レイチェルとの対話


 テトラに戻り、ヒノワグマを倒したことをギルドに報告すると、マルティナ達は滞りなく報酬を得ることができた。


 これで旅を再開できる。そう思い、気分よく町を出ようとしたところで、マルティナはレイチェルに引き止められた。

 なにやら誰にも聞かれたくない話があるそうで、ふたりきりになりたいとのことだった。そこで、ひとまずエヴァンには町の喫茶店で待っていてもらい、人気のない路地裏でレイチェルと話すことになったのだが――


 ――なんだか気まずい!


 霧の中で手を繋いで歩いていたときは、無事に彼女を助けることに成功し、安心しきっていたということで話しかけることができていた。しかし、こうして改めて対面すると、どうしたって忘れていた苦手意識が掘り起こされてしまう。先ほどからレイチェルが黙り込んだままでこちらを睨んでいるのも、その掘削作業を促進させる要因だった。


「テトラに帰る道中、あんたの連れからこっそりと聞いたんだけど……」


「は、はいぃっ!」


 なんの前触れもなくレイチェルがしゃべり出したので慌てふためいてしまい、異様な相づちを打ってしまう。あんまりにも調子外れな声色が口から出たので、恥ずかしさで顔が紅潮しているのが自分でもわかった。

 そんなマルティナを苛ついた面持ちで見返しながらも、レイチェルは言葉を続ける。


「あんた、死にそうになっていたあたしに活力の実を使ったって本当?」


「あ、ええ、はい……」


 マルティナが質問に正直に答えると、レイチェルの表情はさらに苛立ったものに変わり、自身の綺麗なブロンドの髪をくしゃくしゃとかきむしり始めた。


 ど、どういうことだろう? あんなに怒っているということは、活力の実を使ってほしくなかったということだろうか。もしかして、木の実のアレルギーでもあったのかもしれない。

 そんな見当違いな心配をマルティナがしていると、レイチェルが再び質問をした。


「なんでよ? なんで、あたしに対して活力の実を使ったのよ?」


「なんでと言われましても……」


「だって、あたしはその直前にあんたのことを悪く言っていたのよ。それなのに、なんでそんな貴重なアイテムを使ってまで、あたしのことを助けたのよ!」


 言いよどんでいるマルティナに対し、レイチェルは我慢の限界といった様子で声を荒らげる。


「あたし、はっきり言ってあんたのこと嫌いよ。いっつもうじうじして、自分のことを卑下してるんだもの。でもそれはお互い様で、あんたもあたしのこと嫌いでしょ? だから、そんな嫌いな人間のことをなんで助けたのかを教えなさいよって言ってるの!」


 正直、わからなかった。レイチェルのことは嫌い――ではないが、やはり苦手だ。それでも、瀕死の状態にあった彼女を放っておくなんて選択肢は、あの状況でまったく頭に浮かばなかった。


 マルティナが返答に困り、悩んでいると、レイチェルは悔しそうに顔を歪めた。


「ああ、違う。本当はこんなこと言いたいんじゃない……」


「れ、レイチェルさん……?」


「理由はどうであれ、マルティナ、あんたはあたしの命を救ってくれた。しかも、魔女なら誰しもが貴重だと知っているレアアイテムを使ってまで。だから、その感謝を伝えたくて呼び出したの。本当に助かったわ。ありがとう」


 そう言ってレイチェルは深く頭を下げる。


「それから、あんたとあんたの連れのことを悪く言ったことを謝罪するわ。ごめんなさい」


「いえいえいえ! エヴァンさんのことはともかくとして、わたしなんかに謝らないでくださいよ。所詮わたしは落ちこぼれの駄魔女なんですから、頭を下げる価値すらないってもんですよ」


「あんたねぇ」


 顔をあげたレイチェルのこめかみには青筋が浮かんでいた。


 ……これはマズい。そんなつもりは毛頭なかったのだが、どうやらレイチェルの反感を買ってしまったようだ。


「せっかくこっちが謝ってるんだから素直に受け取りなさいよね!」


「うぅ……すいません……」


 謝られていたはずなのに、なんで最終的にこちらが謝っているのだろう。やっぱりレイチェルのことは苦手だ……。

 そんなことをマルティナが思っていると、レイチェルが聞こえるか聞こえないかくらいの声でぽつりとつぶやいた。


「これじゃあ、あんたのことを好きになれるかもって少しでも期待したあたしが馬鹿みたいじゃないのよ……」


「え?」


「なんでもないわよ!」


 レイチェルは顔を真っ赤にしながらも話題を変える。


「そういえば、あたしの仲間のことなんだけど……あんたの連れの言っていた通り、ふたりとも霧の中で、ずっとあたしのことを探してくれていたんだって」


「そうなんですか……。あの濃い霧の中で、人探しをするのは大変だったはずです。しかも、再びヒノワグマに襲われる可能性だってあったのにもかかわらず捜索にあたるなんて、おふたりともレイチェルさんのことを本当に大切な仲間だと想っているんですね」


「ええ、ありがたいことよね。それなのに、あたしはそんな大切な仲間のことを蔑ろにしていた……。だから、ふたりにもちゃんと謝っておいたわ。自分勝手な行動や考えをしてしまったことをね。こうやって気持ちを改められたのはあんたの連れ――エヴァンのおかげね」


「はい!」


 マルティナは力強く返事をしていた。エヴァンが認められたことが心から嬉しかったのだ。


 すると、レイチェルは「ふふっ」となぜか突然笑い出した。

 特別仲がよかったというわけでもなかったため、学生時代にレイチェルの笑顔を見た記憶はない。そんな彼女が不意にころころと笑い出したことにマルティナは戸惑っていた。

 そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。レイチェルは笑っている理由を自ら語り出した。


「ホントにあんたはおかしいわね。自分のことは卑下したり、くだらない謙遜ばかりなのに、エヴァンの話になった途端に本気で怒ったり、素直に喜んだりするんだもの。……本当に好きなのね、彼のこと」


「え……」


 レイチェルの言葉にどくんと大きく胸がなった。動揺を隠しきれないマルティナは、おぼつかない思考で反論を試みる。


「そ、そ、そ、そんな、好きだなんて。いや、その、す、好きではありますけど、そういう特別なものでは多分なくて……」


「あら、そうなの? それじゃあ、あたしがエヴァンのことを誘惑しちゃってもいいわけね。あたし、案外ああいうゴツいのタイプなのよね」


「そ、それは困っちゃいます……」


「……あんた、わかりやすい性格してるわね」


 レイチェルは呆れた様子でため息をつきながらも言葉を続けた。


「安心しなさい、冗談だから。そもそも、あたしは面食いだし」


「そんな……エヴァンさんはカッコいいです!」


「あー、はいはい。そんな惚気のろけを言えちゃう時点で、あんたの気持ちの答えなんか出てるじゃない」


 レイチェルは首をすくめると、もう話は終わりと言わんばかりにくるりと背中を向けて歩き出す。そして最後にこんなことを付言した。


「あたしは影ながらあんたの恋心を応援してあげるけど、忘れちゃダメよ。魔女は肉体関係を結んだら魔法が使えなくなるってことだけは」


 レイチェルが去った後も、マルティナはしばらくその場を動けずにいた。

 心臓の鼓動がドクドクと体を響かせてうるさい。それは、エヴァンと手を繋いだときにいつも生じる反応とおんなじだった。


 これが恋なのだろうか。


 自問してみるも、よくわからなかった。

 マルティナが判断を下せなかったのは、いままで恋愛経験が皆無だったことが原因だといえるだろう。こんな感覚になったのが初めてのことだからこそ、自分の気持ちに確信を持てなかったのだ。


 ――エヴァンに会いたい。きっと、いま彼と向かい合えば、胸の内にずっとあったこの感情の答えを出せるはずだ。


 そう思ったマルティナは、駆け足でその場を後にしていた。

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