母のように


 マルティナには、伝説の魔女と呼ばれていたグレンダのすごさを実感する機会はほとんどなかった。なにせ父と結ばれた時点で、母の体内の魔力は枯渇してしまったのだ。その娘であるマルティナが、彼女の魔法を見るのは不可能ということである。


 幼いころのマルティナにとって、グレンダは少しおっちょこちょいだけど、無口な父にべったりな一途で陽気な母という印象だった。

 ただ周りの評価はまるで違う。魔女の町に住んでいる他の元魔女達は、まるで神聖な存在であるかのように母を敬い、一目置いているのは明らかだった。


 元魔女だけではない。母はとうに引退しているというに、マルティナの家にはグレンダに会いに来たという現役の魔女がひっきりなしに訪れ、魔法の教えを乞うたり、サインを求めたりしたのだ。

 だけど母は、すでに魔法が使えなくなった人間から教えを受けるべきではないと、そんな願いをいつも丁重に断っていた(サインにはノリノリで応じていたが……)。

 そんな現場を目撃するにつれ、マルティナはいつか自分も母のようにならなくてはと気負うようになっていたし、周囲の人々も「お母さんのようになるのよ」と期待を向けていた。


 しかし結果は散々だった。母のようになるどころか、学校では落ちこぼれとなり、自虐を言うことでしか自分の精神を保てなくなってしまったのだ。

 ところが、グレンダは娘の成績を嘆くことはなかった。それどころか「お母さんは一応それなりに有名な魔女だったから、立場的にマルティナを魔女の学校に通わせなきゃダメだったけど、あなたは自分の好きなように生きればいいんだからね」といつも言ってくれたのだ。

 そのため、マルティナは家で自虐を言ったことはなかった。自虐は過度な期待から自分を守る防具だったから、母の前ではそんなもの不要だったのだ。だからこそ、重たい鎧を脱ぎ捨てることができる自宅は、マルティナにとって安住の地だといえた。


 だが歳を重ねるにごとに、よりネガティブな思想にとらわれるようになると、グレンダの想いすらも疑ってかかるようになってしまう。

 母が成績についてあれこれ言わないのは、きっと自分がこんな出来損ないだから見放されてしまったんだ。そんなひどく悲観的な考えにまで至ってしまい、さらに気持ちがふさがる悪循環におちいっていた。

 鬱屈とした日々を送っていると、いつかは感情が爆発してしまうものである。マルティナの場合、そんな爆発が起こったのは、魔女の学校を卒業して、掟として町を出て行かなくてはいけなくなった日の朝のことだった。


「わたし、イヤだよ……。町を出て独り立ちするなんてさ」


 マルティナは、家から送り出そうとする両親に初めて自虐をぶつけていた。


「わたしは、お母さんみたいになりたいってずっと思ってた。だけど、わたしみたいな駄魔女には、やっぱり無理なんだよ……」


 そんなマルティナに対して、グレンダははっきりとした口調で励ました。


「大丈夫よ。マルティナなら、きっとお母さんのようになれるわ。だから自信を持ちなさい」


「そんな……そんなわけない! わたしは、伝説の魔女の娘だっていうのに、魔法の才能もなく、いっつも学年で最下位の成績だったんだよ!? それなのに、お母さんみたいな魔女になれるわけないじゃん!」


 娘から胸中にくすぶっていた想いを吐露され、伝説の魔女も動揺したのだろうか。母はおびえた子供のように、隣に立つ父の腕にぎゅっとしがみついた。

 無口な父はなにも言わなかった。しがみつく母の手を無言でそっと握り返すだけだ。

 それでも一途な母には十分に心強く感じたのだろう。一転して、にこりと優しい笑みを浮かべたかと思うと、小さく首を横に振る。


「違うわ。魔女とか魔法とか、そんなことどうでもいいの。でも、お母さんみたいになりたいなら、マルティナはこの町から出なくちゃいけない。そうすれば、きっとあなたにもわかるはずだから」


「……わかるって、なにが?」


「それは――自分で考えなさい」


 グレンダはそれ以上は質問に答えず、有無を言わさずマルティナを追い出した。それは、穏やかな性格の母が初めてみせた毅然とした態度であり、マルティナは驚きを隠せなかった。

 ただ、それ以上に気になっていることがマルティナにはあった。


 いったいどういうことだろうか。いままで母を目指して自分なりに頑張ってきたつもりだが、母曰く魔法なんか気にしなくてもいつか母のようになれるらしい。

 だけど、伝説の魔女のようになるには魔法は不可欠じゃないか。魔法なしで母のようになるなんてあり得ない。


 ――そうなると、母の言っていたことは、娘を追い出すためのその場しのぎの嘘だったのだろう。


 そう結論づけたマルティナであったが、心の奥底では未だに母の言うことを信じ、本当にいつか自分も母のようになれるのではないかとひそかに思っていた。

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