(後半:ルールは、会社を休まない。そして、死なないこと)

第80話:なにかが、よこたわっている

 シンクロニシティ、とかいうんだったか。

 何だかあまりにさっきの今で、ええ?と思ってしまった。

 再びコクーンタワーのブックファーストで<黄金を抱いて翔べ>を読んでいるわけだが。

 最後の方に、箱寿司と牛乳という記述を発見した。主人公はそれを買ってきて、しかし襲撃に遭い、銃で撃たれてしまう。相棒もまた撃たれていて、モルヒネを打って何とか教会までたどり着く。そこのベンチで例の寿司を分け合い、先に眠ってしまった相棒を抱き寄せ、主人公も眠る・・・。

 さっきのベンチの、起きてた方の男の表情・・・。何だか今見てきた光景が、そのままここに書かれているような臨場感。まさかあの人たち、撃たれてたわけじゃないよね、なんて。

 っていうか、何寿司だったのか分からないあの酢飯と、ちょっぴり残ってた牛乳。

 ・・・食べ残しじゃなくて、まさか、僕と分け合ってる設定だったの?

 いや、まんまと、食べたんだけど・・・。

 そういえばと思って、記述を読み返す。主人公は左腕を回して相棒を抱き寄せたとある。つまり、主人公の左側、正面から見れば、向かって右に相棒がいたわけで・・・。

 あれ、確か窓のところには、右に狼がいて、僕は左の猫を取ったんだった。

 それじゃ僕が主人公になっちゃうよ。ま、まあ、そこまでの再現とは、限んないんだし。

 僕はそこで本を閉じ、よく分からない頭で帰社した。

 

 それからは、何だかよく分からなくなってしまった。今日なぜだか取ってきてしまった見積もりを上げ、粗利を打ち込み、いくつかのふせんは明日に投げ打った。

 僕は、黒井と、月曜の朝以来一言も言葉を交わすこともなく、いったい、何をやっているんだろう。間接的に交わした言葉といえば<リスベット>と<×>のみ。一応意思疎通は出来ていて、<人質ごっこ>は続行しているようだけど・・・どうやら人質は積極的に何かを試されているというか、何かを投げかけられている気がして・・・。それをどう受け取っていいのか、いや、まあそもそも本当にその推測は当たってるのかってこともあるけど、でも。

 ・・・何を思い浮かべたわけでもないのに、腹がひゅうと透けた。お互い、全然違う思惑で動いていて、大幅にすれ違ってる可能性もあるのに。何も、言わないまま。メッセージだけは、発信して、受け取り続ける。夜中、ひそかに。昼間は会社に行き続けながら。

 何だかそれって淫靡だ。

 気がつくと、マウスから手を離して、痛くもないのに右手で左手の甲をさすっていた。何かで読んだことがある。一方で一方の手を隠すのは、後ろめたいことがある表れだと・・・。

 ・・・僕の、左手って。え、隠したいような欲求が、こみ上げてたんですか、今?

 はあ、だめだ。本当によくわかんない。何だか、ちょっとかすっただけだと思ってた棘が、思ったよりずっと深くまで刺さってたみたいな感じ。でも、もう手遅れなのかとか、痛いけど頑張ってピンセット突っ込もうとか、そういうのが全然わいてこなくて、どこか他人事で僕はそれを眺めていて・・・。

 誰と誰が何をしていて、誰が誰に、何を伝えたいんだろう・・・。


 少しぼんやりした頭で何も考えずに言い放ったら、課長も気おされたのか、結構な値引き額が通った。それで見積もりを仕上げ、九時前には上がった。黒井がもう帰ったかは、一瞬も見ないで廊下に出た。雨は上がっただろうか?

 まとまらない頭のまま、帰ったらもうクセで着替えていた。まだ少し早いので、久しぶりにご飯を炊いて、チャーハンでも作ってみる。海老はないから、玉ねぎとキャベツと卵だけ。ああ、今日のチャーハン美味しかったな。っていうか、あれ今日の昼なのか。もう一昨日みたいな感じがする。

 昼間あれだけ食べたのにまだ腹が減って、チャーハンと、足りない分はただ豚肉を焼いて食べた。食べたら眠くなって、一時間寝た。

 起きたら、夜勤。もうこれは、夜勤。最後の勝負をかけるのは明日でも間に合うから、とにかく今日は、僕の仮説が当たってるのか確かめることだ。そうしたら、例の二つのうちどちらかを選べばいい。

 本当に全力を出し切っているかといえば、まあ、それでも時速九十キロというところだろう。高速道路で百四十キロまで上げていくときの感覚ではない。いや、だって、それというのも、何ていうか・・・。

 そう、例の相棒のことを、思い出してしまったんだ。<モモ>とあるから、何となく女だと思ってさっきは読んでたんだけど、そういえばあれは男だ。途中で女装もするけど、女じゃない。正体不明の外国のスパイで、主人公はだんだんと、その<モモ>のことを・・・。

 ああ、着いてしまった。

 今日は何をするんだっけ。猫はどこにいるんだっけ。軍手をはめて門扉を越える。ポケットのライトを右手に持ち、左手にはバインダー。ああ、そうそう、結局<非常口>に隠したんだった。じゃあ今日はそこからスタートだ。狼は、今日はどこにいるんだろうな・・・。

 通用口にすべり込み、二、三歩踏み出してからライトをつける。あ、と立ち止まり、宝の隠し場所を見上げる。ライトで照らすが、何もなっていない。まあ、入り口に並べられていない以上、負けてないってことだ。ああ、そんなことにも今更思い至る。だめだな、寝不足で。こんなんじゃ、本番っていえないな。ああ、あった、非常口。

 リュックを脇に置いて、ドライバーを取り出す。カバーを外して、一瞬ないかとおもって冷やりとしたが、ちゃんといた。また棺桶みたいなところでごめんな。今日はもう少し広いところを探そう。カバーを付け直し、ドライバーを置いたところで、物音を聞いた気がした。

 ・・・。

 階段から?

 ・・・。

 ライトを消し、息を殺して耳を澄ます。気のせいか?聞こうとすればするほど、何だか耳鳴りがする感じで、よく分からなくなる。思い出そうとするが、それがどんな音だったか、それも判然としない。カサ、だったか、トン、だったか、それほど大きな音ではなかったが・・・。

 何だろう、もしかして昼間工事が入って、換気扇でも回りだしたか?搬入したものでも倒れたか?

 正面玄関に、何か細工をするべきだな。ほんの小さな紙とかをはさんでおいて、それがなくなっていたら開けた印になる。今そうしておけば、明日の夜分かるはずだ。とにかくこんな夜中に工事をすることはないんだから、今はやれることをやっておかなくちゃ。

 僕は物音に注意しながら、いつもよりゆっくり、静かに歩いた。階段を下り、一階へ。廊下をつっきり、正面玄関に着いた。バインダーの紙を小さくちぎって、ドアの隙間に差し込む。うん、意外と隙間が、ないか、広いかで、落ちちゃうな。うまい具合にはさまらないか・・・。

 タン。

 ・・・。

 また、音がした。

 確かに聞いた。今、聞こえた。心臓が跳ね上がり、それと分かるほど脈打つ。誰か、いるのか?ライトの光を服に押し当ててスイッチを切る。正面玄関のドアノブを握り、ゆっくりと、スローモーションよりゆっくりと、開けてみた。

 ・・・開くじゃないか。

 鍵、開いてるじゃないか!

 僕たち以外に、誰か、入っているのか。誰が?まともな業者じゃなければ、いったい誰がこんな夜中に忍び込む?

 ・・・このまま玄関を開けて逃げるべき?

 でも。

 猫の駒を持ったまま、逃げられない。

 どうしよう。

 音は、背後からした。階段?それとも、横の搬入口?

 搬入口から出て行ってくれたらいい。あ、でもあそこは南京錠がかかってる。え、何、今僕、うろついてる殺人鬼と二人きりかもしれないの?斧とか持ってるの?怖すぎるんですけど!!

 斧はやめて!と思いつつ、玄関から踏み出すことが出来なかった。

 黒井に知らせるべき?誰かうろついてるから今日は来ちゃだめだって?斧も怖いが、それもかっこわるい。猫を握りしめたまま、もう音はしないけど、さて、どうすべき?

 


・・・・・・・・・・・・・・



 結局、たぶん五分も十分もそうやって血の気が引いたまま立ち尽くしていた。玄関から外を窺いつつ、背後の物音に耳を澄ませつつ、しかしやがてじっと突っ立っているにも、体が揺れてきてしまった。眠い。もう、眠い。

 何だか、物音がしたのも気のせいじゃないかと思えてきた。雨が降ったし、水たまりも出来てたし、何か、板とかが倒れただけだ。

 ・・・。

 面白いのは、何ひとつ説得力もないのに、そうかもねとか思って気持ちが落ち着いたことだった。まあ、さすがに宇宙人とか斧を振り回してる狂人じゃなければ、死ぬほどのことはないわけだし。いや、たぶん寝不足から来る幻聴だ。気のせいだ。だってもし本当に人がうろついてるなら、今の五分十分、何してたって言うんだ。うろつく音も、何かを壊したり鉄骨を盗んだり?する音も聞こえない。いたとしても、もう行ってしまったんだ。大丈夫だ。

 ・・・でも、怖いから、元来た道を戻って、猫を<非常口>にしまってすぐに帰ろう。もう、それだけだ。肝試しじゃないが、本当にそれだけ済ませたら帰ろう。

 本当はドライバーを握りしめたいんだけど、リュックを開けて音がするのが怖くて、点いていないライトだけを握った。暗闇の中、一歩を踏み出す。もう一歩、もう一歩・・・。少しの間暗闇になるが、踊り場で目が利いてくる。すっかり空は晴れたから、薄明かりはちゃんと入っていた。

 抜き足差し足で、何とか踊り場までたどりついた。さっきの音は、たぶん、搬入口の方。南京錠だけ確かめるべき?どうしよう、音もしないし、ひととおり見て回るべきなの?

 いや、もう、猫と非常口だけにしよう。他の侵入者がいるなら、<人質ごっこ>どころじゃない。本当のヤクザとかの犯罪かもしれないし、こんな、僕たちが遊んでる場合じゃない・・・。

 ・・・。

 少し、心拍数が落ち着いた。

 手の震えも、おさまった。

 ・・・今、僕は、「遊んでる場合じゃない」って、思った。

 それって、<本番>だって、思ってないってことだよね。

 心の底では、お遊びだったんだ。そんなこと、黒井に言える?そんなんで勝って、嬉しいか?

 人生の、話なんだ。

 遊びも本番もない。今、自分が本気かどうか、それだけじゃないか。

 僕は握っていたライトのスイッチを、入れた。搬入口にさっと光が走る。

 なに、ただの鼠だよきっと。この一階の駐車場みたいなスペースを一周して、南京錠を見てくるだけだ。ほら、大丈夫だ。本当の殺し屋なら、ライトをつけた時点で僕を狙撃しているはず。こっちの存在はバレてるんだ。相手が何もしてこないなら、逆に、相手のほうが息を潜めて僕が立ち去るのを待ってるのかもしれない。うん、愚かな警備員よろしく、「あれ、おっかしいなあ?」とか呟いて去るからさ。それで見逃してくれ。っていうか、きっとたぶん、何でもないし!

 足を、踏み出した。

 そしたら、だんだん、早足になって。

 夜中にトイレに行けない子どもみたいな。

 もう、みっともないったらないな。死体がいっぱい出てくるDVDとか見てるくせに、情けないよ。

 止まりそうになる足を意志の力で押し出して、南京錠までたどりついた。異常はない。鎖もちゃんとかかっている。ほら、大丈夫だって。気のせいだよ。

 あ、あとは、階段へ帰るだけだ。も、もう、走っちゃおうか。

 ライトで床を照らす。スロープを過ぎて、もう、立ち去ろう。もう・・・。

 ・・・。

 ・・・えっ?

 ひいっ・・・!?

 ・・・。

 な、なに、なにあれ。今の。スロープの、むこう・・・。

 なにか・・・いる。

 なにかおおきなぶったいが、よこたわって、る・・・。

 ど。

 どう、しよう・・・。

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