迷子のマルティナ


 エヴァンとはぐれてしまったマルティナは、途方に暮れていた。

 とにかくエヴァンを探さなくてはいけないとは思う。だが、こんな大人数の中から、どうやって特定の人物を見つければいいのか皆目見当もつかなかったのだ。


 こういった場合、むやみに動き回らないほうがいいのはわかっていた。しかし、人の往来が激しいところで突っ立っていると、どうしたって迷惑がかかってしまう。周囲から白い目を向けられ、マルティナは居たたまれない気持ちになってしまい、人混みの波に乗るかのようにその場を後にしてしまっていた。

 しばらく流れに身を任せてとぼとぼと歩いていると、いくつかの脇道を見つけたので、そのひとつにすべるように入り込んだ。


 横道にそれただけだというのに、そこは大通りとだいぶ雰囲気が違っていた。数こそ少ないが、細い道の端にはいくつかの店が出ているし、人影もちらほらと見かける。だが、並んでいる品は、冒険者御用達の武器や、マルティナにはまるで価値がわからない骨董品などが売られており、ずっと専門的な物が目立つ。道行く人々も、大通りに比べてどこか隙がないように感じた。


 さて、これからどうしたらいいだろう……。


 とりあえず人混みから抜けることができたので、ようやく今後のことを落ち着いて考えることができる――そう思った矢先のことだった。

 背後からドンと人がぶつかったかと思うと、ガシャンとなにかが割れる音がしたのだ。何事かと振り向いて確認すると、すぐ後ろにスキンヘッドの男が立っており、その足下には淡い青色のなにかの破片が散らばっていた。


「おいおい、なんてことしてくれたんだよ!」


 スキンヘッドの男は怒りを露わに眉をつり上げている。そして、紅潮した顔をマルティナにぐいっと近づけると、唾を飛ばしながら怒鳴りつけた。


「あんた、この皿がどれくらい高価な物かわかってるのか!? 20万! いや、30万はくだらない代物なんだぞ!」


「あ……え……?」


 突然の出来事にマルティナは、なにが起こったのか理解できずにうろたえることしかできない。その間もスキンヘッドの男は声を張り上げ続けた。


「どうしてくれるんだ! あんたがぶつかってきたせいで割れちまったんだから、ちゃんと落とし前くらいつけろよ!」


 そこまで言われて、マルティナはようやく自分の置かれている状況を把握する。自分はいま、この男に金品を要求されているのだ。

 たしかに考え事をしながら歩いてはいた。しかし、スキンヘッドの男の方から背中にぶつかってきたのは間違いない。それなのに、すべてこちらに非があるように言われるのは心外である。

 反論を試みようと「ですが……」とおそるおそる口を開いてみたマルティナだったが、男はそれを許さなかった。


「ですがもヘチマもねえんだよ! あんたとぶつかって、この皿が割れたのは紛れもない事実。その割れた皿を弁償するなんて当たり前のことだろ! そんな常識も知らないのか!?」


「す、すいません……」


 絶え間ない怒号にさらされ、マルティナはたまらず謝ってしまっていた。しかし、弁償するにしても30万なんて大金は持ち合わせていない。活力の実ならその何十倍の価値はあるものの、フェリアとの友情の証を手放すなんて選択肢はマルティナの脳裏によぎることすらなかった。

 スキンヘッドの男の方も、自分が怒りをぶつけている魔女がとても裕福そうにはみえないと思ったのだろう。見下すような眼差しを向けた後に、下品に口元を緩めながらマルティナの手首を掴んだ。


「でも、あんた見たところ貧乏そうだな。ま、それなら仕方ない。あんたは女で、おれは男だ。金なんかなくても簡単に弁償できる方法はあるってもんだ。そうだろ?」


 男の言わんとしていることを察したマルティナは「ひっ」とか細い悲鳴をあげていた。しかし、そんな小さな抵抗でこの窮地を脱せるわけもなく、男はマルティナを人気ひとけのない路地裏へと連れ込もうとしてくる。

 このまま自分は慰み者にされてしまうのだろうか。そんなのは絶対にイヤだ。誰か助けて――


「――待ちたまえ」


 間一髪のところで、突如ふたりの間に割って入ったのは、金色の髪に透き通るような碧眼が特徴的な青年だった。20代――あるいはまだ10代だろうか。子供っぽさが残る顔だけが出るように質素なマントを羽織っている。しかし、スキンヘッドの男を引き離すとき、マントの下から一般市民では到底手の届かなそうな高そうな紳士服がちらりとのぞき見えたので、もしかすると裕福な家の人なのかもしれない。


「なにがあったかは知らないが、レディーに手荒なまねをするのはよろしくないな」

 青年はあどけない顔立ちとは裏腹に、威厳のある口調で男をいさめた。


「なんだお前は? おれはこの女に30万もする皿を割られたんだぞ。それを弁償してもらおうってだけの話だから、お前には関係ないだろ?」


「ふむ……」


 事情を聞いた青年は少し考えた素振りをみせてから、地面に散らばった陶器の破片を指さした。


「もしかして、30万の皿っていうのはこれのことかい?」


「ああ、そうだよ。それをこの女が――」


「そいつは嘘だ」


「な、なにが嘘だってんだ!? 事実、こいつとぶつかったせいで皿が割れたんだぞ」


「ぼくが嘘だと言ったのはそこじゃない。この皿が30万もするというのが嘘だと言ったんだ。ぼくはこう見えても骨董品に関しては多少の造詣があってね。この皿の本当の価値もだいたいわかるよ」


「うっ……」


「もちろん、ぼくの審美眼が狂っている可能性もあるだろう。だから正確を期するため、鑑定士にでも見てもらうのがいいんじゃないかな? ただ、鑑定の結果、この皿が粗末な物だとわかったら、きみは牢屋に入ることになるかもしれないがね」


 青年がそう言い終える前に、スキンヘッドの男はしかめっ面を作ると、舌打ちを残してそそくさとその場を去っていた。


 絶体絶命のピンチだったはずなのに、あっという間に解決してしまった……。


 呆然としているマルティナに対して、青年は優しい口調で尋ねる。


「きみ、怪我はなかったかい?」


「……え、あ、はい! 大丈夫です!」


「そうか、それはよかった。この辺は上京したばかりの人を狙って詐欺や恐喝をする輩が多いんだ」


 やっぱり赤の他人にも自分は田舎者に見えるのか。軽くショックを受けつつも、マルティナはぺこりと頭をさげた。


「あなたのおかげで助かりました。ほんっとうに、ありがとうございます」


「いやいや、気にしないでくれたまえ。……しかし、この辺りはレディーひとりで歩くにはオススメしないな。きみも少し不注意だったと思うよ」


「そうですよね。すいません……」


 体を縮こまらせて謝罪の言葉を口にすると、マルティナは自分の境遇を語った。


「じつはわたし冒険者なんですけど、わたしがドジで間抜けなせいで、エヴァンさん――連れの方とはぐれちゃったんです」


「ほう……」


 冒険者だということが信じられなかったのだろうか。青年はなめ回すような視線を向ける。しばらくそうした後に、納得した面持ちでひとりうなずくとマルティナに問うた。


「きみ、名前は?」


「え? マルティナっていいますけど……」


「ぼくはキースだ。よろしく」


 キースと名乗った青年は片膝をつきながらも深くお辞儀をする。その仕草があまりにも仰々しく、マルティナはお芝居でも見ているかのように感じた。


「それでマルティナは、連れと連絡をとる方法や、はぐれたときの待ち合わせ場所なんかは決めてあるのかい?」


「いえ、それがまったく決めてなくて、どうやって探せばいいか悩んでいたところだったんです」


「そうか。それならぼくが力になろう」


「え!? 本当ですか?」


「ああ。ぼくと一緒に来てくれれば、早ければ今日中には連れと再開できると思うよ」


 そう言うとキースは、すっと左手を差し出す。どうやらエスコートしてくれるようだ。

 しかし、マルティナは躊躇してしまう。キースとは出会ったばかりで、まだ何者なのかすらわかっていない。それなのに信用していいのか不安だったのだ。

 とはいえ、ピンチを救ってくれたキースのことを信じないのは失礼にも思えた。なにより、エヴァンを探す手がかりがまったくない状況で、この申し出は正直なところありがたい話でもある。


 だからこそマルティナは、最終的には自然とキースの手をとっていた。

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