第11話:イルミネーション・デート
会社がある西口から南口までは、結構距離がある。
人でごった返す地下通路を延々歩き、外に出ると、また人混み。雪とか言ってたけど、小雨が降ってるだけだ。
「はぐれないでよ、ねこ」
「お前がな、クロ公」
手を繋いでしまいたい欲求を丁寧にしまい込み、肩や腕が触れる程度の接触で我慢した。いや、それ以前に、黒井がごく当然のように僕のマフラーをしていたので、それでもう満足していたのだった。もちろん僕もカシミアを巻いて、何でもない顔で振る舞う。
「で、何買うの?」
「分かんないよ、何かハンズとかで適当に」
「何歳?」
「甥っ子?ええと、二、三歳?」
「ふうん。お前、兄弟いたんだ」
そう。僕は黒井について、出身とか、血液型とか、大学名とか、何も知らないのだった。
「姉貴の子どもだよ。初孫だから親がさ、馬鹿みたいに可愛がって。俺に関係ないっつーの」
「へえ、甥っ子とか姪っ子って可愛いもんじゃないの?」
僕は一人っ子だからよく分からないが。
「別に。二回くらいしか見たことないし。こんなんで、これから何とか祝いだのお年玉だの言われ続けるなんて、本当たまんないよ。全然いいことない」
「ああ、なるほど、確かにそれは癪だ。じゃあ、お前も子だくさんになって取り返すっきゃないな」
黒井は冗談めかして「えー予定ナイヨ」と口をとがらせた。
タイムズスクエアのイルミネーションは、天井から白い滴が落ちてくるようなもので、二人とも自然と上を見上げた。「ふむ、まあ綺麗だね」と気のない顔でうなずきあう。毎年いろんなオブジェが出るが、今年は子供向けでもなく、恋人向けでもなく、上品な感じだ。
その時、右手にピンクのハートと、メリークリスマスの電飾が。
「ほら、だから言ったじゃないか」
「あーピンクだねーハートだねー」
一応、デートかななどと考えて、喜んでみる。あはは。
しばらくイルミネーションの中を歩くと、ようやく目的の東急ハンズにたどり着いた。
が、入り口をのぞくと、入るまでもない混みようだった。
「うわ、どうしよっか?」
「どうしよっかって、お前の甥っ子のプレゼントだろ。頑張れよ」
「ねこ!お前ももっと真剣に考えろって!困るよそんなんじゃ」
「別に俺は困らない」
「やめやめ。こりゃ無理だ」
自分でハンズ辺りと言ったくせに黒井は早々に諦めた。
しかし、二、三歳の男の子へのプレゼントって何だろう。二、三歳って、喋るのか?歩くのか?それすらよく分からない。赤ん坊なのか?幼稚園児なのか?
デッキをうろついていると、紀伊國屋書店が見えたので、もう絵本でいいじゃないかと言った。
「ああ、そうしよう」
「本ならコクーンタワーで済んだのに」
「今更言わないの」
イルミネーションを越えてここまでくるとだんだん人も少なくなって、断然歩きやすくなった。僕たちは橋のような連絡通路を渡り、紀伊國屋へ向かう。歩くとトントンと、デッキの音が心地よい。急に空間が開けて、徐々に強くなっていた小雨が僕たちの頬をちらちらと濡らす。
電飾看板の<紀>の字が糸偏だけになってしまっているのを見ながら、寒さに思わず「はああ」と白い息を吐いてみたり。
書店に入り、ひとつ降りた階の絵本コーナーにたどりつくと、早速クリスマスフェアの棚が待っていた。しかし残念ながらここで、閉店の音楽が鳴り始めた。
「え、もう閉店か」
「どうしよ、ええとええと。ねえ、二、三歳ってどのくらい字、読めんの?」
「それが俺にも分からんのだ」
「何だよそれくらい知っとけよ」
黒井が戯れに蹴りを入れてくる。
「知るわけねーだろ」
僕もお返しにどついてやる。じゃれあうと一瞬「あの感覚」がやってきそうになったが、結局こなかった。何となく、健全な(?)じゃれあいだったからだろう。
「おい、急げよ。もうどれでもいいから」
「たくさんありすぎて分かんないよ。ええと・・・」
黒井は適当に絵本を取り上げ、ろくに表紙も見ず、裏の値段を確認する。
「おい、ケチな叔父さんだなあ」
「う、うるさいな!俺にだって生活があるんだ!」
ひとしきり笑って、ついに値段と大きさや厚さに納得のいくものがあったらしく、黒井はレジに向かった。
プレゼント包装をしてもらっている間に、カウンターで宅配の手続きをする黒井を、何となくぶらぶらしながら、後ろから眺めた。会社以外の場所で、こうやって見ることはあまりなかった。
相変わらず、ツリーが出た日に颯爽と現れた、あの感じと同じ雰囲気をまとっていた。今は僕のマフラーをしているが、感じは変わらない(マフラーも、する人次第なのだ)。
僕には、似合わないなあ、と思う。
僕はこういう人種とつるむような人間じゃない。この年になれば、そういう自分の傾向はもう、変わるものじゃない。
その時ふと、気づいた。
僕にとっては、こんな、本屋に寄ることくらいでも、「デート」などと呼んでしまうようなイベントだ。だって、僕なら甥っ子へのプレゼントなど、適当なものをネットで検索して、通販でポチって終わりだ。どうして人を誘って本屋まで出向かなくちゃいけないんだ?
でも、きっと、こういう、いわゆる「リア充」というような人種にとっては、イベントでも何でもなくて。
こんなことは、日常茶飯事なのかもしれない。
いろんな人と仲良くなって。些細な交流で更に人脈を広げて。
別に、利用しようとか、誰でもいいからお飾りのように連れ回したいとか、そういう利己的なことじゃない。彼らにとっては、挨拶して世間話をすることの延長に、飲み会とかスポーツの集まりとかがあって、そうして親交を深めていく相手が、多ければ多いほど良くて。そんなことして、集まって騒いで、それで何がどうなるんだよ、金と時間の無駄だよ、って思うのは、きっと僕だけじゃないけど、僕はそれでも少数派なんだろう。そして、彼らは、少数派とも交流を持ってみたいのだろう。
そういうことだったんだろうか。
黒井は、ソツなく何でもこなす完璧な「黒井さん」ではなかったが、それでもやっぱり僕にとっては違う人種の「黒井さん」だったのだろうか。
でも、それも仕方がないというか、それで当然だろう。いや、それ以上を求める方がおかしいのだ。求められるわけもない。
黒井があまりに気安くて、なれなれしくて、僕にまとわりついてくるもんだから、僕の方もいい気になって勘違いしていたのだ。黒井が男の僕を好きとかそういうのがあるわけもなく、ただ彼は人好きのする、スキンシップの多い男だという、それだけのことだ。それに対して僕が勝手に舞い上がっていたのであって、でも、それ以上なんてないってことは、最初から、いやそもそもの大前提としてそこにあったはずなのに、大きすぎて見えていなかったのだろうか?そしてそんなことに今更気がついて、みじめにも沈みこんでいるのか?僕はなんて馬鹿なんだろう。
・・・・・・・・・・・・・
レジで手続きを済ませた黒井がにこやかにやってくる。店員が丁寧に僕たちを追い出して、僕は表情を凍らせたまま外に出た。
少し疲れたのでベンチに座る。黒井もそれにならって隣に座る。それでも、こんなんでも、黒井のプライベートな用事につきあって、この時間を共有して、今、黒井を独占しているということに、無邪気に喜んでいる僕がいる。情けない。
頭がふらふらしてきた。これ以上一緒にいても、普通に笑えそうにない。
「じゃ、用事も済んだし帰るか」
「え、もう?飯でも食ってこうよ」
「いや、まあ今日は帰るわ」
「・・・そう?」
僕の機嫌が悪いと思ったのか、黒井は引き下がり、空気が固まる。そりゃ、突然不機嫌になられたって、まさか理由も分かるまい。申し訳ないので、気力を振り絞って表情をやわらげ、普通の話題を振る。
「とにかく買えて良かったじゃん。甥っ子も喜ぶよ」
「そうかねえ」
「名前、何ていうの」
「あ、それがさ、何か読めないような漢字でさ、いくと、とか何とか」
「へえ、どう書くんだよ」
黒井は何やら説明していたが、何も耳に入らなかった。自己嫌悪と、申し訳なさが募る。むしろ振られてしまった方が潔かったかもしれない、なんて、自分勝手だけど。
僕がそうやって上の空で歩いていると、急に腕をつかまれ、後ろにぐいぐいと引っ張られる。
「何」
「いいから!」
あっという間に、橋のような通路をUターンする。
「何だよ」
「いや、あの、浅田さん。振り返っちゃだめだよ、浅田さんがいた」
「浅田さん?だから何だよ。いたっていいだろ」
浅田さんというのは二課の、三つくらい先輩の男性だ。
「相手」
「相手?」
「鷹野さんだった」
「え、鷹野って・・・」
鷹野は僕たちの同期の女子だが、営業部ではなく事務方に異動していて、最近はほとんど顔を合わせることもなかった。
そろそろと振り返り、二人がこちらに向かってこないことを確かめた。橋の先の、建物の陰に二人はいた。ハンズで急に人が途絶えるから、意外と死角なのだ。
「・・・あれ、絶対告白中」
「え?お前聞いたの?」
「声は聞いてないけど、もう、雰囲気が」
「だったら何だよ。出歯亀なんてみっともない」
「じゃ、帰る?」
「帰るよ」
「普通に?」
「普通にって」
「違う道から帰る?」
「別に、何も邪魔しようってんじゃないんだし、堂々と普通に通ればいいだろ。覗き見してたわけじゃなくて、本当に通りかかっただけなんだから」
「だけど、俺、どんな顔して通っていいか」
「いいんだよただ黙って通れよ」
半ば、八つ当たりだった。別に、同じ会社に所属しているというだけであって、僕にとっては、彼らはここにいる大勢の人混みのうちのふたりでしかない。それほど口を利いたこともないのだし、今の僕にとって、他人の色恋沙汰など全くどうでもいいことだった。僕が早足に歩き出すと、黒井も黙ってついてきた。
・・・しかし。
橋を渡っている間。
丸見えなのだ。
その。
キス、しそうになって。
する、ところまでが。
そして、それ以上に盛り上がってしまいつつある、その空気が。
恥ずかしさが、怒りに取って代わる。
「クロ、ごめんやっぱ俺だめ」
「お、俺も」
僕たちは再びUターンして、今度は紀伊國屋の先まで走った。さっきまでの気分はぶっ飛んで、笑いしかわいてこない。自然に黒井の手を握り、黒井も握り返してきた。タイムズスクエアのデッキも終点で、その先に広場があったので、とりあえずそこへ逃げ込む。手を握ったまま、興奮と笑いで腹をよじる。
こんな風なのは、いつかもあった。
ああ、「みつのしずく」の夜だ。僕たちは、こんなんばっかりだ。
「俺何か、恥ずかしいんだけど!」
「何が堂々とだよ!どこが堂々なんだよこのねこ!」
「しょうがないだろだって、こんな風に、こんなふうううにされたらさあ」
僕が、力みすぎている浅田の真似をする。黒井の両腕をがっしりつかんで、じりじりと顔を寄せる。黒井の方も目をつぶって、キスに応える鷹野を演じる。あははは、無理無理。いや、無理だよ。いつまで目、つぶってんだよ。
「いやああ、これはね、やばいよね」
黒井も目を開け、「ああ、だってあれはねえ」と会話に戻る。
「あんなとこで、ねえ」
「本当だよ、人、来るよ」
「今頃もっとすごいことまでしてたりして」
「さすがにそれは・・・」
無言で黒井が僕に抱きつく。右肩に、あごが乗る。腹が、透ける。
「何かすごく寂しさが、身につまされるんですけど」
「俺に抱きついたって、クリスマスはやってくる」
「まあね」
静かに、抱かれていた。
うん。
普通、こんなに抱きつくかな。
もう、十秒くらい、経つ、かも。
おふざけの域を、こえそう。
リア充とか、もう、関係ないや。
だって普通きっとこんなことしないもん。
「ね、変な気持ちになっちゃうから」
僕は小声で囁いて、肩をそっと押して黒井の体を離した。黒井も小声で「そだね」とうなずいた。二人ともしばらく無言で佇んで、冷たい風が吹いた。どちらからともなく、「帰ろっか」と言って、歩きだした。もうあの二人はいなくなっていて、きっとラブホにでも行ってるね、と黒井は清々しく笑った。僕たちには出来ないことを、彼らは今しているのだ。
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