楔と心の修復作業


 チクチクと体の内側をつつかれているような痛みが走る。

 いままで旅の中でいくつかの絶景を目にしてきたが、ここまで胸が苦しくなる光景を見たのは初めてだった。それは、なにも周囲の倒壊した建物や、ダークネスドラゴンの瘴気ばかりが理由ではない。


 動くこともできずにいるドラゴンを見て、マルティナは悟ってしまったのだ。やっぱり自分みたいな魔女もどきが母のようになれるわけがなかったんだ、と。

 母は、こんな強大なモンスターですら封印してしまったのだ。自分のようなミジンコにそんな力はない。つまり、母のようになりたいなんてただの夢物語でしかなかったのだ。


 ずっと憧れていた母の背中が一気に遠のいた気がして、マルティナはすっかり落ち込んでいた。なんだか急にすべてがどうでもよくなってしまい、ただぼーっとしながら、グレンダの黒く大きな功績を眺めていた。


 そんなときである――


「マルちゃん、大変だよ!」


 ダークネスドラゴンの周りをぐるりと一周してきたフェリアが駆け足で戻ってきたのだ。のんびりとした性格の彼女には珍しいことだった。


「そんなに血相を変えて、どうかしたんですか?」


「いいからちょっと来て! エヴァンさんも!」


 フェリアは、この場所のことを手帳に書き記していたエヴァンにも声をかけると、ふたりをダークネスドラゴンの背後へと案内する。そして、五芒星の先端箇所に打ち込まれているくさびのひとつを指さした。


「ほら見てよ、これ。く、楔が……ヒビ割れてるの!」


 フェリアの言うとおりだった。2メートルほどある十字架状の楔をよくよく注視すると、根元の部分に10センチほどのヒビが入っている。

 マルティナも事の重大さに気づき、思わずはっと息を呑んだ。


「これは一大事じゃないですか! え、ええっと、ほかの楔は大丈夫なんですか?」


「うん……。わたしが見た限りでは、ヒビ割れていたのはここだけで、ほかの4つは平気みたい」


 被害はひとつということや、ヒビの大きさなどを考慮しても、何者かが故意に楔を傷つけたというわけではなさそうだ。おそらく経年劣化のために自然とできたものだろう。

 ただ、ヒビの入った箇所が根元だったのがまずかった。楔に込められた魔力が、そこからどんどん漏れ出てしまっているのだ。この様子だと、楔に込められた魔力は半月もしたら底をついてしまいそうだった。


「フェリアさん、次に楔に魔力を補充する日はわかりますか?」


「以前に国の専属魔女が来たのは1ヶ月ほど前だったから、次は2ヶ月後になっちゃうよぉ」


「徐々に魔力が漏れているみたいですし、2ヶ月は到底持ちそうにありませんね……」


「いますぐ国に報告しても、2週間くらいかかっちゃうと思うけど……」


「微妙な時間ですね……」


「だよねぇ……」


 魔女ふたりが深刻そうに話しているのを見て、エヴァンはきょとんとした顔をしている。


「ヒビが入っていることがそんなにヤバいことなのか?」


「ヤバいってもんじゃないですよ! 楔のひとつでも壊れたり、魔力が尽きたりしたら、封印の力が弱まっちゃうんですよ! それはつまりダークネスドラゴンが再び暴れ出しちゃうかもしれないってことなんですから!」


 目の前の巨大なドラゴンが動き出したら……。考えただけで足がすくむ。

 30年前の英雄達が倒すことができなかった相手に、自分達が勝てるわけがない。それどころか、暴れ出したダークネスドラゴンを再び封じることのできる魔女が、いまの時代にいるのかさえ疑問だ。

 マルティナは国の存亡に関わるほどの危機だと言うことを熱を込めて説明するも、エヴァンは相変わらずピンときていない様子で口をへの字に曲げている。


「まだ楔にヒビが入っているだけで、壊れているわけじゃないんだろ? じゃあいまの内に直せばいいんじゃねーの?」


「ですから、直すにしても、国の専属魔女が来るまで少なくとも2週間はかかっちゃうんですよ」


「いやいや。魔女ならすぐ近くにふたりもいるんだから、2週間も待つ必要なんかなくないか?」


「えっ……」


 エヴァンの言っていることを理解するまで10秒ほど時間を要した。マルティナにとって、それほどまでに衝撃的な話だったのだ。

 フェリアにとってもそれは同じだったようで、エヴァンの発言に目を剥いていた。


「まさかエヴァンさんは、わたしやマルちゃんにこの楔を直せって言ってるんですか!?」


「まさかもなにもそれが一番自然じゃないか? この封印術は魔女にしか直せない代物で、ここに魔女がいるんだからさ」


 胸の内側の痛みがチクチクからズキズキへと変わっていた。


 原因はエヴァンの眼差しだ。その眼差しは、学生時代に嫌というほど味わった、期待を孕んだ眼差しそのものだった。

 消極的なマルティナが、この旅をいままで続けてこれたのは、エヴァンがグレンダの娘という肩書きを気にしないでいてくれたのが大きかった。彼がこの旅路で母のことを口にしなかったからこそ、マルティナは重圧を感じることなく、当たり前のように魔法を使うことができていたのだ。


 母の話題を出さないでいてくれたのは、エヴァンが気を遣ってくれているものだとばかり思っていた。でも、本当は眠っていて話を聞いていなかったから、その事実を知らなかっただけなのだ。

 グレンダの娘だと知ったいま、エヴァンですらもこうして過度な期待をしてしまう。その事実がなんだか無性に悲しかった。


 そんなマルティナの思いを察してくれたのだろう。フェリアが気持ちを代弁してくれた。


「ちょっと待ってくださいよ。エヴァンさんは、この封印術がどれほど高度なものかわかってないからそんなこと言えるんです。この封印術は伝説の魔女であるグレンダさんが施したんですよ? 直すだけとはいえ、そんなことできるのは国の専属になるレベルのすごい魔女じゃなきゃ無理なんです。それに、それをマルちゃんに頼むのも酷だと思います。マルちゃんはグレンダさんの娘ではありますけど、学生時代からそれがずっと重石になってたんですよ? それなのに、エヴァンさんまで伝説の魔女の娘だからって、プレッシャーを与えるなんてマルちゃんが可哀想じゃないですか」


 とうとうと語るフェリアであったが、エヴァンはまったく理解できていないようで、しきりに首をかしげている。そして、フェリアがしゃべり終えたのを確認すると、ゆっくりと口を開いた。


「いや、いま言っていたことって、この状況でまったく関係なくね? マルティナのお母さんがこの封印を施したとか、ふたりがグレンダほどすごい魔女じゃないとか、直すのは国の専属クラスの魔女じゃなきゃ無理とか、全部なんの意味もない話じゃん。いまこの封印術は壊れかけていて、それをすぐに直せる可能性があるのは現状ふたりしかいないんだろ? じゃあ、とりあえずでいいからやってみればいいじゃん、っておれは思ってるだけ」


 その言葉を聞いてマルティナはようやく気づいた。エヴァンは以前となにも変わってなんかいないということに。


 たしかにエヴァンはいま期待の眼差しを向けている。だけど、それはグレンダの娘としての期待ではなかった。魔女としての自分に期待してくれているのだ。

 そもそも、エヴァンはグレンダの娘と知る前から、マルティナのことを「すごい」と称してくれていた。初めからマルティナ自身のことを認めてくれていたわけである。

 視線の向こう側に母がいないとわかったからこそ、マルティナはエヴァンの海のような瞳を真っ直ぐに見返して、力強く答えていた。


「……わかりました。わたし、やってみます!」


「マルちゃん、本気なの……? 万が一でも悪化させたら、ただじゃすまないってわかってるの?」


「はい。ですから、フェリアさんにも手伝ってほしいんです。わたしひとりだったら、そんな大それたこと挑戦してみようとも思えないですけど、フェリアさんと一緒ならチャレンジする勇気がわくんです」


 伝説の魔女の娘としてのものではないとはいえ、期待されていることには緊張する。それでも、いまはそのプレッシャーをひとりで背負い込むわけではない。信頼できる友人が隣にいることが、マルティナの心を奮い立たせていたのだ。


 いつになく強気なマルティナに、フェリアも気圧された様子でこくりとうなずいた。


「……わかった、そこまで言うならわたしも手伝うよ。だけど、どうなっても知らないからね」


「よし、そうこなくっちゃ!」


 ふたりが楔の修復を試みる決意を固めると、エヴァンは嬉しそうに親指を立てた。


「で、具体的にどうやって直すんだ?」


「直す方法そのものは単純明快です。この楔は魔力で作られたものなので、修復したい場所にピンポイントで一気にたくさんの魔力を込めれば、共鳴して直るはずです。もちろん、相当な魔力が必要になりますけど……」


 そう説明すると、マルティナは腰をかがめて手を、フェリアは杖の先端を、それぞれヒビ割れ箇所にかざす。そして、ふたり同時に魔力を込め始めた。

 修復作業を始めてすぐに、手のひらが燃えているかと思うほど熱くなる。勢いよく魔力を放出させたためだ。


 魔女にとって魔力は血のようなもの。これほどまでに一度に大量の魔力を使った経験がなかったマルティナは、くらりと意識が遠のきそうになる。

 それでもなんとかふんばり魔力を放出し続けるも、だんだん視界も黒く染まっていき、チカチカと星のような小さな光の粒がまたたいてみえてきた。


 ああ、やっぱりダメだった。どんなに頑張ってみても自分みたいな駄魔女が母のようになれるわけがないんだ。

 意識が朦朧もうろうとしてくるにつれ、そんな諦めの感情がどんどん膨らんでいく。そして、あとはこの黒い世界に身を任せてブラックアウトするだけだと、マルティナは真っ暗な視界に漂う光の粒が消えるのを待った。


 どのくらいそうしていただろうか。時間の感覚もわからなくなり、ふにゃふにゃと思考までが揺らぎ始めたころ、ふとじっと見つめていた瞬きがある物に似ていと感じた。


 ――蛍だ。しかも、ただの蛍ではない。その仄かな赤みを帯びた光は――


「マルティナ、頑張れ!」


 完全に意識を失う一歩手前で、ふと耳に入ったのはエヴァンの声援だった。視界が晴れ、はっと我に返ったマルティナは、自分が魔力を注いで楔を直している最中だったことに気づく。


 おそらく実際に朦朧としていたのは数十秒程度だったのだろう。意識を取り戻した前と後では、なにも変わっていないように見えた。

 だが、マルティナの心の内はまるで違っていた。とても大切なことを思い出していたのだ。それはいまの自分が目指している目標のこと――


 いつの間にか、先ほどからずっと感じていた胸の痛みがなくなっていた。チクチクやズキズキの代わりに胸に残ったのは、ドクドクと小気味いいリズムで鳴り響く心臓の鼓動と、心地のよい緊張だった。


 気持ちを新たにしたマルティナは、再び最大限の魔力を放出する。手のひらが溶けてしまうのではないかと思うくらい熱くなっていたが、少しでも現在の自分の目標に近づけるようにありったけの魔力を楔に注ぎ込んだ。

 すると、いままでの苦労が嘘のように、楔のヒビがすうっと消えていった。


「え、本当に直った……?」


 隣のフェリアが唖然としていた。目の前の出来事が夢なのではないかと思っているようで、自分のほっぺをギュッとつねって現実かどうかを確認している。

 マルティナも同様に、修復できた喜びよりも、驚きのほうが大きかった。エヴァンに言われたこともあって挑戦こそしてみたものの、最上級の封印術をここまで綺麗に直せるとはまったく思ってなかったのだ。


「おー! やったじゃん! ほら、完全にヒビが消えてるぞ」


 実際に作業をしていたマルティナ達よりも、ふたりのことを信じていたのだろう。エヴァンだけは、この結果に驚き以上に喜びを感じたようで、手を叩いてはしゃいでいた。

 そんなエヴァンの様子を見て、マルティナは思う。

 以前エヴァンと一緒に見た茜蛍に、自分も少しは近づけたのかな、と。

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