第14話:全部あげてもいい
しかし、予想は外れて、意外にも、京王線近くの地下街にケーキの売り子は立っていなかった。
「いないじゃん」
「あれ、そうね」
「ねこ、どーしてくれんの?今から作ってくれんの?」
「何だよ、俺が作るの?イチから?」
「そう。ショートケーキ」
黒井が、ボールの中で泡立て器でかき混ぜるジェスチャーをしてみせる。ま、黒井のためなら作っちゃうだろうけど。
「残念だなあ。買ってやろうと思ったのに。でもしょうがないな」
「しょうがないじゃないよ。あ、お酒は?」
「酒は、あくまでケーキにつけるって言ったんだよクロくん。ケーキの付属品。ケーキなしで酒だけ買わないよ」
「何だそれ、屁理屈」
こうして喋ってるだけで幸せだ。単純。
少し周りを見てみたがそれらしいものはなくて、結局電車に向かった。僕としては、あの場から黒井を連れ出せた(本当は僕が連れ出されたのだが)だけで、それが最高のクリスマスプレゼントだった。あのまま帰っていたら、後から、黒井が中座したと知ったところでこんな勝利の喜びには浸れなかっただろう。黒井には散々なクリスマスだろうが、悪いけど僕は一人で喜ばせてもらった。実力でもないのに、人間やれば出来るもんだなどと悦に入る。思わず笑いが漏れ、「何笑ってんの?」と突っ込まれた。
「いや、別に。こっちのこと」
「えー。思い出し笑いはエロいんだよ」
「うんうん。まあそんなとこだ」
「何だよ、さっきからやけに楽しそうだし。何かムカつく」
「いやあ悪いね。俺今心が広いから」
「広くなる要素なんかないじゃん」
「え、何で?」
「だってさ、飲んでるとこ突然、無理に連れ出されてさ。クリスマスなのに、結局、俺と一緒でさ」
うん。そうだよ。その通り。よく分かってるじゃないか。
「しかも、ケーキも買わされてさ」
「いや、それは残念だけど、なきゃ買えないよ」
「やだ。絶対買ってもらう」
黒井は頑なに言い張った。思い詰めたような顔で。
「・・・どうしたんだよ」
「だって、さあ」
改札で会話は途切れ、ホームのベンチで再開される。
「何だよ」
「いや、その。・・・実はさ、ねこ、怒ってんじゃないかと思って」
「へ?俺が?何で?」
「その・・・俺が、こないだ、・・・何か、ヘンなことしちゃったから」
心臓がぎくりとする。その、ヘンなことの妄想で、あんなことしちゃってたのは僕の方だ。
「いや、別に、その、気にしてないよ」
全く嘘だけど。
というか、まさか黒井が気にしているとは思わなかったから。
どう思っていいか分からない。
こんな話をしてしまったら、今後、もう「ヘンなこと」をする余地も、なくなってしまうかな。
いや、その前に、黒井にとっても、あれは「ヘンなこと」だったってわけで。
それってやっぱり、雰囲気に飲まれた状態での、気の迷いだったということで。
うつむいたまま黒井が言う。
「あの、俺、さ。時々、さっきもだけどさ、何か、感情とか、抑えらんないことあって」
「そう、なの?」
「だから・・・何か、うまく言えないけど、お前にはそういうの、うん。何かごめん」
「・・・いいってば。本当に・・・怒ってないし」
だめだ。
もう、言ってしまいそうになる。
喉まで出掛かってしまう。
「俺、お前のこと好きだから」なんて。言えるわけもないのに。
電車が何本か、停まっては折り返し去っていく。ホームに人は絶えないが、僕たちの雰囲気を察してか、ベンチの隣には座ってこなかった。
「そろそろ、行かなきゃだよね」
「別に・・・気にしなくて、いいって」
「俺、そういうの、本気にするよ?」
「・・・いいよ」
「じゃあ」
黒井は立ち上がって、電車の列に並んだ。僕はといえば、何だか分からないまま後に続く。頭の中では、今の会話がリピートされて、何度もあの感覚に襲われた。何か、変な意味にも取れそうな、危なっかしい会話。黒井くん、僕はもう倒れそうだよ。
・・・・・・・・・・・・・
電車が来て、乗って、二人で座れたけど、何も話さなかった。気まずい沈黙。
本気にするって、一体何のことだろう?
会話の意図も、それで電車に乗ったことも、よく繋がらない。置いていかれ、不安になる。
僕の気持ちを知って、軽蔑してるってわけじゃなければ、まあ、何でもいいんだけど。
隣の黒井の顔は見えない。ただ、膝の上で握りしめた拳だけ。そんなに、坂本という人にプライドを傷つけられたのだろうか。それを僕に八つ当たりして、そのことで自己嫌悪に陥っている?
少し、怖かった。初めて。黒井のことが。
別人みたいだ。
頭が勝手に、一番なってほしくないストーリーを紡ぎだす。
「気色悪いんだよ変態」とか罵倒されて、殴られたり、とか。
・・・そうだよな。
言い訳は出来ない。実際そうなのだから。
だから、それならそれでいいのだ。仕方ない。クリスマスに派手に振られて、気持ちがいいじゃないか。
そのあとは、会社なんて、まあ、辞めちゃってもいいんだし。
心臓の動悸が治まらないまま、それを紛らわすように適度に電車が揺れる。快速なのにいつもよりずっと遠く感じる。桜上水が。
このまま普通に桜上水に着いて、「じゃあな」ってバイバイするのかもしれない。
むしろ、無言で立ち去られるかもしれない。
ああ、僕は、黒井がいつものように笑って「ねえねえ」とか言ってくれないと、こんなにもダメ人間だ。それに驚く。僕の劣情のことについてなのか分からないが、その深刻そうな話もまともに受け止めてやれないし、気まずく沈黙するだけの役立たずだ。
ああ。
別に。
一緒じゃないか。
僕はみんなのことを、その場限りのノリだけの、浅い交流で自己満足している薄っぺらいやつらだとか思って見下しているけれど、僕だって、こうしてその場の雰囲気に流されておろおろして、都合が悪くなると素知らぬ振りで黙りこくり、深入りしませんって顔で無視するだけの、浅はかで中身のない、嫌なやつじゃないか。
しかも。
みんなと同じだけど、みんなと同じように薄っぺらで妥協して翌日も「おつかれー」なんて笑顔で言えもしない、それはただの落ちこぼれだ。
ああ、みんなただ我慢してるのか。
みんな、嫌なことがあっても、引っ掻き回されても、へらへらじゃなくて、歯を食いしばって翌日「おはよう」と言っていたのか。
踏み込みたくても踏み込めない人間関係で我慢して、現状維持している。
僕はその上にあぐらをかいて、そんなんじゃ満足できないと息巻いている。
意志も感情もある人間は、些細なすれ違いですぐにぎくしゃくして、内面だけじゃない、表面上だって、その上辺の関係は砂の城のように脆い。
こうして、一人がちょっとこじらせただけで、すぐ崩れてしまう。
ごく普通に、「お疲れ様」とか、「大変だね」なんて声を掛け合うだけのそんな関係だって、会社のワンフロアぶちぬきのあのオフィスのように、バカ高い維持費がかかっていたのだ。そんな代償を払っていたなんて、考えもしなかった。土地なんて、空気なんて、そこにあるもんだと思って、財布を出しもしなかった。その上で僕は、何でここのコーヒーまずいの?どうしてみんなこれで我慢してるの?早く高級なやつに取り替えて?なんて、どの口で言っていたのだ。
恥ずかしくなった。
いや、もちろん、みんなもそうだって、分かった気になるのは傲慢だけど。
永遠に分からないのだから、僕がここで一喜一憂しても、仕方ないけど。
ついでに、たとえそれが真実であったとしても、それでも、僕は落ちこぼれで、この期に及んで努力もしたくないから、やっぱりみんなと同じようには、出来ないんだけど。
はあ。
「みんな」なんて、いなければいいのに。
坂本さんも望月も榊原もいなくなって、明日も年明けも決算もなくなって、真っ白な世界に僕と黒井だけなら、話はきっと簡単なのだ。
みんなちょっとずつ減価償却されて、磨り減っていく。
気力だけで補い合って、同時に、削りあって。
電車が揺れて、黒井の拳が膝からずれ、つと、僕の膝に乗った。
それは一瞬だったけど、僕はまたあの感覚に襲われて。
もういいと思った。
僕は、黒井になら、どんなに削られたって構わないし、どれだけ与えたっていい。
それだけだ。
落ちこぼれだから、みんなのことまでは考えられない。せめて、嫌悪感を顔に出さずに、輪を乱さないよう気をつけるだけだ。みんなの前では、そういう代償を払ってもいい。
そして、黒井になら。
わあ、言っちゃうんだ。
全部あげてもいい、なんて。
黒井がただ何かにむくれて黙っているというそれだけで、僕の利己的な恋は、グラグラと揺さぶられながらも勝手にコマを進められて、もう少し上まで行ってしまったらしい。
ああ、自分がおそろしいよ。
こんなに好きになっちゃって。
もういいか。
死ぬまでまだしばらくはあるのだから、それまでは、どこまでも行ってやろう。この体の中には自分しかいないのだから、その自分に、どこまでもついていってやろうじゃないか。
そうやって何がしかの決意の末に電車は桜上水に到着し、黒井は僕の腕を取って、乗客を押しのけるように強引に降りたのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
黒井は黙って前を歩いた。
いつもよりも早足で。
僕は無言でただついていく。一度声をかけたけど、黒井は一瞥をくれてまた前を向いてしまう。忘年会の夜と同じ道なのに、全く違う景色に見えた。
ほどなくして、あのファミリーマート。
ようやく、黒井が立ち止まって、振り向いた。
思わず身構え、顔を見据える。真剣だが、怒ってるのか、泣きそうなのか分からない。
「・・・どうした?」
僕から声をかける。戸惑いの表情ののち、「あの・・・」と言って、目が泳ぐ。
「いいよ。言ってくれよ。別にどんなことだって」
聞く覚悟は、出来てるから。
そして、黒井は、ふ、と力を抜いて、微笑んだ。
「あのさ、俺のこと何だと思ってる?」
「え」
「ねこ、買いかぶってるよね。絶対」
「かい、かぶって?」
「俺に合わせてるでしょ」
「う、ううん、そんな」
「だってそうじゃなきゃ、こんなとこまで来るはずないじゃん」
「あ・・・」
「俺、そんなんじゃない」
ぎくりとして、反射的に「ごめん」とつぶやく。謝るくらいなら、堂々としていればいいのに。
「分かってんだ、俺。気づいてるよ」
「え、そう、なの・・・」
僕の声はほとんど消え入りそうだ。さっきまでの決意だか覚悟だかはどこへ行ったんだ、踏ん張れ!
「自分で分かってるよ。お前を振り回してるってこと」
「え?」
「無理矢理、都合よく、いいように・・・さ」
黒井が何を言おうとしているのか、よく見えなくなった。いや、最初から僕には何も見えていない。
「別に、振り回されたって、俺は別に、勝手に自分で振り回されてるだけだから、クロが気にすることないだろ。俺は俺で、嫌だったら、ちゃんと言うから」
嫌なことなんて、ないけど。
「本当?」
「嘘つかないよ」
「こんなとこまで来て、迷惑じゃない?」
「迷惑じゃ、ないよ。お前が俺に怒ってんのか、俺はどうしたらいいか、分かんないだけで」
「俺にも分かんない」
一呼吸おいて、一気に言葉が溢れた。
「自分でも分かんないんだ。何であんなに怒ったのか。彼女がいないのはそっちの気があるからじゃないかとか冗談言われて、突然キレたりして、そんなのどうして聞き流せなかったのか、自分で自分が分かんないんだよ」
「え、そんなこと・・・」
言われたのか。よりによって。
「俺、お前に迷惑かけてる。八つ当たりして、振り回して、分かんないこと言ってる」
言葉が出てこない。
「ねこが優しいから甘えてるだけでさ。そういうやつなんだ。だから、うん、俺、きっとお前が思ってるような黒井さんじゃない」
ああ。
今度は思うより先に言葉が出た。そんなの、そんなの知ってる。
「<黒井さん>なんて思ってない。いや、前は思ってたけど、今は違うんだ。ちゃんと、分かってる。・・・大丈夫だって」
その一言で、黒井はびっくりしたように顔を上げた。
ゆっくり、一歩、僕に、歩み寄る。もう一歩。
距離が、ゼロになる。ゆっくりと肩に手を回されて、僕は本気で踵を踏ん張る。
黒井が僕の耳元で囁いた。
「ごめん。今日は、変な気持ちにならないで」
「・・・がんばってみる」
こないだよりも早く、そっと身体は離れて、「恥ずかしいね」とはにかむ黒井。
「ケーキ、買ってやるから」
上擦った声で、頑張る僕。
「待ってました!」
笑顔でファミマに向かう黒井のことを、僕はもうこれ以上、我慢できるか自信がない。
だってもう、クリスマスイブの終電は、過ぎてるんだから。
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