれば去ってくれる痛み?痙攣してきた。勝手に震えないでよ、動くとほら、ぴきっ!って、い、いたい!

 何これ、ふうん、縛られてるとき足がつると大変なんだね。ちゃんと準備運動してから縛られなきゃ。左足まで連鎖しないうちに、もう切り落としてしまおうか。僕は右足の膝から下を切って、繋がってないけどそこに置いてあるだけだ、とイメージした。ああ、その下の部分、つりっぱなしですね。神経が通ってないのに、筋肉と腱がつっぱったままですね。誰のものでもない痛みが見える特製のスコープかなんかをつけて、ああ、ほんとだ、痛んでますね、なんて客観視してたら少しだけやり過ごせそうな気配がしてきた。その調子だ、現実を見るんじゃない!

 ・・・。

 あれ。

 そういえば、水が止まっている。ああ、足がつったおかげで、水の恐怖は忘れていた。なるほど、痛みも恐怖もひとつずつなんだ。しかし今度は水の方を思い出したせいで、濡れた布の息苦しさが認識されてしまった。ああ、もう、きつくなってきた。忍耐がついてこない。泣きわめきそう。だめ、苦しくなるだけだ、何もかも忘れて、じっとしてるんだ・・・!

「・・・っはあ、はあ!」

 ふいに口元のタオルがめくられた。なぜ、とも考えず、ただ新鮮な空気を吸い込む。やっと息が、出来る!

「あ、ああ!あの!」

 喋れる。声が、出せる!

「黒井は!黒井は死にましたか!!」

 たぶん、目の前の人間の動きが一瞬止まった。ああ、図星だったか。ってことは、死んだんだな。ならいいんだ。それなら、もう、いいんだ。息の根さえ、止めてくれたなら。

「・・・どうも、ありがとう」

 僕は安堵して、力を抜いた。じゃあ、もういいや。どうなっても。良かった。何の心配も要らない。

 ・・・あれ、でも、どうかな。どうなのかな。この人の言うこと、信じちゃっていいのかな。本当は、死んで、ないのかも。僕よりひどい拷問受けてるのかも。そんなのやだ!耐えられない!

「あ、あの!ほんとですか!証拠、しょうこありますか!」

 ぴたぴた、と頬に手が当たる。聞こえて、るんだよね。

「証拠を、見せてください!見せられないなら、触れるだけでも。あいつのどこか、一部分でも・・・!」

 再び強引にタオルを当てられた。気配が、遠ざかって。足音が、遠くなる。

 持ってきて、くれるのかな。手首かな、頭かな、それとも、まさか、・・・なんて。

 そのうち遠くで、悲鳴みたいなものが聞こえた。いや、悲鳴というか、嗚咽?殴られてる音?・・・それと、笑い声。

 何だろう、断られちゃったかな。掛け合ってくれたのに、ボスにだめって、言われたかな。今の人、いい人だったのに。どことなく、クロに似てて・・・。

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