第44話:<普通>からはみ出した、旅館ごっこ
バスに乗った。
後ろの席から、ヘッドホンの音漏れ。<友達に戻れたら、それで構わないさ・・・>、そんな歌詞が聞き取れた。今度は僕が窓側に座って、ひたすらに外を眺める。友達に、戻れたら。
それも、いいか。
どっかの女の子と同棲しようが、僕の中の女の子に恋しようが、お前は、お前だ。
やっぱり一緒にいるだけで、幸せなんじゃ、ないか。
どこまでも、ドMだな、僕も。自分でどんどん試練を高くしてるみたいだ。
でも、恋されなくたって、いちゃつけなくたって、友達では、いられるはずだ。
世の中にはきっと、そうやって、恋の相談に乗りながら馬鹿みたいに待ってるやつがいっぱいいて。それで、いいんじゃないか。そのうち、僕のことも、本当に好きになってくれるかも、しれないし。
まあ、それが、甘いんだけどさ。
ふう、やれると信じて、自分を削って、・・・忍耐?あはは。
やるっきゃ、ないのか。
「あのさ、クロ」
「・・・うん?」
「俺、さあ」
「うん」
「俺のこと、好き?」
「・・・うん」
「今の、俺、だよ?」
「うん」
「さっきとか、この前のとかじゃ、なくて」
「・・・うん」
「じゃあ、いいんだけど」
「そう?」
「・・・それなら、いいんだ」
「うん。また、リゾット、食べたい」
「・・・ふうん?」
「来て、くれるでしょ?」
「そうだね、いつか、また」
「・・・今、これからだよ」
「・・・、それ、は」
「さっき約束した、から、じゃなくて。今また、改めて、言ってんの」
「・・・、俺、に?」
「そう」
「ふうん」
「ちゃんと、言ったからね」
「うん」
「うちの駅で、一緒に、降りてよね」
「・・・、ん」
「降りなかったら、また言うからね。何回でも」
「・・・」
「っていうか、引きずりおろしちゃうからさ」
「・・・、っ」
だめ。
泣いちゃうから。お願い。こんなとこで。
「俺、別に、優しくなんかないよ。お前に優しくしてるわけじゃ、ないからね」
「・・・」
「そうしたいから、してるだけ。知ってるでしょ?」
「・・・う、ん」
「じゃあいいよね。いいでしょ?」
「・・・いい、よ」
「ほら」
「・・・ん?」
「鼻水、出てる。こないだのお返し、ようやく出来た」
渡されたティッシュで、鼻をかんだ。こないだのお返しって?ああ、電話で怒鳴ったときのか。律儀なやつめ。
「・・・友達で、いい、んだよ、ね?」
つっかえながら、もう、泣いてるけど、泣いてない振りで。
「友達だよ。俺の、唯一の」
「・・・っ、なに、照れる」
「しょうがないだろ?事実なんだから。お前には、ひとり、いるみたいだけど」
「あ」
「そいつ、今度紹介してよね。俺も友達になったらさ、一緒じゃん」
「そう、だね。きっと、気に入るよ」
「・・・ちょっと、嫉妬」
「はは、妬かない妬かない」
「あ、分かった」
「え?」
「俺がこないだ、給茶機のとこで怒った理由」
「・・・何だったの?」
「俺も見たかったんだ。お前がオバサン相手にお世辞言うとこ」
「・・・はあ?」
「だって、そういうお前だって、見てみたいじゃん」
「な、何だそれ」
「北島マヤみたい」
「誰?」
「さながら俺は、姫川亜弓だ」
「はあ?」
「演劇のさ、少女マンガ。部室で読んだ。誰にでもなれる天才マヤと、ライバルの、努力の人」
「お前、努力の人なの?」
「そう、みたい。俺も、自分がマヤだなんて自惚れてたけど、お前には、勝てないもん」
「・・・」
「自分の見方がさ、ここまで変わったことって、ないよ。亜弓さんも、途中から、気づくんだ。本気で自分と向き合ったら、気づくんだよ」
「・・・うん?」
「ここまで自分の人生に、本気になったか、って。うん。お前は、自分の中の違う自分に驚いてるって言ったけど、俺も、そうなんだ。俺は、奔放な主人公なんかじゃ、ないのかも、しれない」
「・・・え」
「ここまで狡猾で、計算ずくじゃなきゃ、動けない人間だとは、ね。計算なんか、出来ないくせに」
黒井が何のことを言っているのかは、よく分からなかった。でも、ただ、彼が彼の人生の何かについて、何かの何か(僕の理屈では形作れない世界体系だ)に思い至った、ということのようだった。
「もう言わないよ。言ったら、どう思われるか分かんないもん。ねえ、人生で初めてだよ、人からどう思われるか分かんなくて、怖いなんて」
「・・・お前、そんな、こと」
「そうだよ。だから言ったじゃん。お前、俺のこと分かってないって」
「うん。分かって、なかった」
「だから、面白い?」
「・・・く、そ。そりゃ上等!」
計ったように、アナウンス。ご乗車お疲れ様でした・・・品川に・・・
何だよ。
友達じゃなくて、もう。
相棒、くらいで、ちょうどよくないか?とか。好敵手と書いて、ライバルなんじゃ?とか。
でも、今は、まだ。
明日には、どうなるかまた、分かんないし。
とにかく、友達でいてくれて、嬉しいよ。
言葉には出さないまま握手して、バスを降りた。そして、夕陽の落ちた桜上水で、僕たちは降りた。
・・・・・・・・・・・・・
夕飯は、結局リゾットではなくて、スーパーで刺身を買った。せめて、旅館気分というわけだ。本当は鍋をつつきたかったが、黒井の家に土鍋がないのだから仕方ない。その代わり、というわけではないけど、僕がお吸い物だけ作ってつけることにした。海鮮味噌汁と迷ったが、味噌もないという。そんなの、僕が選んだ味噌を買い置きしていくなんて、まるで押しかけ女房じゃないか。
その他に酒とつまみも買って、やっぱり僕が会計を持つ。といっても、温泉代ははしゃいで入場口に並んだ黒井持ちだったから、別に構わない。一人五千円とかからない、安上がりの温泉旅行だ。
並んで歩いて、黒井のマンションへ向かう。日曜のせいかいつもより人通りがあるし、二人とも私服なので、いつもとは違う気分。金曜は僕の家、今日は黒井んち、なんて、どうして二人で泊まり歩いてるんだよ。っていうかもう、恋人みたいじゃん。いろいろ、違うんだけど。
数えてみれば、四回目の訪問だ。勝手知ったるドアをくぐる。もう玄関の電気の位置も知ってる。上着が散らかってるのも、チラシやDMが落ちてるのも、毎回拾ってるんだけどな。直らない。
真っ暗だった部屋の明かりをつけて暖房を入れると、逆に疲れがどっと出た。蛍光灯の明かりで、現実に戻ってくる。やっぱり、ここで刺身をつついたって、旅館とは、いかないね。
朝から、いや、昨日から、いや、本当は一昨日から、一喜一憂、どれだけ揺れたんだろう。たった一人の同僚の、いや、たった一人の人間のために、僕は身体も心も遠心分離機でバラバラにすっ飛ばされそうだ。
いい加減、もう、それが男か女かなんて関係ない。もう、そういう次元の問題じゃなくなっている。この際人間かウサギかだって関係ない。僕が、僕以外の存在に、環境ではなく生きてる個体に対して、どうにかなってるってこと、だ。黒井が言っていたが、僕だって、自分自身に対する見方を日替わりで変えてかなきゃならない。それがいいのか悪いのか、行く先は天国か地獄か、それは分からないけども、でも、とにかく僕たちは今日一日を生きなくちゃいけないし、今この目で見えてる現実以外見ることは出来ない。僕の場合、たとえ見てる本体がこの僕じゃなくたって、それでもやっぱり、時間は進むわけだから。・・・まあ、いつかそれも止まることがあるって、言われてももう驚かないけど。世界のことは知らないが、少なくとも僕自身の内面では、いろんな当たり前のはずだった軸がぶれまくって、見えてる現実も、メガネを変えれば歪みまくる。
見えてる、現実が、違う。
みーちゃんは黒井のことをそうも言っていたっけ。僕たちと、生きてる世界が、時間が、違うようだと。
たぶんそれは、今となっては、僕もそうなのだろう。っていうか、もう僕たちの間にきっと世界基準なんか当てはまらなくて、ただ僕と、あいつっていう存在がいて、たぶん全く違う認識をしている、っていう話に、なってしまったんだと思う。何と比べるあてもなく、何の物差しも通じない。うん。今なら、世界基準から、つまり<普通>から、だいぶ遠く離れてしまったという感覚が、感慨があった。そして、もしそうなら、黒井も寂しかったのかもしれないな、と思った。<そういう相手、探してた>、なんて。
「クロ、みりん、どこ?」
「へ?みりんって?」
「・・・忘れた」
何でみりんすらないんだ。いや、ないってことは前来た時に分かってたはず。僕の買い忘れだ。代わりに、料理酒?・・・日本酒なら買ったか。もうこの狭い台所はこういう世界なのだと割り切って、妥協も代打も素早く行い、あとは微妙に鈍い黒井の舌の上に送り込むだけってことで、満足するしかない。
「あ・・・お椀二つ・・・ない、よね」
あるわけないか。ご飯茶碗だって一つしかないのだ。うちは、洗いものを溜めてしまってもすぐ食べられるように三つくらいあるんだけど。
え。じゃあ。
二人で一つをすするわけ?・・・いやいや、先にあげて、あとから二杯目を僕が飲めばいいか。そうだよな、クリームソーダじゃあるまいし。・・・そのたとえもどうなのかな、僕。
「じゃ、食うか」
「おー、刺身とか、いいね」
「一人じゃこんな、いろいろ食わないしね」
「いただきまーす」
日本酒とジンもちゃんぽんに空けつつ、刺身が片付いていく。適当に買った煮物やらいなり寿司やらも、順当に。何だか妙に二人とも腹が減っていたらしく、無言で食べ進んだ。
「もうさ、風呂は、いいよね?」
「ま、まあ、入ってきたからね」
「いや、お前んち、風呂綺麗だったからさー。うちのも洗って?」
「はあ?」
「いや、前に一回壊れてさ。銭湯通ってたときあって。一応直ったんだけど、それ以来あんまし風呂沸かしてないんだよね」
「え?じゃあどうしてるの」
「シャワーで済ます」
「冬でも?」
「うん」
「直ったんだろ?沸かせば」
「あれって、一回入ったら、洗うの、やっぱり?こないだ、ぬるっとして滑って転びそうになって、何これとか思って」
「はあ?」
僕はたぶん素っ頓狂な声を上げた。衛生観念が、もう、ついていけない。
「分かったクロ、俺今から洗う。俺、お前のうちの風呂を、洗うよ」
「い、いや、今じゃなくていいって。ほら、今日入ってきたんだから、今日はいいじゃん」
「明日は?明後日は?自分のうちの風呂場がそんな状態になってるのに、たとえ銭湯で済ませたって、そんなじゃ暮らせないだろ?自分ちの一部分だぞ?衛生観念がどうなってるんだ。そんな状態で大掃除もせずほったらか・・・、ああ、説教は後だ」
僕はさっさと腕まくりして、風呂場に向かった。あれ、スポンジだの、ブラシだの、風呂場用の洗剤だのはあるんだろうな?なければ、コンビニ、いや、スーパーまでひとっ走りか。ああ、ついでにゴム手袋も買おう。それからゴミ袋と、あと三角コーナーも・・・。
「ちょ、ちょっと!刺身をおいて風呂洗いに行かないでよ」
「もうツマしか残ってないよ」
「い、いや、その」
「何?洗ってほしいって言ったの、お前だよ」
「そ、そうなんだけど!・・・ごめんってば」
何で風呂場の前で押し問答してるんだ。あはは、おかしいなあ。
「こういうの俺耐えられないよ。このまま一晩明かすくらいなら、いったん帰って持つもの持って明日また来るよ」
「や!な、もう、謝るから許してって。ね?もう、どうしてこうなっちゃうかな」
「今日だって確かに温泉入ったけど、あんな男まみれの風呂、まあその場の雰囲気で我慢できちゃったけどさ、気にし始めたら気になっちゃうよ」
「え、そうなの?あれもだめだったの?」
「別に、だめってほどじゃないけど」
「そしたらそもそも温泉旅行なんて行けないじゃん」
「・・・ふむ、そうね、何でだろう」
「露天、夜空、雪景色、熱燗、でしょ?」
「うん。そうなんだ。それをイメージしてて・・・」
「あ、分かった」
「ん?」
「それって貸切だ」
「・・・そ、そうか」
黒井はにやりと笑った。え、何で?
「そっか。ねこは、俺と二人で貸切露天風呂に入りたかったんだ。芋洗いの銭湯じゃなくて、二人っきりになりたかったんだ」
「・・・っ、は、はあ?別に、お前がどうこうじゃなくて、現実問題として、その風呂に入るその日当たりの人数の関係で・・・」
「いいっていいって。気にしてないよ」
「は?何が?え、何なのいったい」
黒井は部屋に戻ってジンのグラスを取ってくると、僕に渡した。
「ま、ま、どうぞ」
わけも分からず飲み干す。
「いい飲みっぷり!」
「そ、そう?」
「ほら、こんなとこ突っ立ってないで、ささもう一杯」
黒井の手が背中に回されて、さあさあなどと言われて、部屋に連れ戻されてしまう。むむ、しかしまだ風呂場の扉を開ける前だから、勘弁してやるか・・・。
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