第79話:関口とランチバイキング

 帰宅してパソコンをつけ、とにかくキーワードを牛乳に絞って検索をかけた。容器のご飯はともかく、あれは牛乳以外ではあり得ない。・・・一応、ストローを、吸ってみたりした。少し中身が残っていて、ちゃんと、牛乳の味がした。

 <黄金を抱いて翔べ>の映画関連で、鯖寿司と牛乳というのが出てきた。あれ、鯖寿司の残りだったのか?そんな風には見えなかったけど。あと、主人公が二十九歳だということも分かった。もしかして、黒井と同じ?っていうか、ものすごく大人だと思っていたのが、どんどん追いついてしまうんだな。どうしてみんな、そんなに大人なんだろう?

 風呂に入りながら、確信を深めた。

 黒井は、他の選択肢を知っている気がする。そして、わざと僕をかく乱し、ミスリードしようとしている。

 <リスベット>にバツをつけたのも、<ミレニアム>を読んでいてその名前がすぐ分かったんじゃないか?お前は、自分が引いた本以外のものを、どんどん、もしかして今も、読み進めているんじゃないか?

 ・・・そうだとしたら。

 ひとつ。なぜそれを知りえたか。ファミレスで僕はそれを丸めて、確かに灰皿に入れて席を立ったはずだ。まさかその後回収した?

 ひとつ。どちらにしても、正解はどれなのか。

 <ミレニアム>でないことは確定したが、それならきっと、<黄金を抱いて翔べ>でもないのだ。これは見せかけで、その裏でわざとかく乱しているのが真犯人なのだから。

 ああ、・・・<ミレニアム>と<黄金を抱いて翔べ>の共通点。今日、本屋に、あった。

 本屋で、買いやすかった?僕だってアマゾンのヘッドライトを受け取っている暇がないのだ。平日に本を入手しようとして、本屋になければ取り寄せても間に合わず、古本屋をめぐっても可能性は半々だし、通販は受け取れない・・・。現実問題として、僕たちが十年前の本を読むには、・・・外回り中に何とか図書館へ行くしかないのか。

 図書館って、自分の区の?確か、勤め先でもいいんだったか。

 あれ、でも・・・、平日、じゃないのか。

 はじまりの、あの日曜の、夕方だ。黒井はきっともう、正解の本をとっくに読み終わっている。それから、<ミレニアム>、そして<黄金を抱いて翔べ>と、入手しやすいものに手をつけている。だから、ええとええと・・・。

 正解の本は、日曜の夕方の時点で入手しているはず。それから、今頃、<黄金を抱いて翔べ>の次の本に手を出しているだろうということだ。

 僕は急いで図書館を検索した。桜上水の図書館は、何時までやっている?たとえば会社の最寄の図書館はどこだ?新宿区の住民じゃなくても借りれるか?

 しばらくリンクをたどって、図書館のホームページをチェックする。桜上水の図書館は、日曜の夜七時までやっていた。ファミレスを出たのは何時だ?そのまま電車に飛び乗れば、間に合ったのか?財布を漁り、ファミレスのレシートを探した。・・・ない。ああ、レジの横の<不要レシート入れ>に捨てちゃったのか。ああいうのも取っとかなくちゃな。どうしたら分かる?五時なら確実に間に合うし、六時半なら間に合わない・・・。

 記憶を手繰って、ファミレス前後の行動を検証する。・・・ホームセンターに行った。そのレシートならあるが、ここから逆算しても分からない。・・・電車に乗った。パスモに履歴があるだろうが、それでもファミレスを出た時間までは分からない。あとは・・・携帯だ。

 一月二十六日。受信メール。一件あった。藤井からだ。・・・そうか、ファミレスを出てすぐにメールしたんだった。じゃあ、送信メール。送信時刻は17:25だった。駅前の本屋に寄っても、そのまま電車に乗れば充分に間に合う。図書館のページに戻り、資料の在庫確認をする。きっとまだ、手元に持っているはず。

 しかし、本が貸し出し中だろうとそうでなかろうと、結局何の証拠にもなりはしないのだった。たとえ怪しくても、確信には至らない。また刑事よろしく写真を持っていって、「この人がこの本を借りましたか?」と嗅ぎまわるわけにもいかない。最近は個人情報保護ばかりで、きっと何も教えてはくれまい。

 …それでも。

 今の時点で、最も怪しいものを、割り出すだけ、割り出した。

 桜上水の最寄の図書館に所蔵されていて、かつ、現在貸し出し中のもの。

 <ミレニアム>と<黄金を抱いて翔べ>以外のもの。

 かつ、月曜日のあの、宝の上で眠る狼にふさわしい作品。

 二つに絞った。<ハンニバル>か、<ロスト・シンボル>だ。

 前者は世田谷区の図書館に全体で八冊所蔵があり、うち上下巻とも一冊のみが貸し出し中。いずれも、桜上水の最寄の上北沢図書館から一冊ずつ貸し出されていた。後者は駅前の本屋に揃っていた可能性があるので、ファミレスを出てすぐ入手出来たかもしれなかった。

 勝負をかけるにはまだ早いが、何となく、見えてきた。

 僕はいったんパソコンを閉じ、今日はもう寝ることにして、着替えて歯を磨き、目覚ましをかけた。布団に入ると、眠気に押し潰されるように眠った。



・・・・・・・・・・・・・・・



 五日目。木曜日。

 早起きして家を出て、新宿の地下通路で朝マックしながら情報を整理した。

 あくびをかみ殺し、目をこすりながらノートに向かう。マフィンがうまい。コーヒーが苦い。

 周りのサラリーマンが手帳やタブレットで仕事の準備をし、またはスマホでゲームをしながら朝の一服をしている中で、たぶん僕だけ全く違うことをしていた。仕事なんかしてられるか、と思いつつ、でも、仕事をしながらここまでやってこそ、とも思う。まあ、とにかく、あと三日。それまでには、勝負もつくのだ。


 朝礼の後、ぼうっとパソコンを見ていたら久しぶりに横田が話しかけてきた。

「なに、山根くん、早速彼女とケンカ?」

「・・・え?」

「最近、浮かない顔じゃん」

「・・・あ、そう?」

 彼女って誰?・・・ああ、藤井のことか。

「そっちこそ、どうなの。何か浮いた話とか、ないわけ」

 寝ぼけた頭で振ってみる。たまには、自分のことも話してみろって。

「ええ?俺?あるわけないっすよー」

「あっそ」

「山根くんみたく手が早くないしねー」

「・・・今日曇ってるね」

「雨らしいっすよ」

「・・・天気の話と同列?」

「・・・まあ、終わったことですんで」

「・・・」

 え?

「・・・何が?」

「別に。・・・じゃなきゃ、また来てませんって」

「・・・それって」

「あ、お客さん」

「え?」

 つい黒井かと思ったが、三課に現れたのはSSの関口だった。

「あ、おはようございます」

「ちょっと、これなんだけど」

「え、すいません。僕何かやらかしましたか」

 にわかに緊張した。関口がここまで出張ってくるなんて、何かまずったかな。

「違うよ。頼み。ここ、あんたの担当?」

 差し出された資料には、僕の担当の顧客名。関口は僕の横に大股開きでしゃがみこみ、資料の該当箇所を指でとんとんと叩いた。

「ここ、行ってもらいたいわけ」

「え、今日ですか?」

「今日これから」

「な、何かありましたっけ」

「尻拭い」

「わ、すいません。え、何でしたっけ。ここって確か、代々木の」

「代々木公園の向こう」

「あ、そうそう」

「訊くなよ。俺の尻拭いだよ」

「…え?」

 関口は立ち上がって腕を組み、「いつ行ける?」と。

「は、はい。今、行けます!」

 聞き終わる前に関口は歩き始めていて、僕は何だか分からないが慌ててそれを追った。後ろから横田が呼び止める。

「山根くん、傘持った?」

「え、持ってない」

「ほら、これ!」

 パスされた黒い折り畳み傘をぎりぎりでキャッチして、マフラーだけを引っ掛けて飛び出した。朝イチで本屋に確認に行きたかったのに、こういうときに限って変な仕事が入るんだ。「行ってらっしゃい」の声に返事もしないまま、僕はエレベーター前に走った。



・・・・・・・・・・・・・・・



「あ、いえ、この部分はちゃんと対応してますから、大丈夫ですよ」

「え、そうなの?こないだの話と、何か違うような」

「本当ですか?すみません、ヒアリングが足りなかったのかな。もう一回教えてもらってもいいですか?ええと、ここの部署で必要なのは、これと…」

「そうよ、これがなきゃ困るわよ」

「あ、それだったら、こっちもですよね?」

「当たり前じゃない」

 ここで、大丈夫だって繰り返しても、たぶんしょうがないんだよね。相手は自分の非を認めたくないんだし、でも謝罪させたいってわけでもないみたいだし・・・。

「・・・となると、今ってどういう状況ですか?四月から、人がその、お増えに、うん?なるって」

「お増えにって、あなた日本語大丈夫?だからね、こないだの人にも言ったけど、三人増えるんです。そして五月に私が辞めるんです。引継ぎの時間は一ヶ月しかないの。だから、三台のうちの一台だけでいいって、言ってるわけ」

「ああ、そういうことでしたか。でも、失礼ですけど、別部署とかへ異動ですか?」

「え、私?違う違う。ここを辞めるの。引継ぎのためにわざわざ居残りさせられて」

「そうなんですか?ああ、それは今まで、大変お世話になりまして・・・」

「ああ、どうも。おたくにはお世話になったわね。すぐ担当さんが変わるから、大変だったけど」

「まったく、最後までご迷惑かけます」

「もうあなたでいいわね?」

「え、あ、も、もちろんです。松嶋さんを見送るまでご一緒させていただきます」

「そう?なら助かるわ。はい、じゃ、説明の続き」

「は、はい。えっと、それでここのネットワークがですね・・・」


 システム的に分からないところは関口を呼び、こじれそうだった話は何とか振り出しまで戻ったようだった。一応僕の担当顧客だが、実は割り振られたばかりで一度も顔を出したことがなかった。いったいどこから来た話なんだか全然分からない。ランクはEで、リプレースの話もなく、ほとんど使ってないみたいな扱いだったけど・・・。

 まあ、顧客リストも下のほうはザルだし、ランク付けも適当なところがあるし、顧客情報が正確に把握されていないのはしょっちゅうだったから、仕方がない。僕を顧客情報整備専門にしてくれればいいのに。

「じゃ、このパソコンも、お願いね」

「・・・といいますと?」

「ほら、これ。XPなのよ」

「・・・ウィンドウズXPですか?」

 え、うちの会社、こんなのの乗せ替えまでやってるんだっけ?っていうか、まだ使ってる会社、あったのか。

「せ、関口さん」

 応接スペースで資料とにらめっこしている関口が眉根を寄せて何度かうなずいた。とりあえず話を進めろってことだ。

「あ、じゃあ次回の見積もりのときに、乗せ替えの方も一緒に」

「え、違う違う。もう、買い替え」

「あ・・・そうですか」

「あと、何、保守?おたくのやつ、入ってなくて、こないだ大変だったの。もっと強引に言っててくれてればきっと安く済んでたのに」

「そうでしたか。それは、その、慎み深くて申し訳ない・・・」

「・・・だからあなたのその日本語、何なの?おかしいわね」

「はい。じゃあこちら、NECですね。後継機種で、ハード保守も込みで、一緒に勉強さしてもらいます」

「よろしくね?もう、私の最後の仕事なんだから」

「はい、それはもう、僕も頑張りますんで!」

 お任せください、とまでは請け負えないけどね。値引きの方はいいとしても、五月まで僕が担当でいられるかまでは、うちの会社のことだ、全然保証は出来ないな・・・。


 とりあえず話はまとまり、新しい仕事のふせんをたんまり増やして小さなオフィスを出た。エレベーターで時計を見ると、もうすぐお昼だ。

 ため息を一つつくと、斜め後ろの関口が一言、「・・・奢るから」と。

「え、あ、いや、そんな」

「いいから」

「・・・す、すいません」

 何だろう、急に焦って、照れた。何だこの人、いわゆるツンデレってやつ?すごく苦手だったけど、もしかして、まあ、悪い人じゃないんだろうな・・・。

 外に出ると小雨が降っていて、まあ歩けないほどではないが、傘を出すか迷った。関口は雨なんか気づいていないかのように歩き出す。一人でさすのも何だし、相々傘するわけにもいかないし。・・・こんな時、黒井なら、何でもない顔でしちゃったりするかな。「早く入りなよ。濡れちゃうよ?」とか、言って?

 急に、黒井が恋しくなったりして。一緒に仕事回ったりしたら、どうなっちゃうんだろう。僕がSSに行ったら、そんなことにもなるのかな。お前が営業をやって、僕がシステム組むの?いや、だめかな。若い女性担当者と話してるのを聞いていられないだろうし、お前の案件は全部担当したくなっちゃうだろうし・・・。っていうか、今黒井はどこにいて、何してるんだろう。誰かと同行してるかな。どんな担当者と打ち合わせしてるのかな・・・。

「おい、ちょっと」

「・・・え?」

 腕をつかまれた。不覚にも、あの感覚に襲われる。いや、きっと、びっくりしたし、お腹が空いただけ・・・。あ、いい匂い。

「ここでいい?」

「あ、中華ですか。いいですね・・・しかもバイキング?」

「結構、うまい」

「来たことあるんですか?うわ、楽しみ」

 熱が引いて以来、ずっと腹が減って仕方ないのだ。しかも昨日は夕飯をろくに食べていない。朝マックだけじゃ足りないよ。ひい、よだれ出てきた!


 関口の言うとおり、どれもうまかった。僕はほとんど食べているか皿に食料を盛っているかのどちらかで、関口も話しかけてこないから一人で食べているようなものだった。バイキングだから、奢りといっても遠慮なしにお替わり出来て助かる。しかも千五百円だから、まあそこまでの負担ではない、よね。

「・・・よく食うね」

「あ、どうも」

 ようやく何か言ったかと思えば、それだけ。関口はと言えば、皿もそこそこに一服に移っていた。そんなもの吸ったって、お腹は膨れないよ!

 三杯目のエビチリを平らげ、青椒肉絲(チンジャオロース)と海老シュウマイを片付けていく。ああ、自分ではこんなにうまく出来ないし、面倒だし調味料も揃わないし、お店はいいな。皿洗いもしなくていいし、食べ放題だし、奢りだし!

「あんた、楽しそうだね」

「・・・分かりますか」

 関口は苦笑いでそっぽを向いた。煙が僕にかからないように、上向きで吐き出す。この人からは、僕っていったいどう見えてるんだろうね。

 海老の春巻きと麻婆豆腐を取ってくると、関口は本当にしょうがないって感じで、顔を手で覆って、下を向いて笑った。タバコを持った手で腹を抱えている。え、何かおかしかった?っていうか、そんなに、笑う人だったの?

「・・・あんたさ、さっきから」

「は、はい?」

「な、なんびき」

「へっ?」

「え、えび・・・何匹食って」

「ええっ?あ、また海老だったか」

「くくっ・・・胃に、何匹入ってるって、話」

「それは・・・大小いろいろ、三、四十匹?」

「キモいよ」

「そんなこと言われたら、もっと食べましょうか。あ、海老チャーハン持ってきてください」

「はあ?俺に言ってんの?」

「あ、すいません冗談ですよ?」

「いいよ、持ってくるよ。百匹食ってよ」

 関口は笑いながら席を立った。あれ、何だろう、ちょっとくつろいでる僕がいるな。もう少しだけ踏み込んじゃおうかなとか思うけど、ここまでだ。自重しなきゃね。



・・・・・・・・・・・・・・・・



 バスで次へ移動するという関口にごちそうさまを言って別れ、地下鉄に乗った。いつものようにふせんを貼って剥がして並び替えているうちに新宿で降りそこね、都庁前で降りた。

 きりが悪かったので、ホームのベンチでもう少し続き。優先順位の低いものを一つ繰り下げて、もう来週にうっちゃるか。来週ってもう二月なのか。今年も一ヶ月が終わろうとしている。何だか年々早く過ぎ去る気がするね・・・って。

 ちらりと、隣のベンチを見る。

 ベンチの席は六つあって、半分から向こうは、反対側のホームを向いている。だから隣の席といっても、互い違いになるわけだけど。

 ・・・酔っ払い?こんな時間に?

 私服の男二人で、一人が膝枕で寝ているのだった。え、何、気分悪いの?救急車とか・・・ってほどではないのかな。っていうか、連れがいるなら余計なお世話か。

 どういう、関係?

 これが金曜の夜中とかなら酔っ払いで済ますところだけど、木曜の、昼過ぎに、都庁前で、膝枕?

 耳を澄ませてみるけど、さっきからずっと無言だった。「だいじょぶかよ」も「きもちわりー」も「やばくね?」もない。駅員を呼んだりする素振りもなく、ただじっとしていた。

 ふいに、こちらににょきっと足が出てきて、ベンチの背に行儀悪く足を掛けた男はしかし、うめくでもなく、笑うでもなく、やはりただ相手に頭を預けているだけだった。

 ・・・何だか、いたたまれない。どうしてこっちが恥ずかしくならなきゃいけないんだろう?

 っていうか、僕と黒井も、たまには、こんな風に見えていたりする?

 キスとかしてたらあからさまに気持ち悪いけど、この、ありそうでなさそうな昼過ぎの膝枕というシチュエーションと、無言のしっとりした雰囲気が、どうにも身につまされるというか、ああ、いろいろと、自重?

 僕は資料をまとめてそそくさと席を立ち、忘れ物がないか確かめる振りをしてちらりと二人を見た。寝ている方の男は姿勢が決まらないのか、相手の膝の上で頭の位置を何度も変えている。起きている方の男はじっと宙を眺めたまま、相手を気にしてもいない。・・・やっぱり、何か、こっちが緊張するよ。

 逃げるように階段に向かい、帰社する前に本屋に寄った。そして目当ての本を読んで、また赤面した。

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