第59話:普通そうで普通じゃない僕が好き
「・・・どうすんの」
「何でもない顔で、行きましょう」
「え?」
「どんぐり拾ってましたって、顔」
「・・・出来ないよ!」
囁き声で、もう秘密を共有した二人の空気。お互い自分たちの意思で、したいこと、したわけで。それって何か、強くなったような、自由を感じた。
二人でタイミングを見計らい、誰もいないのを確かめて柵を越える。ちょっとだけ、冒険ごっこみたいで、楽しかった。
公園のルートに戻り、ゆっくりめに歩く。二人とも何となく、また手を繋いだ。さっきはまるで子どもの手を引く保護者だったけど、今は、もう、男と女。
「・・・あのさ」
「はい」
「訊かないの?答え」
「・・・何の、ですか?」
「いや、だから・・・さっきの」
「山根さんが好きだって、言ったことですか?」
「は、はい」
「だって、山根さん、ものすごく・・・あれでしたから」
「あ、あれって、何」
「うまく、言えませんけど・・・。とにかくそれで、私はそれが、好き、・・・それもちょっと、いまひとつ・・・」
「な、何なんだよ」
「だから、こう、子猫がね、目の前で、うにゃあって、ひっくり返ったりとか、そんなの見たらうわあって思いませんか?」
「こ・・・ねこ。ま、まあ、かわいいだろうね」
「もう、ああーっ!って」
「そう、だね」
「そういう、感じです」
「・・・はあ?」
「そういうの見て、私は子猫が好きです、って、それはそうだけど」
「う、うん」
「それよりは、もう、きゅーんとする、とか、何なのこれ、生きてるの?生きるってどういうことなの?どうしてこんなにもぬいぐるみと違うの?って、思考は宇宙の成り立ちまで遡るわけです」
「さかのぼります、か」
「ます。それと似たようなことが、山根さんに対して、感じられたということです」
「・・・うん?」
「だから、山根さんが私に言うべき答えなんか、別に、ありませんよ?」
「え、・・・そうなの?」
「問うたら、子猫が生きるとは何かを説明してくれますか?」
「いや、それは」
「それは自分で探したいのであって、さっきのはただの、私の感情の発露を、ご本人に教えてあげたという行為です。是すなわち告白」
「・・・難しいよ」
「ひとことで言えば、きゅーん、でした」
「そ、それ、僕のこと?」
「はい」
「ど・・・どこが?」
「・・・分からないんですか?」
「もう、降参だよ、頼むよ!」
僕は思わず両手を上げた。一瞬離れた手を求めて、藤井の手がついてくる。何だよ、ちょっと、かわいいなんて。
「しょうがない。特別に噛み砕いて説明しますね。山根さんは、そうやって、ちゃんとしてそうに見えます。まとも」
「・・・まとも、ですよ」
「でも、違う」
「な、何が」
藤井は立ち止まって、僕の顔を覗き込んだ。公園の、入り口。真顔で、正面に立って、僕のコートと、スーツをかき分けて、シャツの上から左胸に手を当てた。少し、心拍が上がる。藤井の手の冷たさが、だんだんと伝わった。
そして、また歩き出す。僕たちは公園を出て、遠回りで。
「世間の言葉で言えば、ギャップ、です」
「ギャップ?」
「こんなにも親切で、誠実で、まともそう・・・。なのに」
「なのに?」
「なのに・・・どうしてまだ私なんかと一緒にいるんでしょう。逃げもせず、話まで聞いてくれる。深い川は、静かに流れるって、言いますけど・・・」
「え、ええと・・・俺そんなに、何か変だった、かな」
「私は、普通が嫌で、はみ出よう、はみ出ようって、してました。だから山根さんみたいなまともな人に、惹かれるわけなかった。でも山根さんは、普通でない私が、どこまで、どこまで踏み込んでも、全然大丈夫って顔で、何にも、嫌悪しなかった」
「嫌悪、なんて・・・」
普通、or、普通でない。
僕が散々悩まされた概念。
黒井は「こんくらいふつーだよ」と言って、クリスマスイブにキスを迫った。
その<ふつー>にちゃっかり乗っかって、普通でない僕はマヤまで引っ張り出してそれを隠し続けている。もう、麻痺していたのか。ごく普通の<普通>なんて、忘れちゃったのかも。
「・・・どうして、なんでしょう」
「え?」
「本当に普通の人ならこんなことはしないし、本当に普通じゃない人なら、それはそれでこんなところにはいない。こういうのって折り合いが悪いですよ。そうそう和洋折衷は出来ない。どこかに矛盾が生じます」
・・・。
今、何となく、藤井の言ってることが、分かったような気がした。
言葉では、おかしくなるけど。
うん、要するに・・・僕の変態加減のことを言ってるんだな。
自分のことはよく分からないけど、黒井のことが絡めば、分かる。僕はあいつが何を言い出したって、・・・屋上から飛ぶって言ったって、・・・飛ぶつもりだ。
それがどこから出てくるのかっていえば・・・ああ、なるほど。
確かに分からない。
どうしてなのか?それは、分からなかった。
「藤井さん、僕が変態だって言いたいんだね」
「・・・崇高とか言えませんか?」
「はあ?あんなの、崇高なもんか」
・・・藤井に、黒井くん、いいよお、なんて、言わせようとしたのが?
崇高?
笑わせないでくれ。ただの変態だよ。
「あんなの、っていうのが何なのか、非常に気になりますが・・・」
「あっ・・・い、いや」
「きっと崇高です。私の角度から見れば」
「ま、まあ、見方は人それぞれだからね」
藤井の言葉にかかれば、何だかそれっぽくなってしまうんだろう。他者との融合がどうとか、投影がどうとか・・・。
「・・・いつから、そうなんですか?山根さんは、ずっと、そう?」
「・・・うん。たぶんね、一ヶ月前、から」
「そんなに、最近・・・!」
「思い当たることが、ちょっと、あってね。でも、分からないことだらけだよ。僕の中から、次から次に、何が出てくるのか・・・自分でもずっと、今日の今だって、分かんないんだ」
「今、も?」
「そりゃ、さ・・・。うん。ごめん」
「・・・え?」
「さっきね、実は、・・・他の人のこと、考えてた」
「・・・」
「嫌だよね、こんなの。でもまあ、しょうがないんだ」
「特別な、人ですか?」
「・・・うん。たった一ヶ月で、僕が変態になった、その相手」
「・・・」
「嫌悪した?」
「・・・きゅーん、です」
「お、おい!」
やっぱり、似てる。どうして僕が、後ろめたいことしてるのに・・・嬉しいとか、きゅーん?とか、おかしいだろ。それって、僕の愚かさを笑ってるの?それとも、そのギャップってやつ、よく分かんないけど、黒井も感じてるんだと思う?
藤井さん、告白の答え、なくてもいいんなら。
もう、きみの中に、出しちゃえばよかった。
そう言ったらまた、喜ぶのかな。おかしいよ。うん、どんなに言われたって、そんなのおかしい。相手は僕だよ?こんな、僕のことなんて、好きでもなけりゃ、そんなこと・・・。
「藤井さん」
「は、はい」
「もしかしてきみ、僕のことが、・・・好きなの?」
歩道の真ん中で、立ち止まって、藤井の顔を見た。
「・・・好き、です」
藤井は、当たり前だという顔で、照れもせずに返す。だから言ってるじゃないですか、と。
「それって、どういう意味?」
「だから・・・きゅーん、だし、それに」
「それに?」
「・・・現実的な意味で言うなら、えっちなことも、しちゃいたくなるくらいの好き」
「・・・そ、それって、どこまで?」
「どこまでも、いけるところまで」
「あ、そう」
僕は藤井の肩に手を置いて、その頬に軽くキスをした。それだけで、スペースロボットの暗号みたいなお喋りは止まって、またフードをかぶり、手だけは繋いだまま。僕はこの子を自宅まで連れ帰ってどこまでもいっちゃおうか十五分も二十分も真剣に悩み、そして、やめた。
甘やかされても、伸びないんだ。
もっときつく、殴ったり、首を絞めたり、屋上で柵に押しつけたりしてほしい。
「だから、ごめん」
地下鉄の駅まで、送った。
「いえ、いいんです。あの、今日の、その・・・向こう側に行ってる時間」
「え?」
「八分、くらいでした」
「は?・・・計ってた、の?」
「かかってた曲で・・・分かるんです。その、曲」
「うん?」
「今度からかかる度・・・濡れますね」
「ま、まったく、女の子がはしたないな。・・・それ、僕にも焼いてくれる?」
「・・・さ、早速明日、お持ちします」
そうして僕たちは握手をして、別れた。
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