守られし古代樹

問題と解決方法


 テトラの町を出て2週間ほど経過し、マルティナとエヴァンは国土の東に広がる樹海の中にいた。

 この樹海は手強いモンスターがたくさん生息しているため、広大な土地を領するウィギドニアの中でも、最も謎が多い土地だ。そういった理由から日々腕の立つ冒険者達が調査に入るので、新しい遺跡や新種のモンスターが見つかる場所でもある。

 マルティナ達も、エヴァンが気になる最新情報を手に入れたということで、こうして密林地帯へと足を踏み入れたのだった。


「この辺りのはずなんだけどな……」


 エヴァンが地図とにらめっこしながら首を捻る。

 地図には目的地のポイントが記されているのだが、いかんせんここは未開の土地だ。あくまでも、その印はおおよそのものでしかない。地図上とはズレが生じる確率は高いし、あるいはどこを向いても木々が生い茂るこの一帯で、マルティナ達がまったく見当違いな場所にいる可能性も十分にあった。


 こんな状況では不安にもなりそうなものであるが、そのことでマルティナが気に病むことはなかった。というのも、以前エヴァンに「絶景をわくわくしながら探すことこそ冒険の醍醐味だ」と言われていたからである。


 それに、マルティナはもっと重大な問題に直面していたので、そんなことで悩んでいる場合ではなかったのだ。


「仕方ない。もうそろそろ日も暮れちまうし、今晩はここで野営して、また明日本腰を入れて探そう」


 エヴァンはそう言って、焚き火をするために周囲に落ちている細い木の枝や枯れ葉を拾い始める。そうして十分に薪が集まると、ザックからマッチを取り出した。

 それを見たマルティナは慌ててエヴァンを制止した。


「あの……わたしが火をつけます!」


「そうか? べつに無理しなくっていいんだぞ?」


「いえ。わたしにはそれくらいしか取り柄がないんですから、わたしに任せてください」


 マルティナは深呼吸をひとつして、たきぎへと手をかざすと魔力を込める――

 ――が、なにも起こらない。マルティナの手からは、炎どころか火の粉すら出なかった。


 これこそマルティナが直面している重大な問題である。2週間前にテトラの町を出発してからというもの魔法が使えなくなっていたのだ。


「うぅ……やっぱり無理みたいです……」


「いいってべつに。火をつけるのはこいつで事足りるんだしさ」


 エヴァンがさっさとマッチで薪に火を灯したのを見て、マルティナはがくっと肩を落とす。自分がマッチ以下の存在に成り下がってしまった気がしていたのだ。

 旅を始めてからは2回目だが、学生時代を含めたら、いままで何度だって魔法が使えなくなったことはあった。マルティナがそういった状態になる原因は大きく分けて3つだ。


 杖を用いて魔法を使ったため。


 グレンダの娘ということで過度な期待の眼差しを受けたため。


 体力を消耗しきってしまったため。


 ただ、今回のケースはそのどれにも当てはまらないことをマルティナはわかっていた。いま魔法を使えないのは――


 ――魔女は恋をしてはいけない。


 それは魔女の町に伝わる掟。魔女が男性と契りを結ぶと体内の魔力が枯渇してしまうというものである。とはいえマルティナは、エヴァンとも、もちろん他の異性とも、そういった関係にはなってはいない。


 ただ、マルティナは気づいてしまったのだ。自分がエヴァンに恋をしているということに。

 その結果、肉体関係に至るまでもなく、マルティナはエヴァンが側にいると、極度の緊張で魔法が使えなくなってしまっていたのだった。


「よっこらせ」


 魔法が使えなくなった原因が自分にあるとは思ってもないエヴァンは、ご機嫌そうに鼻歌を口ずさみながら焚き火の前へと腰をおろした。そして、ザックから取り出した干し肉をマルティナに差し出す。


「ほら、マルティナも食いな。明日はこの辺りを徹底的に探すから、力を蓄えとかないとな」


「ありがとうございます……」


 そう言って干し肉を受け取ると、マルティナはエヴァンの隣に座る。だが、唯一のアイデンティティーともいえる魔法が使えなくなってしまったことがショックで、ここ最近は食欲がほとんどなかった。

 とはいえ、こうしていつまでも落ち込んでいてはエヴァンに心配をかけてしまう。そう思ったマルティナは、気持ちを切り替えるために明日目指す絶景ポイントについて尋ねた。


「今回の目的地である古代樹っていうのは、最近になって見つかったんですよね?」


「ああ。だから情報は最小限しかないんだよな。なんでもめちゃくちゃでかい巨木らしいんだけど、樹齢1万年はあるんじゃないかって話だ。もしそうだったら記録的な数字だといえるだろうな」


 エヴァンは話をしながら、軽くあぶった干し肉を噛みちぎる。


「ただ、詳しく調査をしたくても、その古代樹は、やっかいなモンスターのねぐらになっていて側に近づくことも難しいらしい」


「やっかいなモンスターですか?」


「ショウシンザルっていう猿型のモンスターさ。全長は、だいたい1メートルないくらいかな。真っ赤な顔が特徴で、基本的には木の上で生活している。名前の通り小心――つまり臆病なモンスターなんだけど、雑食なんで過去に人を襲った事例もあるんだ」


 ショウシンザルというモンスターの簡単な説明を聞いても、マルティナにはなにがやっかいなのかが理解できなかった。少なくとも、2メートル近くもあるヒノワグマを一蹴したエヴァンの敵ではないように思えたのだ。

 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。エヴァンは教師のように問いかけてきた。


「マルティナは戦闘において一番大事なものってなんだと思う?」


「えっ、なんでしょう……」


「戦闘において一番大事なもの。それは兵力さ」


 マルティナが悩んでいると、エヴァンは炎の中に新たな薪をくべながらも答えを明かす。


「以前シーケの村で見たような規格外なドラゴンが相手だったら話は別だが、一般的にはやはり頭数が多い方が有利だ。そういう意味では、ショウシンザルはヒノワグマなんかよりもずっと手強いといえるだろうな」


 ここまで言われればショウシンザルがやっかいな理由は明白である。合点がいったマルティナがパチンと手を叩くと、まるで同調するかのように薪がパチパチと小気味いい音を鳴らした。


「なるほど。お猿さんですから、群れで行動しているんですね」


「そういうこと。それぞれの群れによって規模が違うから、古代樹に何匹くらいのショウシンザルがいるかはわからないけど、ひとりで20匹以上相手にするってなったら、おれも勝てる自信はないな。まあ、そもそもの話、無闇矢鱈に生態系を崩したくはないし、おれ達の目的は調査じゃなくって絶景を見ることなわけだから、間近で観察する必要はないとは思うけどさ」


 なにげないエヴァンの発言に、マルティナはズキリと胸が痛んだ。


 ひとりで20匹以上相手にするってなったら――。たしかにそう言った。その発言はマルティナのことを戦力としてみていないということである。

 だが、エヴァンがそう思ってしまうのは仕方ないことなのだ。魔法を使えない魔女なんて、なんの価値もないのだから。


 やっぱり一刻も早くどうにかしなきゃ……。


 そう考えるマルティナであったが、具体的な打開策はなにひとつ浮かんでこない。

 ――いや、本当はひとつだけ、この問題を簡単に解決できる方法を思いついていた。

 思いついてはいたのだが、どうしたって踏ん切りがつかなかったのだ。それはいまのマルティナにとって一番残酷なことだったからである。

 しかし、問題の根本を切り離すというその方法なら、再び魔法を使えるようになるのは間違いなかった。


 そう。マルティナが思いついた方法とは、この旅を中断し、エヴァンと距離を置くというものだった。

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