第43話:衝撃の告白とすごい振られ方
狭い、和室だった。
小洒落たテーブルと、テレビがあるっきりの部屋。宿泊の時には布団が置いてあるらしいが、今はただの板の間で。本当にただ、一服するだけの場所。何かそういうことをしようとも、あまり思わないような空間だった。たぶん、結局遠くに来たわけじゃなくて、施設の一室にいるって感じがするからだろう。
「・・・で、さ。何か、話したいこと、あったの?」
「ん?・・・うん。あのさ、お前は、あんまり、聞かれたくないかもしんないけど」
テーブルを挟んで向かい合う。和室用の椅子だけは、何だかそれっぽい。
半渇きの髪と、相変わらず無頓着にはだけた胸元と、僕に負けずに火照った肌と。そんなで、こんなとこで向き合って、まったく、どうしろってんだ。テーブルだけが、僕たちをぎりぎり遠ざけて、静かに間に挟まれていた。
「別に、いいよ」
「・・・こないだの、女の子のこと」
「え?」
「・・・だから、その、お前、だけど」
「あ、ああ」
そりゃ、聞きたいよね。何だよあれ、って。
「そういう、何て、いうか、なの?」
「・・・二重人格なのかって?ああ、統合失調症?」
黒井は顔をそむけて、曖昧にうなずいた。何だか、面談みたい、だな。
「どうだろうね、たぶん違うと思うけど。一時的な、もので」
「そう、なの?」
「怖かった?」
「・・・どう、思っていいのか、まだ、分かんなくて」
「そうだよね。まあ、自分で思うに、いつもの演技の、過剰なやつだったんだ。ほら、こないだも、電話で怒鳴ったりとか、しちゃったじゃん。何か、なりきっちゃうっていうか」
「・・・うん」
「その延長だと、思うんだよね」
「覚えて、るの?」
「うん。いや、普通にじゃないんだ。記憶、じゃなくて、記録が、ある感じ」
「記録?」
「声とか、会話とか、持ったものとか、ビデオで撮ってあるみたいに、思い出せるんだけどさ。その本体が俺だってことに、昨日お前に電話する直前まで、気づかなかったんだ」
「あんなに、話したのに・・・」
「うん。言った内容は思い出せるよ。でも・・・どうなんだろうね。俺だけど、俺じゃないって言っても、まあ結局は俺以外ってわけでもないんだし」
「でも、その・・・どうして、なの?」
黒井はテーブルの上で、手のひらを上に向けたり、下に向けたりして、眺めていた。僕もそれを見るともなく見つめる。何かは、何かの、裏返し。
・・・どうして、なのか。
そう問われれば、いろいろ言えるだろう。
お前のことが好きな、俺の中の女の子が出てきたんだ。
お前を部屋に入れる葛藤に耐え切れなくて、とっさに適当な演技したんだ。
別の人格になりきって、自分を遠ざけてしまえば、本当のことが言えると思って。
・・・どれも、合ってるけど。何となく、違う。全部を足したら完全な答えになるはずなのに、どこかぼやけて、むしろ真実なんか含まれていない気さえする。
「・・・あの子は、誰なんだろうね」
黒井が少し表情を緩ませて、ぽつりと言った。
「お尻触ったらさ、怒ったんだ。破廉恥って、言われちゃった」
ああ、確かに。思考回路は不明だけど、思い出すことは出来た。
「でも、おかしいよね。俺だって、別に、お前がさ、突然双子の妹と入れ替わったとかないんだから、中身がお前だって、分かってたんだ。でも、ああやってずっと一緒にいたら、本当に違う人と喋ってるみたいに思えてきてさ。あのさ、正直に言うけど、あの時、この子は誰なんだろうって、すっごい、俺・・・」
ぱたぱたさせていた手を、ふと、止めて。
「・・・すごく、知りたく、なって。お前なのにお前じゃない。俺、ほとんど、その」
恋に落ちたみたいだった。
黒井は確かにそう言った。
・・・心臓だけが律儀にびっくりしていたが、その他は、平坦に、むしろ平穏に、成り行きを見守っていた。
「人格って、何だろうね。記憶、とか、性格、とか。一体、何の積み重ねっていうか、何の形なんだろうね。俺もさ、時々キレちゃうし、豹変したなんて言われるけど、もう、そういう次元じゃなかったんだ。本当に、さ。お前、思い出せる、んだろうけど。仕草とか、目つきとか」
「・・・うん」
同意というか、促すだけの<うん>を、喉から搾り出した。
「いや、だからまたあの子を出してくれとかじゃなくて。うん。俺が、お前のことどう思ったらいいかなんて、お前が決めることじゃないんだ。だから、俺が、思いたいように、思うだけなんだけど」
「・・・うん」
「一応、お前に直接聞いとかなきゃって、思って」
あらら。僕の思考は停止した。
あとは?誰か、バトンタッチ。何か、喋っといて。
「うん、とにかくさ、俺に言えることっていえば全然少なくて。今分かってるのは、・・・あれは、あの時初めて、突発的に出てきたってこと。今までそんなことなかったし、知らない間に入れ替わってたとか、そんなドラマみたいなことないよ。それで・・・今後については、全くの未知」
うん、事実確認だけなら、まだできる。
「そっか、うん」
「お前の言うとおりだよ。思いたいように思ってくれていい。実は本当に女の子でしたってオチもないから、残念だけど」
「はは、それは、こないだ確認済み」
「・・・ハレンチ」
黒井はおかしそうにくすりと吹き出した。いわく、「言い方、全然違う」と。
それから。
「抱いたことも、覚えてるんだよね」
・・・。
「本当に、恥ずかしかったんだ、あんなこと、言われて」
・・・。
「だから、その・・・ううん、何でもない。お前も、俺のこと、好きに思ってくれていいからさ。俺を驚かせたとか、戸惑わせたとか、そういう気遣いは、なしでいいから。まあ、こうして、一緒にいてくれてるんだから、それが答えだって、思ってるけど」
・・・。あ、今度こそ、誰も、いない。
「ねえ、あの、さ。俺・・・また」
黒井が、テーブルを回りこんで、僕のところに来てしまう。僕の隣に、座ってしまう。
ごめんなさい、今、誰もいませーん。
すいませーん、留守です。留守に、してまーす!!
そして僕の中身は、空っぽになった。
・・・・・・・・・・・・・
今何をしていたのか、思い出せない。
それから、あの晩、っていうか、一昨日?風呂でのぼせた後、布団で何があったのかについても、思い出してみたけれども、記録はされていなかった。
たぶん、あの、金曜の乗り過ごした電車。
一瞬目を閉じたと思ったら、時間がぶっ飛んでいた、あれ。
あれからおかしくなったんだと思う。子どもの頃に一度、夏休みの旅行中にそういうことがあった。本当に一秒も感じないまま、六時間くらい寝ていたらしい。起きて明るくなってたから、絶対に何かの冗談だと思った。太陽まで冗談で昇るのかと。そのときと同じことが、起きているみたいだ。
状況から察するに。
今しがた、何か、されたみたい・・・?
僕は今、狭い和室を黒井とともに出ようとしている。時間、なんだそうだ。延長はどうしますか、とか。ラブホかっての。で、俺は、何しちゃったってわけ?
今更、目の前の相手に、<今俺たちって何してたの?>って訊く勇気はなかった。でも、たぶん、その金曜の夜の布団と同じことが、起こったんじゃないか。だとしたら、結局分からないのだ。だったら同じことか、と思う。僕が僕に秘密にしてることがあるんだろ?じゃあもう、しょうがないじゃないか。
つまり。
僕が、僕に、嫉妬してるだけだ。
黒井に恋されたあの女も。
今しがたいちゃついていた?かもしれない、覚えていない僕も。
僕なのに、僕じゃない。
僕じゃない僕を、黒井は好きなんだ。
しかもその僕は、その記憶を僕には見せやがらない。
でも、僕じゃないけど、だからって僕以外にはいないはずで。
体は、一つなんだから。
だから、複雑だ。喜んでいいのか、どうなのか。片想いが、大層こんがらがってしまった。
さっきまでは、そうじゃなかったのに。
僕じゃない僕を見て、きっと怖かったり、気持ち悪かったりしただろうって。でも、結局は別人でも何でもない、僕でしかないんだから、僕本人を、気持ち悪く思ったっていいよって、そう思ってた。
それが、逆転されちゃったみたいだ。僕じゃない僕を好きになったって、でもそれは、僕本人まで好きになるってことじゃない。
僕だけ、置いてけぼりで。
おもむろに、手首など、見てみるけど。
みーちゃんじゃあるまいし、縛った痕もない。それに、帯だって、浴衣だって、そんなに乱れてない。黒井がこんなにちゃんと着せられるわけなさそうだし。
ものすごいことは、してないと思うけど。
・・・さて、一体どうしたらいいんだろう。
あれ。
ああ、久しぶりの、この感覚。うん、知ってる、この満ち足りた失望感。
・・・振られた。
振られたんだ。振られたんだよ俺!
絶対にかなわない相手に、黒井を取られちゃったんだ。
こんな振られ方まであるんだ。世の中、本当にまだまだ分かんないね。でもたぶん、これが最終形じゃない?すごいな。今のところ驚きの方が大きくて、ショックをカバー出来てるけど。驚きがおさまったら、どうなっちゃうんだろう。発狂して、自分を見失って、ああ、そしたらまた別の僕が出てきて、また恋されちゃうよ。あはは、どうしよう。馬鹿みたい。
やだな、一緒に温泉まで来て、部屋に連れ込んで<ご休憩>までしといて、振ることないじゃん。誰だよ、付き合ってもいないのに別れ話なんかないって言ったのは。いや、まあ、そうだよ。別れないかもね。僕じゃない僕とは。
ふん、どいつもこいつも馬鹿にしやがって。だんだん腹が立ってきた。何でこの体は、黒井といちゃついてたかもしれない記憶を俺に寄越しやがらないの?ったく、金槌でカチ割ったら出てくるかな?どっかに、ビデオのメモリーカード隠してんだよ。むしろ盗撮だろ、この変態野郎。
ああ、イライラする。よっぽど、今と同じこともっかいしてよ、って言いたい。でも、プライドが許さない。だって、どうせそうなっても、「ねこ、さっきとなんか違う」とか言われちゃうんだぜ?やってられるか。違くてごめんね!
ほとんど、自分で自分を殴りそうだ。黒井みたいに手加減しないよ?
「ねえ」
「なに」
「・・・怒ってるの?」
「ああ」
正直で悪いね。でもお前に怒ってるんじゃない。
そうだよ、そういう困った顔してさ、俺のことまるごと振っちゃえばいいじゃん。どうせならさ、そうしてほしいよ。
・・・本当にさ。もうそれでいいよ。
「覚えてないんだよ」
あーあ、誰だよ、喋ってるの。
っていうか、本当に俺、大丈夫?
「俺だけど俺じゃないんだ。ねえ、俺以外の俺と喋んないでよ。俺、お前のこと・・・!」
だめだめ。
ここは、ちゃんと、僕がセーブしなきゃね。だめだよ、抜け駆けは。
「ねこ、あのさ」
「なに」
「帰ろう」
「え?」
「いいから。もう、帰ろう」
・・・そっか。
そうだよね。
ここでこうやっていつまでも、筋の通らないわがまま聞いてくれるわけじゃ、ないよね。しょんぼりする。本当に嫌われるのは怖いくせに、足掻くからだ。
「そう、だね」
一言つぶやいて、ほとんどもう、叱られた子どもみたいになった。本当にみっともないなあ。たぶんあの女の子の方がよほどしっかりしてたよな。恥ずかしいったらない。
僕は黒井に連れられて、何だか分かんないまま着替えて、ほとんど泣きそうになって、ぎりぎり涙がこぼれるのだけはこらえながら、入り口へ戻った。
もう、夕方になっている。
夕焼けの空が、すごく、綺麗だ。そんなことだけは、ふつうに、思った。
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