壊したい壁


 驚きだ。

 ちらりと見えたマントの下の衣服や、堂々とした立ち振る舞いから、キースはどこかの資産家のお坊ちゃんなのかもしれないとは思っていた。だが、実際はマルティナの想像以上だった。


 キースはマルティナを自宅へと招待してくれたのだが、なんとそこは貴族街だったのだ。

 しかも、彼が足を止めたのは、豪華な建物が並ぶ貴族街の中でも一際大きなお屋敷の前だった。それだけでも驚きだったのに、屋敷の中には執事やメイドが数十人もいて、その全員が玄関ホールで頭を下げて出迎えてくれたので、マルティナは思わず身がすくんだ。

 その緊張が緩む間もなく応接室に通されたのだが、そこでも落ち着くことはできなかった。ふかふかのソファーに腰掛けたのはいいが、ほとんどの家具に金色の装飾が施され、天井からはシャンデリアがぶら下がるその部屋は、貧乏旅にすっかり慣れてしまっていたマルティナには色々と眩しすぎたのだ。


 テーブル(これまた縁が金色に装飾されている)を挟んで向かいに座ったキースは、メイドが運んできたミルクティーを優雅に一口飲むと、ふっと目を細めた。


「どうしたんだい? なんだか緊張しているみたいだけど」


「だって、まさかキースさん――いえ、キース様が貴族で、なおかつその中でも最も位の高い公爵様だとは思ってなかったんですもの……」


「ははは、べつに驚かすつもりはなかったんだけど、なんだか言いそびれちゃってね。それから、ぼくのことはキースさんでいいよ」


「え、でも……」


 たしかにキースとは歳も近そうだし、お高くとまったイメージの貴族とは思えないほど接しやすい。それでも、ウィギドニアで身分の違いというものは中々大きく、いくら気取らない性格だとはいえ、貴族の方を「さん」付けで呼ぶのは気が引ける。しかし、その旨を伝えても、キースは頑なに「様」付けで呼ぶことを認めてくれなかった。

 ここで意見を押し通して「様」付けで呼んでしまっては、かえって無礼にあたるのではないか。ちょっとした押し問答を続けた後、そう考えたマルティナは、仕方がないので自分の方が折れることにした。

 呼称が「キースさん」に落ち着くと、マルティナの緊張も少しだけ解けていた。そうすると客観的に物事も見ることができようになり、改めて自分がこの場にそぐわない人間のような気がしていた。


「キースさんに言われるがまま付いてきてしまいましたけど、わたしなんかが貴族街に入ってしまって本当によかったんでしょうか。キースさんが隣にいるとはいえ、このお屋敷に来るまでにすれ違った他の貴族の方々から、なんだか白い目で見られていた気がします……」


「そんなこと気にしなくていいって。きみは不法侵入したわけではなく、正式な手続きを踏んで貴族街に入ったんだからさ」


 貴族街の中に入るための検問は第一ゲートの比ではなかった。キースは簡単な手荷物検査だけで通過できたようだが、公爵の連れであったとしても、しがない冒険者という立場のマルティナは、兵士から執拗な身体検査を受けた(もちろん担当したのは女性の兵士ではある)のだ。厳しい検問だとは聞いていたが、さすがにローブまで脱がされ、素っ裸にされるとはマルティナも思ってはいなかった。


「だけど、第二ゲートの検問はやり過ぎだとぼくは思うよ。しかも、王族や貴族はほとんど顔パスなのに、それ以外の人間は厳重にチェックするんだから質が悪い。すまないね、マルティナも気分を害したろう?」


「いえ、仕方ないことですから、なんにも気にしてないですよ。そもそも、わたしみたいなみっともない魔女が、貴族の方々が住まう街に易々と入れたらそっちの方が問題じゃないですか」


「……」


 キースは言葉を返すことなく、童顔をくしゃりと歪ませ、しかめっ面を作った。


 な、なにか気に障るようなことを言ってしまっただろうか?


 自身の発言で人の――それも公爵様の機嫌を損ねたのだとしたら、あまりにも決まりが悪い。マルティナは慌てて話題を変えていた。


「そ、そういえば、貴族の方は貴族街から外にはあまり出ないって聞いてたんですけど、キースさんはどうして市民街にいらしたんですか? そのマントも市民街に溶け込むために羽織っていたんですよね。そこまでして行きたいところでもあったんですか?」


「……ぼくはね、壁を壊したいんだ」


「壁……ですか?」


「ああ。先ほどの話に通ずるところもあるんだが、ぼくは市民街と貴族街の間にそびえ立つ第二ゲートは不要だと思ってるんだ」


「ええ!? どうしてですか? あれだけしっかりした警備があるからこそ、この国の中核が守られているんだと思いますけど」


「その通りだと思うよ。だけど、守られている貴族達は一般市民の暮らしなんかなにも知らないんだ。それなのに、その貴族が執り行う国政によって市民の生活が左右されてしまう。そんなのおかしいだろう? だけど、民の声に耳をかたむけようにも、あの第二ゲートが文字通り壁になってしまっているんだ」


 なにやらスイッチが入ってしまったようで、キースはソファーから立ち上がると演説のように熱がこもった口調で話し続ける。


「ウィギドニアがいま以上に発展するためには国民の力が不可欠なのは間違いない。なにせ貴族はもちろんのこと、この国のトップである王族だって、国民の税や貢ぎ物で生活しているんだからね。だから、ぼくだけでもマドベル市民の暮らしをしっかり調査した上で、国が――いや、国民が向上していくための政策をかかげていきたいんだ。そのために、時折このマントを羽織って、ひとり市民街へと赴いて調査をしているってわけさ」


「す……素晴らしいです!」


 マルティナは自然と手を叩いて喝采をあげていた。無知ながらもこの国の体制に多少の疑問を感じていたが、こんな考え方をしてくれる貴族の人がいるのならば捨てたものじゃないと思えたのだ。

 キースは照れた素振りをみせることもなく、マルティナの拍手に片手をあげて応えると、なにごともなかったかのように再びソファーへと腰を下ろす。そして、なにか思い出した様子ではっと顔をあげると、こんな提案を口にした。


「そうだ。マルティナは冒険者なんだろ? よかったら、いままでどんなところへ行ってきたのか聞かせてくれないか? 壁を壊したいなんて偉そうなことを言ってはいたが、ぼくはマドベルから出たことはほとんどないから、ウィギドニアの他の町村はいったいどんなところなのか教えてほしいんだ」


「え、でも、わたし、いつもエヴァンさんの足手まといになってるだけの駄魔女ですし、そんな人間の話を聞いたところで、なんの実りもないと思いますよ。マドベルにならもっと優秀な冒険者がいるでしょうから、そういった人達にお願いしたほうがいいんじゃないでしょうか」


「いや、ぼくはマルティナの話を聞きたいんだ」


「……そうなんですか? キースさんがそこまでおっしゃるのなら、わかりました」


 冒険者とはいっても、エヴァンと旅を初めて一年にも満たない。そんな経験の浅いひよっこの話が、キースの役に立つのかは疑問だ。それでも、恩人が是非というのであれば断る理由はないだろう。

 マルティナは自身が体験したこれまでの冒険を語り始めた。


 絶景を見ることを目的として旅をしていること。

 蒼天の洞窟に始まる、数々の素晴らしい景色のこと。

 もちろん一緒に旅するエヴァンのこともだ。


 キースは、そんなマルティナの話を相づちを打ちながら熱心に聞いてくれた。やはりマドベルより外のことを知る機会はあまりないのだろう。その顔はすごく嬉しそうにみえた。

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