5章:ちょっとイカれた僕たちの温泉旅行

(ドキドキイベントのはずが、何だか変な方向に)

第41話:温泉に行こう!

 せっかくジャンクな味がおいしく感じてきた頃、勝手に棒をつかまれて、球体が口から強引に引っ張り出された。

「・・・っ、いったいな。言えばやるってば」

「だって急に欲しくなったんだもん」

 そう言うと、舌をべろりと出して、小さくなった球体は巻き込まれていった。舌の長さまでが、えろいんだ。

「うんうん、さっきとちがうかも」

「そうかね」

 白い棒を黒井が指でもてあそぶ。たまにタバコみたいにはさんで、目なんか細めるから、さっきまで大学生みたいだったのに、急に大人びて見えた。連想で、慣れた手つきでマッチをするみーちゃんがぼんやりと浮かんだので、僕は窓の外に目をやった。

 それほどの渋滞もなく、バスはのんびりと朝の道路を進んでいた。だんだん景色が、工場っぽいのから、華やかなお台場っぽく変わっていく。だんだん通行量も増え、ちらりと観覧車なんかも見えたりして。こんなデートスポット、来たこともないけど。

 いくつかいかにもなショッピングモールをすり抜けた後、湾岸の閑散とした道路を滑り、やがてパンフレットのとおりの和風な門構えが見えた。冬の濃い青空によく映えている。あそこに、行くのか、これから。

「着いた、着いた!」

「はしゃぐなって」

「だって、こないだ温泉でも行きたいって言って、今来てるんだからさ。すごくない?」

「まあ、うん。それは、そうかも」

「ね?」

「はいはい」

 僕たちは人が全部出て行くのを待って、最後に降り立った。



・・・・・・・・・・・・



「サイズはいかがなさいますか?」

「え、ええと。Mでいいや」

「じゃ、俺も」

「はい、こちらです。行ってらっしゃいませー」

 僕は黒っぽいの、黒井は青っぽい浴衣を選んだ。頭一つ飛び出した外人が、隣で3Lを受け取っている。

「お前、LLじゃないの?」

「え、俺、180もないよ」

「そ、っか」

 じゃあ何センチなの、とは何となく聞けないまま。こうして靴を脱いで並ぶと、きっと、178くらいなんじゃないか。僕よりも、五センチくらい、たぶん。普通、二、三センチくらいの差なら並んだってほとんど分からないんだけど、それより、ほんのちょっとの差で、こういう感じになる。二、三センチ差でなく、かといって十センチも違わない、この距離。

「じゃ、行こ!」

「あー、もう」

 肩に手を回され、またもやひゅうと力が抜けた。


 まずは、浴衣に着替えるらしい。そこからいわゆる昭和の街に入って、温泉は、そのあと。浴衣なんかしばらく着てないけど、まあ、紐で結べばいいんだろ?

 だだっぴろい更衣室に入る。ロッカーがずらりと並んで、そこここに、日本語や外国語の貼り紙。

「浴衣って、たまにはいいよね」

「そうだね」

 着替える、うん。まだ裸にはならないから、そこまで緊張する必要もないんだけど。

「この辺でいい?」

「うん」

 誰もいない列に入って、奥まで進む。端っこの二つを確保。

 さ、て。

 隣で、服を、脱いだり、して。

 上着は、いいとして。その先、とか。全く目をそむけるのも変だけど、じろじろ見るわけにいかないし、でも、ごく普通に、っていうのが、もう、目が泳いで、どうにもならない。相手が女の子なら、着替えも別々なんだから、こんなことにならないのに。

「ちょっと、早く早く!」

 シャツ一枚で、下はパンツしか履いてない黒井が、僕の服を強引に脱がせにくる。目のやり場に、困るだろ!

「や、やめろって!」

「遅いんだって!ほら!」

 ベルトを、しゅるりと取られてしまう。ちょっと、やめてよお代官様!

「人のことはいいからさ、自分がまず着れば!」

「・・・ま、そうだけど」

「ほら!」

 浴衣を押し付けて、何とか切り抜けた。まったく、セクハラだよ。

 とりあえず黒井に背を向けて上を脱ぎ、さっさと浴衣を羽織って、その後ジーパンを脱いだ。体育の時間の女の子かっての。黒井のやつ、きっと、スカートめくりの常習犯だったに違いない。うん、っていうか、好きな男の子にちょっかい出されて満更でもない女の子って、こんな気持ち?

「おお、何か、新鮮!」

 僕の妄想を蹴破って、黒井が浴衣を僕に見せてくる、けど。

「おい、クロ。それ、左前」

「へ?」

「反対なんだよ、それじゃ死んだ人だ」

「何、それ」

「御陀仏様だって言ってんの。ほら」

 帯を解いて、いったん胸をはだけて、前身ごろを合わせ直す。こういうときは、まったく落ち着いて出来るから不思議だ。腰に腕を回して、帯もさっきより低めの位置で、ああ、やっぱり足元はつんつるてんだったな、こいつには。ま、別に遊びに来ただけだから、どうでもいいか。

「すげえ、ねこ、何でこんな出来んの?茶道でもやってた?」

「いや。死体の、勉強で」

「はあ?」

「葬儀屋になろうかとか、昔はね、いろいろ。別に和服に詳しくなんかないよ」

「そ、そう。死体、好き?」

「うん。最近ご無沙汰だけど」

「ひ、ひい。そういや、グロそうなDVD、お前んちにあったっけ」

「別にグロくなんかないよ。肉を切るシーンは、豚肉なんだし」

「や、やめやめ。そういうのは、お前に任せるよ」

「ふむ」

 少し、落ち着いた。なるほど、趣味の話をしていれば、下劣な妄想もおさまってくれるらしい。今度から、頭が暴走したら死体のことを考えよう。

 ひととおり服をたたんで、荷物も片付けて、ロッカーを閉じた。黒井はまたいつものように、全部丸めて放り込んでいる。たぶん、開けたとき、全部落っこってくるんじゃないか?

「じゃ、行こっか」

「そうだな」

 何とか無事、浴衣姿になって、ひとまず昭和の歓楽街に繰り出すことにした。よし、湯けむり温泉は死の香り、スタート!



・・・・・・・・・・・・



 板張りを裸足で、股もスカスカして、何だか無防備な解放感。外は冬なのに、上着も靴下も財布もなく、全部取り払って浴衣一丁で歩くのは、確かに新鮮だった。こうして物理的に布一枚になることで、心にも何かの作用を与えるらしい。

 ああ、物理的な体の状態が心に作用するのなら、逆も、きっと、あるのか。三半規管を狂わせるくらい、は。

 僕はふうんと妙に納得し、下を向いて、僕と黒井と、交互に出される足を眺めた。こいつの裸足って、見たことなかったんだ。


 昭和の街は、少し薄暗い、夕方のお祭りみたいな雰囲気だった。天井が空みたいな演出になっている。

 時間の感覚がちょっと分からなくなる。時計もないけど、本当はまだ、昼前。

「お腹、空いた?」

「ううん、まあ、食えば、食える」

「じゃ、ちょっとぶらぶらしたら、何か食べよっか」

「そうだね」

 カップルに、外国人、親子連れ、若者のグループ。全員が、柄違いとはいえ、揃いの浴衣で闊歩している。少なくともこの空間では、スタッフも含め、みんな布一枚で裸足なのが、何だか不思議だった。いろいろ飾りを取ってしまえば、まあ、みんな同じなのかもしれない。いや、逆に、同じに見せていたものが、全然違うのかもしれない。

「昭和っぽくてさ、懐かしい雰囲気」

「ふむ」

「・・・あれ、まさかお前」

「ん?」

「まさか、昭和生まれじゃないんじゃないだろうね」

「え?ああ、大丈夫、平成じゃないよ」

「うわ、俺すっごい焦った。心臓に悪い」

「別に、関係ないだろ」

「まあ、そうだけどさ・・・」

 いや、でも、確かに昭和と平成では、何も違わないのに、全然違う気がした。どんな書類でもマルをつける場所が違うんだ。そんなの、えらく壁を感じる。実際いくつか下の後輩は平成生まれなわけで、やはりそれは、同じ空気を共有していない感じがするのだった。(※注:これは2014年のお話です)

「うわ、型抜きとか。俺あれ、絶対無理」

「へえ、そう?時間さえかければ、出来るよ」

「そうなの?ねこって本当はなんか、すごい?」

「物事をいろいろ、きちんとしたいだけなんだよ。お前みたいに、取っ散らかす専門じゃなくて」

「むむ、そうですか。全然分かんない」

「自由に慣れてないんだ」

「でも、ここ最近、ずいぶんフリーダムみたいだけど?」

「だから、慣れてなくて、まだ、溺れちゃうの。お前、助けてね?」

「ええ?」

「お前のせい、だからさ」

 裸足で、手は浴衣の袖に仕舞って、腕を組んで、ゆっくりと歩く。昼時が近づいて、様々な食欲をそそる匂いが漂い始めた。

「何、食いたい?」

「・・・う、うん」

 黒井は、何となく上の空だった。

「どうか、した?」

「・・・そうだね、うん。ま、そういうことだ」

「はあ?」

「ちょっと、ね。いいんだ。俺の、覚悟の、話」

「・・・、何、だよ」

「いいんだって。もう、決まったんだから」

「え?」

「話しても変わんないし、お前に相談することでもないんだ。俺のことだから。だから、いいんだって!」

 黒井は、少し苦しそうに、でも、嬉しそうに、笑った。そして、腹減った、と僕の腕を引っ張った。


 散々食べ物屋を往復した挙句、ラーメンか海鮮丼かで迷って、結局丼にした。僕がそばと天丼のセットにして、黒井は何だかすごい海老の乗った丼。宴会場のような座敷に、どこで頼んだ料理でも勝手に持ち込んで食べていいらしい。それならラーメンと丼、別に頼んでもよかったのに。

「おお、何か、旅館っぽいじゃん」

「こういうの、久しぶりだね」

 お盆を持った僕たちは、適当な下座に落ち着く。もし社員旅行があったら、こんな感じなんだろうか。うちの会社でも昔はあったらしいけど、最近は予算的に、やっていないらしい。

「ねこ、お茶」

「はいはい」

 座敷の外の給茶機で、冷たい水と熱いお茶をひとつずつ。いや、四つは持てないよ。両方半分こすればいいだろ?なんて。

 持って帰ったら、もう、食べてるし。

 別に、いいんだけどね。

「どう?うまい?」

「海老とか!久しぶりに食べた」

「じゃ、俺も食うか」

 刺身と鍋ではないけれど、まあ、温泉気分と洒落込もう。座布団にあぐらをかいて、天丼をつつく。

 って、クロくん、行儀悪いよ、膝を立てたりして。太ももと、その先、見えてるから。いや、だめだめ。死体、死体・・・。

 うん、そういえば、この魚の天ぷらだって、死体を食ってるんだな。平然と、食ったって、全然怖くないじゃないか。変なの。

 白身。

 これ、こないだまで、どこかの海で泳いでた、キスの死体なんだ。

「・・・ガン見して、どしたの?骨?」

「うわっ。な、いや、キス、・・・その、死体、とか、考えてて」

「そう、なの?」

「う、うん。変なの、って。い、いきなり声かけないでよ」

「ふうん・・・」

「な、何」

「すればいいのに」

「はあ?」

「何でもない」

「あ、そう」

 黒井が体勢を変えてちゃんとあぐらをかいたので、ようやく平常心で食べることが出来た。といっても、僕のそばはいつの間にか隣のお盆に移ってるんだけど。

「お前さあ、俺はこの小さめの天丼だけでいいって思ってんの?」

「うん?あ、これ一口あげる。海老の残り食べていいよ」

「あ、そう」

 そう言われては、もらうしかない。

「うん、うまい。あ、そばも一口残しといてよ?」

「いいよ。わさび入れすぎたけど」

「お前ね・・・」

 戻ってきたそばはえらく辛くて、鼻が痛かった。黒井はそれを不思議そうに眺めて、「泣いちゃった?」などと嘯いていた。

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