第40話:したいことする人生、上等!

「もしもし!もしもし!クロ!俺だけど!!」

「な、何、どうしたの」

「大丈夫だったんだ。あの、とにかく、ちょっと、無理してイカれただけだったんだ。だから、リタイアとかしなくていいんだ!」

「へ?で、電話して、大丈夫なの?」

「大丈夫だ。もういいんだ。俺はお前に嘘ついてなかったんだよ」

「なに、う、嘘って?」

「女のことだ!」

「お、おんな・・・」

「あれは僕だったんだよ。びっくりさせてごめん」

「あ、の。うん。ねこ、どうしちゃったのかな、って」

「おかしかった?」

「え・・・」

「気持ち悪かった?」

「い、や、そういうんじゃないけど」

「そういう趣味の男だったのかって、縁切ろうと思った??」

「そんなこと・・・!」

「あはは、そういうやつだと思ったよお前は。おかしなこと起こっても、動じないんだ。だから俺も、好きなんだよ」

「な、に、また、・・・からかってる?」

「本気だ」

「・・・っ、な、何だよもう。本当にどうしちゃったんだ。・・・何か、俺のせい?」

「そうだね。お前が俺のこと振り回して、変なことしてくるせいで、俺までおかしくなっちまったんだ。でもね、それが、楽しいんだよ。だから、いいんだ。これで、いいんだよ」

「・・・もう、しょうがないねこだな。知らないよ?俺、そういう相手、探してたんだから」

「・・・、お、俺、最適だよ?ちょっと、ぶっ飛んでるけど」

「そんくらいの振れ幅、上等!よし、このままちょっと、行っちゃおっか!」

「望むところだ!」


 ・・・。

 何だよ、正直に、言ったら。

 最高じゃないか。

 したいこと、するだけって、こういうことか!

 勝手にやっちゃえば良かったんだ。電話だって、通話ボタンのひとつやふたつ、毎日押しちゃえば良かったんだ。隠してたら、偽りじゃ、そんな勇気出せるはずない。本心だから、これ以上ない本当の自分だから、もうこの身一つで、ためらいなく飛び降りれる。貸しも借りもない。余計な見栄も建前もない。これ以上ないほど削りきった身軽さで、裸で地面蹴って空へ飛び出すこの感覚、普通の人生じゃ味わえるわけない。迷惑がられて当然だ、お前らにゃ分かるまい!

「よし、じゃあ、どうする?」

「とりあえず、温泉!」

「・・・ずいぶん、まったりしてるんだな」

「うん。寒いから」

「あっそ。ま、いいや。じゃ、明日早朝、駅に集合」

「やった!俺、超楽しみ。でも、ねこ、またのぼせないでよ?」

「分かった分かった、大丈夫だって。っていうか、お前がいれ・・・ば」

「ん?」

「・・・温泉って、一緒に入るんだっけ」

「・・・ひとりずつ、入るわけ?」

「そうか、そうだな。うん。ま、まあ、いいか。昨日もう、裸も見られてるしなハハハ」

「そんなに恥ずかしかったの?・・・はあ、俺のも存分に見ていいからさ、もう勘弁してよ」

「・・・っ、い、いいよ、そ」

「慌てすぎ」

「うるさい!」

 

 本当に。

 めまぐるしすぎる。

 めまい起こしながら、三半規管おかしくしながら、そう、それでも、進む!奥から、わけわかんないエネルギーで、突き動かされて、もう止まらない!

 行きたいんだ。もう、恋とか、そういう次元じゃなくなってる。

 したいこと、する、人生。上等だ!



・・・・・・・・・・・



 電話を切って、まずは部屋を片付けた。

 ・・・どうしてこんなに、引っ掻き回したんだろう。

 ここの住所も分からなかったようだし、僕の心臓が悪いのかもなんて推察して、薬や行きつけの病院のカードとか、探していたのかもしれない。

 ああ、薬で手を切ったとか、言ったからか。あれ、バファリンなんだけどな。すまん。

 とにかく僕は秩序を回復するべく、適当な箱にまずは全てを放り込み、一つずつ取り出して、元の場所に戻していった。そうしているうちに、こんなのもういらないんじゃないか、ってものがたくさんでてきて、箱の中のほとんどはゴミ袋行きになった。

 一時間ほど仕分けをして、その後は、服。

 クロゼットの奥まで、一体、何を探すっていうんだ。まったく、これじゃガサ入れだ。

 僕は服を一着ずつたたみなおす。この際だから、服も整理しようか。滅多に私服なんか着ないのに、結構あったんだな。あ、明日、着るか。・・・何を着ていこう。

 そして、何だか不自然でそぐわない突然のベンチコートと、普通の結び目じゃないところに皺が出来たネクタイ、あと、あの、ボタンのとんだYシャツ。

 こうして電灯の明かりの下でよく見ると、シャツには、何だかいけない感じのする染みがいくつか。これって、みーちゃんの、その、・・・体液?

 ・・・見た、かな。

 そこまで見ないか。

 僕はシャツも丸めてゴミ袋に突っ込み、ネクタイの方は丁寧にアイロンをかけた。皺はいまいち取れなかったけど、まあ、後はしばらく掛けておくしかない。

 ほんの少しの、罪悪感。

 みーちゃんとのあの出来事を、後悔してはいない。それは、これっぽっちもしていない。だからたぶんこれは、黒井と何やらうまくいきそうだという勝手な期待から来た、勝手な後ろめたさだ。本心では思ってないけど、こういうこと、今からでも思ったほうがいいかもよ?っていう、後付けのスパイス。いい気になった僕が、完成した料理に後から振りかけてる、余計な調味料。

 時間は流れてるんだ。

 あの時はあの時で、今は今。

 今は、温泉じゃないか!

 僕は温泉に着て行くべき服を選びながら、黒井の私服を想像したりして、眠れぬ夜が明けていってしまった。


 翌朝。

 ほとんど寝ないまま曇った頭で最低限の荷造りをし、家を出る。

 7時に桜上水。黒井はまだ来ていない。

 いつもは人でいっぱいのホームも、連休の中日で、ちらほらしか人の姿はなかった。ぴりっと冷えた空気の中、黒井を待っていると、ものすごく純粋に楽しみだという思いと、自分がとんでもない愚か者なんじゃないかという思いの間で、揺れた。普通という物差しを取り払ってしまうと、ただの友人づきあい、っていう言葉も無意味になって、ルールの分からないゲームに放り込まれたような、先行きの見えない不安。ふつうじゃないって、大変だなおい。

 そんなことを考えていると、足音がして、男が近づいてきた。

 あ。

 私服。

 何でそんなかっこいいの?

 黒井は口の端をあげてきれいに微笑んで、僕に早足で近づいて、ああ、腰が抜ける、左腕で僕の首に腕を回して、「このやろう」と乾いた声、そして、右肩からショルダーバッグがずり落ちて、どすんという音から一瞬遅れて、勢いよく、僕の腹に。

 一瞬前に、反射的に腹に力を入れた。

「・・・っ」

「バカ」

 そのあと一瞬強く抱かれ、そして、どんと突き放された。されるがまま、よろけて、尻もちをつく。

 呆けて見上げると、黒井は大きく一つ息をついて一言。

「力、抜けちゃったよ。まったく」

 右の拳を見ながら、手を、握ったり、開いたり。その顔は、今衝動的に殴っちゃったんじゃなくて、確信犯だな?どうやって殴ってやろうかって、考えながら駅まで歩くこいつの頭ん中を思ったら、怒りなんかわいてこなくて、でもおかしくはないけれども、体は勝手に笑っていた。

「ははっ・・・、何だよ、こういうことになるのか」

「・・・え?」

「調子、良さそうだね」

「・・・まあね。お前は?」

「尻が冷たい」

 手を出すと、さっき僕を殴った右手が、同じ顔で伸びてくる。起き上がったらそのまま握手になって、仲直りと、おはよう。言葉にはしなくても。

 ふとホームの向かい側に目をやると、一部始終を見ていたセーラー服。向こうも慌てて目をそらす。うわ、恥ずかしい。その時タイミングよくアナウンスが流れ、僕たちは電車に乗るべく、背を向けて乗車位置に並んだ。そして今頃、さっき抱かれた感触が蘇って体中が温度をなくし、あの感覚で力が抜けた。殴られた腹は痛いんだか、減ってるんだか、透けてるんだか、もう分かんなくなった。


 とりあえず新宿まで出て、お互いに、一言。

「で、どこ行くの?」

 おい、考えなしか。

「お前、昨日何やってたんだよ」

「え、持って行くお菓子買いに行ってた」

「はあ?」

「そっちこそ。言いだしっぺじゃん」

「お、俺は部屋の片づけで夜が明けたんだよ。誰かが家捜ししていくから。っていうか言いだしっぺはお前だ」

「違うって、最初に温泉行きたいって言ったのはお前」

「まあ、そうかもだけど」

「じゃ、どうすんの」

「とりあえず、何か食う」

「賛成」

 京王の地下街で、早くからやっている適当なカフェに入った。サンドイッチとコーヒー。オレンジの照明、何となく甘ったるくて気だるい空気。昭和っぽいBGMに年増のウエイトレス。年季の入った軋む椅子と、べたべたするテーブル。いつもだったら白けるけど、向かいに黒井がいて、機嫌良さそうに僕のサンドイッチにまで手を伸ばしていると、これもいい気がした。

「ん?」

 黒井が口の端からこぼしたハムを目で追って、テーブルの下から何かを拾い上げた。前の客が置いていったらしい、フリーの情報誌。埃を払いもせずテーブルに載せて、適当に読み始める。何でそんなに無頓着なの?

 一緒に読む気はないようで、僕は黙々と自分のサンドイッチを確保し、消化した。冷めたまずいコーヒーも飲み干す。

 そして、しばらくして。

「あ、温泉だって」

「え?」

「<週末は近場の温泉でリフレッシュ。今年10周年の大江戸温泉物語に行ってみよう>」

「大江戸温泉・・・物語」

 テレビか何かで見た気がする。それって・・・。

「よし、ここ行こう」

「ええっ!」

 それって、浴衣でカップルでいちゃいちゃする、お台場のテーマパークじゃなかったか。

「いや、それって、温泉っていうか」

「温泉でしょ?」

「でも、スーパー銭湯みたいなもんでしょ?」

「いや、本格的って。ほら、書いてある」

 言うわりに見せてはくれない。

「ええと?温泉に足湯、食事と休憩処、え、宿泊も出来るんだって」

「そ、そうなの?でも、お台場じゃなかった?それ」

「無料のシャトルバスが出てるんだって。・・・えーと、品川から?」

「あ、そう・・・」

「うわ、このバス面白い。乗ってみたい」

「そ、そう・・・」

「これだね、うん、これじゃない?」

「そう、かな・・・」

「だって他にある?」

「いや、それは・・・」

「よし、行こう!」


 その後いろいろ調べた結果、品川発のシャトルバスは始発が10:15だと分かった。今はまだ九時にもなっていない。

「バスを待つより、電車で向かう?もっと早く着くんじゃない?」

「いや、そもそも営業が十一時からって」

「あ、そう」

 日曜の早朝の新宿で、それほど暇を潰すあてもなく。仕方なく、とりあえず山手線で品川に向かう。

 空いた電車で二人、隣で立っていると、急に、無性に恥ずかしくなってきた。たぶん、黒井が私服だからっていうのもあるし、周りにカップルが二組いるのもあるし、これからお台場の温泉テーマパークに男二人で行くっていうのもある。いや、草津の温泉宿だって、男二人で行くのに変わりはないんだけど。

 いや、別に、男友達と二人で遊びに行くって、変じゃないよね?あ、ほら、向こうにも男同士・・・あ、四人連れか。あ、あっちにもすごい距離近い二人・・・けど、あのピンクの髪は男か、女か?いや、デートっていうか、ギター持って、バンドなのか。

 で、デート、か。

「ねえ」

 突然声をかけられ、どきっとする。

「う、うん?」

「席。空いた」

「ああ」

 目の前の席が、きれいに、ふたつ。

 今まで右にいた黒井が、今度は、左に。

「ね、一周しよっか」

「え」

「山の手線一周。そしたらちょうどよくない?」

「そう、かな。時間、どんぐらいかかるんだろう」

「さあ。どうだろうね」

「ね、って・・・」

「ま、いいんじゃない?そんときは、そんときで」

「ふむ。ま、そう、ね」

 黒井が膝に乗せたショルダーバッグの、ファスナーの飾り紐なんかを、眺めながら。太ももがちょっぴり触れ合ってるところが、あったかくて。腹の中では、ものすごい独占欲が、うずきだしたりして。

「ねえ、肩、貸してくんない」

 そんなこと、口走ってしまう。

「いいよ。寝れば?」

「ん」

 そうやって、僕を甘やかすから、また、どうなっちゃうか、分かんないじゃん。もう、気持ちよすぎて、すぐ、寝ちゃう、じゃん、か・・・。


「ねこ、着いた」

「・・・ああ」

 黒井みたいに寝起きが悪くないので、僕はすぐに起きて立ち上がり、荷物を抱えて品川で降りた。腕時計を見る。十時ジャスト。山の手線一周は、小一時間というところだったらしい。

「ちょうどよかったね」

「そうだな。乗り場、覚えてる?」

「大丈夫」

 だだっ広くて、天井が高い、まるで空港みたいな品川駅。改札を出て、港南口へ。新幹線の入り口なんかあったりして、何となくわくわくした。

「あのさ、俺が寝てる間、お前何してたの」

「え、ああ。エアー温泉」

「は?」

「どんな温泉かなって想像して、入る順番考えたり」

「へえ。スマホで調べりゃ出てるんじゃないの」

「出てるだろうけどさ。見ちゃったらつまんないじゃん」

「ま、確かに」

「あ、こっち」

「お前にしてはよく覚えてるね」

「だってここ、前通ってたんだもん」

 長い通路が終わり、外に出る。黒井は迷わず左へ折れた。

「通ってた?」

「大学のとき、夏休みにバイトでさ。こっから、バスで。あ、懐かしい」

「へえ」

「あの一番奥だ、もう来てる」

「奥?」

 手前には少し小さめのシャトルバスが一台。某新聞社と某運送会社ゆきで、バイトらしき若者が何人か乗り込んでいた。そして、その向こうに。

 そのバスは、ごく普通の四角いバスではなくて、何だろう、となりのトトロに出てくるような、昭和のレトロ風を再現したそれだった。

「昔の俺は、そっちに乗って、今の俺は、こっちだ!」

 黒井はそう言うと、楽しそうにバスに乗り込んだ。僕も知らず、頬が緩む。その理由は、何だかいろいろだった。


 見ちゃったらつまんないと言ったくせに、備え付けのパンフレットを散々読み漁って、黒井は何やらルートを決めていた。おもむろに、持参したチュッパチャップスを取り出して、これ、三十分だから、などと言って。

「知ってるよ。舐めるのに三十分かかるんだろ?でも、たぶんこのバス、そんなにかかんないぞ」

「え、ほーなろ?一時間くらい乗ってらいの?」

「二十分くらいだってよ」

「何ら、そんらけ?」

 そして、口から飴を出して、「じゃ、あげる」と。

「え?」

 僕の口に、その、棒つきの球体を押し付けて。

 口を、僅か開けると、硬いものが歯に当たり、滑って、舌の上に突っ込まれた。

「んんっ・・・」

 抗議の声を上げるが、聞く耳を持たない。しかも「あとで返してね」と。こういうこと、しちゃう?

「それね、味が変わるんだって。早めに舐めてね?着いちゃうから」

「む、無理らろ」

「いいから、ほら、もっと舐めて?ねえ」

「・・・ん、うう」

 バスの二人席は、電車より密着度が高くて。

 前にも人、いるのに。

 でも、見えないから、それも、隠微で。

 くそ、変な想像、しちゃうだろ。しかもこれから、浴衣で、裸で・・・。だめだめ!抑えてください俺!

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