暴れ熊との戦闘


 活力の実を与えてしばらくすると、レイチェルは無事に意識を取り戻した。湿った地面からぱっと身を起こすも、状況が把握できていないようで、目の前にマルティナがいることに怪訝そうな表情をみせる。


「あれ……? なんであんたが……」


「レイチェルさん!」


 マルティナは、嬉しさのあまりレイチェルのことを抱きしめていた。


「よかったぁ。ホントに心配したんですよ。どこか痛いところはないですか?」


「いや、いまあんたに強く抱きしめられて痛いわよ」


「あぁ! ご、ごめんなさい……。わたしったら、レイチェルさんが目を覚ましてくれたから、ほっとしてしまって……。わたしみたいなミジンコに抱きつかれて不快でしたよね、すいません……」


 自虐を口にするマルティナを尻目に、レイチェルは少しだけ記憶が蘇ったようで、苦々しげに顔を歪めた。


「そうだ。あたし達、ヒノワグマに急襲されたんだったわ。それで、一旦退却をしようと思ったら、進んだ先が崖で……」


 怪我自体が綺麗さっぱり消えてなくなっていたので、先ほどまで瀕死の重傷を負っていたことまでは思い出せなかったようだ。レイチェルは、朧気ながらも自身に起こった出来事を振り返ると、その記憶を取っ払うかのように首を横に振る。そしてマルティナに対して頭をさげた。


「あんた達が介抱してくれたのよね? ありがとう、助かったわ」


「え?」


「なに意外そうな顔してんのよ。あんた、あたしのことを、助けられて礼のひとつも言わない薄情な人間だとでも思ってたの?」


「いえいえいえ! そんなことないですとも!」


 マルティナは慌てて否定したものの、じつは感謝の言葉をもらえるとは期待していなかったので、動揺して素っ頓狂な声になっていた。

 ふたりのやりとりを見守っていたエヴァンは、そんなマルティナの心情が手を取るようにわかったのだろう。くくくっと失笑を漏らしつつも、この後どうするべきか自身の意見を述べた。


「それじゃあ、レイチェルも目覚めたことだし、とりあえず一度テトラに戻ることにしないか? 無事だったとはいえ、きちんと医者に診てもらったほうがいいと思うしさ」


「そうしてもらえるとありがたいわ。すぐにでもあの熊野郎にリベンジしてやりたいところだけど、どうやら杖がなくなっちゃったみたいだし……」


「そういうことでしたら、まずはこの霧から出ることが先決ですね」


 そう言うとマルティナは、レイチェルに左手を差し伸べる。

 最初、レイチェルはその意味がわからなかったようだが、マルティナが反対の手でエヴァンの左手を握ったのを見て察したのだろう。頬を染めながらもマルティナの左手に自分の右手をからませる。


 こうして一行はエヴァンを先頭に、マルティナ、レイチェルの順で手を繋ぎ、濃い霧の中を歩き出した。


 レイチェルとこうして冒険を共にすることになるなんて、学生時代では考えられないことである。なんだか嬉しくなっていたマルティナは、苦手意識があったことも忘れてレイチェルに問いかけていた。


「そういえば、レイチェルさんのお仲間さんはどうされたんですか?」


「ああ、あいつらね……」


 レイチェルは不愉快そうにチッと舌打ちをする。

 その仕草でマルティナは自身が地雷を踏んでしまったのだと気づいたが、すでに手遅れだった。レイチェルが自身の仲間への不満を爆発させたのだ。


「最悪よ、あいつら。不意打ちだったとはいえ、ヒノワグマに襲われたときに散り散りに逃げて行っちゃったんだもの。情けないったらありゃしないわ。ていうか、あたしの指示通り動いてれば、あんな熊に後れを取ることなんてなかったはずなのに」


 どう反応していいのかわからず、マルティナは曖昧な笑みを返すことしかできなかった。

 それでもレイチェルの愚痴は止まらない。


「パーティーってのは役割ってものがあるわけじゃない? あたしは魔女で遠距離攻撃専門なんだから、あいつらがあたしの前で壁になってくれなきゃ、勝てるものも勝てないに決まってるじゃない――」


 一旦言葉を切ると、レイチェルはなにかを考えてからこんなことを言い出した。


「――そうだ! 一応助けてもらった恩もあるわけだし、あたし、あんた達のパーティーに入ってあげよっか? あいつらには今回の一件でとんと愛想が尽きちゃったからさ」


「それは――」


「ダメだ」


 不意に出た思わぬ提案に、マルティナがなんて答えるべきか考えようとするも、にべもなくエヴァンがそれを拒否していた。そして、歩みを止めると、ゆっくりと振り向き、レイチェルに真っ直ぐな視線を向ける。


「パーティーってのは、ひとりのミスは全員で背負わなければならない。つまり運命共同体なんだってことを、おれはマルティナに教わった。だからレイチェルの仲間が、たとえ失敗したり、逃げ出したりしたんだとしても、それはきみ自身の責任でもあるんだ。それに、いま現在きみの仲間はきみのことを心配して探しているかもしれないし、もしかしたらヒノワグマと戦っている最中かもしれない。それなのに、きみははぐれた仲間を心配するでもなく、責任を押しつけようとしている。おれは、そんな人を自分のパーティーに入れたくはない」


「なっ……」


 魔女の学校を学年トップの成績で卒業したレイチェルが、赤狼の牙でも引く手あまただったのは想像に容易い。だからこそ、ギルドに所属していない冒険者にパーティーへ加入することを断られるなんて思ってもなかったのだろう。プライドを傷つけられたと感じたのか、レイチェルは紺色のアイラインが引かれた目をつり上げていた。


「なに本気にしてんのよ、バッカみたい! あたしが、あんた達とパーティーなんか組むわけないでしょ。あたしの仲間は、赤狼の牙に所属できるくらい努力をしている人間じゃなきゃ相応しくないっての。あんた達みたいな自称冒険者なんか――」


 そう言い返しながらも、レイチェルはエヴァンの方を見て言葉を失っていた。


 それも当然だろう。エヴァンは、突然つないでいた手を放すと、ショートソードを抜き、大きく振りかぶりながらもレイチェルの方へと迫っていったのだ。

 しかし、そんな蛮行を目にしてもマルティナは動じていなかった。エヴァンの狙いに気づいたからである。だからこそ、驚いた様子で固まっているレイチェルを自分の元へと強く引き寄せていた。


 その刹那、エヴァンが振るったショートソードからガチンと硬い物が弾かれる音が響く。その硬い物の正体とは――体長2メートルほどある熊が振り下ろした爪であった。


 突如現れた熊が今回のターゲットであることはすぐにわかった。ヒノワグマの特徴と合致していたからだ。

 全体的に真っ黒な毛色ではあるが、お腹の一部だけ白い毛が生えそろい大きな輪っか状の模様になっている。これが金環日食のように見えることがヒノワグマの名前の由来だった。おそらく、レイチェルの返り血を浴びたためだろう。その特徴的なお腹には赤黒い汚れがこびりついていた。


「ひっ」


 ヒノワグマを眼前にして先ほど襲われた記憶が蘇ったのか、レイチェルはマルティナの腕の中で真っ青になって震えていた。


「ふたりは下がってろ! おれが相手をする」


 エヴァンはそう言ってショートソードを構え直すと、ヒノワグマと対峙する。

 だが、向かい合ってエヴァンの強さを感じ取ったのだろうか。ヒノワグマはくるりと踵を返し、霧の中へと身を隠してしまった。


「くそっ。やっぱり、こうも見通しが悪いとやっかいだな」


 後を追おうにも、この濃い霧の中ではそれも難しいようだ。エヴァンは周囲を警戒したまま、マルティナへと声をかけた。


「マルティナ、この霧なんとかできないか?」


「わかりました。やってみます!」


 即答したマルティナは、レイチェルを胸に抱いたまま両腕を前方に突き出す。そして、その手に強い魔力を込めた。

 すると周囲に強い風が吹き荒れる。近間の霧は、たちまちに晴れていき、マルティナを中心に半径三十メートルほどの視界が一気に開けた。


 ヒノワグマは――いた。再び奇襲を狙っていたのだろう。少し離れたところでマルティナ達の動きを観察していたようだったが、自身を隠していた霧がなくなったことに気づくとサッと逃げ出した。


「遅えよ!」


 エヴァンは、足下がぬかるんでいるとは思えぬスピードで駆けだすと、一瞬にしてヒノワグマへと追いついた。そして白刃をその首筋へと振り下ろす。

 エヴァンの腕もあってのことだろうが、お金を惜しまずに定期的に研いでいたかいもあり、彼の所持するショートソードの切れ味は抜群だ。岩のようなヒノワグマの太い首を、たった一太刀で切り落としてしまった。


 ヒノワグマに遭遇してから討伐まで、時間にしてわずか数分の出来事である。


 やっぱりエヴァンは、強くて、すごい冒険者だ。しみじみそう思っていると、あのレイチェルすらも「すごい……」と漏らしてるのが聞こえ、マルティナは誇らしく感じるのだった。

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