触れられた唇
昼間は荒野の中で野営をして、絶景の捜索は主に夜間におこなった。その方が茜蛍の明かりを見つけやすいと判断したためだ。
とはいえ、道具屋の店主の話以外に情報は皆無だったため、あとはひたすら荒野をさまよって探すしかない。そんな成り行き任せの方法で、広大な荒野から小さな泉を見つけ出すのはやはり難しかったようで、マルティナ達は6日間歩き続けたものの手がかりのひとつも見つけられなかった。つまり、これまでの捜索期間は徒労で終わってしまったわけである。
それでもマルティナは落胆することはなかった。
やはり初日にエヴァンに「わくわくしながら探すことこそ冒険」と言われたことで、気持ちが萎えることがなかったのだろう。なんの成果もなく迎えた最終日の夜も、マルティナは調査のために張り切って魔法でランタンに火をつけた。今宵は月明かりもなく真っ暗だったため、ランタンに明かりが灯っただけで一気に視界が広くなる。
最後の調査を開始するためランタンを受け取ったエヴァンだったが、不思議そうな顔をマルティナに向けていた。
「今更なんだけどさ、魔女ってふつうは杖を用いて魔法を使ってた思うんだけど、マルティナは杖を持ってないんだな」
「ああ、そうなんですよ……。一般的に魔女は杖を触媒として、魔力を違う物質に変換させたりするんですけど、わたしの場合は杖を介すると、どうしてもうまく魔法が使えないんです。暴発したり、発動できなくなったりしちゃうんですよ」
マルティナは、エヴァンの隣を歩きながら大きなため息をつく。魔法学校での数々の失敗を思い出していたのだ。
マルティナが学校の成績が伸びなかった一番の要因は、伝説の魔女グレンダの娘として、周囲からの期待の眼差しにプレッシャーを感じていたため本来の力が発揮できなかったからではある。ただ、杖との相性が悪かったというのも間違いなくその一因であった。魔法学校では規定の杖を用いなければならず、簡単な初級魔法の実技試験ですらも四苦八苦しながらこなしていたのだ。
そんな学生時代の自身の落ちこぼれっぷりを説明すると、予想に反してエヴァンは感心した様子でうなずいた。
「へえ、すごいじゃん」
「すごい……ですか?」
「だってマルティナは杖がなくても魔法を使えるんだろ? それはふつうの魔女にはできないことなんだから、すごいじゃん。多分、学校も杖の使用を強制していたわけじゃないと思うぞ。いままでそんなすごい魔女なんていなかったから、杖を使用することが当然ってことになってただけじゃないのかな」
言われてみれば、杖の使用を強制されたことはなかったような気もする。もし素手で試験を受けていたのなら、もう少し成績も振るったことだろう。
でも――
「――わたしはすごくなんかありませんよ。エヴァンさんの言うとおり、魔女が杖を使用するのは当然のことなんです。別の言い方をすれば基本なんです。それなのに、その基本さえできないんだから、わたしは結局のところ駄魔女でしかないんですよ」
「うーん、そんなもんかねぇ」
エヴァンは納得いかなさそうに首を捻った。それでも、すぐに考えを切り替えたようで「まあ、魔女のことはおれにはよくわからないけど」と話を続ける。
「少なくともおれ自身はマルティナのことをすごいと思ってるよ。それがおれの嘘偽りない感想」
こうも「すごい」と称され、マルティナは恥ずかしくてもどかしい気持ちでいっぱいだった。なんとかこれ以上の褒め言葉を聞かないようにと、話題を自分の過去からエヴァンの過去へとそらすことにした。
「そんなこと言ったらエヴァンさんの方がすごいじゃないですか。モンスターを一蹴できるほど強いし、解体技術もあるし、どうやってそんな知識を身につけたんですか?」
「……おれさ、元々貴族だったんだよ」
思わず吹き出しそうになったものの、ランタンに照らされたエヴァンの横顔が真剣そのものだったので、これは冗談なんかではないのだと気づく。マルティナは慌てて真顔を作ると話を促した。
「えっと……そんな方がどうして冒険者に?」
「次男坊だったからさ。知ってるかもしれないけど、ウィギドニアでは爵位ってのは基本的に長男へと受け継がれる。つまり、おれは兄貴になにか遭ったときのためのスペアでしかなかったのさ」
エヴァンは真っ暗な空を見上げる。その青い瞳はどこか哀愁を帯びていた。
「だけど、おれはなにもせずにして負けるなんてイヤだった。だからこそ、ひとつでも兄貴よりも自分が上だということを親父に見せつけたくて、貴族に必要な学問はもちろんのこと、あまり必要のない武術や知識なんかも身につけたんだ。……でもそんな努力もむなしく、おれが18のとき、親父は病に倒れ、爵位を兄貴へ譲ると言い残して死んじまった」
柄でもないと思ったのか、エヴァンは誤魔化すように笑顔をみせる。
「それを機に、家に残っても惨めなだけだと思い、貴族の肩書きを捨てて、ひとりで旅をすることにしたってわけ。で、家にはそれっきり帰ってないんだ」
「そう……だったんですか」
驚きだった。貴族の家系だったことはもちろんだが、それ以上にこんなにもポジティブな性格のエヴァンが、自分のことを惨めだと思っていた過去があったということにだ。
エヴァンにだって思い悩んでいた時期がある。それは人がいつだって生まれ変われることの証明でもある気がして、マルティナは嬉しくも感じていた。
「なんか辛気くさくなっちまったけど、当時こそおれを選ばなかった親父や兄貴のことを恨みもしたけど、いまは心から選ばれなくてよかったって思ってるんだぜ。それからの5年間、ウィギドニア各地で絶景を見て回ることができたんだからさ。それに爵位を継いでいたら、こうしてマルティナに出会うこともなかったんだしな」
「そんな……わたしなんか……」
エヴァンは色んな考えや体験を教えてくれたけど、自分はエヴァンに対してなにも与えることができないと思っていただけにマルティナは小さくかぶりを振っていた。だが――
――あれ? なにかが引っかかる。
魚の小骨が喉に刺さったかのような違和感があった。いったいなにがそんなに気になったのか、マルティナは脳内でエヴァンの発言を振り返ってみる。
――おれが18のとき、親父は病に倒れ、爵位を兄貴へ譲ると言い残して死んじまった。
――それを機に、家にいても惨めなだけだと思い、貴族の肩書きを捨てて、ひとりで旅をすることにしたってわけ。
――それからの5年間、ウィギドニアの絶景を見て回ることができたんだからさ。
18歳のときに家を出て、それから5年間ひとり旅を続け、いまに至る。つまり計算式で表せば18+5になるわけだ。いくらミジンコ魔女もどきでもこんな簡単な計算を間違えるわけがない。
ということは――
引っかかっていた小骨がするりと胃の腑へと落ちていく感覚と同時に、マルティナは驚きの声をあげていた。
「――ていうかエヴァンさんって、まだ23歳なんですか!?」
「ん? ああ、そうだけど」
なんてことだ。第一印象から、ずっと30は越えているのだろうと思っていた。それなのに実際は自分と4つしか歳の差がないなんて……。
「え、そこに一番ビックリしてるの?」
貴族の家柄だったことよりも年齢のことに驚かれるとは思ってなかったのだろう。エヴァンは呆気にとられた様子で口をあんぐりと開けていた。
「そもそもマルティナは、おれのことをいったいいくつくらいだと思ってたのさ」
「え、えーっと、30は過ぎているだろうなって……」
失礼かと思ったが正直な感想を述べる。
すると、エヴァンは手を叩いて大笑いし始めた。
「おれが30過ぎ!? ははは、そりゃいいや。おれって、
さすがのプラス思考。ただ老け顔なだけだとは捉えなかったようだ。まあ、多くのモンスターが生息しているウィギドニアで、ひとり旅を5年も続けていたエヴァンは卓越した冒険者と言っても過言ではないとも思うが……。
エヴァンが気分を害していなさそうなことにほっとしたマルティナであったが、それとは別方向で緊張してきていた。一回り以上歳が離れていると思っていたからこそ、男性に免疫がなくてもエヴァンと自然と会話ができていたが、実際は歳もそう差がないと知り、変に意識してしまっていたのだ。
そんなわけで、隣を歩くエヴァンとの距離を意図的に少しだけ開けていた。ただ、それがいけなかった。ランタンの明かりでは足下までしっかりとは照らせず、マルティナは落ちている石につまずき、派手にすっ転んでしまったのだ。
「おいおい、大丈夫か?」
エヴァンは心配そうに手を伸ばす。落雷の塔から連れ出してくれたときや、蒼天の洞窟の前で落ち込んでいたときに差し出してくれたの同じ、無骨で大きな手だ。
そんなエヴァンの変わらない優しさに触れ、マルティナはズレ落ちたメガネをかけなおしながらも、自分のことを恥じていた。
馬鹿馬鹿しい。何歳だろうがエヴァンはエヴァンなのだ。以前となにも変わらないじゃないか。それなのに、歳が近いと知ったからといって、態度を急に変えるなんて、それこそエヴァンに失礼だ。
そう思ったからこそ、マルティナは「すいません」とエヴァンの手をとったのだが――
「――ちょっと待ってください!」
ふとあることに気づき、立ち上がらせようとしていたエヴァンをマルティナは慌てて制止した。
「どうした? 足でも捻ったのか?」
「いえ、そういうわけじゃなくって……少しだけですけど地面に水気が含まれている気がするんです」
マルティナの言葉を聞き、エヴァンも膝をついて、地面を触れてみる。そして納得した面持ちで同意した。
「たしかに。ここら辺の土はカラサ荒野にしては湿っているな……」
「ですよね! もしかしたらこの近くに――」
そのとき、泉の手がかりを発見したことに気持ちを高ぶらせているマルティナの口に、不意にエヴァンが「しっ」と言いながら人差し指を優しく押し当ててきた。あまりにも唐突な行動だったので、マルティナはどぎまぎしてしまう。
一方のエヴァンは、自分の行為でマルティナが平静さを失っているとも知らずに、おもむろに立ち上がると、こう問うた。
「いまの聞こえたか?」
「あ、え? き、聞こえたって、その、な、なんのことです?」
「水音がしたんだ。おそらく魚が水面を跳ねる音。間違いない、この近くに泉があるはずだ! あっちの方向から聞こえたから、早速行ってみよう!」
まだ見ぬ絶景がすぐそこにあるかもしれないという事実に、エヴァンは興奮を隠しきれないようだ。再びマルティナの手をとって立ち上がらせると、そのまま水音がしたという方向へと引っ張って行った。
どきどきと胸が高鳴る。それはエヴァンと同じで、これから見ることができるであろう絶景がいったいどんなものなのかと心待ちにしているからだろう。
そう思い込むと、マルティナは先ほどエヴァンに触れられた唇をきゅっと結んだ。
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