見つけた目標


 はたしてそこに泉はあった。


 直径は20メートルない程度でそんなに大きくはない。

 周囲には草花も咲いており、だだっ広い荒野の中でこの場所だけ異質だ。

 暗くて姿こそ見えないが、泉の中にはたしかに魚がいるようで、時折波紋と共に水音が鳴っている。

 だいたいが店主の言っていた通りだった。ただ、肝心な部分だけが話と食い違っていた。


 ――蛍がいないのだ。どれだけ真っ暗な夜空を探しても、茜蛍が飛んでいる姿を見つけることができなかった。


「蛍、いないですね……」


「ああ……」


 先ほどまでの威勢の良さが嘘のように言葉に力がない。さすがのエヴァンも少し落ち込んでいるようだった。

 それもそうだろう。なにせ、場所は見つかったが蛍はいないというこの結末は、いかんせん中途半端すぎる。

 絶景を見ることができればもちろんそれが一番いいのだが、手がかりすらもまったく見つからなかったとしても、もしかしたらあるかもしれないという期待が残るのだ。だが今回の場合は、そんなわくわくする気持ちすら残せないのだから、がっかりするのも仕方がない。


「ま、こんなこともあるさ。毎回毎回うまいこといくわけないし、それじゃあつまらないもんな」


 半分は本心で半分は強がりといったところだろうか。エヴァンは笑顔を見せているものの、いつもの快活さはなかった。

 それでも前向きなエヴァンは、このまま気落ちしてても意味がないと思ったのだろう。ザックから手帳を取り出すと、メモをとりながらこの場の考察を始めた。


「こうして泉があったということは、少なくとも店主は嘘を言っていたわけじゃないってことだ。でも茜蛍はいない。となると、考えられる可能性はふたつかな」


 エヴァンはペンを持ったまま右手でピースサインを作るとしゃべり続ける。


「ひとつは店主が見た茜蛍は幻覚だったという可能性。だけど、極限状態だったとはいえ、ピンポイントで蛍だけ幻覚として見えるって無理があるか。しかも、その幻覚を頼りに歩いたら、泉があったなんていうのも出来過ぎな気がするし。やっぱ、これは違うか」


 言葉にしながら考えているのだろう。エヴァンは自分の仮説を即座に否定した。

 そんな姿を見て、マルティナはすごいなぁと思っていた。

 間違いなくエヴァンはこの結果にがっかりしていたはずである。だけど、それで終わらせようとはしない。こうして積極的に現状を推し量ることで、この調査を少しでも実りのある物にしようとしているのだ。

 エヴァンの態度に感心していたからこそ、マルティナは自然と話の続きを促していた。


「……もうひとつの可能性っていうのは?」


「もうひとつは時間が経ちすぎたって可能性。なにしろ店主が茜蛍を見たのは5年も前の話だからね。その間に生態系が変化しててもおかしくはない。とくに蛍は生命力が高くはない生き物だしな」


「つまり、この場所の蛍は絶滅してしまったってことですか?」


「まあ、この状況を見る限り、その可能性が一番高いんじゃないか。5年前と時期や時間の条件は同じなのに蛍だけいないんだからさ」


 ――条件は同じ。


 その言葉になぜか引っかかった。またしても喉に小骨が刺さっている感じだ。


 ただ、今回はその理由にすぐに気づくことができた。いったいなにに引っかかりを感じたのか、冷静に考えを巡らせようと暗幕のような夜空を見上げたためだ。


「――月」


「ん?」


「店主さんの話では、蛍を見た日は月が出てたって話でしたよね? でも、今日は曇っているから月は見えない。これって条件は同じとはいえないですよね?」


 月が出ているかどうか。もしかしたら、そんなことはなんの関係もなく、とんちんかんなことを言っているかもしれないと思ったが、エヴァンはパチンと指を鳴らして同意してくれた。


「なるほど。それは一理あるかもな。夜中に森で焚き火していると、どこからか茜蛍が飛んできて、その焚き火の中に入ってしまうなんて話を聞いたこともあるし、もしかしたら茜蛍は自分よりも強い発光体に寄っていく習性があるのかもしれない」


「それならここで焚き火をすれば茜蛍も出てくるかも――」


「いや、それはダメだ」


 マルティナの提案は即座に却下されてしまう。


「この小さな泉の中じゃ茜蛍がいたとしても数はそう多くはないだろう。そんな希少な茜蛍を危険な目に遭わすわけにはいかないよ」


「それじゃあ……」


「ありがとう、マルティナ。でも今回は諦めるほかなさそうだ。食料ももうないし、天候ばかりはどうしようもないからな。それでも茜蛍がいる可能性は残ったんだから、それでよしとするよ」


 感謝の言葉を口にしながら手帳やペンを片付け始めたエヴァンに対し、マルティナはひとつの決意を胸にこう言った。


「いえ、待ってください。わたしならどうにかできます」


 これから自分がおこなおうとしていることが、エヴァンにとって喜ばしいことのなのかはわからなかった。


 明確な答えなんか出さないほうがいいのかもしれない。


 このまま茜蛍がいるかもしれないという希望を残したまま帰ったほうがいいのかもしれない。


 そんな考えもたしかにあるはずなのに、こうして行動しようと決心したのは、他ならぬエヴァンのおかげである。例え望んでいた結果にならなかったとしても、落ち込むだけで終わらせない彼の姿に感化されたからこそ、マルティナは両手を真っ暗な夜空へとかざした。


「なにを――」


 エヴァンは言葉を失っていた。


 マルティナが両手に魔力を込めると、上空にだけ突風が吹き荒れ、立ちこめていた分厚い雲がみるみる内に散っていき、最終的には大きなお月様がくっきりと空に浮かび上がったのだ。


 エヴァンは、自分の目の前で起こった出来事に驚きを隠せないようだった。だが、しばらく呆然と立ち尽くした後に、ぽつりと一言だけ感想を漏らした。


「すげぇ……」


「いやいや、こんなの全然すごくないですよ。こんなことくらい魔法をかじってれば誰でもできるでしょうから……」


 そう謙遜してみせたものの、エヴァンが見ていたのは、マルティナでも雲が消えた夜空でもなかった。泉の方をぽかんと口を開けて眺めていたのだ。

 マルティナもそちらを見やり、思わずはっと息を呑んでしまう。月明かりがキラキラと反射する泉の上を、数匹の蛍がお尻に赤い光を灯らせながら飛んでいたのだ。

 茜蛍が放つ光は儚く弱々しい。同じ発光体ではあるものの、以前に見た蒼天の洞窟と比べても壮大さは遙かに劣るだろう。

 それでも、マルティナはこの光景の方が好きだった。広大な荒野で必死に明かりを放つ小さな命が健気に映り、世界を旅し始めたばかりの自分と重なる部分があるように感じ、心を震わせられたのだ。


 ただ、いまはその感動に浸る余裕はなかった。なにせ、エヴァンがこの素晴らしい絶景を見て漏らした感想を、あろうことか自分に向けられたものだと盛大に勘違いをしてしまったのだから。


 マルティナは羞恥心に駆られながらも、口早に自虐を吐く。


「あ、あはは、この景色、本当にすごいですね。わたし、みっともないミジンコ魔女もどきのマルティナ――略してM5エムファイブのくせに、自分に言われているのかと勘違いしちゃいました。本当にすいません」


「いや、おれはマルティナに対してもすごいって言ったんだよ」


 視線を茜蛍からはずすと、エヴァンは真っ直ぐマルティナの目を見つめる。


「だって、こんなすごい光景を見せてくれたマルティナもやっぱりすごいじゃんか」


「で、でも――」


「わかってるよ。雲をどかすなんて魔法をかじってれば誰だってできることなんだろ?」


 エヴァンは茜蛍へと視線を戻すと、しまいかけていた手帳を再び取り出した。そして、この絶景のことを書き記しながらマルティナに言った。


「たとえ魔女なら誰でもできることだったとしても、いま、ここで、この景色を、こうしておれに見せてくれたのは、他の誰かなんかじゃなくってマルティナだろ」


 核心を突く言葉である。だけど、マルティナはその事実をいまこの瞬間まで、気づくこともできなかった。


 ふと泣きそうになる。


 出会った当初から、エヴァンは何度もこちらのことを「すごい」と認めてくれていたのだ。それなのに、賛嘆され慣れていなかったから、自分に自信を持てなかったから、いつだって自虐で逃げてしまっていた。

 素直に褒め言葉を受け取れない申し訳なさ、さらにはそれでもなお「すごい」と称してくれるエヴァンの優しさに、涙腺が緩んでしまっていたのだ。


 マルティナは、涙を目の端でため込みながらも、ひとつの目標を定めていた。


 この茜蛍みたいな人間になろう。


 こうして人知れず絶景を造り上げる茜蛍のように少人数でいい――いや、エヴァンだけでもいい。たったひとりでいいから、自分のことを認めてくれる人の心を打てるような、そんな人間になりたいと考えていた。

 この旅路で自分がそこまでの存在になれるかはわからない。そもそもエヴァンの褒め言葉に対し、自虐なしで返答できる自信もまだない。

 それでも、確固たる憧れを抱きながら、マルティナは涙に滲む仄かな赤い光を見つめるのだった。

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