照らしたのは
エヴァンに引っ張られたまま市民街を歩き続け、いつの間にかふたりがはぐれた場所である大通りまで来ていた。
露店はすでにほとんど片付けられており、人の数もまばらだ。昼間の喧噪が夢幻だったのではないかと思えるほど辺りはすっきりとしている。
がらりと雰囲気が変わった大通りで、エヴァンは腕を掴んでいた手をようやく緩めると、マルティナへ謝罪の言葉を口にした。
「今日は本当にすまなかった。マルティナに不安な思いをさせちまってさ」
「いえいえいえ! わたしみたいな駄魔女になんて謝らなくっていいんですよ。そもそも、わたしの不注意ではぐれちゃったんですから、わたしの方こそごめんなさい」
マルティナはぺこりと頭をさげる。パーティーを組んでいれば、ひとりのミスはお互いの責任なんてキースに啖呵を切ったものの、己の失敗を省みないのは違うと思っていたので、この謝罪は必然だったといえよう。
ただ、申し訳ないという感情以上に、マルティナには気がかりなことがあった。
「……でも、キースさんとあんな別れ方をしてよかったんですか? 久しぶりの再会だったんですから、積もる話もあったんじゃないんですか?」
「いいんだって。兄貴にとっておれは厄介者だからさ。家柄を捨てて、冒険者になんかなった弟と関わりたくもないだろうしな」
「いえ、そんなことないと思います」
珍しくマルティナがきっぱりと否定の言葉を口にしたので、エヴァンは驚いた顔をみせた。
兄弟のことに赤の他人が口出しするべきではない。そうわかってはいても、マルティナは意見せずにはいられなかった。
「キースさん、言ってたんです。『ぼくは第二ゲートを壊したいんだ』って。市民の声に耳をかたむける政治を進めていきたいからって理由をおっしゃってくれましたけど、わたしはそれだけじゃないって気づいたんです」
「……それだけじゃないって?」
「エヴァンさんのためですよ。貴族じゃなくなったとしても、家に帰って来やすい状況にしてあげたかったんだと思います」
「そんな馬鹿な」
「もちろん、本人がそう言ったわけではありません。でも、わたしがこれまでの旅のことを話しているとき、キースさん、本当に嬉しそうに聞いてくれてたんですよ。それだってエヴァンさんの近況を知れたからだと考えれば納得いきます。キースさんは、エヴァンさんのことをずっと心配してたんですよ」
「兄貴が……おれを……?」
冒険者になった自分が近くにいては兄の体裁が悪くなると想って家へ近づくことをやめた弟。
弟が家に帰りやすくなるようにと想って貴族と市民との壁を取っ払おうとしている兄。
仲違いしているように見えた兄弟は、じつは影では互いを気遣っていたのだ。
第二ゲートでの兄弟のやりとりを見る限り、キースはエヴァンに対していつも厳しい態度で接していたのだろう。その兄が自分のことを気にかけてくれていたくれたと知り、エヴァンはどんな反応をすればいいのかわからないようだった。
だが、すぐに自嘲的な笑みを浮かべると、軽く首を横に振ってみせた。
「……マルティナは、おれと兄貴を仲直りさせたいんだろうけど、やっぱり無理だって。マルティナにはわからないだろうけど、おれと兄貴はずっと競い合っていたんだ。それを今更なかったことにはできないし、兄貴の前に立つとどうしたってこいつには負けたくないって感情に抗えないんだ。つまり、おれ達は永遠に分かり合えない兄弟なんだよ」
――マルティナにはわからない。
悔しいがエヴァンの言う通りだと思った。兄弟に限らず、人と人との関係性なんて、表面上はともかく、根っこの部分は当人同士でなければわからないものだろう。
だけど、わかることだってある。それを伝えるべく、マルティナは声を張り上げていた。
「そんなの――そんなのエヴァンさんらしくありません!」
あまりの大声に、エヴァンは驚き、戸惑っているようだった。それでも、マルティナは言葉を止めることはしなかった。
「わたしは、ふたりの仲にとやかく口を出せる立場じゃありません。でも、エヴァンさんのことなら、半年以上ずっと一緒にいるんで、ある程度はわかっているつもりです。わたしをここまで導いてくれたエヴァンさんは、そんな悲観的なこと絶対に言いません。いつだって明るく、自由で、いい方向へと物事を考えてました。だから――」
マルティナは考える。こんなときエヴァンならなんて言うんだろうか、と。
どんな人だって、ふつうに生活していれば、大なり小なり心にわだかまりを抱えているものである。エヴァンにとってのそれが、キースとの確執なのだろう。
心の重石になっていることに対して、なにかしらの行動を起こすのはとても勇気のいることだ。でも、その勇気は他人に強要されて振り絞るものであって
はいけない。
それはエヴァンが教えてくれたことだった。落雷の塔を出ることになったときも、楔を修復をすることになったときも、エヴァンは決して無理強いをしたわけではない。いつだって、こちらの意志を引き出してくれていたのだ。
とはいえ、自分がエヴァンのように相手の気持ちを引き出せるほど雄弁ではないことをマルティナは自覚していた。それに、キースとの確執は、いかなるときもポジティブだった彼を、ここまで消極的にさせてしまうのだ。どんな言葉を投げかけたところで、そう簡単に勇気が湧くものではないだろう。
だからこそマルティナは言った。
「――いつかでいいじゃないですか」
「いつか……」
「はい。いますぐじゃなくたっていいんですよ。お互いがお互いを想い合っているんですから、また会う機会はきっとありますし、いつか仲良くできる日がくると、わたしはそう思ってます。だからエヴァンさんも、永遠に分かり合えないなんて悲しいこと言わないでください」
マルティナは、以前エヴァンからもらった言葉を、少しだけ変えて送り返していた。この言葉は、一聴しただけではとても無責任に聞こえるだろう。
実際に、この発言通りに行動したところで、問題を後回しにしているだけで、根本はなにも解決しない。だけど、無理だと切り捨てて諦めるくらいなら『いつか』でいいから達成させようと漠然とした目標を立てておくほうがずっといいと思ったのだ。
エヴァンみたいに、他人を照らし、導くような的確な助言はできていないかもしれない。それでも、いまのマルティナにとって、これが最大限のポジティブなアドバイスだった。
「……」
しかし、マルティナの言葉を受け取ったエヴァンは押し黙ってしまう。
その姿を見て、マルティナは途端に恐れ多くなっていた。自分程度の人間がなんて厚かましいことを言ってるのだろうと、申し訳なく感じていたのだ。
「す、すいませんでした! エヴァンさんにはいつもお世話になっているというのに、わたしみたいな、惨めなほどみっともないミジンコ魔女もどきのマルティナ――略して
慌てて謝罪するも、その様子を見ていたエヴァンはぷっと吹き出した。そして、堰を切ったようにゲラゲラと大笑いし始める。
これにはマルティナもツッコミをいれずにはいられなかった。
「な、なんで笑ってるんですか!?」
「だって、めちゃくちゃいいこと言っていると思ってたのに、最後がそれじゃあ締まらないじゃんか。でも、まあ、それがマルティナらしいってことなのかもしれないな」
褒めているのか、貶しているのか、よくわからない評価を下しながらも、エヴァンの顔は憑きものが落ちたかのようにすっきりとしていた。
「だから、おれもおれらしくあるよ。マルティナの言うとおり、うじうじしているのは全然おれらしくないもんな」
「エヴァンさん……」
「正直、いまはまだ心の整理がつかないけど、いつかきっと兄貴と分かり合える日が来るって、そう思うことにする。そのときはマルティナも一緒についてきてくれるか?」
そう言うとエヴァンはニカッと白い歯をみせる。
光が差したかのように、胸の内側がぽおっと暖かくなった。彼の笑顔はいつだって周囲をも明るくしてくれるのだ。
やっぱりエヴァンはこうでなくちゃ。
そう思ったからこそ、マルティナは「もちろんです!」と即答していた。
「そうだ! わたし、お屋敷で生命の宝玉っていう名前のすっごい貴重な宝石を見せてもらったんです。いつかでいいので、それをわたしとエヴァンさんとキースさんの3人で一緒に見ましょうよ」
「お! 兄貴にあの琥珀を見せてもらったのか? おれも屋敷にある宝石コレクションの中であれが一番好きだったんだよなぁ」
感慨深げにうんうんとうなずくと、不意にエヴァンは遠くの方を指さす。
「ほら、ちょうどあんな感じの色なんだよな」
その方向を見て、マルティナは思わず「あっ」と声を漏らした。ずっと引っかかっていた疑問が氷解したためである。
――生命の宝玉を見て、どうしてエヴァンを連想したのか。
それはどちらも太陽に似ているから。生命の宝玉はその形状が、エヴァンは朗らかで明るい性格が、どうしたって太陽を想起させるのだ。
オレンジ色に染まった夕日を見たマルティナは、自分にとっての太陽が輝きを失わずに済んだことを嬉しく思うのだった。
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