第13話:男子会・災い転じて福となす
「おつかれー」
「おつかれさまでーす」
とりあえずビールを頼み、着席する。望月と榊原だけでなく、二課の先輩の沢村さんも来ていた。こんなところへ来たものの、何を話したものやらよく分からない。淋しい会という割に、話題は普通の仕事のグチであって、しかも二課のネタだから僕は入れず、適当に相づちを打っていた。
こっちの方がむしろ淋しくないか?と思っていると、沢村さんのケータイが鳴り、何やら話して、そこへその相手の米山さんがやってきた。沢村さんの同期で、一課の先輩だ。
「待ってましたー」
「おつかれさまでーす」
「おーおー、淋しいねえ!クリスマスイブだよー、何やってんだろうねえ俺たち、いやマジ泣けてくる」
場が一気に明るくなる。米山さんは、小太りで何だかねちっこい感じだけど話し上手で、いるだけでやけに盛り上がる。
「何よ何よ、もっとじゃんじゃん頼もうよ。ね、もう、やっちゃいましょうよ」
しばらくは飲んだり食べたり、適当な会話をしていたが、望月がここぞとばかりに米山に話を振った。
「あのー、米山さん、ここにいらっしゃるってことはやっぱり、あの噂本当だったんですよね・・・」
「あ、そういうこと言う?今更そんなこと言っちゃう?」
「いやいや、まあ、ねえ。でも、せっかくだし、聞きたいなあー、なんて」
「そうっすよもう、ぶっちゃけましょうよ」と榊原。
「なになに、みんな、やだなーもう。長いよー?」
結局話したいらしい。
「え、みんな聞きたいの?えー誰だっけ、あ、山根くんも?」
「あ、はい。それはもう、ぜひ」
何のことだか分からないが、とりあえず合わせておく。名前を忘れられていたようだが、思い出してくれただけ有り難い。
「えー、そうね。そもそもみんなどこまで知ってんの?沢村は、まあ、言ったからね」
「うん。大体のとこはね、聞いたけど」
「あの、俺は、何か、米山さんから振った、みたいなニュアンスで、聞いてるんですけど」
望月がさも言いにくそうにするが、結局しっかり聞いているわけだ。みんな、何でそんなに、お互いに興味があるのだろう。
「やああー、それ違うわ。きっついなー。ってか、どんな伝わり方してんだろ。それどっから聞いたの」
「いやー、それは、すんませんノーコメントで」
「やだねやだね。いや、そうじゃなくてさ・・・」
要するに、米山の失恋話なのだった。
相手は本社の女性で、常務の秘書的な仕事をしているらしい。何度か見かけたことはあるが、まあ、年上で、キャリアウーマン風、という感じだった。言っちゃ悪いが、米山にはあまり似合わない。
普段なら楽しくもない話だが、自分も一応今は片思い中の身であり、恋のもつれを聞くのも悪くなかった。
というか、半ば興味津々で聞いてしまった。「やっぱそうっすよね」とかなんとかつい合いの手を入れると、調子のいい米山さんは「やっぱり?山根くん分かってんじゃん!俺山根くん気に入ったわ、さすがだね」などと、まあその場限りのヨイショをするもんだから、僕もそれなりにいい気になって恋の行く末を見守った。ま、沈没したという結果はもう出ているのだが。
結局、何やら些細なケンカで険悪になり、振られる前に振ってやれ!と意気込んでタイミングを見計らっていたら先を越されてやっぱり振られたという、まあそういう話だった。内容は大したことはないのだが、米山さんの話術で場は大いに盛り上がった。
しかし、ようやく場の雰囲気にも慣れ、居心地も良くなってきたところに、新たなメンツが現れた。こうしてせっかく暖めた座布団を次々取り替えられていくのが飲み会の嫌いなところだ。僕はそんなに早く場に溶け込めない。
しかも来たのは同期やなじみの先輩ではなく、坂本という中途で入ったちょっと近寄りがたいエリートみたいな人だったから、なおさらだった。米山を中心にした場の雰囲気が一瞬で変化する。
そして。
「途中で会ったからさ、無理矢理連れて来ちゃった」と、後ろから現れたのは、誰あろう黒井だった。
一瞬、息が止まる。
どんな顔をしていいか分からない。
「えー、黒井さん彼女いなかったっけ?」
榊原が声をかける。「えーいないよー」と黒井。坂本が訳知り顔で続ける。
「いや、俺もね、そう思ったんだよ。でもさ、こんな時間まで残ってるから、予定ないのかなーと思って誘ってみたの。ちょっと意外だよね、イケメンって感じだもんね、彼」
後ろでコートを掛けている黒井をあごで指す。
望月が、いやいや、坂本さんも意外ですよといち早く場を取りなして、笑いを取る。榊原が「あ、俺らは意外じゃないってことですか?」と更に突っこんで盛り上げていく。
坂本の話を聞く望月と榊原。同期同士でくつろぐ米山と沢村。黒井はそのまま坂本グループの会話に加わる。僕の方は、何となく席の配置の関係で、米山グループに居残る。
しかし、僕が米山と沢村の会話にするりと入っていけるわけもなく。
まあ、ちょうどトイレに立つ頃合いでもあり、僕はケータイ片手にさっと席を立った。
トイレに向かいながら、もう、このまま帰りたい、と思った。
みんなの輪の中で、みんなと話している黒井を見るのが、こんなにつらいなんて。
おかしいだろ自分。
トイレの個室で、立ったまま壁にもたれる。酔いもあって、頭がふらふらする。
とにかく、このままあの場にいるのはつらかった。
せっかく黒井と会えたのに、ひきつった顔で固まったまま、何も言えなかった。
彼は、みんなの中ではすっかり「黒井さん」であって。
今までのことなんて、全部嘘みたいだ。
でも考えてみれば、きっと黒井はずっと、こんな風に飲み会に参加したりしてきた人間であって、やっぱり、僕といたのは何かの気まぐれとか、気の迷いとか。
否定的になる自分。
保護したメールを読み返してみても、居酒屋のトイレの間接照明の下でそれはやけに白々しくて、余計むなしくなる。
個室を出て、洗面台で顔を洗った。
拗ねている自分。
でも。
このまま「じゃ、僕はこの辺で」と帰ってしまう決断も出来ないのは、あの忘年会の時みたいに何かのチャンスが訪れるんじゃないかと未練がましく期待している自分もいるからで。
忘年会くらいの大勢の中でなら、「よう」と言って隣に座ってしまうことも、出来そうなのに。このくらいの小規模な飲み会では、二人だけ自分たちの会話をするわけにもいかない。
たぶん、何も話せないまま、何となくお開きになり。
しかも、確か沢村さんも、京王線だった。
二人で帰るという選択肢も消えた。沢村さんを二人で微妙に持ち上げながら、いや、むしろ、沢村さんと話す「黒井さん」の後ろから金魚のフンのようにくっついて、これ以上ないみじめなクリスマスイブの帰路につくのか。
・・・きついなあ。
来るんじゃなかった。
さすがに長いかな、と時計を見るが、一体何分くらいここで煩悶しているのかも分からなかった。別に、誰も気にしていないだろうけど。
しかしまあ、いつまでもここで顔を洗っているわけにもいかない。
適当な頃合いを見て、帰れそうなら帰ってしまおう。
とりあえずそれだけ決めると、少し楽になった。別に途中で帰ったからって、誰に責められる筋合いもないし。
トイレを出ようと扉を開けると、ちょうど入ろうとしていた人にぶつかりそうになり、「あ、すいません」と軽く頭を下げる。顔も見ず足早に去ろうとした時、後ろから腕をつかまれた。
絡まれる、と思い、身構えた。腕を引かれ、まともに顔をのぞき込まれる。
「ちょ、なにすん・・・あ」
「ねこ、だいじょぶか?心配した」
「く、ろ」
「気分悪かった?」
「え、いや、まあ、ちょっと・・・顔洗ってた」
「ほんとだ、髪びしょびしょ」
・・・ほら、そうやって。
気安く前髪を触ってくる。
そして。
腹の奥で僕が欲していた言葉を、いとも簡単に。
「ねえ、抜けて帰っちゃわない?俺、あの坂本って人ちょっと苦手」
「そ、そうなの?」
「うん、何か上から目線で」
「へえ。でも、お前、来たばっかじゃん」
「そうなんだよね。だからさ、ねこ、具合悪くなったことにしてよ。俺、適当に、下まで送るとか何とか言って、出ちゃうから」
「え、でも」
「いいから、そうしよ」
黒井にしては珍しく、怒っているようだった。今の僕にとっては、降ってきた奇跡をつかむのに精一杯で、むしろ坂本には感謝の念しかわいてこなかったが。
自分勝手なことだ。
坂本のついでに、うだうだとみじめな未来を想像して腐っていた自分にも感謝した。トイレからさっさと帰っていたら、今の状況はなかったのだ。日和見主義万歳。やっぱり何事も、真面目に取り組んだから成功するってわけじゃないのだ。
イライラしている黒井をよそに、僕は颯爽と居酒屋を出て、エレベーターでガッツポーズすらした。こんな事もあるもんだ。漁夫の利というか、災い転じて何とやら、というか。
エレベーターを降りてから、自分が鞄も持っていないし、飲み代も払っていないことに気づいた。しかし、黒井がどういう風に話しているか分からないし、今更戻れない。
つくづく、こういう段取りは苦手だ。感情先行で動いてしまい、後から思い出しておたおたとする。まあ、こういう面倒は「黒井さん」が何とかしてくれるだろう、などと考えて、さすがに少し自己嫌悪。しかし、本当に自分が気持ちよくなることしか考えていないんだなあと、図太い自分に感心すらした。
そのうち黒井が僕の鞄とコートを抱えて、他の客とともにエレベーターから出てきた。まだ怒っているみたいだが、僕はとっくに気分が良くなっていたので、自分から「それで?どうしたんだよ」と声を掛ける余裕すらあった。
おっとその前に。
「あ、勘定、どうした?」
「五千円おいてきた」
「それ、俺の分も?」
「うん。だって俺、一杯しか飲んでないもん」
「あ、じゃあ」
僕が財布から払おうとすると、乱暴に手で止められた。今日の黒井の手は冷たくて、すこし、ぎくりとした。
「いいって。こないだのこともあるし」
タクシー代のことだ。
「いや、あれは、俺が勝手に送っただけで」
「うん。だから。今日は、俺が勝手に奢っただけ。ね」
僕は財布をしまい、コートと鞄を受け取る。黒井はコートを着ることもなく、憮然として歩いていく。
「おい、どうしたんだよ。話してみろって」
「・・・別に。何か嫌だったんだもん」
「ま、確かに上から目線っぽい人だったけどさ」
「超やだ。何か、黒井くんに彼女が出来ないのは、どーとかこーとか言って、説教垂れてくるし、本当ウザい」
「何、そんなこと言ってきたわけ」
「あーやだやだ。ねえ今何時?」
時計を見る。十時十二分。
「え、もうそんななの?これじゃ、飲み直してる時間もないじゃん」
「まあねえ。つか、そんなに怒るなんて、珍しくない?」
「このままこんなんで終わっちゃうわけ?クリスマスイブ?」
僕の言葉は無視して、収まらない様子の黒井。別に、淋しい男子会に参加するような僕たちに、もう「こんなん」以上の何かが訪れるわけもないと思うが。
いや、僕には今訪れてるから満足だけど。
・・・少し、言ってみてもいいかななんて思い上がって、誘ってみる。何か、つけこんでるみたいだけど。
「まあまあ、俺がケーキでも買ってやるからさ。機嫌直せよ」
「え?ケーキ?」
イラッとした目で僕を睨む。藪蛇だったか?
「ケーキか。ケーキね・・・」
言ってから気づいたが、デパ地下だとか、もう閉店してるか。いや、もしかしたら、駅ナカで特別に深夜営業しているかもしれない。
「ケーキとさ、お酒もつける?」
「分かった分かった。何でもいいから」
「俺、ろくに飲んでないからさ」
まあ、別に、こうして一緒に帰れれば何でもいいのだ。あの拷問のような想像に比べれば、天国だ。
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